十話、迫る気配

 時間はち、時はた。


 「さて」


 立ち上がり、固まった体をほぐす。

 ここから先は警戒けいかいを引き上げ、最大限の労力を持って帰還きかんへの道を進む。


 「?」

 「リノちゃん。そろそろ森を出よう。大丈夫だいじょうぶ、移動中はぼくが運ぶから」

 「……また、あの運び方ですか」

 「魔力欠乏症まりょくけつぼうしょうなのを知ったから。出来できるだけ負担を少なくして行くのが得策だと思う。大丈夫だいじょうぶ、リノちゃんは軽いからぼく一人ひとりでも負担じゃないよ」


 魔物まものからげる際と同じ運び方に微妙びみょうな表情をかべている、とアルスはそう受けった。困ったように頭をきつつ、しかしそうするしかないと、分かってくれと待つ。

 その間として、アルスは洞窟どうくつの入り口に近づき外の様子をぬすた。


 (敵はいない。前使った時から変わってるところはない。安全だ、今のところは)


 異変はない。感じれるところに魔物まものはいない。物音も、見える距離きょりも。注意深く観察していく。


 「――分かりました。これ以上考えている時間はないようですね」

 「そっか。よかった」


 心底安心したと、胸をろすように息をく。あとは自分の頑張がんば次第しだいだ。

 日が落ち始めて少し、辺りは徐々じょじょに赤く色づき、そして黒に染まって行くだろう。道中で夜になってしまうが、問題はない。その時にはすでに森の外一歩手前になっている。


 最後の警告として、再三とばかりにアルスは先ほどと似たようなことを口にする。問題を共有するように。


 「いいかい、リノちゃん。今回は運がいいし、一応地形にくわしいぼくがこの先はちゃんと安全に森から出られるようにするから。だからあとは全部任せてくれていい。その代わり、覚えておいて。魔物まものは危険で、おそろしいことを」

 「……」


 リノはうなずくこともせず、しかししっかりと聞いていることはアルスにも分かった。今はそれでいいとアルスはそう思う。

 一応足場の悪い洞窟どうくつを出てからかかえることにしたアルスは、リノの体調に気をつかいつつ外へと案内する。

 そうして――。


 「……」

 「じゃあ、行くよ」


 明かりがあったとはいえ暗闇くらやみからたことで色の明暗さにぼやけたように。リノはぼーっと空を見上げ、そして周囲へと視線を向けた。しかしそれも少しの間。

 アルスは安全を確かめてからり向き、リノへと向き合いかかえようとする。大人おとなしく、リノはかかえられた。


 「しっかりつかまってて」

 「はい」


 血をめ、一定の速度を保てるようにしつつアルスは走り出した。


 ――その後ろ、聞こえない距離きょりで。小さく何かが当たる音がした。


  ⚔


 鬱蒼うっそうしげり、昼間であっても太陽の光をさえぎる立派な葉っぱが頭上をおおう。

 その下で、一人ひとり小柄こがらな少女をかかえた少年は疾走しっそうしていた。

 時には立ち止まり状況じょうきょううかがい、迷うことなく悪路もあるけもの道から負担の少ない平坦へいたんな道を選んで走る。周辺警戒けいかいをしつつ一定以上の速度を保つ。少年はこの場所に慣れたような動きで適切に行動していた。


 「……」


 しかし少年は知らない。そのまま安全に、何の問題もなく森をけられるわけじゃないことを。度重たびかさなる不運のように、それはまだ少年にふさがる。

 少年に落ち度はなかった。むしろその立場からすれば十二分以上の活躍かつやくを見せているが、それでもは時を選ばない。


 少年は立ち止まった。異変を感じ、姿をかくせるように近場の木に近づきつつ周囲をさぐる。

 それは接近した。


 「ッ!」


 数瞬おくれて少年はけるように動く。回避かいひできるように、かかえられている少女を守るように。

 かすめるようにして、するどつめが少年の衣服すれすれをいた。各所を守った防具に守られない、やわい場所を正確にとらえていた。あと少しおくれていればそれは体を切り付けていただろう。それでも皮膚ひふ薄皮うすかわ一枚をき、ほんのわずかな血が流れる。


 下手人げしゅにん、いや襲撃しゅうげき仕掛しかけたのは一頭の魔物まものだった。その名に反するようにして、たった一頭のみで動くそれは群れ狼フロックウルフ。少なくない負傷をかかえ、むしろ少年よりも傷の大きいそれはしかし獰猛どうもうで持って獲物えものにらみつけていた。


 「群れ狼フロックウルフ……。しかもこれは、あの時の個体じゃ――」

 「――おそらくは。生きていましたか」


 忘れるな。群れ狼フロックウルフの危険度は銀級。確かにその一番の驚異きょうい性は統率とうそつれた群れでの行動ではあるが、するどつめや四本の足からり出される疾走しっそうは一個体それぞれが持っている。

 すれちがい勢いそのままにアルスたちを追いいたが、その勢いを殺さずに円をえがくように旋回せんかいしては距離きょりりその個体はアルスたちの方を向く。そして構えた。

 わずかな逡巡しゅんじゅんの末、アルスは覚悟かくごを決めた。


 「ごめんリノ、少しの間降ろしていいかな」

 「戦いますか?」

 「うん。どうやらぼくたちをのがす気は毛頭ない感じだし。ここまで執念深しゅうねんぶかく追ってくるのは流石さすがに初めてだけど、負けるつもりはないよ」


 リノを木の根元付近に降ろし、体重を木に預けられるようにする。


 (手がふるえる。でも一頭なら、まだぼくでもなんとかできるはずだ。いや、何とかする)


 我慢がまんではない。刻み付けられたその力を知りながら、それでもアルスには今守る者がいる。

 リノを守るように立ち、さやからけんき構える。両手でにぎり、力をめられるように。最短での決着。可能であれば一りの下に終わらせたい。


 「手早く終わらせる」


 合図はなかった。

 ただけ出した群れ狼フロックウルフに合わせ、アルスは自分にとってやりやすい動きで持って迎撃げいげきの構えをった。空中で、鋭利えいりつめと鉄で打たれた直けんが切り結ぶ。


 (軽いっ。その負傷は間違まちがいなく群れ狼フロックウルフの体力をけずってる!)


 一撃いちげきでは終わらなかった。

 全力でアルスは群れ狼フロックウルフはじばし、今度はこちらからだと地をる。着地を待たずに接近し、直けんを横から切り付ける。そのけん線を、強靭きょうじんな足で持って群れ狼フロックウルフ即座そくざ跳躍ちょうやくすることでえようとした。今度はアルスの一撃いちげき間一髪かんいっぱつの隙間をってけられる。


 「っふー……」


 呼吸を思い出したように息をき、よりアルスは集中する。

 一挙手一投足を見逃みのがすな。もしも反応がおくれれば群れ狼フロックウルフ攻撃こうげきが身体を貫通かんつうする。


 「次ッ」


 休ませるひまあたえない。後ろを気にする必要があれど、不思議なことに状況じょうきょう互角ごかくかアルスの方が有利といえる。この利点を無駄むだにするつもりはない。

 前傾ぜんけい姿勢で持ってアルスはけ出し、ななめ下から群れ狼フロックウルフの身体を両断するように切り上げる。わずかな動作ではけられないと判断したのか、つめるうことで持って群れ狼フロックウルフ迎撃げいげきに出た。刹那せつな交錯こうさくとともにぱきりという音がする。

 群れ狼フロックウルフの右つめいくつも割れる。衝撃しょうげき渾身こんしん一撃いちげきけられるが、群れ狼フロックウルフの戦力低下。武器が片方にしばられまたアルスが有利になる。


 (行ける。油断するなまん心するな確実に一撃いちげきあたえるまではっ)


 けんるう、全力でけられる。けられ宙をう体に引っ張られる形を利用して場所を移動する、つめせまはじく。かえしとばかりにけんり下ろす、けられるがわずかにかすめ血がう。一瞬いっしゅんの間を置き両者ともに接近する。

 加速する時間の攻防こうぼうの中、一瞬いっしゅん見逃みのがさずにたがいに虎視眈々こしたんたんと、すきあらば肉体をねらう。


 「ッは!!」


 そしてついにそのけん獲物えものいた。肉をえぐる重い感触かんしょくかえすように力を入れ、アルスはより一層けんを深くへとんだ。間違まちがいなく致命傷ちめいしょう

 どぼりとあふれるように、鮮血せんけつ群れ狼フロックウルフの体内からこぼれでる。血特有のにおいと共にけんよごしていく。


 「っ」


 ただでは終わらぬとばかりに割れたつめいくつかでアルスの体がかれる。一部が防具に当たるが、皮膚ひふへと達するものも少なからずあった。

 なりふり構わない、傷跡きずあとを残すことだけを考えた足掻あがき。


 「いい加減、終われッ!」


 重く深くさっているけんを力に任せて動かして、肉体を刻んではらう。けんに付着していた血が辺りへとんだ。

 それが最後となり、断末魔だんまつまを残してたおれるかと思われた。

 しかししぼるようにして、つめるうでもきばてようとするでもなく群れ狼フロックウルフは無防備に口を開けた。


 (何を――)


 そしてさけんだ。


 万感ばんかんの意をめんばかりに、本来よりは小さいのであろうそれでもひび雄叫おたけびを上げ、群れ狼フロックウルフは絶命した。

 けんを構え、少しの間様子を見る。しかし群れ狼フロックウルフが起き上がることはなかった。もう息をしていない。


 「――終わ、った」


 昼間からの因縁いんねんの相手との決着がついた。

 それをアルスは確認かくにんし、実感した。両手もろてを上げて喜びたいところだが、そもそもこれは本来の目的から外れた遅延ちえんに過ぎない。


 「リノ! 大丈夫だいじょうぶ!?」

 「……はい、大丈夫だいじょうぶです。無事ですよ」


 木に背中を預ける少女へと本格的に意識をもどす。外傷はなく、意識もある。

 出来できるだけけんについた血をはらい、さやもどす。急いで少女の元へともどった。


 「よし、行こうか」

 「体力は、大丈夫だいじょうぶですか」


 戦闘せんとうの直後だ、息は乱れている。しかしそもそもここからはなれなければ、また別の魔物まもの戦闘せんとうになる。はなれないわけにはいかない。

 それこそ我慢がまんだが、なるべくアルスは平然をよそおった。


 「大丈夫だいじょうぶ、とはいかないかもしれないけど。何度か連続で戦闘せんとうした事はあるから。今は森を出ることが優先だし」

 「……分かりました、お願いします――と、言いたかったのですが」

 「どうしたの?」


 手をばそうとした少女は、しかしばす手を空中で止めた。

 そのまま目を閉じる。


 「アルスさん。わたしでは見えませんが、周囲に魔物まものはいませんか? 地面が少しれています、何らかの振動しんどうが」

 「振動しんどう……?」


 おくれてアルスも、身体に意識を集中させる。そして感じった、ほんのわずかだが振動しんどうが届く。間違まちがいじゃなければ徐々じょじょ徐々じょじょにだが近づいてきているそれは、記憶きおくが新しければ。

 心当たりとしてあるのは一つ。しかしだとすればアルスの想定は外れたことになる。


 「不味まずいッ」

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