Ⅳ
一旦家に戻ってから、再度研究室まで続く廊下を歩いていると前から人影が現れる。
「おや、犬崎くん」
「……どうも」
組織のボスであるレーヴァンが普通に基地内を歩いている事に驚きながらも、失礼がないよう頭を下げる。
「入ったばかりだというのに、目覚ましい活躍だね。喜ばしいことだ……それに、娘ともずいぶん仲が良いらしいね。さっき顔を出してきたんだが、君を褒める内容ばかりだったよ」
「あー、えっと。別にそこまで仲は」
肯定も否定も出来ず困っていると、レーヴァンは真が手に持っているバスケットを見た。
「ふむ。夕飯かい? それなら食堂を使えばいいのに」
「食堂なんてあったのかよ……。はぁ、無駄骨だったか?」
小さく愚痴る真。レーヴァンは少し首を捻っていたが、やがて合点がいったように頷いた。
「わざわざ娘のために悪いね」
「……いえ、別に」
「ボクとしても困っていたんだ。まったく、研究に没頭していたら寝食を忘れるなんて、一体誰に似たんだか。……それじゃ娘の事、よろしく頼むよ」
やれやれ、と肩を竦めるレーヴァン。そしてすれ違い様に真の肩をぽんと叩き、去っていった。
妙な事を言われたと眉を顰め、研究室へ入る。
「おい、まだ作業してんのか」
「ふんふー、ん? あれ、まだ残ってたんすか。いつまでもここに居ないでご飯でも食べてきたらどうです? この基地、食堂とかあって変に充実してますし。まぁアタシは面倒なんで使わないっすけど」
「さっきから三十分以上は経ってるし、食堂の件は早く言って欲しかった。じゃなくて、ほら。少し休憩してコレ食えよ」
テーブルの上に散らばっているガラクタを無雑作にどかし、バスケットを載せる。
「ちょっとー、ガラクタみたいに扱わないでくださいよー。確かに失敗作っすけど、なにかの材料になるんすから」
「俺にはガラクタにしか見えないっつの。そんなことよりほら、はよ座れ」
「手を止めてる暇なんて無いっすー、それに食べるの面倒っすよ」
「そう言うと思って、片手で掴んで食えるもん作ってきたから」
しぶしぶという表情でバスケットを空けるイオ。すると、呆けるように口をあけた。
「……サンドイッチっすか」
「おにぎりでも良かったんだが、俺はパンの気分だったからな」
サンドイッチをジッと見つめるイオ。
「ま、せっかく作ってくれたんならいただくっす」
先程とは違って、素直に座って食べ始めた。
「ん、んぐ、んむ」
一つ。また一つ。ハムスターのように口をパンパンに膨らませ頬張るイオ。そんな彼女に苦笑し、お茶を差し出す。
すると丁度よく喉に詰まらせたようで、イオは一気に飲み干して一息ついた。
「どうだ?」
味の感想を求めると、イオはまだ残っているサンドイッチを見ながら答える。
「手料理なんて凄く久しぶりっす。それも、サンドイッチなんて……」
心なしか遠い目をしていたイオだが、真の方を向いて微笑んだ。
「味はぶっちゃけ普通っすけど。アタシは好きっす、美味しいっすよ!」
そして五分もしないうちに食べ終わり、イオは勢いよく立ち上がり頭を下げた。
「ごちそうさまでした! 犬崎さんのサンドイッチ、めっちゃ元気でたっす。おかげさまで研究作業が捗りそうっすよ!」
彼女は作業に戻ろうとするが、思いついたような顔をして振りむいた。
「良かったらまた料理作ってくださいっす。できればサンドイッチを」
「考えとく。つか何? 気に入ったの?」
そう答えると、イオは口角を上げた。
「知らなかったんすか? サンドイッチはアタシの大好物っすよ。いやー、胃袋を掴まれるとはまさにこの事っすねー」
「作ってやってもいいが、お前自身ちゃんとした食事をとれよ」
「えー、それは犬崎さん担当っすよー」
「俺は執事でも専属料理人でもねぇ」
もう用事は済んだため、ごねる彼女に構わず研究室を出て、作戦開始時間まで何をして暇を潰そうかと考える。
すると、腹の音が鳴った。落ち着かせるように腹を撫でる。
「……全部食われたんだった」
バスケットの中身は空。真の分も入っていたが、美味しそうに食べるイオを眺めるだけになってしまった。
怒りなどは無く、全部食べてもらえてよかったという嬉しさが勝っていた。
「食堂あるんだっけな。そしたらまずは腹ごしらえ。その後は、他にどんな施設があるのか基地を探検するか」
軽くなったバスケットを揺らし、鼻歌交じりに歩く真。その顔は優しく微笑んでおり、自分がそんな表情をしているとは気付いていない。
そして、誰かのために料理を作る。というのは、彼自身が嫌っていた『善意の助け』だったが、それについても気付く様子はない。
胸の内に広がっている感情は、ただただ、温かいもの。
「ま、偶には悪くない」
犬崎真は悪の下っ端から、悪の幹部へと昇進。
傍から見れば、順調に悪の道を突き進んでいるだろう。
しかし、胸の内に秘めている『ヒーローの心』は、まだ微かに残っていた。
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