十二話、契約

 そう言って立ち上がろうとして、失敗した。

 手に力が入らず、身体もまともに動かない。寝起ねおきの行動の再現はできそうにない。


 「あれ?」


 困惑こんわくするアルスは何度か立ち上がろうとした。そのことごとくで体制をくずすわり込む。力がけたとか、こしけたとかそういう類だろうかと推察した。

 苦戦するアルスを前に、リノは支えるようにして手をり、負荷ふかを木に預けられるようにと工夫くふうしながらなんとかアルスを立ち上がらせた。それでも棒立ちすらできず、背中を木に預けねば立つことができない。


 「ありがとう。大丈夫だいじょうぶかな? 魔力まりょくのこととか、立つのが苦しかったりしない?」

 「自身の現状を見た方が賢明けんめいですよ」

 「あはは。痛いのは分かるんだけど、逆にそれ以外分かんないっていうか。月明かりのおかげでまだなんとか見えるけど、悠長ゆうちょうにしてたら最悪真っ暗になっちゃうから。あせっちゃうよね、どうしても」


 日はとうにしずんでいる。暗闇くらやみとばりが森へと降りる。

 夜行性の暗闇くらやみに慣れた魔物まものが活発的に動き出すかもしれない。どれだけ場所がずれたのかをアルスは判別できないが、それでも走った分は無駄むだじゃなかったはずだと信じる。姿をかくせる場所はない。できるだけ早くに移動した方が得策だ。

 まともに歩ける状態ではない、負傷した身体ではあるが。


 「じゃ、行こうか」


 足をるようにしてアルスは歩きだそうとする。片手を木に預け、右足をしては左足の方は地面をすべらせ、そして足を交代させる。わずかに進んだ。土とぼろぼろのくつれる音がする。


 「支えますよ」

 「えっと、大丈夫だいじょうぶなの? 結構重いと思うけど」

 「アルスさんがやってくれたことに比べれば足りないでしょうが、それぐらいはやってみせます」


 次の支えを探すように宙を泳ぐアルスのうでつかみ、リノはそのうでの下をくぐって自身のかたへと回した。背の差は歴然であり不安定ではあるが、ないよりは間違まちがいなくましだ。距離きょりめ、ぴったりと横に沿う。ゆっくりと少しずつだが、二人ふたりは出口へと向かって歩き出した。


 しばらくして少し、着実に二人ふたりは歩みを進めていたが、それも止まる事となる。

 朦朧もうろうとする意識のアルスより、リノの方が先に気づいた。姿勢をくずす事なく、最小限の動きで棒切れを構える。

 目線の先、二人ふたりさえぎるようにして草のかげから現れたのは一ぴき小兎スモールラビットだ。それも何度か死線をくぐりけた戦い慣れた個体。万全ばんぜんのアルスであれば、多少の時間がかかってもたおすことができる。


 「小……兎スモール……ラビット

 「強いですか?」

 「一応、ぼくが持ってるけんでも十分にたおせる。小兎スモールラビットの中でも強い方だけど、何度か戦ったことはあるかな……」


 ならたおせるかもと、リノは考えたことだろう。少しの間、けんを借りればいい。

 無茶だ。少女の細いうででは鉄のけんを持つことはできても、るうことはできないだろう。最悪下手へた軌道きどうえがいて自身を傷つけるかもしれない。危険が過ぎる。


 「ぼくが、やる」

 

 それもまた、無茶だと。

 戦闘せんとう体制を小兎スモールラビットを前にアルスはけんり出そうとした。


 「っ!」


 その手が宙を切る。よろけるようにしてアルスは身体を木にぶつけた。

 け寄ろうとしたリノは、しかしある気配を感じ小兎スモールラビットではなく別の場所を注視した。そこから砲弾ほうだんのようにび出した物体を棒切れではじく。破砕はさいする木の棒と、接触せっしょく衝撃しょうげきにリノは大きく体制をくずした。転倒てんとうまぬがれるのが精一杯せいいっぱい

 小兎スモールラビットの隣に、その存在は着地した。小兎スモールラビットと瓜二つのようにそっくりなうさぎちがうのは、頭部の目立つ箇所かしょにある一つの角。


 (なんでこう、因縁いんねんなんてないはずなのに……)


 そうぼやくアルスを、だれが責められようか。

 現れたのは角のついたうさぎ魔物まもの角突き兎ホーンラビット悪知恵わるぢえが働きその小ささとすばしっこさから銅級では対処が難しいと銀級の認定にんていを受けた、銀級冒険者ぼうけんしゃ登竜門とうりゅうもん的存在。その角はかたく、似たような魔物まもの結託けったくすることもある。丁度、今のように。

 戦力にならない負傷者と魔法まほうの使えない戦闘せんとうの心得も持たない少女。対するは連携れんけいを何度か重ねているのか退く様子を見せずつぶすつもりの銀級と銅級のうさぎが合わせて二匹。手負の冒険者ぼうけんしゃの状態を、この魔物まものたちは知らないわけがない。それが絶好の機会だということも。


 「――結局、こうなりますか」

 「大、丈夫」

 「無茶をしないでください。先程さきほどから思っていましたが、もう限界を有にえているのでしょう」

 「だと、しても」


 あきらめたような声音こわねのリノに、言葉を発するしかアルスにはできなかった。大丈夫だいじょうぶとは言っても、動けないというのに。

 折れて痛んだ身体は一度止まればもう動いてはくれない。くすのすら、ただひざが曲がり自重に負けるのが起きていないだけ。朦朧もうろうとする意識は鮮明せんめいな予測も的確な状況じょうきょう判断もしてくれない。守らなきゃと、ただそれだけがかれの意志として発露はつろする。もはやその理由すら、つながらないというのに。

 戯言ざれごとのようにかえす意志と、はがねのような重さと化した身体。それを横目に、破損した武器としてもあつかえないただの木の棒を少女はもう一度見た。まだ、使えると。希望の種は、目の前の少年の意思次第しだい


 「【てつく冷気よ、脆氷壁ぜいひょうへき】」


 氷の矢ではなく、わずかに物質化したうすもろい氷が、二人ふたり魔物まものの間に作られる。本来ならもっとまともにあつかえて、自身を中心におおうことすらもできる魔法まほうだが、足りない魔力まりょくでは中途半端ちゅうとはんぱな失敗作にしかならない。それでも精度と集中で持って無理やり障害物にする。

 ほんの少しの時間かせぎ。対象の目眩めくらまし程度であり最悪跳躍ちょうやくでもされれば成す術もない。だからこそ少女はできることをしようとした。


 「アルスさん、よく聞いてください」

 「後で、なら」

 「いえ、今です。今だからこそ、わたしに意識を向けてください」


 かべを作ったとはいえ、魔物まものの前では無防備すぎる行動。もはやたおみそうな身体の少年を、その背中を。木にてるようにして少女はそういった。向かい合う形で、少年は目線を合わせる余裕よゆうもなく下を見て、少女は強い眼差まなざしで上を見上げた。


 「お願いがあります」


 少女は自身の首筋へと手を当てた。確かめるように、見せつけるように。その少女らしい綺麗きれい声音こわねを作るのどがそこにはある。少年のようにわずかに喉仏のどぼとけがわかるわけでもない、ほっそりとした首だろう。しかし少女の手はそののどへとれられなかった。

 そこにあったのは、銀色の鉄。アルスの視線が追いつくと、困惑こんわくしたような雰囲気ふんいきで目を固定した。

 

 「わたしは、いまだれにも所有されていない奴隷どれいです。この首輪が所有者を認識にんしきしない限り、わたしは空気中の一切いっさい魔力まりょくを使用できません。そういう性質を持った首輪です」

 「奴隷どれい……? それって…………」

 「だから、あなたがわたしの所有者になってください」


 奴隷どれいという存在は、田舎者いなかものどころかそれこそエルラインの市民ですらも馴染なじみがないだろう。何故なぜなら裏の世界。人としてのみにくさやまともじゃない商売など、後ろめたいことなどがまかとおることも許容されることもある世界だ。言葉の半分以上を、アルスには理解できない話。それでもアルスは必死にろうとした。


 「問題点、危険な点もあります。話すと長くなりますが、基本的にアルスさんは主人としての立場になりますからわたしが直接危害を加えられる可能性は限りなく低いでしょう。ただし一度結ばれた契約けいやくは、基本的には解除できません」

 「待って……追い付かない…………」

 「すみませんが待てません。だから決めてください。今ここで、なるべく早く。《わたし》私と一緒いっしょいばらの道を歩くかどうかを」


 鳴き声が聞こえる。それも複数。人じゃない、魔物まものの声だ。

 もしかすれば、姿を見失ったことでげたと判断されたのか。それとも単に次の獲物えものを探し始めるだけか。どちらにせよ、群れのような協力関係は二ひきだけではなかったらしい。少女には魔物まものの種類を知る知識はないが、頭数は増えたというのは確定だ。

 その一ぴきが、氷の上に姿を現した。場所を移すこともなく向かい合う二人ふたりを目にして、仲間を呼ぶように声を上げる。時間はない。


 「手短に言いましょう。契約けいやくを成せば、わたし魔法まほうあつかえます。この状況じょうきょうを打破し、代わりに戦うことができる。その代わり生き残ったわたしたちは、少なくない面倒ごとをかかえることになります。選んでください。わたしかかえて生きるか、それともここでわたしと共に死ぬか」

 「随分ずいぶんと、難しい事情をかかえてるね……さっぱり、わからないや」

 「まくてるような説明で、その上半ばおどしに近いのは生き残れればいくらでも謝罪します」


 真けんな表情の少女は、それでもふるえる手をさえつけるように後ろでかくした。あせりも、迷いも。そのすべてをさとられることがないように。徐々じょじょ徐々じょじょ|に魔物まものが|近づいてくる。断頭台で処刑しょけいを待つような、そんな物騒ぶっそうな待ち時間。それでも邪魔じゃまをすることがないようにと、くちびるわずかにめる。


 「一つだけ、聞かせてほしい。その契約けいやくというのは――君に危害や苦しみをあたえるものなのかどうかを」

 「――正直にいえば、わかりません。保証できるのは、たとえそうだったとしてもあなたにけたいとわたしが思っただけですので」

 「…………本当に、難しいなぁ……」


 困ったように、考えるように。少年は沈黙ちんもくした。平時であれば、うでを組みうなっていたことだろう。

 目をつぶり、あらい呼吸はそのままに。数秒をもって少年は目を開けた。その目には、光があった。


 「わかった。契約けいやくする」

 「では、手を貸してもらいます」


 少年の手を少女はつかみ、そして首に付けられた鉄へともっていく。少女としてもわずかな知識しかないそれを、再現する。

 わずかに首輪にともる光。一瞬いっしゅんよりも長いかがやきの末、首輪に文字が走っていく。刻まれていく。少女が見ることができず、そして少年の知らない文字。ただアルスは、おそらくそれが契約けいやくを示すのだろうとなんとなくだが予感した。

 光が収まり、変化を示すように小さな風がれた。少女のかみなびく。


 「情けないけど、この先を任せてごめん」


 いるように、少年は謝罪した。

 それを前に、少女は久方ぶりに体内に現存する以外の魔力まりょくを知覚した。空気中の魔力まりょくを感じ、そして干渉かんしょうできる。これなら昼間以上の魔法まほうあつかえると。

 向き合っていた少年に背を向ける。そして少女は敵である魔物まものたちをたおすためにつえかかげた。


 「十分以上にあなたは戦いました。今度はわたしの番です」


 び上がり、作られた氷の上に姿を現した 小兎スモールラビット角突き兎ホーンラビット。その数は五。倍以上の数にまでふくがったそれを前に、少女は詠唱えいしょうつむぐ。

 働きにむくいるために。|いま《・》の、それでもあたえてくれた恩をかえすために。

 少女は魔力まりょくを束ね、魔法まほうを発現させた。


 「【――】」

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