ヘルハウンドを身に纏ってから、街に蔓延る悪人を成敗するペースが上がっていた。


 デュラの活躍は評判になり、黒い鎧の戦士はヒーローと呼ばれ持て囃されていたが、それでも悪は完全に消え去らない。


 弱者のために戦う毎日は嫌じゃないが、いつまで続くのだろうかと嘆息する。


「……む、いないのか?」


 鎧の破損が目立ってきたため、レーヴァンの家を訪ねるが、ベルを鳴らしても反応が無い。

 出直そうと身を翻した時、扉が開いた。


「だれですか」

「……俺だ」

「デュラおじさんですか」

「……俺は、まだおじさんじゃない」

「そう否定するほどおじさん度は増すとママが言ってました」


 生意気にもからかってくる幼女。デュラはこの子が少し苦手だった。


「はぁ。両親は居ないのか? イオ」

「出掛けてます」


 なら不用心に扉を空けるのは危ないから止めろ、と注意しようとしたが、イオは言っても聞かない子とだと諦める。


「なら、帰ってくるまで中で待たせてもらおう」

「どぞ」


 天才的な頭脳をもつレーヴァンはよく研究機関から仕事を依頼され、外出することが多い。妻のイナスも彼のサポートのために着いていくので、イオは必然的に留守番を任されるらしい。


 だからか、以前レーヴァンたちから『ボクらが居ない間は子守してくれると助かるよ』なんて言われている。


 面倒くさい事この上ないが、偶にはいいだろうとリビングで寛ぎ始める。

 テレビもついてない静かな部屋。イオは隅っこでなにやら機械を弄っていた。


「ほぼ毎日、両親は居ないが貴様は寂しくないのか」


 心配ではなく純粋な疑問として聞くと、イオは幼くあどけない顔を上げて答える。


「別に。パパとママが人に必要とされるのは誇らしいので。あと、一人でこうして何か作るのも楽しいのです」


 この子はまだ十歳にも満たないが、精神が成熟しているとつくづく思う。だから両親も安心して留守を任せられるのかもしれない。


「そうか。……何を作ってるんだ?」

「パパのお手伝いです」


 よく分からないが、父のためを思って便利なモノを作っているのだろう。

 それ以上は何も言わず、デュラも目を閉じて大人しく帰りを待つことにした。


 そうして二時間が過ぎ、玄関からガチャリと音が聞こえた。


「あら、珍しくイオの面倒を見てくれていたのね、デュラ」

「いや、寝ていただけだ」

 眠気眼を擦るデュラ。


「ふふっ」と上品に笑う彼女が、女神に見えて仕方ない。どうやらまだ寝ぼけているようだと、ソファから立ち上がって凝り固まった首を回す。


「む、レーヴァンは一緒じゃないのか? イナス」

「彼はもう少し掛かりそうだから、先に帰ってって言われたの。丁度お昼時でイオもお腹を空かせてるだろうしってね」


 彼女は部屋の隅で船を漕いでいるイオを穏やかな視線で眺める。デュラが寝ている間にイオもつられて寝てしまっていたようだ。


 だが母親の帰りに気付いたのか、イオはうとうとしながらこちらを見た。


「あ、ママ!」

 勢いよくイナスに抱きつくイオ。

「こらこら、危ないわよ」

「お腹すいた!」


 話を聞かない娘に苦笑し、『お昼ごはんはサンドイッチよ』と伝えるとイオは全身で喜びを表した。


「ママのサンドイッチすき!」

 娘を宥め、椅子に座らせたイナスはデュラにも目を向けた。


「食べていくでしょ?」

 当たり前にそう聞いてくるイナス。デュラは逡巡する様子を見せるが、断る気は無かった。


「いつも悪いな」

「いいのよ。あなたにはいつも助けられてるもの」

 朗らかに笑い、台所に立つ彼女の背中を黙って見つめる。


 ――デュラは、イナスに惚れていた。


 人妻に対する感情としては間違っているし、更には親友であり戦友の妻だ。


 レーヴァンと知り合った時には既に恋仲だった彼女たち。だが一緒に過ごすうちに恋心を抱いてしまい、友への裏切りだと苦心している。


 だから、この想いを伝える事は無い。ただ、レーヴァンが居ない時には自分が彼女を守ろう。彼はそう決意していた。


「ねぇ、デュラ。最近は街でアナタの話をよく聞くわ。でもね、あまり無理しないでちょうだい。彼もだけど、当然私も心配しているのだから」

「善処する」

「もうっ、いつもそうやって誤魔化す!」


 想いを告げなくても、こうして彼女に心配してもらえるだけ充分だ。そんな嬉しさが顔に出てしまい、イナスに『笑ってないで話を聞いて』と怒られてしまった。


「デュラは頑張ってくれてるけれど、悪い人たちはそうすぐに消えないのだから。焦らないで、このまま誰かのために行動すれば、悪い人たちは消え去るわ」

「別に焦ってはいないが。それに悪を率先して探し出し、潰した方が効率的だ」

 イナスは首を振った。


「倒しても減らないのよ。また新しい悪が生まれるだけだわ」

「なら、どうすればいい」


 自分の取り柄は、この類い希なる戦闘力だけ。難しい事を考えるのはレーヴァンの役目だと放棄しているデュラは分からず彼女に問う。


「簡単よ。今まで通り、誰かを助けていくだけでいいわ。助けられた人はアナタに感謝し、悪よりも善の心が大きくなる。いずれは人の心が一つになって、きっと平和になるわ」


 やはりよく分からなかったが、デュラはこれ以上頭を動かしたくなかったので「わかった」と言うと、彼女には見抜かれていたのか呆れた表情で「もう」と溜め息をつかれた。


 その時、イオが椅子から飛び降りて、先程弄っていた機械を持ってくる。


「ママ、もう大丈夫だよ! アタシ、これ作ったもん!」


 イオが見せるのは、トランプくらいの大きさをした長方形の機械。


「これねっ、感謝を抱いている人に見せるとね、言う事を聞くようになるんだよ! 具体的には脳波に干渉して――」


 イナスの目が見開き、口元を震わせる。


「えっと、とにかくおじさんが皆にこれを見せれば悪い人なんて二度と生まれ――」

「ダメよッ!」


 母の怒鳴り声に、イオの言葉が止まった。


「それは洗脳といって、悪い事なの。イオ、アナタが悪い人になってしまうのよ?」

「で、でも。たとえアタシ一人が悪者になっても、それ以外の悪は消えて……」

「イオ。もう二度とこんなの作っちゃダメよ」

「――ッ、ママのバカ!」

「イオ!? どこに行くのッ、待ちなさい!」


 あの子の泣き叫ぶ顔は赤ん坊以来だ、とデュラは暢気に考えている間にも玄関が勢いよく閉まった音がした。外に出てしまったようだ。


 イナスは俯いて、力無く椅子に座った。


「はぁ、やっちゃった……。あの子からしたら、純粋に私たちを助けるためなんでしょうけど。でも……」


 後悔している様子の彼女を見下ろし、どうするべきかと考える。

 すると、イナスが眉尻を下げてデュラを見上げた。


「ごめんなさい、デュラ。代わりにイオを追いかけてくれる? 私が行っても、きっと意気地になって戻ってこないと思うから」

「承知した」


 毎日のように何処かで犯罪が起きているこの街で、小さな子供一人の行動は危険だ。事件に巻き込まれないうちに急いで連れて戻ろうと家を出た。


 だが意外な事に、イオはあまり遠くに行かず、家の近くにある公園のブランコを漕いでいた。


「あ、おじさんか……」

「母でなく悪かったな」

「別に」

「……戻るぞ」


 錆び付いたブランコを鳴らしながら、イオは首を振る。


「やだ。戻ったら、せっかく作ったコレを取り上げられるもん」


 機械を大事そうに抱えるイオ。

 正直、デュラからすれば悪くない発明品なので咎める事はしなかった。


「イオ。それを使う機会はない」

「おじさんもダメって言うの?」

「違う。俺が、この拳で悪を滅するからだ。もっとも、先程イナスから言われたばかりだからな、今すぐにとはいかないが」


 イオは納得していないようだ。相変わらず機械をギュッとして離さず、立ち上がる様子もない。


 そんな彼女を動かすにはアイツしか、と考えた時に足音が近づいて来た。


「イオ」


 イオの肩がピクリと跳ねた。

 彼女が恐る恐る見た方向には、レーヴァンが和やかに笑って立っていた。


「やばいものを作ったんだって?」


 イオは何も言わない。デュラは自分に出来る事はない、とナイスタイミングで現れた父親に任せることにし一歩下がった。


 レーヴァンは娘の前まで歩き、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「すごいな! こんな発明品、ボク並みじゃないか!」

「ほぇ」


 彼がしたのは、娘をひたすら褒める事だった。決して叱らず、頭を撫でていた。


「これがあれば、世界は平和になるねー」

「そ、そうだよ! なのにママってば」


 イオは平和のために頑張る父親を助けるため、この機械を作った。だから、褒められて自分は間違っていなかったんだ、と喜ぶ様子を見せた。


 この機械の凄さを理解してくれなかった母親への文句が止まらない。


 そんな彼女に、レーヴァンは笑みを絶やさず言う。


「本当に凄いよ。好みの傀儡人形を好きなだけ生み出せるんだからね」


 イオの笑顔が凍り付いた。


「どうしたんだい? イオは、その機械で人間を傀儡にして悪を消そうとしたんだよね?」

「ち、ちが――」

「おや、違うのかい?」


 一転して泣きそうになるイオ。饒舌っぷりが消えて、口調が辿々しくなる。


「アタシは、ただ……」


 レーヴァンは微笑みを浮かべ、静かに娘を見守っていた。


「パパとママに、もっと遊んで欲しかったの!」


 その言葉は予想外だったのか、レーヴァンは呆気にとられた。


「毎日毎日、お外に出てばかり。お仕事が休みの日は、おじさんと一緒に活動して……だから、アタシが早く悪者を消せば、その分もっと構ってくれると思って……」


 イオはレーヴァンの頭脳を確実に引き継いでいる天才だ。しかし、まだ幼い子供でもある事を、デュラたちは改めて理解した。


「そうか……ごめんよ、イオ。でもね、決して君をぞんざいに扱ったつもりは無いんだ」

「それは分かってる……でも、寂しいの」


 ぐじゅっ、鼻水を垂らし、イオは赤くなった目を擦る。


「寂しくさせたね、ごめん。これからはもっと時間を作るよ」

「ほんと?」

「本当さ。けどその前に、言う事があるよね」


 イオはこくりと頷き、ブランコから立ち上がった。


「ん。ごめんなさい。アタシ、考えが足らなかった。これで人を洗脳して平和になっても、アタシが悪者になって、パパとママは平和じゃなくなるもんね」

「さすがボクの娘だよ! 賢すぎて可愛すぎ!」


 レーヴァンは娘は抱きしめ、頬擦りした。


「パパ、お髭いたい。くさい」


 苦言を呈する彼女だが、表情は嫌がっていなかった。


「終わったか」

「あぁ、デュラ。まだ居たのかい、手間を掛けたね」


 親バカモードが抜けていないレーヴァンにイラッとしながら、さっさと帰ることを促す。


「イナスが昼飯を作って待っているぞ。……それにしても、帰りは遅くなるのではなかったか」

「あぁ、中断して帰ることにしたんだ。今日はサンドイッチって聞いたからね、いてもたってもいられないだろう。……さ、イオ。ママにごめんなさいしに帰ろうか」

「うんっ」


 飛び出した時とうって変わり、イオは笑顔でレーヴァンと手を繋ぐ。


「あ、おじさん。これ処分しといて」

「……俺に押し付けるな」

「面倒くさいので。パパが作った鎧の力でぺしゃんこスクラップにしちゃってください」

「こいつはつくづく貴様の娘だな」

「当然だろう?」

「変なところでガサツなところに文句を言ったのだが」


 いますぐヘルハウンドを纏って潰してしまおうと考えるデュラだったが、ふと嗅ぎ慣れた臭いが嗅覚を刺激した。


「どうしたんだい?」


 レーヴァンは、突如空を見上げたデュラを訝しんだ。


「火事だ。それも近い」

「おや、さっそくヘルハウンドの出番か。じゃ、忘れないうちにその機械を――」


 遮るように、警告音が鳴り響いた。音の発生源はレーヴァンの携帯。彼は急いで取り出し、画面を見ると徐々に顔色が失われていった。


「これは……ラボの上、つまりボクらの家に何らかの異常が発生した――ッ、デュラ!」


 既に変身は終えている。


 不安そうな親子を一瞥し、電柱に登って街を見下ろす。


 臭いの方向には黒い煙が上がっていた。家が燃えている。それも……、


「――イナス!」


 彼女はきっと避難している。そう信じ、ひとっ飛びで家の前に降り立ち、鎧姿のまま入った。


「ちッ、煙が鬱陶しい。イナスッ、居るか!?」


 ヘルハウンドはあくまでも装着者の身体能力を上げ、打撃に強くなるだけ。ガスマスクのような効果は搭載されていないので、出来る限り姿勢を低くしてリビングへ向かう。


「イナス!」

「…………デュラ?」


 彼女は居た。ソファに深く座っている。寝ているようにぐったりとしていた。

 すぐに抱き起こそうとするが、彼女の腹部から血が滴っているのに気付く。


「き、をつけて……まだ」


 弱々しい声で告げるイナス。デュラは出血している彼女の腹部を押さえ、何があったのか聞こうとした瞬間。


 何者かに首を叩かれたような衝撃を感じた。


「――チッ、ナイフが折れちまったじゃねぇか」

「貴様は……」


 振り返ると、男が居た。この男には、見覚えがあった。


「てめぇにゃ世話んなったからな。ぶっ殺しにきたぜぇ」


 いつぞやの、子供の荷物を奪った暴漢だった。


「俺を? だったらなぜ、この人を刺し、あまつさえ家を燃やした」


 暴漢はニタニタと厭らしく笑って言う。


「ずいぶんとこの家に入り浸ってたみたいだからなぁ。ずっと見てたぜぇ? まさかてめぇが噂のヒーローさんだと思わなかったがな。だから、ただ殺すっつー予定を変更、まずは仲良くしてるコイツら家族からって考えたんよ。ま、結果は女だけ。家を燃やしたのは、一人刺したくらいじゃ物足りなかったからだよバァカ!」


 心底腹が立つ。否、もはや殺したくなる。暴漢に見張られているのに気付かず、ただ平和な日常を傍受していた自分を。


 怒りで震えるデュラの手を、イナスが優しく包み込んだ。


「デュラ……自分を責めないで。そして忘れないで……あの人と、夫と一緒に世界を……心を一つ、に……イオを、お願い」


 握っていた彼女の手がこぼれ落ちた。

 苦痛は浮かんでいない。安らかな笑顔だった。


「――イナス。約束しよう。必ず、この世界から悪を滅し、世界を一つに。正義だけの世界にすると」


 力無く垂れ下がった彼女の腕を、自身の胸に当てながら言った。



「手始めに、目の前のゴミ掃除だ」


 最後にイナスの頬を撫で、立ち上がる。


「以前のように温くはいかない。根絶しなければならないのだ」


 感情の昂りと共に、ヘルハウンドの形態が変化していく。

 黒は光を吸い込む漆黒に。腕や足のパーツは刺々しさが増していった。


「正義の名の下に――悪は必ず殺す」

「なにをゴチャゴチャとッ、ごぁはッ」


 暴漢の言葉が途切れた。喉に刺さったデュラの腕を漠然と見下ろし、やがて白目を剥いた。


「そうだ。今まで何をしていた。こうして殺せば、悪は消えるのだ」


 床に伏した暴漢を踏みつけ、イナスへ振り返った。


「……さらばだ」


 玄関のドアが開く音がした。ドタバタと慌ただしくこちらにやってくる足音。


 デュラは己の行動方針を定めたが、レーヴァンは恐らく乗ってこない。暫くは見つからないように、一人で行動しようと決める。


 そして準備が整ったら、今度はこっちから新たなヒーロー活動に誘ってみようと考える。


 窓を蹴破り、漆黒の鎧はその場から消え去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る