「私が窮奇の……正体?」

 国上が云ったことの意味がわからなかった。

「……うん、噂話ではそうなってる。私が知る限りでは昨日辺りから」

 噂話の詳細も知らなかった私は、自分がその当事者、ましてや、犯人になっていることなど知る由もなかった。

 しかし、昨日からという点が気になる。

 否、気になるというなら、その全てが気になるのだが。

「もちろん最初は全然違っていて、昨日から急に美濃ちゃんのせいにされちゃってるの。でも、なんかそれには、ちゃんとした明確な理由みたいなものがあるみたいで……」

 私の疑問を察した国上は、そう付け足した。

 明確な理由だって?

 そもそも、人間の所業じゃできそうもない状況での犯行だからそんな馬鹿げた噂話になるのであって、最初から人間の線を疑うんなら真っ先に不審者を疑うはずだ。

 私が一体何をしたというんだ。

 噂話――怪異譚、というのだろうか。どうやらそれは、妖怪などの超自然現象のようなものではなく、人間の仕業ということになったらしい。

 そして、その人間、噂話の当事者であり事件の犯人は、私であるというのだ。

「わかった、聞かせてもらうよ。その明確な理由とやらをね、国上ちゃん」

 一体どんな馬鹿馬鹿しい答えが返ってくるんだろうか。

「う、うん……。なんか見た人がいるんだって……。美濃ちゃんが女子生徒を切りつけるところを」

「は?」

 いくら馬鹿馬鹿しい答えにも限度というものがあるわけで。

「だから、美濃ちゃんが、洗足ちゃんを後ろから刃物で切るところを、湖木田こきたちゃんが見たっていうの!」

 国上は、少し興奮気味になりながら、はっきりと云った。

 固有の人物名まで出てくるとは偉く具体的だ。

 襲われたという洗足邑光。そして、それを偶然にも目撃していた人物がいた。

 湖木田美波こきたみなみ。彼女は、洗足さんと同じ隣のクラスの子である。

 なるほど、明確といえば明確である。

 実際に切りつけられた人、そして、それを見た人がいるんだったら噂話の信憑性は一気に高まる。

 それは、もうただの被害者の証言と目撃者の証言ということになるだろう。

 まあこの場合、被害者は加害者を認識できないので、目撃者の証言がかなり重要になる。だから、噂話――怪異譚となり得たのだ。

 被害者は、加害者を見ることができない。

 しかし、偶然にも第三者に見られてしまった。

「それで?みんなは、私の仕業だって信じているの?」

「うん、すっかり信じているみたいだよ」

「全く疑いもせず?みんな?」

「疑いもせず、みんな。あ、でも、この話はまだそこまで広がってないみたいなんだ。何しろ昨日の帰り道での出来事らしくて」

「はあ……」

 私は、呆れてため息しか出なかった。

「私は、もちろん美濃ちゃんを疑ったりしてないけどね」

 国上は、私を励ますように努めて明るい口調で云った。

 気を遣わせてしまっている。

「第一、みんなすっかり忘れてしまっているようだけど、噂話の内容を信じるなら、いち女子高生にそんな曲芸師みたいなことできないよ」

 国上は、手を鎌に見立てて切りつけるような動作をしながら云った。

「曲芸師にだってできないと思うけど……」

 しかし、その通りなのだ。やっぱり原点に戻ってくる。みんなそんなことできるやつは人間じゃないと思ったから怪異譚と化したのだ。

 それともみんな最初からそんな噂話は信じていなくて、やっぱりどこかで不審者の仕業だろうと思っていたのだろうか。

 まあ確かに、高校生にもなって本気で信じている方が可笑しいのかもしれない。みんな退屈な日常にスパイスが欲しかっただけのことなのか。または、みんなで盛り上がる共通の話題が欲しかっただけのことなのかもしれない。

 しかし、実際に被害者はいるわけであって、いち娯楽として消費するのもいかがなものかと思う。

「でも、安心するんだ!美濃ちゃんには、明確なアリバイがある!」

 いつの間にか滑り台の頂上にいた国上は、大きな声でそう云った。

 幸い、公園には誰もいなかったのでよかったが、恥ずかしいので止めてもらいたい。

 多分彼女は、高い所が好きなのだろう。登れる所は、何でも登ってみる習性があるのだ。

「だって、美濃ちゃんは、昨日も仲良く私と一緒に帰ったじゃないか~」

 国上は、滑り台から滑り落ちながら云った。

 この滑り台は、チューブ型になっているから、凄く声が籠って聞こえてきた。

 またスカートの中が見えそうだったので、私は目を逸らした。

 流石の国上といえど、ペチコートのようなインナーを履いているだろうが。

 しかし、まあそうなのだ。だから、私では絶対にあり得ないと断言できる――のか……?

 私は、そこで急激に不安になった。

 何故か昨日の帰り道の記憶が曖昧で思い出せなかったのだ。

 いくら馬鹿で愚かな私でも、昨日のことくらいは覚えているはずだ。

 しかし、やはり上手く思い出せなかった。

 でも、まあ国上がそう言うんなら、そうなのだろう……。

 私は、それ以上無理に考えるのを止めた。

 ――止めた方がいい気がしてならなかったから。

 しかし、もし仮に私だったとしても、それは、私のドッペルゲンガーか何かであろう。

 でも、そうなると窮奇譚ではなく、ドッペルゲンガー譚ということになってしまう。

「私、話の最中にそう言ったんだよ、湖木田ちゃん達に直接」

 でも、これが信じて疑わないんだな頑なに、と国上は、お尻を払いながら云った。

「はあ、なんでだろう……」

 と自分で言いつつ、理由は何となくわかっている。

 要するに、私は、みんなから嫌われているのだ。

 そんな嫌われ者の私が丁度良く目撃されたのだ。それは、みんな飛びついて信じるに違いない。

 目撃者である湖木田さんが嘘をついている可能性だって否定できないし、嘘とまではいかないが、見間違いってことだって十分あるだろう。しかし、そんな可能性は、彼女達にとってどうでもいいのだ。

 人は、単純で簡単な信じたいものを信じるのだ。目の前に突然降ってきた明瞭な答えに食いついてしまうのだ。

 そもそも、被害者は昏い帰り道で襲われるというのに、そんな昏い中でどうやって私だと断定したのだろう。国上の話によれば、湖木田さんは信じ切っているらしいし。

「美濃ちゃんがいつも胸ポケットに着けてる青色のヘアピン……それが見えたんだって……。その時は、前髪に付けてたみたいだけど」

 私がいつも制服の胸ポケットに着けている御守り代わりのヘアピン――誰かに貰った物だったはずだけど、何故か思い出せずにいる。

 でも、凄く大切にしているもの。

「それでも、角度的に顔までは見えなかったみたい」

「……向こうにも一応言い分はあるみたいだね」

 と言いつつ、私は安心した。

 やっぱりそれは、私ではない。

 私は、そのヘアピンで前髪を留めることなんて絶対しないのだ。

 恥ずかしくて恥ずかしくて、想像しただけでも死にたくなる。

 それに、それだって依然、嘘や見間違いの可能性は十分にあるのだ。

 湖木田ちゃん達のグループは、私と国上が仲が好いことが気に入らないのかもしれない。

 クラスのはぐれ者で落ちこぼれの私と、クラスの人気者で運動神経が良くて可愛くて異性だけでなく同性にもモテる国上は、どう見たって釣り合わない。

「それに、やたらと美濃ちゃんと絡むの止めな~、とか言ってくるから私もイライラしてさっさと切り上げてきたんだ」

 私が好きで美濃ちゃんと一緒にいるのに、勝手なこと言ってんなって感じ、と国上は、吐き捨てるように云った。

「……うん。ありがとね、国上ちゃん」

 私は、国上のその言葉が正直に凄く嬉しかった。

 でも、彼女がそこまで私を好いてくれる理由がわからないから、不安が入り混じった複雑な気持ちだった。

「まあおかげで、私が大好きな美濃ちゃんを独り占めでできるけどね~」

 また私に顔を近づけながら国上は云った。

 彼女の丸くくっきりとした瞳に映る自分が酷く醜く見えた。

 こんな醜い私は、果たしてこの子と付き合う資格があるのだろうか。

 黒くて艶やかな髪、少し丸みを帯びた顔の輪郭、その中に綺麗に配置されている形の整った小さな鼻、ピンク色に光っているふっくらとした唇、公園の遊具で遊んでいたせいか頬が少し蒸気を帯びて赤くなっている。

 その顔は、美しくて綺麗で神聖で――。

 ――およそこの世のものとは思えなかった。

 彼女の顔を眺めている刹那の間が凄く永く思えた。

 こんな時が永遠に続けばいいのに、と思った。

「……というわけで、明日から早速調査を開始します!」

 私は、国上の大きな声で我に返る。

「え、ちょ、調査って何をどうする気……?」

「そんなの決まっているじゃないか、ワトソン君。この事件を解明して美濃ちゃんの疑いを晴らすんだよ」

 美濃ちゃんもずっと疑いが続くのは嫌でしょ、と国上は云った。

「それはもちろん嫌だよ、嫌すぎるけど……」

 無実の罪は御免だ。ごめんと謝られても済まない。

「大丈夫、調査は主に私がするから、美濃ちゃんは少し手伝ってくれればいいよ」

 美濃ちゃんの疑いを晴らすためには、事件そのものを解明しないといけないと思うんだ、と国上は云った。

 やっぱり本気で事件を解明する気らしい。

「湖木田ちゃん達に、人は自分の見たいものを見たいように見ているだけなんだよ、と気づかせてやるんだ!」

「何だか凄く格好いい台詞だけど国上ちゃん、疑いを晴らすだけならともかく、事件解明なんて、とてもできる気がしないよ」

 しかし、そう格好いい台詞を言った本人は、私の返答も無視して、何だか奇妙な顔をしていた。

 この子は、自分の発した言葉の意味を自分でもよくわかっていないのかもしれない。

 私は、国上のそんな顔も愛おしいと思った。

 ――そして、昏くなってきたし、もう帰ろうということになり、公園の駐輪場まで行った。

 二人で並んで。

 私達は、自転車で学校に通っている。

 二人とも自宅から高校まで大して距離はないのだが、やっぱり楽だからそうしている。

 そして、いつも下校中、この公園――美薗白百合みそのしらゆり公園に寄り道して、くだらないことを二人で話すのだ。

 それが、一日学校を頑張った私へのご褒美だった。

「美濃ちゃんのクロスバイク、一回乗ってみたかったんだ」

 国上はそう云って、私の青色のクロスバイクに勢いよく跨った。

 彼女の形の整ったお尻が、私の自転車のサドルに乗る。

 彼女の細長い指が、私の自転車のハンドルを握る。

 私は、そのすらっと伸びた白い指を眺めていた。

 先端に生え揃っている整えられた爪が、透明に光って見えた。

「美濃ちゃん、サドルの位置高いね~。つま先ぎりぎりだよ」

 国上はそう云いながら、駐輪場を少し出た所で自転車を走らす。

 彼女のお尻が下着やスカート越しといえど、私が普段乗っているサドルに触れていると思うと、何だか気が落ち着かなかった。

 私は、自転車に乗る彼女の後姿を眺める。

 夕日によって艶やかに輝くツインテールは、風に乗って優雅に泳いでいるようだった。

 そして、彼女のむき出しになったうなじが、それを見た私の胸の辺りをぐらぐらと揺らすようだった。

「じゃあ、国上ちゃんの自転車に私も乗っちゃうよ」

 私は、不安定になった自分の感情を揺り戻すように云った。

 彼女の自転車は、普通のいわゆる通学用自転車である。

 跨る前に、そのハンドルとサドルを指でゆっくりとなぞった。

 まるで汚れや何かを拭き取るように。

 跨ると、サドルの位置は、ほとんど一番下であった。

 何だかそれすら愛おしく感じた。

「どう?私の自転車、低いでしょ」

「うん、国上ちゃんと私ほとんど身長同じなのに。これだと漕ぎづらくない?」

 いつもより見えている景色が違ったから、少し変な感じがした。

「私、脚着かないの怖いんだよね~」

 ……っと、じゃあ、帰ろっか、と云って国上は、自転車から降りた。

 二人は、自転車を再度交換した。

 自分の自転車に乗る前に、さっきと同様、ハンドルとサドルを指でなぞった。

「何してんの美濃ちゃん。もう昏くなっちゃうから早く帰るよ」

 私は、一瞬びくっとしたが、幸い、国上は何も気づいていないようだった。

「うん、それじゃあ……」

 また明日。

 そうお互い云い合って、私と国上は分かれた。

 これも、二人の間で何回も繰り返された台詞である。

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