二十話、英雄になりたい

 そういって、少女は一人ひとり夜に消えた。手をばそうとして、けど身体は動かなかった。


 「――」


 どれだけ、そうしていただろうか。

 声にならないその声は、嗚咽おえつか、怒号どごうか、悲鳴か。

 目じりにかぶなみだは、そのままに地面へと落ち、ける。こんな状況じょうきょうなのに、重くなるまぶたにくらしかった。


 (何をしているんだ《ぼく》は。何が、何が良い人だ)


 香辛料こうしんりょうでもない、つんとするような辛味からみが舌を責める。


 (リノだって、葛藤かっとうがあったはずだ。あれは、《ぼく》とミアをこれ以上めないという、善意だったはずだ)


 一番つらいのは彼女かのじょのはずなのに、その先にそれこそ幸運なんてないだろうに。それでもその間際まぎわに彼女は他人を心配出来できるのだ。

 そのために、一人ひとり暗闇くらやみを走る覚悟かくごを持てるのだ。


 (《ぼく》が、もっと強ければ)


 王国がほこ円卓騎士えんたくきしであれば、つちかった剣技けんぎほこりあるその称号しょうごうじぬよう戦うだろう。

 種族のあこがれである勇者であれば、するどい悪意を退け温かな平和をもたらしてくれるだろう。

 伝え聞く英雄えいゆうであれば、困っている女の子を助け事態を解決にまで導くだろう。

 そのどれもにアルスは該当がいとうしない。


 (ちくしょう、ちくしょうっ)


 円卓騎士えんたくきしであればその実力は確かなもの。勇者であれば困難を絶対に打破する。英雄えいゆうであれば、女の子一人ひとり守り切って見せる。最低限、それだけでも成して見せるからこそそれは賞賛されるのだ。

 けどここにいるのはただの冒険者ぼうけんしゃ。夢すらあきらめたろくでなし。

 守るべき人に守られた、弱い人。


 (《ぼく》は、《ぼく》がなりたかったのはこんなものじゃ――)


 本来、成り得ていた自分。そんなもの、偶像ぐうぞうでしかないというのに。

 それでもすがろうとしてしまう。


 『じゃあ、ぼくはそれを手伝てつだえたらいいかな』

 『一緒いっしょに、なろう! おれたちで、英雄えいゆうになるんだ! この物語の人みたいに!』


 それはいつの日の事だったか。


  ⚔


 活発な笑顔えがおまぶしい茶髪ちゃぱつの少年は言う。


 「おれは冒険者ぼうけんしゃになって、強くなって、そして、そして。いつか英雄えいゆうになるんだ!」


 棒切れをかかげて、だれかに聞かせるように。いや、確かにそこには聞いてくれる人がいた。

 耳をかたむけて、ちゃんと目で見て、そして応援おうえんしてくれる。そんな家族で、友達ともだちで、親友である人がいた。


 「じゃあぼくは、どうしようか。一緒いっしょ冒険ぼうけんできたらいいな」

 「一緒いっしょだ! 一緒いっしょに、英雄えいゆうになろう! なぁ――」


 そうして、茶髪ちゃぱつの少年は親友の名前を呼ぶ。飛び上がり、心の勢いそのままにって。

 小さな村の、両親が働いている子供にとってはひまな時間。だからひまつぶすために村をまわって遊ぶ時間。そんな中で。

 夕暮れすらもまだな青空の下で、かれらは約束をかかげた。未来を夢見て、そして決意した。


 「けどさ。どうして英雄えいゆうになりたいの? アルスは」


 そんな問いかけに、具体的には何を目指すのかという質問に。

 幼い少年は、つたない言葉をそれでもくして説明したはずなのだ。何になりたいのか、どうしてそう思うのか。そんな確かな情熱を持って、少年は英雄えいゆう投影とうえいしたはずなのだ。


 「………………」


 けど何を話したのか、その単語すらも思い出せず。

 思い出せるのは、それを聞いてかれは、親友はあきれたように溜息をついたことだけだった。


  ⚔


 (そうだ、《ぼく》は)


 さる氷をつかみ、こうとする。つめが割れるかという錯覚さっかくと痛みが、それを止めようとするが無視する。

 一つ、氷がけた。


 「《ぼく》はっ」


 二つ目が、ける。血が、指から氷に付着する。

 三つ、四つ。気付けば片腕かたうでが自由になる。

 今さらながら力の入る指に、いかりがあふれそうだった。さけびたくなる衝動しょうどうおさえようにも、決壊けっかいするかのようにいてくる。

 

 「英雄えいゆうに、なりたいんだ」


 そのために、そうあるために。

 今から死にに行くような少女一人ひとり喜怒哀楽きどあいらくのある人一人ひとり、知り合いである女の子一人ひとり。救えずしてどうなるというのか。

 立ち上がれ、アルス・リーン。守ると約束しただろう。


 (ッ)


 拘束こうそくからし、かべもたれ時間をけながらも、少年は立ち上がった。

 何処どこに行ったのか、行き先も目的地も知らない。だから今できるのは、我武者羅がむしゃらでも良い。王国内をけずりまわってでも追いかける事。


 「行かなきゃ……」


 歩き出す。身体がぶれる。衝動しょうどうに任せて走り出す。重心が前に過剰かじょうかたむき、たおれそうになる。

 それでも方向すら定めず、りつかれた様に道を進む。

 結局脳裏のうりぎった過去が何だったのか分からないけど、けれど確かに立ち上がるための力を、勇気をくれた。今はそれだけで十分だ。

 自分の中の何かがさけぶのだ。このまま終わらせちゃいけないと。


 「――なら、おれも手を貸そう」


 道の先、外套がいとうの男がそこにはいた。


  ⚔


 「あなたは……」

 「昨日きのうも会ったな。名乗らなくてすまない。おれは、レンド。情報屋という仕事をしている」

 「情報屋……」


 それは、文字通り情報を売る仕事。たのまれれば、自力で調査すらもになう職業。

 冒険者ぼうけんしゃ協会も、何度か馴染なじみの情報屋に協力してもらっていると、顔なじみの受付から聞いたことはある。

 だがそれが動いているという事は、やはり何かしらの事態が王国の裏で起きているという事。

 だけど今気にすべきはそうじゃない。出鼻でばなくじかれたようにくすが、それすらきついのだ。


 「おれは、一番街の爆発ばくはつ事故について調べてしいという依頼いらいを受けて動いていた。と、今はそれよりもこれだな」

 「っ、なんですか?」


 情報屋、レンドはふところから液体の入ったびんを取り出しアルスへと軽く放り投げる。宙をえがいたそれをアルスは受け取った。

 見てから、それがなんなのかに思い至った。痛みを中和して麻痺まひさせる。完治させるというよりは、ただ感じなくさせる程度でしかないが、よく治療ちりょうなどで使われる麻痺まひ薬。だがそれは製造過程などが複雑なために今のアルスでは手の届かない高価な品のはずだ。伝手もないために相場を知っているわけではないが、少なくとも見ず知らずの人に気軽にわたすものでもない。


 「飲んでおくといい。気休め程度だが、ないよりは格段にましだろう」

 「…………頂きます」


 本来なら遠慮えんりょしていた。だがそう言っている場合ではない。ありがたいのは事実だ。

 閉じふたを開け、のどへとながむ。美味おいしくはない、薬特有の苦味が口内に広がった。あとは効果が出るのを待つだけだ。


 「金は返さなくていい。それほど切迫せっぱくしてるわけでもないからな。それよりも、この先について話をしよう。君と一緒いっしょにいた少女、探すのだろう?」

 「どこに行ったか分かるんですか!?」


 わらにもすがる思いだった。


 「正確とまではいかないが、想定はできる。運が悪いと言わざるを得ないが」

 「何か問題があるんですか」

 「彼女かのじょ奴隷どれいだろう。そして、君は彼女かのじょと主従の契約けいやく関係を結んだ存在だ。ああ、誤魔化ごまかさなくていい。こちらで勝手に証拠しょうこつかんである。首輪があったのも確認かくにんしたしな」


 分からない。だが即座そくざけんけるようにはしておく。一体目の前の存在が、味方なのか敵なのか。その判別がつかない。

 証拠しょうこつかまれている。確信した言い方は、うそをついた様子は見えなかった。情報を集めるのは十八番おはこだろう。


 「それは……」

 

 それでも、自分から肯定こうていするわけにはいかなかった。少なくとも、体裁ていさい上は。


 「一番街のことも、少なくとも君たちに関係しているとまでは考えがついているのだろう? 奴隷どれい商にもどる気がないのなら、逆の方に向かうはずだ。そしてできれば国を出るつもりだろうと」


 エルラインには、大通りが六つある。一番街から、六番街。それぞれ異なった特色を持つ。そして王国の主要な出入り口、いや、城門があるのは一番街、三番街、五番街の三つ。

 そのうち一番街はける必要があり、そして三番街は先ほど襲撃しゅうげきがあったために張られていると考えるのが当然。だとするのなら、少女が持ち得る情報で選択せんたくできるのは、五番街の城門のみ。その名称めいしょうを知らなくても、かべに沿うだけでも分かることだ。貴族たちを乗せた豪奢ごうしゃな馬車も、商人たちが積荷のために用意した大型の荷車なども通る城門は、人を数倍大きくしても優に通れるほどには大きいのだから、道に出れば子供でも探すことが可能だろう。


 「そして五番街には、今現在奴隷どれい商の手のものが姿を表している。目的を見つけたのだ、みちふうんでいくつもりなのだろう」

 「――」

 

 それは本当に、運が悪い。と言っても、計画的なそれは運ではないだろうが、それでも悪態をくのならそういうしかない。

 明確なあせりがアルスに動けとさけぶ。今この瞬間しゅんかんにでも、追われているかもしれないのだから。


 「薬は効いてきたか?」

 「――はい」


 調子を確認かくにんする。手を開閉するが、感覚がにぶい。気をつければいいだけだが、慣れないのは仕方ないだろう。

 痛みがうすくなっていく。間違まちがいなく身体は限界をむかえているが、それを無視できる。

 これならばと、こぶしにぎった。


 「最後の確認かくにんだ。少女を追うというのなら、追手おってとの戦闘せんとうけられない。それも何度もだ。君は戦えるか?」


 問いかけるレンドと名乗る情報屋。足手纏あしでまといは連れて行けないという意味をふくませて。

 それに対してアルスは、ぐに向き合って正面から宣言した。


 「……戦います。それでリノに会えるなら」


 数日前のドレストでの怪我けがえ切らず、加えて徹夜てつや麻痺まひ薬の副作用もあわっている。けれど絶対に食らい付き、ましてやして見せるとすら息巻いて。

 その眼光の光は夜のかげに閉ざされてなお情報屋の目でもうかがい知れた。


 「なら良い。くわしい状況じょうきょうなどは走りながらでも説明しよう。おれも別に事態を大きくさせたいわけじゃない。今限りは味方だと思ってくれて構わないよ」


 一先ひとまずは大丈夫だいじょうぶだと判断し、情報屋は皮肉気なみと共に身体をひるがえす。

 外套がいとうからわずかにた黒のかみがちらりとおどり、重力に負けて元にもどった。


 「信じますよ」

 「ああ――おれが先導する。追いつこうか」


 目的地は五番街。レンドの後を追随ついずいするようにアルスも動き出した。

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