学校の門を抜けると、そこには、黒いサングラスをかけ、前髪をピンで留め、おでこを広々と出した国上が立っていた。

「遅いよ、探偵助手君」

 黒くて大きいサングラスを上にずらしながら、国上は云った。

「ごめんごめん、教室の掃除が長引いちゃって」

「じゃあ、しょうがないな。助手の不手際を大らかに許すのが名探偵ってもんだ」

 上にずらしたサングラスを再びかけ直して、国上は云った。

 それにしても、凄く目立っている。

 ただでさえ国上は、学校の有名人なのだ。それが何故かサングラスをかけて校門を出たすぐ横に立っている。

 放課後だからもう夕方だっていうのに、サングラスなんかして。

 否、そういう問題じゃない。

「国上ちゃん、何でサングラスなんてかけてるの?しかも、デカサングラス。凄く悪い意味で目立っちゃってるよ」

「美濃君、私は刑事デカではない、探偵だ」

 また、ふざけてるよ、この子は……。

「失礼な、ふざけてなどいないよ。探偵といえば、サングラスだろうに」

 私は、形から入るタイプなんだよ、と国上は云った。

 私には、探偵にサングラスのイメージなどなかった。

 探偵といったら、パイプ煙草とか、探偵帽とかコートとかだと思う。

 まあかといって、そんなものを身に付けてこられても困るのだが。

「でも、やっぱり目立っちゃってるし、これから昏くなるから何にも見えなくなっちゃうよ」

 私は、彼女を必死に説得する。

「うーん、わかったよ、そんなに言うんだったら外すよ。まあ確かに、これから夜の尾行作戦だっていうのに、支障が出たら大変だからね」

 デカサングラスを外して、制服のポケットにしまいながら国上は云った。

 正直似合っていたから、外さずに済むならそれでよかったのだが――否、似合っているというより、その小さくて丸く、幼さが残る顔に、黒くて大きいサングラスがアンバランスで何だか可愛らしかったのだ。

 おっと、しかし、これじゃあ私は、サングラスフェチというマニアックすぎる称号を貰いかねない。

 ――というより、もはや国上がどんなものを身に付けていようと、私には可愛く思えてしまうのだろう。

 しかし、今日に限っては、そうも言っていられない。だから、外してもらおう、恥ずかしいから。

「うん、でも、やっぱり尾行って言うと気乗りはしないけどね……。とりあえず、ここだと人目に付くし、一旦建物の影にでも隠れてようか」

「オッケー、じゃあ、そこの家の影で見張ってよう」

 国上は、校門正面から伸びる道路の脇にある民家を指差しながら云った。

「あ、あと美濃ちゃんが掃除している間に、もう帰っちゃったっていうことはないから安心してくれたまえ」

 国上は、私が放課後の掃除当番が終わるまで、先に校門で見張ってくれていたのだ。

 ――尾行のターゲット布仙ふせんつつじさんが来るのを。

 では、何故布仙さんを尾行するのか。

 それは、彼女が窮奇の被害に遭っている女子グループメンバーの一人だからである。

 昨日国上は、布仙さんが次に襲われると予想し、彼女を尾行して確かめるという作戦を立てたのである。

 しかし、その女子グループのメンバーはあと数人いるので、確固たる根拠はない。つまり、これは、国上の勘である。

 もう十六時過ぎだというのに、まだ太陽は、私達の頭上から少ししかずれていなかった。

 陽が段々と長くなることが感じられるこの時期になると、私は少し寂しいような、もの惜しいような憂鬱な気持ちになっていく。

 光が支配する時間が長くなればなる程、私のような人間の居場所はなくなっていくように感じる。

 ――もうすぐ夏が近いのだ。

「おーい、ぼっーとしてないで美濃ちゃんもちゃんと見張っておいてよー」

 民家の陰に隠れながら、国上は、間延びした口調で云った。

 私は、彼女とは少し離れた陽の影になる所にいた。

 そして、建物の陰から校門の方をじっと観察する彼女の横顔を眺めていた。

 少し傾いた陽の光が彼女をスポットライトのように照らしていた。

 ――あぁ、この子は神様にも愛されているのだ。

 神の寵愛を受けた、神の使い。

 やっぱり彼女は、天使なのだ。

 しかし、そんな私の思考は、国上の突然の大きな声でかき消された。

「……てか、なんか暑いし、眩しいなあ!」

 国上はそう云って、ポケットに手を突っ込み、大きくてくっきりとした目に、それより更に大きな先程のサングラスを取り出してかけた。

 そうして、私がしゃがんでいる日陰の方に入ってきた。

「もう夏が近い証拠だよ国上ちゃん。多分布仙さんもこの道通るはずだから、ゆっくり待っていれば大丈夫だよ」

「うーん、それもそうだな。流石は私の頼れる助手だぜ」

「まだその設定続いてたんだ……」

 本人は至って真面目なんだろうが、相変わらず緊張感がないなあ。

 私は、飴玉をからからと口の中で鳴らしながら、国上のスカートから伸びる脚を見ていた。

 口の中でグレープの味が甘ったるかった。

 私は、緊張したり、不安だったりすると飴を舐める癖がある。

 飴を舐めることに意識をもっていくことで、少しでも気を紛らわそうという魂胆である。

 だから、飴を舐めるのが好きだとか、味が好きだとか、そういうのではない。

「美濃ちゃん、私にも飴頂戴」

 国上は、私の方に近づいてきて、手を差し出しながら云った。

「うん、何味がいい?」

 私は、ポケットから何個か飴玉を取り出した。

「何がある?いちごは?」

「いちごは……ごめん、ないかな。あるのは、パイン、グレープ、メロン……サイダーだよ」

「じゃあ、サイダーいただきます」

「オッケー」

 私は、サイダー味の飴を国上の手のひらに載せてあげた。

 そして、しばらく黙って、二人で飴をからからと鳴らしていた。

「……美濃ちゃん、今日あの子達に何も言われなかった?」

 国上は、私を心配してくれた。

 その顔や声の調子は、真面目だった。

「うん、何事もなかったよ。国上ちゃんのおかげだね、ありがとう」

 彼女は、今日一日中、私と付きっきりで一緒にいてくれた。

 布仙さん達に私が何か言われないようにしてくれていたのだ。

 だから、今日は、彼女と一緒にいる時間がいつもより更に長かった。

 嬉しかった。色んな意味で。と呑気に思ってみる。

「てか、それより美濃ちゃん、さっきからしゃがみ込んで大丈夫?具合でも悪い……?」

「え?」

 どうやら、私は知らず知らずのうちに、今現在も国上に心配をかけてしまっていたようだ。

 これは、本当に反省しなければならない。

 反省して悔い改めないといけない。

 でないと、友達として国上と一緒にいる資格がない。

「あれ?美濃ちゃん、本当に大丈夫か?」

 確か飲み物があったはず、と云いながら国上は、私と同じようにしゃがみ込んだ。

 この子は、本当に優しいんだ。

 この世の中、みんな国上のような人だったらいいのに。

 そうすれば、怖くないのに。

 ――やっぱり私は、彼女とは釣り合わない。

「うん、大丈夫大丈夫。ごめんね国上ちゃん、いつものように少し考え事してただけだから」

「ならいいんだけど、でも、あんまり気にしちゃ駄目だよ、美濃ちゃん」

 疑いをさっさと晴らしちゃえば、それで済むんだから、と国上は云った。

 そうだ。こんな私のために、国上は率先して付き合ってくれてるんだ。

 これは、そもそも、私が頑張らなきゃいけないことなんだ。

 私一人で……そう、私一人の問題なんだ。

「はい、これ飲んでいいよ炭酸だけど」

「あ、ありがと……」

 国上が出してくれたサイダーを受け取りながら、彼女と目が合った。

 否、目が合ったといっても、国上は、例のデカサングラスをかけているので、彼女の視線がどこにあるのかは、実際のところわからない。

 しかし、私は、反射的に目を逸らしてしまった。

「あれ~?何で目逸らすんだよ~」

 国上はそう云って、サングラスを外すと、しゃがんだまま私に近寄ってきた。

 くそお。やっぱり視線は合っていたのか。

 国上は、その大きくて吸い込まれそうな瞳で、必死で逃げる私の瞳を捉えようとする。

「……いやあ、国上ちゃんのおでこ出しの髪型が凄く可愛かったから、ついつい」

 私は、苦し紛れに、咄嗟に云った。云ってしまった。

 今日一日中ずっと、彼女の顔をしっかり見ることができなかった。

 本当は恥ずかしいから言いたくなかったが、これが本心だった。

 でも、こういう自分の本心とは、やっぱり向き合いたくない。

 できれば、気づきたくもない。

 一生気づかずに生きられたら、どれだけ幸せだっただろうか。

「……は?……え?あ、ありがとう……。ま、まあ暑くなってきたし、それに、こっちの方がよく見えるから尾行にはいいかなって……」

 何だか国上にしては歯切れが悪かったが、まあ私があまりにも頓珍漢なことを言ってしまったせいだろう。

 また彼女を困らせてしまった。本当に本当に反省しなければ。

 でも、てっきりからかわれると思ったから、少しだけほっとした。

「てか、美濃ちゃん、早く水分補給しなって、まだ四月だけど今日は危ないよ」

 国上は、私が両手で持っていたペットボトルを指差して云った。

 サイダーの中身は、まだ半分程残っていた。

 正直、そこまで喉は乾いていなかったので、一口だけ戴くことにした。

 大丈夫……。意識しなければ、気づかない振りをすれば……。

 そんな風に、私は無意味な自己暗示をかけてみる。

「……ありがとう国上ちゃん、また今度私の分もあげるね」

 私は、国上にサイダーを返しながら云った。

「いいよ、こんくらい気にすんなって」

 そう云いながらサイダーを受け取った国上の後ろに――人影が見えた。

 き、来た……。

 尾行のターゲット、布仙さん。

 私は、国上の肩越しから黙って静かに彼女を指差した。

 国上は、察したらしく――。

「よおし、ようやっと作戦開始だ」

 私と向かい合ったままそう云って、ゆっくりと立ち上がった。

 ――いつの間にか陽は随分と傾いており、辺りは、ほのかに昏くなり始めていた。

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