握力。前屈。腕立て伏せ。反復横跳び。

 

 淡々とこなしていった感想としては――


「いやただの新体力テストじゃねぇかッ」


 殆ど学校で行うような種目ばかり。

 過酷な採用試験だと思っていた真は、虚空に向かって突っ込んだ。


「ホントにコレ必要なのか? ……いやまぁ、下っ端を求めるなら別に戦闘力は期待しないだろうし。最低限動けるかどうかって確かめる感じなのか」


 全ての種目が終わると、天井に備え付けられているスピーカーから終了の音が流れた。


『お疲れさまっすー。あとはパ――ここの採用担当者との面接だけなんで、空いた扉の先に行ってちゃちゃっと終わらせてくださいっす』

「なんか軽いな」


 アナウンスに従って先に進むと、『面談室』という張り紙のある扉が見えてくる。

 三回ノックした後、中から入室を促す男性の声が聞こえた。


 控えめな態度で入室し、中で待っている男性を確認する。

 微笑みながらメガネをクイと上げた男性。温厚なイケオジに見えるが、そり残されている夢精ヒゲで雰囲気を台無しにしてるような印象だ。


「やぁ、ようこそ。ボクらの組織、ブラックスターへ」

「はぁ。どう……もッ!?」


 悪の組織なんて似合わなそうな男性に対し、無難に返事をしようとしたが、机の上にあるネームプレートには『レーヴァン』と記入されている。


 レーヴァンとは、知っている名前だった。ブラックスターの創設者であり、ボス。つまり、いきなり黒幕が出てきたのだ。


「犬崎くん、だったね。どうぞ席について」


 パイプ椅子にゆっくりと腰掛けた真は、自分の正体がバレていないかヒヤヒヤしていた。ヒーローとして活動していた時は鎧を纏った変身後の姿のため、身バレはしていない筈、と固唾を呑み込む。


「さっそくだけど質問いいかな? ――君は」


 もったいぶったような言い方に、まさかバレているのかと戦慄する。

 前のめりで身構えていると。


「なんのために此処へ来たんだい?」

「……えっと、お金です――ハッ、しまったッ。いや、違くて」


 またもや普通の対応をされ、思わず本音が出てしまった。しかし、レーヴァンは不快に思っていないようで、小さく笑っている。


「正直なのはいいね。じゃあ次の質問。……悪の組織としておかしい事を聞くかもしれないけれど、『世のため人のため』っていう言葉、どう思う?」


 とりあえず落ち着いた真は聞かれた事を反芻した。そして目を細め、苦い表情で答える。


「自分は……人並みの良心くらいはあると思います。でも、率先して誰かを助けようとは思いません」

「何故だい?」

「……もう、疲れたんです」

「ふむ。よく分からないけれど、君はお人好しだったようだね」

「えぇ。今の俺から見れば、バカな奴ですよ」


 自嘲的な笑いを浮かべ、真は目線を下げた。


「なるほど。よし、面接は以上だ。そして犬崎くん。合格だよ、おめでとう」

「え、もう終わりですか?」


 あっさりすぎて驚くが、下っ端はいつでも補充できるので、やってきた人はとりあえず採用するのだろうという考えで納得した。


「最後に我々ブラックスターの目的を伝える。ホワイトスターと敵対してるのは知っての通りだが、本命は絶対正義ジャッジメントだ」

「ホワイトスターのファン数を表してる装置、でしたっけ」


 絶対正義ジャッジメント


 三メートル程の大きさで、モノリスのような形をしている。中央には数字が浮かんでおり、それがホワイトスターの支持率だとかつて教わった。


 真がヒーローを辞めた時点での数字は六十であり、最大数は百と聞いた事がある。


「そう。よく知ってるね」

「……ほら、最近は数字も増えてホワイトスターの信者が増えましたし、よく布教してるのを街で見かけますから」


 真としては既に知っている、というか実際にその数字を上げていたのでスラッと答えてしまった。内心慌てて、表情は努めて冷静に言い訳をするとレーヴァンも頷いた。


「あぁ、本当に困ったものだよ。そう、我々の目的は絶対正義の上昇を止める事。そして最後には、破壊だ」


 ホワイトスターの支持率上昇を止める、または下げる事を目的としているのは知っていたが、破壊するというのは初耳だった。


 片眉をピクリと上げた真が聞き返す。

「破壊、ですか」

「暫くは数字を上げないような活動をするけど、最終的には壊す必要があるんだ」

「それは、何故?」

「うーん。下っ端には教えられないさ」


 ニヒルに笑ったレーヴァン。その表情を見た真は、間違いなく彼は悪の組織の長なんだと実感した。

 ほんの少し恐怖を感じて席を立つ。


 早く帰ろうと背を向けた時、「もう終わりだけど、犬崎くんは何か聞きたい事はあるかい」と呼び止められた。


 聞きたい事ならいくらでもあるが、それを口にだすわけにはいかない。

 なので、適当な質問をすることにした。


「あー、なんで学校の地下にブラックスターの基地があるのか疑問なんですけど」


 適当には違いないが、確かに気になる事だ。

 レーヴァンの答えは……、


「悪の組織の基地ってさ、簡単に見つかるような場所にあるとロマンが無いだろう? だからこの学校と交渉したんだ。そうしたら資金援助と引き換えに地下を使わせてもらう契約になってね……正直地下に建てられるなら何処でも良かったんだけど、学校ってのは好都合なんだよ」


 一体なにが好都合なのか知らないが、そんな理由で建てられたと知って真は愕然とした。



 ***


 もう月がハッキリと見える時間帯。真は学校から帰路についていた。


 あれからは大して何も起こらず、連絡用に携帯電話を渡され『出撃の際はメールが届くから確認してね』と無事帰宅となった。


 通学路の途中にあるセンター街を通り、交差点の信号に捕まった真はボケッと今晩に食べる缶詰の事を考えていた。

 すると、頭上にある大型ビジョンから派手な音が聞こえてくる。


 一人のヒーローが大勢の黒タイツを蹴散らしている映像だった。その後すぐにインタビュー映像に切り替わる。


『ホワイトファングは何故、私たちを助けてくれるのですか?』

『えっと。何故と聞かれても、それが当たり前というか。人を助けるのが、私たちヒーローですから』


 辿々しくそう答えたのは、ホワイトファングというヒーローだった。犬のドーベルマンを模したようなフルフェイスタイプの仮面。そして真っ白な鎧を纏っており、正体は分からない。インタビューの様子から分かるのは、声と体型からして女性という事だけ。


 真がヒーローを辞めた後、入れ違いでヒーローになったようだ。多分、辞めていなかったら後輩として指導していたんだろうな、と考えた。


 しかし、今となっては気にくわない存在だ。


「当たり前、ね。助ける対象の多くが『助けられる事が当たり前』って思ってる事、ちゃんと理解してるのかね」


 ヒーローは弱者を助けるのが当たり前。いつしかそれが常識となり、人々は感謝の声を伝えなくなった。もちろん、ありがとうと言ってくれる人もいる。しかし、大半はお礼を言わなかったり、もっと早くブラックスターを倒せよ、なんて罵声を飛ばしてくる。


 だから真は、気付けば惰性で活動するようになっていった。


「ホント、ヒーローってのは疲れるもんだぜ。後輩ちゃん」


 犬崎真は疲れたのだ。守るべき者を見失い、彷徨う事に。

 モニターに映るホワイトファングへ憧れの眼差しを向ける通行人たちを鼻で嗤い、青になった信号を渡る。


 最後にもう一度、今をときめくヒーローへ空っぽな眼差しを向けた。


「ま、その輝かしい幻想を壊さないよう、出会った時はせいぜい派手にぶっ飛ばされてやるよ」


 悪の下っ端となった真は、いずれホワイトファングとぶつかるだろう。

 その時のシチュエーションを想像し、真は人混みの中へ消えて行った。

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