九話、魔物と魔法

 限りなく小さな声で、それでも聞こえるようにとアルスの耳へと出来できるだけ近づいた少女はささやく。

 当然で、しかし知りたくなかった必要な情報を。


 「あのおおかみ魔物まものは一頭じゃありません。少なくともあと二頭か三頭はいます。おそらく近くに」

 「ッ」


 落ち着いてきた身体の中、目だけを周囲へと走らせる。

 背の低い草、動いてない。木のかげ、気配はない。見える範囲はんい、当然魔物まものらしき存在はいない。


 (暴れ牛ランページカウは手当たり次第しだいに暴れ回る凶暴きょうぼう魔物まもの群れ狼フロックウルフは仲間をやれてるはずだし様子を見るかして遠くにいるはず。げているかは、今必要じゃない)


 木をはさんだ後ろにはいま暴れ牛ランページカウが。

 姿は見えないがそう遠くない場所にはおそらく群れ狼フロックウルフが。

 包囲もうくように、まるでアルスと少女を中心に囲むようにして魔物まものは存在する。


 (どうする。どうすればいい。たおせるか、どちらを? ぼく一人ひとりじゃ複数を相手にできない)


 こしにあるさやれる。中にはえとして持ってきた予備の直けん。そもそも資金を得るための依頼いらいであり、なくなったいくつかの道具を買うための金でもある。つまり現状それはここにはない。

 暗闇くらやみでアルスを助けた光びんもない。目眩めくらましとして一瞬いっしゅんの光をめたそれは、そもそも夜や洞窟どうくつなどで本領を発揮する。あったとしても昼間の今では十分には使えない。目をつぶすことは当然できない。

 けんと、くるまぎれの防具と、依頼いらいとして収集した毛皮の入った小さなかばん。それだけだ。それしかない。び道具も、状況じょうきょうを打破できる小道具も、何もない。足元を見ても、投擲とうてきに適した石はない。よくて少女の持つつえ見間違みまちがえた木の棒一本だが、目をねらうなどしなければ有効打には至らない。土壇場どたんばで正確に小さな目標をねらえる技術を、けん一辺倒いっぺんとうのアルスは持ち合わせていない。


 (たのむ。このままどっかに行ってくれ)


 天にいのるように願う。それはできた。だからと言って状況じょうきょうは変わらなかったが。

 むしろ悪化するように、徐々じょじょに音が近づいてくる。嗅覚きゅうかくはそこまで敏感びんかんではないはずだが、機能としてないわけじゃない。それを今発揮されるというのであれば相当に間が悪いことになるが。


 「アルスさん」

 「大丈夫だいじょうぶ。君だけでも絶対に守るから」


 歯を食いしばるように、強く目を閉じて。それでも絶対に少女だけでも森の外に併設へいせつされた簡易拠点きょてんまででも送り届けるとアルスは決意していた。

 しかしそこにアルスはいないだろう。おとりとして森の深くへと入り窮地きゅうちおちいっているはずだ。それすらもけであり、場合によってはここをだっした後にほか魔物まもの遭遇そうぐうするかもしれない。それでもだ。


 アルスはおとりとなるために、少女に簡易拠点きょてんの方角を伝えようとした。

 それよりも先に、少女が口を開いた。


 「います。見て左、おおかみ魔物まものが一頭。おそらくもう一頭はあの魔物まものの方を監視かんししているはずです」

 「……本当だ」


 群れ狼フロックウルフ二人ふたりに接近していた。度胸のあるものだ。おそったとしても、その先に暴れ牛ランページカウが立ちはだかるというのに。

 時間はない。それも限りなく。


 「だからあれおとりにしましょう」

 「できたらいいんだけど、ごめんその方法を思いつかない」

 「方法はあります。一回限りですが」


 いやに冷静に、少女は落ち着いたように話を続ける。

 アルスが接触せっしょくする場所から、ふるえやおびえというものは感じれない。おそわれた最初からそうなのかもしれないと、そうアルスの脳裏のうりぎった。それはアルスの知らない少女の顔だ。

 しかしそれよりも発した言葉だった。状況じょうきょうだっする方法。わらにもすがる思いである。あればびつく。


 「――本当に?」

 「はい。しかし問題が一つ。あれおとりにすると同時、おそらくわたしは動けなくなります。なのでとりあえずの安全地帯までわたしを運んでいただきたいんです」

 「それは大丈夫だいじょうぶだけど、具体的な方法は?」

 「わたしは少しですが魔法まほうが使えます。それを使って少し派手にあれんで音を立てます。魔物まものはそちらに意識が向くでしょう。上手うまく行けば相打ちをねらえます。その隙間すきまって、アルスさんはわたしかかえて退避たいひしてください。地理は任せます」

 「――魔法まほう。…………でもそれなら確かに」


 少女の言うことが事実なら、確かに状況じょうきょうを打破する可能性はある。

 魔法まほうにはうとく大した知識もないアルスだが、しかし知り合いが使っている場面を何度か目にしている。

 それを少女が使えることへのおどろきはあるが、ある意味で緊張きんちょうあせりがないまぜの状態では「ああそうか」と受け入れるしかない。


「どうですか?」

「分かった、それでいこう。移動は任せて。ごめんけどおとりの方は任せるね」

「――……はい」


 活路は見えた。どちらにせよけもけ。なるがままに。

 すぐにでも走り出せるようにと立ち上がり、少女を横抱よこだきにかかえる。小柄こがら体躯たいくの背中と足にうでを回し、れないようにと固定する。


「…………背中でもいいんですよ」

「君の無事が大事。そもそも怪我けがが治ってるかもあやしいんだし、こっちの方が負担は少ないから。ずかしいのはごめん、命がかかってるし許して」

「そう言うことでは……いえ、わかりました」


 こそこそと動く二人ふたりに、何かがいると確信したのか暴れ牛ランページカウ突進とっしんの構えを見せた。

 群れ狼フロックウルフはといえば、見える範囲はんいの一頭は機をうかがうようにいま二人ふたりを見るだけにとどまっている。


「――行きますよ」

「――了解りょうかい!」


 呼吸を合わせるということはしないが、合図ははっきりしている。

 少女が魔法まほうを使い、アルスはそれと同時に走り出す。


「【てつく冷気よ――造形氷矢】今!」

「ッ!」


 乱雑に放たれたそれは、一直線の軌道きどうを持っていくつかの場所に着弾ちゃくだんした。氷を固めて作られた矢。その一つは群れ狼フロックウルフに命中し、悲鳴のようなさけびがれる。

 複雑にから木霊こだまする音の中で、最もひびいたのは群れ狼フロックウルフさけび。暴れ牛ランページカウはそちらへと視線を向け、獲物えものである生物の存在を視界に入れた。そして数瞬おくれて走り出す。

 そして少女をかかえたアルスは、暴れ牛ランページカウ突進とっしんするのを横目に見ながらけ出していた。


 行き先はいくつかある森の断崖だんがい絶壁ぜっぺき近く。下ではなく上に見上げるその切り立ったそのがけに近いかべには、一つだけ穴が空いている。そこを目指した


  ⚔


「なんとか、難をのがれましたね」

「はぁ……はぁ……そう、だね……」


 アルスは火の付いた松明たいまつけられた洞窟どうくつの穴の中、ひざに手をついて息を切らせていた。

 そして少女は、脱力だつりょくしたように洞窟どうくつ内のかべを背にすわんでいる。両手で木の棒をかかえ、その顔色は少し悪い。

 危機をだっした、ゆえにこそ緊張きんちょうの糸は切れる。アルスには疲労ひろうが、少女には魔力まりょく特有の症状しょうじょうが。たがいに消耗しょうもうしている、


「リノちゃん、でいいんだよね」

「はい」


 少女から人一人ひとりはなれたとなり、同じくかべを背にしてアルスはすわんだ。

 目線は立った状態で使えるようにと固定された松明たいまつに、ぱちぱちと可燃材が燃える音だけが小さく洞窟どうくつひびく。


 「それ、確か魔力欠乏症まりょくけつぼうしょう、だったよね。欠乏症けつぼうしょうなんて言っても、病気じゃなくて分かりやすいようにと学者さんがつけた名称めいしょうだけどさ」

 「そう、ですね。わたしの体内にある魔力まりょく、それを使いました。もうほとんど、残されていません」


 魔力欠乏症まりょくけつぼうしょう。この世界に存在する魔力まりょくと呼ばれる代物しろものは、人の体内にもわずかながら存在する。それが消耗しょうもうした状態。しかしそれは滅多めったに起こらない。基本的に魔法まほうとは、空気中の魔力まりょくを借りて使用する。決死の覚悟かくご、足りない分を補うために、そういう場合でしか基本は使わない。代償だいしょうとして、身体に影響えいきょうが出るからだ。今のリノのように。

 症状しょうじょうは基本的に例外はない。一度限界まで欠けた魔力まりょくはすぐにはもどらない。それこそ数日から数週間の期間をおかねば全快しないだろう。その間、若干じゃっかんと気持ち悪さ、そして体にわずかに力が入らなくなる。安静にしているべきだと言うのが一般いっぱんの見解だ。治療法ちりょうほうが自然治癒ちゆしかないのだから。


 (本当にそうなったのはおそらくぼくが出会ったあの時。数日ってわずかに回復しつつあった魔力まりょくを使った、のかな)


 通常の魔法まほう使いと同様の使い方をした上にそうなったのか、それとも何かが原因で体内の魔力まりょくしか使えないのか。考えようにも、魔法まほう使いじゃないアルスには知識も経験も足りない。


 「ぼく魔法まほうくわしくないからさ、深く知っている訳じゃないんだけど。多分結構きついよね、それ。大丈夫だいじょうぶ? つらかったら無理に話そうとしてなくていいよ。助けられちゃったし」

 「……この感覚も数日の付き合いです。確かに失った分、きついですが。慣れないわけじゃありません」

 「それでも大変なことには変わらないんじゃない? いいよ、無茶しなくて」

 

 沈黙ちんもくが降りる。

 二人ふたり息遣いきづかいと、焼ける松明たいまつの音以外の音はない。外はまだ日が降りてないと言うのに、一足先に寝静ねしずまる夜が来たと錯覚さっかくするほどの静寂せいじゃくがこの場所を包む。


 (ああもうっ。ちがうだろうぼくが聞くべきことは!)


 無茶をさせた罪悪感が、下手へたなことを言ってはならないとその先を妨害ぼうがいする。

 しかし一冒険者ぼうけんしゃとしても、そうじゃなかったとしても言わなければならないことが、聞くべきことがあるとアルスは考える。

 魔力まりょく比較的ひかくてきい場所にて、魔力まりょくが集まって環境かんきょうった結果魔物まものという存在は生まれ落ちる。人が魔力まりょくを使って魔法まほうを使用するように、魔物まものはそれを元に発達進化をげる。当然危険だ。奥地おくちなどはそれこそ強力な魔物まもの跋扈ばっこしているかもしれない。そんな場所に丸腰まるごしで入るなど、だれがどう見ても自殺志願者に等しい。


 (言わなきゃ、危険だって。これで二回目なんだ。生きてるのが偶然ぐうぜんなんだって)


 気が進まないと手をこまねくが、アルスのそれは正論であり生きるためのやさしさだ。

 両親から教わったのか、それとももしかしたら良いとこの生まれで魔法まほうを学ぶ環境かんきょうがあったのか。確かに魔法まほう戦闘せんとう手段として貴重だが、だからと言って万能ばんのうじゃない。空腹を解消することはできないし、暴発すればその驚異きょういは自身にかえってくる。絶対視はできない。

 何故なぜここにいるのかの疑問を差し置いても、危険な場所に近づくなというのは当然だ。その危険をおかして代償だいしょうを対価に報酬ほうしゅうが得るのが冒険者ぼうけんしゃだが、少女は冒険者ぼうけんしゃじゃ無いはずだ。そもそも森に近づいて良い訳などない。もしかしたらそれを少女は知らないのかもしれない。


 (言おう。勇気を出せアルス・リーン。もし三度目なんてことがあったら洒落しゃれにならないんだぞ!)


 自身を鼓舞こぶし、しかしなるべく傷つけようにと言葉を選ぶ。

 立ち上がり、こぶしにぎって、「さぁ言うぞ」とばかりに勢いをつけようとする。


 「よしっ」


 少女の方を向き、しゃがみ視線を合わせ、アルスは警告を口にする。


 「いいかい、リノちゃん。この際なんでここにいるのかは聞かない。だからこの先のことをちゃんと聞いてほしい」

 「……」

 「さっき見たあれはね、魔物まものっていうんだ。危険で凶暴きょうぼうで、ぼくたちを傷つける。だから近づいちゃいけない。たとえ魔法まほうを君が使えたとしてもね。……こわかったよね、リノちゃんも。魔物まもの格好かっこいい冒険者ぼうけんしゃたちが頑張がんばってたおしてくれるからさ、近づかないように気をつけなくちゃ」


 なるべく伝わるようにと、ゆっくりとした調子で言葉をつむぐ。


 (うーん……説教っぽくなってないかな? 大丈夫だいじょうぶだよね……? いや、ここはっ)


 名案を思いついたように、アルスはある単語を付け加えようとする。

 大好きで、あこがれた。幼い少年少女の大半が一度は耳にする、物語の主人公を。


 「英雄えいゆうがさ、君を守ってくれる。だからこわくないし、大丈夫だいじょうぶ。けど魔物まものは危険だから、自分から近づかないように気をつけなくちゃ。わかるよね?」

 「……」


 近づかない、それを強調する。危ない場所には近づかない、危険だからもうしない。好奇心旺盛こうきしんおうせいな子供がよく両親から言われる言葉を。ちゃんと理解して、もうこれ以上危ないことをしないようにと。誠心誠意伝わるように、アルスは願う。

 返事はない。うつむいたように下を向き、ついにはそっぽを向く。きらわれたかもしれない。それでもこれから先同じようなことが起きるのを防げると思えば、構わなかった。


 (体力は回復してきた。少し日は落ちるけど、もう少し時間を待って準備を整えてから森を出よう。暴れ牛ランページカウ群れ狼フロックウルフがどうなったのか分からないけど、少なくとももうあの場所にはいないだろうし警戒けいかいをしておけば未然に戦闘せんとうを防げる)


 すわなおし、けんを納めたさやに手を置く。そしてさやにぎった。


 (何度も何度もぼくはここにてる。地形は把握はあくしてる。大丈夫だいじょうぶだ、大丈夫だいじょうぶ。極力魔物まものけてリノちゃんを安全に外へと連れて行く。依頼いらいは、あー、まぁ。また明日あしたにでもやればいい。あと一匹だ、面倒ではあるけど難しくはない)


 言い聞かせるようにしつつ、道のりや危険要素を思い出す。そしてなるべく最短に近く安全な場所を探す。

 松明たいまつの焼ける音は、ほんの少しずつ小さくなっていた。

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