私は、男子があまり好きではなかった。

 否、男子というに関わらず男性――つまり、男というものが好きではなかった。

 否、これも違って――私は、男というものが大嫌いだった。

 私が今まで生きてきて関わった男性というのは、まず父親だった。

 もちろん男である父のことは、たとえ親であっても好きではなかった。

 しかし、私の父親の名誉のために言っておくと――言っておいてあげると、私に対して何か暴力を振るったり、虐待などがあったわけではない。

 私の父は、別にそこら辺にいる普通の父親と大差ない――と思う。

 私の家庭は、経済的に凄く豊かとは言えないけれど――まあこれも普通の、ごく一般的な家庭と大差ないのだろう――不自由ない普通の生活をさせてもらっていると思う。

 私の通う私立高校の高い学費だって払ってもらっている。

 お小遣いだって貰っているし、私が身に付けている物や使っている道具は、どれも新品で買ってもらったものだ。

 ――でも、それだけ、だった。

 ただ父親として、お金を払ってもらっているだけ。

 もちろん凄く贅沢なことを言っていることは、私もわかっている。

 否、本当の意味ではわかっていないんだろう。

 それは、自分でお金を稼いで初めてわかることだと、私だってどこかで気づいてもいる。

 しかし、お金に関することを除けば、私は父にこれといって何かしてもらった記憶はない。

 まあもしかしたら、私がうんと小さい時分には、それは可愛がってもらっていたのかもしれない。

 でも、もし仮にそうだったとしても私は覚えていないし、今は父とまともな会話すらない。

 第一、父はお酒ばかり飲んでいて、常に酔っぱらっている。まともに話しをする機会なんてのは日常生活の中では皆無である。

 だから、私は、父親の愛情というものを知らない。

 これも贅沢なことを言っているとわかっている。

 否、これもやっぱり本当の意味ではわかっていないんだろう。

 でも、人は自分が体験したことしか、本当の意味というものがわからないものではないのか、とも思う。

 しかし、こんな贅沢なことばかり言っていたら、色んな人に怒られるのも事実だろう。

 世の中には様々な境遇の人がいる、ということも私はわかっている――つもりだ。

 人間の駄目なところで、恵まれていても、もっともっとそれ以上を求めてしまうのだろう。

 貪欲に、上へ上へと際限知らずに目指してしまう。

 だから、私は世間知らずの贅沢で我儘なお姫様なんだろう。

 決して、美しく綺麗なお姫様などではない。

 外見は言わずもがな、私の心はきっと醜い――化け物であろう。

 ――それでも、父親の愛情がわからないというのは、私にとって疑いようのない事実であるのだ。

 これは、私の受け取り方の問題だから私がそう思うなら、それが事実と言ったっていいだろう。

 これぐらいは言わしてほしい。

 たとえ人から贅沢と言われようが、恵まれていると言われようが、私にとってはこれが現実――本当の気持ち――本当の心なんだ。

 そう自己弁護するように、自分に言い聞かす。

 また、父親と母親は仲が悪かった。

 私は、いつも父の方に原因があって喧嘩しているのだと思って――思い込んで、その喧嘩をおどおどしながら自室から聞いていたが、父は絶対に自分の主張を変えようとはしなかった。変わろうとはしなかった。

 だから、毎回決まって母が謝って、喧嘩は終わるのだった。

 親同士の悪口を聞かせられる子どもの気にもなってほしい。

 私が小さい時分には、喧嘩の最中に、父が母に対して暴力を振るったのを見てしまった。

 その時は、幼少期ながら、それが凄く悪いことだと感じて、仲裁に入ったのを覚えている。

 それで父も多少懲りたのか、これ以降は、私の知る限りでは母に暴力を振るうことはなくなった。

 しかし、夫婦の仲――否、家族のギリギリのバランスで釣り合っていた仲は完全に崩壊した。

 まあ元々世間体を気にして外面だけ取り繕っていただけなのだ。どのみちそんな紛い物の関係は、そう長くは続かない。

 父と母は離婚し、私は父に引き取られ、父と子二人暮らしとなった。

 所詮子どもは、親の所有物に過ぎない。その呪縛からは抜け出せない。

 それ故に、私は、母親の愛も小学校低学年くらいまでしか知らないのだ。

 離婚して以来、ただの一度も母に会ったことはない。会いに来てくれたことも、会いに行ったこともない。

 離婚した時期は、明確に思い出せないから曖昧だ。否、思い出したくもない忌々しい記憶だから、あえてそのまま曖昧にしている。

 私は、母が大好きだったから、凄く悲しくて毎日泣いていた。

 こんな不幸誰にだって訪れる、別に珍しくもない普通なんだ、私は贅沢で我儘なんだ、そう自分に言い聞かせて平静を保った。じゃないと、心がぐらぐらと揺れて気持ち悪くて仕方なかった。

 そうやってきたから、私は、私の本当の気持ちというものがわからなくなっていった。

 でも、それでも、心のどこかで、私は母親代わりになってくれる人を求めていた。

 そして、それは、今もずっと変わらない――。

 高校生になった今でも心の隅、否、中心でずっと追い求めている。そのぽっかりと空いた穴を埋めるために。

 そんな私の絶望と孤独を癒してくれるものに出会うのは、もう少し先の話だった。

 とにかく、これが私の中で明確なきっかけとなった。

 父が私に何をしてくれても、私には、父が恐ろしい偽善の塊に見えて仕方なかった。

 私は、常におどおどするようになった。

 常に何かに怯えるように。

 とにかく、とにかく怖かったのだ。

 何に対して怯えているのか、何が怖いのかはわからなかった。

 ――そして、この契機を境に私の心は、私の心ではなくなってしまったようだった。

 私は、一人っ子だった。だから、兄と弟というような男性は知らない。

 それ故に、身内の男性として次に関わったのは、祖父だった。

 母方の祖父は、私が生まれる前に既に亡くなっていたから、父方の祖父しか知らないし、離婚してからは、母方の親戚とは会っていない。

 そして、やっぱり祖父のことは好きになれなかった。

 孫である私のことは凄く可愛がってくれたのだが、それ以外の人たちには冷たい人だった。

 でも、私にはそう見えただけのことで、実際は違ったのかもしれない。

 何しろ小さい時分に会ったきりで、もう何年も会っていないからあまりはっきりとは覚えていない。

 父と母が離婚してから、しばらく父方の実家に住んでいた時期があったが、親子二人で住むようになってからはもう会っていない。

 とにかく、私には凄く優しくしてくれたし、お小遣いだってくれた。

 ――また、お金だ。

 しかし、お祖母ちゃんには、冷たかったことは明確に覚えている。

 つまり、祖父にとっての妻――に対しては凄く厳しかった。

 だから、祖父のことも父同様、好きにはなれなかった。

 私に優しく話しかけてくれる祖父と、お祖母ちゃんに話しかける祖父が到底同じ人とは思えなかった。

 ただでさえ、その時期の私の精神は不安定だったのだ。

 人の恐ろしい側面を見て、人が怖いと思うようになった。

 人のことが――人の優しさが、信じられないようになった。

 人の気持ちを考えるのが、化け物の巣窟を覗くことかのように思えて、怖くて恐ろしくてできなくなった。

 でも、私は何に対して怯えているのか、何が怖いのか――その正体が段々とわかってきたように思えた。

 また、その頃から私は、人より感受性というか共感性というのが高いのか知らないが、とにかく、そういう雰囲気を敏感に察知してしまうようになり、それでいて自分のことのように感じてしまうから、その度に凄く不安な気持ちでいっぱいになって苦しかった。

 その凄く損な私の心は、今も健在である。

 でも、不健全である。

 もうとっくに壊れてしまっているのかもしれない。

 ――壊れてしまったら、もう二度と元通りには戻らない、そんな気がした。

 次に関わった男性は、学校の教師だった。

 小学生の頃の私は、コンプレックスの塊だった。

 まあ今でも、それはあまり変わらない。

 特に小学校の時分は、勉強と運動ができない子に居場所なんてなかった。

 大袈裟かもしれないが、少なくとも私はそう思っているし、そう記憶している。

 だから、私には、およそ友達と呼べる子はいなかった。

 まあこれも、今とそう変わらない。

 とにかく、勉強も運動もできなかった私は、クラスから孤立していた。

 否、学年全体、学校全体で孤立していた。

 そんな私には、同じ児童のみならず、先生達も呆れていた。

 これも大袈裟かもしれない。

 私の自意識過剰かもしれない。

 私がただネガティブなだけかもしれない。

 しかし、当時の私には、そう思えて仕方なかった。

 勉強ができる児童は、先生の寵愛を受ける。

 運動ができる児童は、先生の寵愛を受ける。

 この両方ができる児童に至っては、クラスメイトや先生から惜しみない名声を博する。

 親もそんな我が子が愛おしいと思うだろう。

 それは、さぞかし気持ちのいいことだろう。

 自信に満ち満ちることだろう。

 心が満たされて幸せなんだろう。

 私は、本当に羨ましかった。

 私と他の子とは何が違っていたのだろう。

 それは、当時も今もわからない。

 それは、才能というのかもしれない。

 それとも、それ相応の努力をした結果というのかもしれない。

 しかし、人並みにだってできない私には、そんな単純のことのように思えなかった。

 そして、そんな落ちこぼれの私に呆れた先生達は、私に向かって惜しみない呪いの言葉を吐いた。

 言葉というのは強力なもので、祝福を受けた子はどんどんと上へと昇っていき、一方の私はどんどん底へと、更に底辺へと落ちていくだけだった。

 一体教師というのは、何のためにいるのだろう。一体何のために、学校で勉強や運動を教えるのだろう。

 私は、特に算数が苦手だった。

 だから、算数の先生から受ける呪詛は強力なものだった。

 そして、その算数の先生は男性だった。

 だから、私は学校の教師――男性が嫌い。

 少しは勉強ができるようになった今も、それは変わりない。

 その教師によって嫌というほど、これでもかというほど怒られ、晒し者にされた私の自尊心なんてものは、完全に消えて無くなってしまった。

 人生は、何とか自分を信じて生きていくしかない。それなのに、その信じるものを持たない人、奪われ、失った人はどうすればいいの。

 ただでさえ風前の灯火だった私が私を照らしてくれる唯一の光は消された。

 消滅した。跡形もなく消え去った。

 新しい蝋燭を用意して、マッチで火を何度もつけ、それを大切に大切に手で覆っても、すぐに強力な風が吹いて消されてしまった。

 ――そして、最後には嫌になって自分で消してしまった。

 最後に、男子が嫌いな理由。

 男子と大雑把に言ってみても、私が関わってきた男子というのは、およそ同学年の子達しかいないけれど。

 私は、特に男子の眼――視線が嫌いだった。

 そう思うようになったのは、中学生くらいの頃だろうか。

 クラスの男子達の女子を見る眼が、とにかく気持ち悪かった。

 誰々の顔がどうだとか、身体がどうだとか、聞いていて心底不愉快だった。

 一体どんな権利があってお前たちが品定めできるのだ。

 もちろん私に対しても、そのいやらしい品定めは行われた。

 私が当時、どんなに自分の身体にコンプレックを持っていたかなんて知る由もない。

 私がどんなに身体のことで悩んでいたかなんて知る由もない。

 否、私だけに限らず、そのぐらいの歳の女子は、みんな少なからず同じようなコンプレックスや悩みを抱えていただろう。

 なのに、こいつらは平気で――。

 そう思うと、私は腹が立って仕方がなかった。

 同時に、悔しくもあった。

 腹が立って、悔しくて、何だか情けなくて毎日泣きそうだった。

 また、その会話に出てくる言葉も非常に汚かった。今思い出しただけでも吐き気がする。

 およそ、性に対する下品で、誹謗中傷としか言えない話ばかりする男子達が嫌いだった。

 そこから男子という生き物がとにかく汚くて気持ち悪くて、より一層理解できない存在になった。

 私には、欲に支配された野生の獣のように思えてならなかった。そこに理性なんて感じられなかった。

 だから、私は未成年で、歳が近い男子だろうと嫌い。

 その獣の視線によって汚された私の身体を通して、心まで辱しめられた気がした。

 ――身体を経由している分、その獣につけられた心の傷は一層深く、一生癒えることはない。

 そして、私は、男の身体というものも大嫌いだった。

 男子が女子の身体を品定めするのなら、私だって同じようにしてやる。

 青々とした濃くて汚い髭、ゴツゴツとした岩のような腕や脚は見るだけで不快な気持ちになった。

 男の手の指なんかは、太くてだらしなく見えたから特に嫌い。

 その身体全体から支配的で暴力的な匂いが強烈に香ってきて、私はいつも吐き気を覚えた。

 また、男の声も大嫌いだった。

 野太くて、嫌に振動する耳障りな音は、不協和音以外の何物でもない。

 その本能が拒絶するような汚らしい音を聞く度に、私の耳は腐っていくような感覚がした。

 そして、私は、不愉快な気持ちになると同時に、酷く不安にもなった。

 私は、この汚くて醜い身体には、力では到底敵いっこない。

 だから、心の中では吐きそうになっても、我慢してなるべく怒らせないように愛想良く振舞った。

 本当に嫌で嫌で仕方がなかった。でも、そうすることが精一杯の自衛だと思ったから。

 しかし、そんな屈辱的なこびへつらいは、当然長くは続かなかった。

 それは、私の心が壊れてしまうからだった。醜い男共の汚い身体に触れて、私は汚染されてしまう。

 だから、私はいちいち男に対して感情を抱かないようにした。

 いないものとした。存在しないものとした。

 それが私の精一杯の心を守る術だった。

 そんな野蛮で下品で醜い男共――父や祖父と比べて、お母さんは大好きだった。お祖母ちゃんも大好きだった。

 でも、もう二度とそんな二人と会うことはないだろうと思っている。

 ――そして、女の子も好きになっていった。

 私は、男のような肉欲から女性が好きということでは決してない。

 私は、理性でもってその肉体を、その精神を愛している。

 私が女として女が好きなのは、肉体が伴わない精神の愛だ。

 男のような肉体の汚れと精神の穢れからくるものではない。

 女性の身体は柔らかく、すべすべしていて、美しく綺麗だ。

 それは、目で見ても、もちろん触ってみてもわかる。

 見て楽しめて、触って楽しめる。

 どんな服を着ていたって、どんな格好をしていたって似合うし、可愛らしい。

 声も美しく綺麗で、いつまでも、いつまでも聴いていたい。

 高い声も低い声も、それぞれに違った良さがあって、個性的で、聴き飽きない。

 そのまま眠りについてしまいたくなるような心地よさである。

 その声を聴きながら、その柔らかい身体の上で寝られたら、天にも昇る気持ちだろうか。

 本当に天に昇ったっていい。きっと天国には、美しい女神様や天使でいっぱいなんだろう。

 きっとそこには、汚くて醜いものなんか存在しない。

 きっとそこには、私を不愉快で不安な気持ちにさせる男だっていない。

 美しく綺麗なものしかない理想の楽園なんだ。

 花畑の中で優雅に戯れる女神様と天使。

 何て素敵な世界なんだろう。

 早く私もそんな世界に行きたい。

 あぁ、早く私をそちらに連れて行ってください、女神様、天使様。

 ――神様。どうかお願いします。

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