二十五話、旅立ち

 「準備できましたか」

 「うん。こっちは出来できたよ。そっちは?」

 「万全ばんぜんです」


 もう長い事お世話になった宿で、身支度みじたくを終える。

 半ばすように村を出てきたアルスは約二年があったとはいえそれこそ冒険者ぼうけんしゃ用の物ぐらいしか私物はなく、リノも必要な物以外持たないという事で意外と二人ふたりの荷物は少なかった。荷物の大部分が天幕だったりといった野宿用の必要装備で、それを除けば身につけているけんつえと言ったところ。

 これならだれかをやとったりする必要もない事にアルスは安堵あんどする。護衛ならまだしも荷物持ちをやとえるほどの余裕よゆうは残念ながらない。ふくらんだかばんをアルスが背負えばいいだけなのは本人にとっては幸運だった。


 「それじゃあ、行こうか」

 「はい」


 荷物を持ち、愛着があったのか名残惜なごりおしさに部屋へやに頭を下げる。第二の家と言っても良いほど使わせてもらっていたその部屋へやに別れを告げ、湿しめっぽくなる前にとびらを閉めた。

 そのまま宿の店主にかぎを返し、礼を言って外に出る。

 

 黒かげと呼ばれていた男との戦闘せんとうから数日がった。情報屋のレンドともあれから会って居ない。と言ってもアルスは気絶していたがゆえに、ほとんどの事情は後からリノに聞いた話のみ。

 リノがかかえる事情。それをふくめてアルスたちはエルラインを出る事にした。灯台下とうだいもと暗しとは言うが、こんな近くに居合わせるのは危険だと判断したためだ。乗り切ったとはいえ、一度相手側に見つかってしまっている。居続けても生きた心地ここちもなく疑心暗鬼ぎしんあんきつのらせるだけなのは想像にかたくなかった。

 怪我けがが治るためと少しばかり滞在たいざい余儀よぎなくされたが、わずかばかりの経験をもとにこそこそと身支度みじたくに時間をいていた。そして今日きょう二人ふたりついに出発することを決め動きを始めていく。


 「重かったら言ってね」


 かばんを見て、アルスはそう言う。自分が大部分の荷物をかついでるにもかかわらずに。

 背丈せたけ以上というと誇張こちょうにはなるが、両かたかっている負担は相当なものだ。道中は徒歩になる。そのためのぎりぎりまでをアルスは背負っていた。かかえきれなかった荷物を無理矢理もうとしてリノに止められなければ、まぁもう少し重くなっていただろう。


 「……軽すぎるほどなのでこれ以上もなにもありませんけどね」


 むしろ手持ても無沙汰ぶさただとそうえた。リノの荷物といえば携帯けいたいしたつえと、着替きがえと軽い食事用の食料が入った小さな肩掛かたかけのかばんだ。

 比較的ひかくてき開けた場所を進むため、もしも群れかられたりたまたま生息域を出た魔物まもの遭遇そうぐうしてもリノの魔法まほうで対処できる。だから前衛のアルスの両手がふさがっていても構わない。とは結果論だ。かたくなに荷物をゆずろうとしないアルスと、持てる限りは持とうとしたリノ。二人ふたりの議論の末に結果はこうなった。

 リノの歩幅ほはばに合わせつつ安全第一で進むため速度的にはそう早くはない。だからと言って荷物を背負いすぎて片方がつぶれるなど本末転倒ほんまつてんとうだと。言葉をくしてもぎ取った結果の肩掛かたかかばんだった。


 「……」


 荷物を確認かくにんし、そして小さなつえにリノはれる。手に持ち、見つめて、そして目を閉じた。

 成り行きとはいえアルスからのおくもの。代用した使い捨ての木の棒ではない正真正銘しょうめい自分自身のつえ。大切に使おうと、おもいをめる。今の自分には、上等過ぎるものだとそう思うから。


 「どうしたの?」


 三番街の城門。その近くにまで二人ふたりは近づいていた。唐突とうとつに歩みを止めたリノに、体調が悪いのかとアルスは心配そうに声をかける。

 早朝の出発。太陽は顔を出すか出さないかという少し白んでいる時間。少女からすれば少し肌寒はだざむいのかもしれない。


 「いえ、何でもありませんよ。……強くなろうと、そう思っただけです」

 「……そっか」


 その本心を、アルスは知り得ない。そしてアルスも、無力感をころす。

 静謐せいひつな朝の空気にまれるように、数瞬の無言の時間。整備された石造りの歩道を歩く、足踏あしぶみの音だけが浸透しんとうした。

 その先に、一つのかげが差す。知らぬ間に視線を落としていたアルスは顔を上げ、そこに映る人を見てはおどろいた。


 「ミア」

 「随分ずいぶんと大荷物。まるで今にも旅立ちそうな感じじゃん?」

 「…………そう、いや。どうだろうね?」


 そこにいたのは、私服ではなく軽装を身につけた冒険者ぼうけんしゃとしてのよそおいをしたミア。

 早朝ゆえねむいだろう。けれどそのまなじりがり、意識ははっきりとしていた。

 立ち止まるアルスに、リノもならう。二人ふたりの仲をくわしくは知らないが、おそらく自分には知らない何かがあるのだろう。直接的にエルラインを出る理由になっているリノは、だまって成り行きを見守ることにした。できれば、悪い方へとかたむかないことをいのりながら。


 「……はぁ、まぁ、いいけどね。けれど、何も言わないのはどうかと思うよ?」

 「それは、ごめん。ちょっと冒険者ぼうけんしゃとして経験を積もうかなって、そう思って。ほら、ずっとエルラインにいるし」

 「アルスのことだから、もうちょっと実力を身につけて……いや、昇格しょうかくしたらとかそっちの方で考えてたと思うけど」


 それこそアルスの内心を言い当てていて、そんなにわかりやすいかと苦笑いがこぼれた。

 多分本来ならそうなっていただろうとも。けどこれも自分の選択せんたくだ。自分で選んだ。だから後悔こうかいはなく、変えるつもりもない。


 「行き先は?」

 「とりあえずは、アルミニアに行ってみる。そこからは分からないけど」

 

 それ以上は答えない。どうなるか分からないのは事実で、何にまれるかも分からない。

 例えアルミニアからほかに移動しても、ミアは知り得ない。それでいい。やさしい少女のことだから、もしかしたらアルスが何か問題にまれた際に気を使わせたりしてしまうかもしれない。そんなのはごめんだ。

 唯一ゆいいつ分かっていることが、当分はエルライン周辺には近づくことも帰ることもないとしても。


 「そう。中立国なら、リノちゃんも変な目では見られないだろうし、妥当だとうだね」


 ミアの視線が、アルスのとなりにいる小さな少女へと移る。

 アルスの知る限りだが、二人ふたりを除けば奴隷どれいのことを、首輪の契約けいやくを知っているのはミアとレンドのみ。きっとアルスの道中にリノがいるのもミアは予定していただろう。

 深くかぶった外套がいとうの下、大きくはなくともリノは、その視線からげるように目をそらす。居心地いごこちが悪そうに。


 「多分ホーレンさんたちにも言ってないんでしょ」

 「…………うん。まぁ、あれだよ。あの人たちは何かとお祝い事とかしようとするかもしれないし、流石さすがにそれは遠慮えんりょしたいっていうか」

 「それもそうだね。きっと大いにさわぐだろうし……。仕方ないから、わたしから言っておいてあげる」


 ミアには事情を知る権利がある。知らぬ間にまれ怪我けがを負い、そしてまた何も知らないままに一日が始まる。二人ふたりが自分に話していないことがあると、ミアはかんづいていた。けれど追求しようとはしない。

 顔を見るため。それだけのためにせていた。目的は果たされたのだ。


 「ありがとう」

 「良いよ。同期のよしみってやつだから」


 二人ふたりの横を通り過ぎ、道をゆずる。城門までの一本道。さえぎるものはない。

 すれちがう。気配が後ろに遠ざかっていく。

 このままあとは城門を出るだけだ。道のりは数日を要する。最初のうちは不慣れな点もあるだろう。行けるところまで行くべきだ。


 「っ」


 はじかれたように、アルスは後ろをく。

 やさしくて、お節介せっかいを焼いてくれて、気付かぬ間にその人の良さにあまえてしまう。今もそう。

 そう知りつつ、それでも言う事があると口を開く。ともすれば生意気と取られるそれを、それでも。今言わずして、いつ言うのかと勇気を出して。


 「ミア!」


 姿勢良く歩き去ろうとする少女が、かえる。


 (あきらめが悪いと自分でも思う。鈍足どんそくで回り道をして、はなされた差は大きなものだ。実力が足りない事なんて何度も思い知らされていて)


 それでも――。


 「――ぼくは目指すよ。『黒金級』。自分の方法で」


 それは、本当に最初のころわした約束。

 奴隷どれい商の事。はなされた銀級と銅級に時間の差。追いついても、そこからがようやく本当の始まり。英雄えいゆうになりたい。そんなおもいの基準点としたその目標を、もう一度ちゃんとかかげる。

 にぎったこぶしは、痛いほどに熱を帯びていた。


 「――そっか。なら、ここから先は。いや、今までもだったね」

 「ああ、競争だ」


 安堵あんどしたように、それともあきれたように。力のけたような笑顔えがおをミアはかべる。

 それを見て、アルスも精一杯せいいっぱい虚勢きょせいを張った。


 「まずは銀級にならないとね。競争相手が下にいちゃ張り合いがないじゃん」

 「すぐに追いつくよ。必ず追いついて、そしてして見せる」


 まだ始まってすらいない。片付けることはある。でもその後で、先を行った背中を追いかけよう。

 自分のやり方で。約束を守るために。

 にぎったこぶしを、目の前の同じ冒険者ぼうけんしゃきつける。それを見て、ミアは距離きょりめ同じくこぶしを軽くにぎった。こつんと、ちかいをつむぐ。


「仲間にさそってくれてありがとう」

今更いまさら? 結局られちゃったからなぁ。嫌味いやみとして受け取っておこうか?」


 小さくれた感謝の言葉に、次こそ声音こわねすらもあきれてミアは返した。


「それは困るな……。うん、本当に感謝してるんだ」

「ならせめて早く追いついててよ。ま、わたしはアルスの事なんて気にせずにけてみせるけどね」

「追いつけるように頑張がんばるさ」


 次にいつ会えるのか。それすらも分からない。確約するような約束も、しない。

 冒険者ぼうけんしゃとして活動していく中のどこかで、会えることを期待して。そうして本当に別れる。


 「……それじゃあ、また」

 「うん。また、どこかで!」


 そう言って、|たがいに背を向ける。

 

 「ごめん好き勝手話しすぎちゃって。行こうか、リノ」

 「そうですね」


 二人ふたりかたを並べて歩き出す。置いてけぼりを食らったリノは、しかしミアに感謝した。服の事も、かばってくれた事も。そして何も聞かずに、配慮はいりょしてくれたことも。

 盛り上がるような青臭あおくさい少年少女に当てられて、リノも少しだけ過去の事を忘れて前を向けた。

 白けた三番街が鮮明せんめいになっていく。太陽がのぼり、住民たちも活動を始めるだろう。空はあおるほどに青かった。


 「頑張がんばりなよ二人ふたりともー!」


 通る声で背中をすようにミアが発破をかける。きっと分かりやすく大声を上げるような仕草をしているのだろう。

 アルスは大きく手をって、そしてリノは、届くかも分からないほどに小さく手をった。

 声援せいえんされて、幾分いくぶんか軽い足取りで二人ふたりは城門をくぐる。その先にあるのは獣道けものみちではないが平坦へいたんとも言いづらい土の道。みしめて、エルラインを出たのだと実感する。


 合わせるつもりはなく、けれど同時に。

 二人ふたりは一歩をした。

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