因習島観光フェリーで行く! トロピカル因習生物ウォッチング

狂フラフープ

因習島観光フェリーへようこそ

「本日は因習島観光フェリーをご利用いただき誠にありがとうございます。私、ツアーガイドの揖斐川と申します。皆様が楽しい因習ライフを送ることができますよう、誠心誠意ご案内させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたしますね」

 船内の展望ラウンジは相変わらず冷房が利いていて、羽織るための上着を持ってきた自分を褒めてやりたい気分だった。

「トロピカル因習アイランドへの到着はおよそ二時間四十分後を予定しております」

 ツアーガイドの女性が手で示したモニターに航路図が表示され、アニメ調にデフォルメされた船体が、衛星写真らしき地図の点線上を進む。


「さっそくですが、到着までの時間を使って東シナ海が生んだ楽園、トロピカル因習アイランドの紹介をさせていただきましょう。

 湿潤で暖かい亜熱帯性気候のもたらす生物多様性により、トロピカル因習アイランドでは様々なトロピカル因習生物の姿を見ることができます。皆様は因習生物と言われると、どのようなものを思い浮かべますか?」

「はいっ!」

 母親に連れられた男の子が元気よく手を挙げ、周囲の大人たちに微笑ましい目を向けられる。

「八尺様! トロピカル八尺様はいる!?」

「質問ありがとうございます。もちろん八尺様もいらっしゃいますよ。トロピカル八尺様は島民からは五尺様と呼ばれています。というのも、白くて背の高い本土の八尺様と違い、トロピカル八尺様の体長はおよそ五尺程で、カラフルな出で立ちをしています。本土の八尺様より攻撃性も低く、島民に親しまれているんですよ」

 麦わら帽子を被りアロハシャツを着た身長150センチほどの女性がモニターに表示される。オープンテラス席でハイボールを飲む姿は、恐らく同窓会の二次会か何かの写真の切り抜きだろう。

 それを見た初老の男性が遠慮がちに尋ねる。

「熱帯の生物は、雌は地味な見た目をしていることが多いと思うのですが」

 ガイドはにこやかに向き直り、わざとらしく頷いた。

「まあ、よくご存じですね。そうです。実はこちら、雄の五尺様なんですね。というかまあ、ぶっちゃけ私の兄なんですが」

 ガイドさんが恥ずかしそうにぽぽぽと笑って、ツアー客の間で笑いが起きた。


 実際にはトロピカル八尺様の鳴き声は本土八尺様よりかなり低く、人の耳には「どどど」と聞こえるらしいので、八尺様目当ての客に対するサービスの類なのだろう。

 くだらない、と腹の中で吐き捨てる。

 珍しいとはいえ本土でも見られる八尺様など、わざわざツアーに申し込んでまで見に来るようなものではない。

 そもそも、トロピカル八尺様はトロピカル因習アイランドで普通に就業しているのだから、いくらでも映像資料が手に入るのだ。

 ガイドはその後、中華チーターや殺戮オランウータンといったメジャーどころの因習生物を挙げていく。どれもインターネットを介して持ち込まれた外来因習生物に過ぎなかった。


「さて、これから自由時間となりますが、この因習島観光フェリー、通称因習フェリー船内では、絶対に守っていただかなければいけない掟、というものがございます」

 窓の外の海原に目を向けていると、ツアーガイドは唐突に声を潜めた。

 何十年も前から使い回しているであろう古い冊子の山が、乗客の席の間を縫う販売ワゴンに載せられ、配られる。ラミネート加工されてなお退色した紙面に、まるで骨董品のようなフォントで守るべき数々のルールとやらが記されている。


①感染症対策のため、乗船前には健康状態チェックを受ける必要があります。

②健康状態が不安な場合は、乗船を拒否されることがあります。

③フェリーの離着岸時、または航行中、因習島が見えた場合でも指示外の行動はご遠慮願います。必ず乗務員の指示に従ってください。

④フェリー内への火薬や危険物の持ち込みは禁止されています。

⑤フェリー内での飲酒は制限されていることがあります。

⑥フェリー内での大声や喧嘩は禁止されています。

⑦フェリー内での食事は、座席で食べることが推奨されています。

⑧フェリー内でのごみの処理は、乗客の責任で行っていただきます。

⑨フェリー内での喫煙は禁止されています。

⑩フェリーの乗船手配、予約、料金については、運航会社に直接お問い合わせください。


 ◇


 波濤の向こうに、因習島が見える。

 自由時間の間、ずっと甲板に出ていた俺以外にも、乗客たちはちらほらとデッキ上に姿を見せ始めていた。

 しばらくするとラウンジからガイドに連れられて、ぞろぞろとツアー客たちが表に出てくる。

「お待たせしました! 今行く手に見えるのがトロピカル因習アイランドでーす!」

 ツアーガイドが波音に負けないように声を張り上げる。

 乗客たちにざわざわと期待に満ちた喧騒が満ちて、期待のボルテージはマックスだ。しばらくすると島が近付いたせいか、因習ウミネコがフェリーへと寄って来る。

 並走するフェリーの上から因習ウミネコの喉元を撫でるとゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らした。首輪は付けていないが、トロピカル因習アイランドで可愛がられている地域猫なのだろう。スナック菓子等を持っていれば、夥しい数の因習ウミネコに群がってもらうことできると知っていた俺は、あらかじめ船内の自販機でスナックを購入していた。情報化社会では、知識こそが武器なのだ。


「今は見えませんが、島の裏側には因習スラムが広がっています。今回のツアーではトロピカル因習アイランドに上陸はしませんが、観光客などが立ち寄ろうものならたちまち生贄に捧げられてしまいますので、今後もし島に立ち入る機会があっても、決して足を踏み入れないようにしてくださいね? お姉さんとの約束です!」

 そんなガイドの発言に対して、げらげらと下品な笑い声が上がったのは、フェリーが島に最接近したタイミングだった。


「悪いがその約束はできねえなァー!! おれたちはトロピカル因習アイランドに用があるんだからよ!!」

 明らかに堅気には見えないその男性観光客二人組は、船内でも悪目立ちしている存在だったと言っていい。

 お揃いの奇妙なロゴTシャツを着ているところを見るに、恐らくは配信者の類だろう。二人組は手に思い思いに凶悪な配信機材を持ち、それを高々と掲げる。

「あいつら、もしかして因習狩りの奥村兄弟じゃないか?」

「間違いないぜ、以前一度だけ奥村兄弟がチャンネルで顔出し配信をしていたのを見たことがあるが、確かあんな感じだった……!!」

 他の乗客の囁き話を耳ざとく聞きつけ、奥村兄弟はサイン入りオリジナルステッカーを無理やり押し付けてくる。

 ようやく合点がいった。どうりで見覚えのある顔だと思ったわけだ。

 彼らは一昨年あたりに因習狩りと称して、動画サイトに各地の因習村で掟破りをする動画配信を行っていた配信者グループだ。

「あっ! 困りますお客様!!」

 船縁の柵に足を掛ける二人組に、ツアーガイドが悲鳴を上げる。

「うるせえ!  お前はそこで黙って見ていろッ!  このトロピカル因習アイランドこそ、俺たち因習狩り兄弟の活動一周年記念配信に相応しい場所なんだ!」

「そうだ、トロピカル因習アイランドの因習を根こそぎ狩ってやるぜェ~! 古い因習は滅ぼすべきなんだよギャハハハハッ」

 ツアーガイドの制止も虚しく、二人はフェリーから飛び降り、海面に大きな飛沫を上げる。

「やめてください! 本当にやめて!」

 ガイドの女性が叫びながら、必死になって甲板の縁にしがみつく。

「本当にダメですって! この辺、すごいでかいサメとか出るんですよーッ!!」

 ガイドが叫ぶと、下の方の海面からえっまじすか、とガチでビビってる感じの声が聞こえた。


 その後、海に投げ入れた救命浮き輪を乗客総出で引き上げるなどして奥村兄弟は無事救出された。あの二人に何人くらい登録者がいるかは知らないが、恐らくSNSでの炎上は免れられないだろう。ちなみに因習生物であるガイドさんは本土八尺様ほどではないにしろ、とても力が強かった。

 さて、そんなひと悶着も挟みつつ、ツアー客はここでフェリーからタグボートを経由して遊覧船に乗り換える。

 トロピカル因習アイランドへ上陸する場合、入島許可のためには詳細な健康チェックが求められるが、今回のツアーではその手続きを省略できるので、日帰りできる日程でトロピカル因習生物ウォッチングを楽しむことができるのだ。

 強い海風がマラリアを媒介する蚊の飛来を遮ってくれるし、ヒルに血を吸われる危険もない。

 海上の遊覧船からではトロピカル因習生物を間近で見れないと思われる方もいるだろうが、その心配は無用だ。このツアーでは海岸線ギリギリまでせり出した亜熱帯林の林冠が手を伸ばせば触れそうな距離を通り過ぎていくことさえあり、トロピカル因習アイランドの多様な生態系をジャングルクルーズ顔負けの大迫力で楽しめる。

 もちろん、双眼鏡があればさらに楽しむことができる。自前の双眼鏡を持っていない場合でも、船内でレンタルされており安心だ。


 途中、島民が漁船で売り付けに来たトロピカル因習オオカブトは正直とても欲しかったが、販売品のラインナップにマリファナとかが普通に含まれているのに引いてしまって買えず仕舞いだった。

 頭上から降って来る殺人ココナッツも、きちんと処理すれば美味しいココナッツジュースになる。しかし、俺はあえてそれをその場で飲み干さない。何故ならココナッツミルクはカレーに入れると美味いからだ。

「うわああぁあぁ!!  また出たぞォ!! トロピカル因習ヤシガニだァ!!」

 船舷で上がった叫びに、皆が群がってスマホを向ける。

「あれは本当にヤバいですよ!!  何がヤバいかっていうと本当にヤバくって、とにかくヤバくて……!」

 他にも多くの因習生物が目撃され、その度に乗客たちのテンションは上がり、そして恐怖に震え上がる。

 絶滅危惧種である因習アイランドヤマネコのニンジャ。姿が見えぬままどこか森の奥から聞こえる殺戮オランウータンの雄たけび。美しい原色の髪をクジャクのように広げるトロピカル市松人形の群れ。海岸に流れ着いた巨大なプレジャー虚舟。本土比三倍のビートを刻むトロピカルくねくねも外せない。言うまでもないが、くねくねを見る際には専用のくねくねグラスを着用しなければならない。それはもちろんトロピカルくねくねであっても同様で、もし正しい器具を用いずにくねくねを観察すると、目を痛めたり、最悪の場合発狂したりする危険性がある。気を付けよう。


(作者註・本作に登場する多くの因習生物がインターネット概念であり、島嶼部で独自の進化を遂げた在来因習生物と異なります。インターネットを通じて因習村にインターネットミームを持ち込む行為は法律で固く禁じられており、刑事罰を含む厳重な処罰を受ける可能性があります。SNSで胡乱ミームを産み出すのが大好きな皆様に、軽はずみなミーム汚染を慎んでいただけるようお願い申し上げます)


 ◇


 奇々怪々なトロピカル因習生物を目一杯に堪能して、大盛況の内にツアーは終了した。

 陽も傾き始めた帰りの船上で、欄干に身を預けて水平線を眺める俺に、声を掛けてくる人物がいた。

「どうでした?」

 振り返ると、そこに居たのはツアーガイドのお姉さんだ。

「お目当ての因習生物には、お目にかかれましたか?」

「ええ。まあまあ……ですかね」

 曖昧に言葉を濁すと、お姉さんは少し遠慮した様子で話を切り出して来る。

「お客さん、ツアーに参加するのは二回目ですよね?」

 顔を覚えられていたかと、苦笑した。

「――俺は、」

 適当に理由を付けて言い逃げようかとも思ったが、思い直して口を開く。

「俺がこのツアーに参加したのは、トロピカル因習アイランドのためじゃりません。伝説の因習クジラをこの目で見るためです」

 言葉に詰まったガイドさんの表情を見て、俺は慌てて手を振る。

「トロピカル因習生物ウォッチングが詰まらなかったとか、そういうことを言いたいんじゃありません。今日は本当に楽しかった。ただ国内で因習クジラを目に出来る現実的な可能性があるとすれば、このツアーだけでしたから。因習も祟りも恐ろしくなどない。正直なところ、俺は今回、密入島してでも目的を果たすつもりでした。でも、止めておくことにしました。あなたにも迷惑が掛かるだろうし、いくらなんでもでかいサメは怖いですから」

 立ち去ろうとする俺の背中を呼び止めて、ガイドさんは言った。

「――あの。一度だけ、見たことがあります」

 思わず振り向いた俺に、彼女は手振りを交えながら続ける。

「子供の頃、漁師だった父の船に乗って、私、因習クジラを見たことがあるんです」

 俺は驚きに息を飲む。

「因習クジラの吹いた潮が、夕陽に照らされて、本当にきれいで。角も生えてました」

 彼女の話を、俺は黙って聞いていた。

「私、それが忘れられなくてこの会社に入って……」

 小さく折りたたまれた古い一枚のパンフレットが手渡される。

「このツアーにも、ホエールウォッチングプランが、昔はあったんです」

 広げたパンフレットに書かれていたのは、『トロピカル因習ホエールウォッチングツアー』の文字。

「今はもうやっていないツアーだけど、私はこのツアーに何度も参加したことがあります。でも、一度だって因習クジラを見ることは出来なかった。因習クジラは、もうこの海に居ないのかもしれません。あの、でも、ツアー参加者に書いて頂くアンケートにご要望欄があって、それで、HPにお問い合わせフォームもあります。だから」

 しどろもどろになりながらも、彼女は必死になって何かを伝えようとする。

「…………ありがとうございます」

 それだけ言って会釈すると、船室へ戻る。

 また二時間四十分の航路を経て、フェリーは本土の港へと戻る。


 桟橋に足を着け、一歩踏み出す。

 ツアー客ひとりひとりに丁寧に頭を下げるガイドさんに、最後の一人になるまで待ってから、俺は記入済みのアンケート用紙を手渡した。

 それを見て、ガイドさんは目を丸くする。

 俺は背中越しに彼女へ小さく手を振ると、桟橋から海に飛び込んだ。

 アンケート用紙にはこう書かれている。

『母の近況が知れて、とても良かった』


 ガイドさんが、どどど、と笑う。

 俺は上機嫌で唄いながら、夕陽に向かって潮を吹いた。

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