5章
Ⅰ
「……ッ、つつッ。あれ、ここどこだ?」
真が目を開けると、戦場に浮かんでいた夜空でも、ましてやシミが目立つ自分家のボロ天井でもなかった。
柔らかく良い匂いがする枕の感触を楽しみ、服装が学校の制服に戻っている事を確認していると――
「ここはアタシの部屋っすよ」
「どぅわっ」
イオが覗き込むようにひょっこり顔を近づけてきたので、真は驚きベッドから落ちた。
「怪我人が暴れないでくださいよー」
「誰のっ、せい!」
笑ったまま反省してない彼女に舌打ちし、部屋を見回す。
研究室を自室と言っていたイオ。だが、ここが本当の自室なのだろう。ガラクタの代わりに化粧用品や洋服など、女の子らしさが溢れていた。
「あんま見ないでくださいっす」
「化粧とか、興味ないって言ってたじゃねぇか」
「だーかーらー、身嗜みは最低限のマナーって言ったじゃないっすか。それとアタシって欠席が多いけどクラスでは人気モノで通ってるんす。イマドキの女の子の話に着いていくには、こういうの買って使った方がいいんすよ。……って、学校に友人が居ない犬崎さんには分からない話っすね。ごめんなさい」
余計な一言にこめかみがピクッとなった。
「それより、ガーゼを変えるっすから。こっち座ってください」
ベッドに引き戻され、大人しく手当を受ける。普段から何かを発明しているだけあって、手先が器用でガーゼの取り替えはすぐに終わった。
「……はぁ。やっぱり悪の組織がヒーローに勝てるはずないか」
怪我した部分を撫でながら言うと、彼女が救急箱を持ったまま笑った。
「なーに弱気になってんすか。犬崎さんもヒーローじゃないすか」
「元、な」
彼女は真の前に椅子を置き、背もたれを前にして座った。
「やっぱ、かつての師匠には勝てないっすか?」
「そりゃ昔から一度も勝った事ないし。……やっぱ、守るものがあるヒーローって強いんだなって改めて思い知った。特にホワイトファング。あの後輩はまだ弱いが、俺よりヒーロー然とした心意気だ。そのうち戦闘力なんて越えられるんだろうなぁ」
「そう、っすね」
深刻そうに目を細めたイオ。「どうした?」と問うと、彼女は口を重く開いた。
「色々と言う事はありますが、まずは犬崎さんの事です。こうして帰ってきましたし、約束通り『なぜヒーローであるアナタ』を引き入れたのか、答え合わせをするっすよ」
そうだ。この生意気な少女はあろうことか、真をヒーローと知りながらブラックスターに……と考えたところで、違和感を抱いた。
「まて。引き入れた? 俺がここに来たのは、お前にとって偶然だろ?」
「本当にそう思うっすか? 思い出してください。この組織に来たきっかけを」
きっかけは確か、勧誘のチラシを拾ったこと。今思えば、見知らぬ少女が偶然あのチラシを落としていなければ自分はここに居なかった。
そこで、真はハッとした。
「まさか、あの時チラシを落としたのって」
「アタシっすよー。あと落としたのはわざとっす」
いぇーい、と満面の笑みでダブルピースする彼女。しかしまだ分からない事がある。
「俺が拾って中身読んだって、ブラックスターに行くとは限らないだろ」
あくまでも金に困っていたから渋々、しょうがなく、断腸の思いで面接しただけだ。
他のバイトが出来るなら、好き好んで敵対していた組織などに入らないし近づかない。
「いやいや。犬崎さん、うちに来なきゃ生活出来なかったっすよね」
「あぁ。なんでか面接を受けたバイト全部が不採用になったからな」
「ヒーローを辞めた犬崎さんにはアテが無かった。偶然、優しいお婆さんに拾われてなければ野宿生活でしたし、バイトでお金を稼げない犬崎さんは偶然チラシを拾ってなければ、その日のご飯も食べられない……いやー、偶然って怖いっすね!」
嫌な予感がした。
まさか、と思いながら彼女を見ると、申し訳なさそうに頬を掻いていた。
「はい。お察しの通り、それら全部ブラックスター、というよりアタシの仕込みなんす。犬崎さんがバイト出来ないよう店に先回りして『この人を雇ったらヤバいことが起きる』って脅したり。あとお婆さんはブラックスターの協力者ではありますけど、昔犬崎さんに助けられて恩返しがしたいってのは本当っす。それで自ら協力を申し出てきたんで、善意には違いないっすよ」
何もかも掌の上だったということか。しかし、怒りは沸いてこなかった。用意周到すぎて、真はもはや呆れていたのだ。
「あー、じゃあ俺がヒーローを辞めたってどのタイミングで知ったんだ」
こうなったらとことん聞こうと投げやりになる。
「犬崎さんが以前使っていた、今はホワイトファングと呼ばれているあの変身武装兵器は元々パパが作ったヘルハウンドって鎧の劣化版なんすよ。多分、デュラが独自で集めた科学者とかに作らせたんだと思うんすけど……」
ヘルハウンドとは、デュラが纏っているあの黒い鎧の事だろう。訓練の時も容赦なくアレで叩き潰されたものだ、とトラウマを起こしそうになったが、頭を振って切り替える。
「構造が似ているなら、ハッキング出来るっす。ヘルハウンドは無理っすけど、劣化ならいけました。そして、シルバーファングとして戦っていた犬崎さんの戦闘データは逐一記録、および保存していたので、着用者が変更されたタイミングで前任であるアナタを探した、という感じっすね」
「ストーカーじゃねぇか……なんで、そこまで俺にこだわるんだ?」
想像以上に監視されていた事を知り、寒気を感じて身震いする。
何故、元ヒーローというだけの自分にこだわるのか疑問だった。デュラと違って圧倒的な戦闘スキルを持っている訳でも、ホワイトファングのように強い心を持っている訳でもない。
逃げただけの臆病者に、一体なにを求めているというのか。
「あの人を、デュラを止めるためには、犬崎さんの力が必要なんす」
「んなこと言われたって、見ての通り体はボロボロ。俺が勝てる相手じゃない。それに、止めるって何だ。もうこのまま放っとこうぜ。アイツらが何をするのか知らねぇが、ヒーローなんだ。正義のためっつーなら、これ以上は――」
「ダメなんす!」
デュラと戦い、倒れる間際に物騒な話をした記憶がある。
曰く、もう遅いらしい。
それが何なのか分からないが、彼らは腐ってもヒーロー。正義の為に活動しているなら、間違ったことはしないだろう。ましてあの正義を擬人化したようなホワイトファングも傍に居るのだから。
そんな考えを、イオは拒絶した。
「おじ――デュラの目的を遂げさせちゃ、ダメなんすよ」
立ち上がり、白衣の裾を握り締めるイオ。
そして、ぽつぽつと語り出した。
絶対正義の本当の機能と、制作者は自分であり、幼稚な考えで作ってしまった過去の事。
そして、デュラが絶対正義を使い人々を洗脳しようとしてる事実を。
「アタシがこうして活動してるのは、作ってしまったあの悍ましい機械を壊すこと。バカで幼稚な自分がやってしまった尻拭いなんすよ」
あまりの情報量に目を閉じてしまった真。
やがて全て聞き終えると、うっすらと目を開いた。
ほんの少し不安そうに身を縮こまらせている彼女を眺めながら、真は言う。
「なるほど。つまり、本当の悪はデュラで、それを止める側のお前らがヒーローだったと」
「……別にヒーローぶってはいないんすけど、まぁ概ねそんな感じで捉えていただければ」
腕を組み、仰いでから嘆息した。
「俺としちゃ、偶然でもなんでも金を貰えりゃそれでいい。悪だの正義だの、ぶっちゃけどうでもいいんだよ」
「ッ、やってくれれば言い値を払うっす! 報酬は何でも……なんならアタシの体でも――」
「まてまてまて」
なんだか危ない雰囲気になりそうだったので急いで止める。
まだ「うぅっ、なんでもするっすよー」と言い募る彼女の口を塞ぎながら、己を顧みる。
自分がヒーローとしてやっていた行動は、間違っていた。
全てが、なんて言わないが、デュラの思惑にまんまと乗せられ、悪の片棒を担いでいた。
ならば、彼女と同じように尻拭いを、ケジメをつけるべきじゃないのか。
「ぷはぁっ――犬崎さんッ!」
真の手から逃れたイオが、腰に抱きついてきた。
離そうと頭を掴むが、彼女はいまにも泣きそうだったので手を置くだけになってしまった。
「アナタを利用するため、引き入れたのは事実っす! でも、アナタしか、犬崎さんしか頼れないんすよ! どうか……助けてください」
天才を自称し、いつも自分をからかい、おちょくってくるイオ。
そんな彼女が涙を流し、ここまで縋ってくる姿を見て、真は思わず頭に乗せていた手を動かした。
「お、おぉ?」
突然撫でられて目をパチクリしだしたイオ。
「お前、ブラックスターとして活動してなかったら何やってた?」
「へ? まぁ、適当に何か作りながら普通の女子高生生活やってたんじゃないっすか」
「ガラクタ作ってんのは変わらずか」
「だからガラクタじゃないっす!」
ぷくっと頬を膨らませる彼女がなんだかおかしくて、真は笑ってしまう。
そして、「笑うなっす!」と抗議し、抱きついたままのイオを離して立ち上がった。
「お前は今まで頑張ってきたんだ。じゃ、俺も頑張らなきゃってな」
ヒーローは、否、男は女の涙に弱い。ならばここで覚悟を決めねば、本当に心の底から悪の幹部となってしまう。
「えっと?」
「やるよ。それが解決すればホワイトスターもブラックスターも、まとめて面倒なのが無くなるんだろ。なら、最後くらいヒーローとしてもう一度やってやる」
キョトンとしていた彼女だが、真の言葉を理解した途端、パァッと表情を明るくしまたもや抱きついてきた。
「まじっすか! さっすがシルバーファング、いやベビードッグっす!」
「――ッ、とぉ」
勢いに負け、尻餅をついた真は呻くも、イオは構わず頬擦りをしてくる。
「それと言っておく。正義だの悪だのどうでもいいって考えは変わってない。もっかいヒーローやるのは、イオ。お前のためだ」
自分には、多くの人々を救い世界を守る、なんてことは似合わないし、荷が重すぎる。
だったら、目の前で困っている一人の女の子のために頑張ろう。
そう言うと、頬擦りが止まった。
「あー、うーん」
「なんだよ?」
イオが急に呻きだしたと思ったら、今度は素早く真から身を離した。
「んー、そう直球に来られるとなんだかむず痒いというか。恥ずかしいというか」
「……お前は恥と無縁だと思ってたが」
「なんですと!」
「そうだろが!」
なんていがみ合うも、やがて二人は笑いあい、互いの手をとった。
「お願いするっす。アタシのヒーロー」
「あぁ、任せろ」
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