第14話 「気を遣い過ぎ」
ある冬の平日の朝。
京四郎は時計のアラームで目を覚ました。
「…もう、朝か…え?」
ふと横を向くと、いつもなら起きているはずの未夏がまだ寝ていた。
「未夏さん! もう朝、で…!?」
起こすために肩に触れたが、未夏の体が異常に熱かった。
額にも触れてみたが、その額も熱かった。
「高熱!? まさか…」
「う…京、四郎、さん…」
未夏は意識が朦朧として、声を出すのもやっとのようだった。
「ち、ちょっと待っててください」
京四郎はそう言ってベッドから離れ、手を洗ってうがいをすると、冷蔵庫から冷却シートを取り出し、濡らして絞ったタオルを手に取って未夏のところに戻った。
未夏は額にいっぱい汗をかいており、京四郎はその汗をタオルでふき取ってから、未夏の額に冷却シートを張った。
「冷たくて、心地いいです」
「無理に動かないでください。俺、着替えてきます」
京四郎はまたベッドから離れ、着替えてマスクをすると、体温計を手に取ってまた未夏のところに戻った。
「熱、測らせてください」
そう言って未夏の口に体温計を加えさせた。
しばらくして体温計が鳴り、京四郎は結果を見てやはりと思った。
「39度4分…インフルエンザの可能性が大きいですね」
「…職場で流行ってました。向こうではマスクしてましたけど、それでも感染するのですね…」
「一緒に住むようになってから、今まで風邪もひいたことがない未夏さんが、インフルエンザなんて信じられないです。相当疲れてたみたいですね」
そう言いながら、窓を開けて空気を入れ替えた。
冬の朝ということもあって、冷たい空気が入ってきたが、二人には心地よかった。
「何か食べますか? お粥ぐらいしか作れませんけど…」
京四郎の質問に、未夏はただ頷くだけだった。
しかし、未夏はどこか変に思ったのも事実だった。
数分後、京四郎は茶碗1.5杯分のお粥を作って、未夏のところに持ってきた。
「体、起こせますか?」
京四郎が聞き、未夏は体を起こそうとしたが、頭がフラフラで困難みたいだった。
「…う…無理、みたいです…」
これを聞いて京四郎は、自分の肩を貸すようにしてゆっくりと起こし、後ろに回って、未夏を自分にもたれさせた。
「…京、四郎、さん…近過ぎ、です。感染、してしまい、ます…」
未夏は少し荒い息をしながら言ったが、京四郎は離れなかった。
「俺のことは気にしないでください。お粥、食べさせますから」
そう言って、食べさせようとしたが、その前に気になって聞いた。
「吐き気とか、ないですか?」
「大丈夫、です…むしろ…お腹、空いて、ます…」
これを聞いてホッとした京四郎は、お粥をスプーンに少しすくい、少し冷ましてから未夏の口元に持って行った。
未夏は力の入らない体で、何とか食べた。
「無理しなくていいですから。ゆっくり食べればいいですから」
時間はかかったが、未夏は京四郎が作ったお粥の半分を食べた。
京四郎は未夏をゆっくりと寝かせ、どうしようかと考えているところに電話が鳴った。
「俺が出ます。もしもし」
『ん? もしかして、矢坂君かね?』
「その声は、課長ですか?」
『そうだ。久しぶりだね。元気してたかね?』
「おかげさまで、何とかやってます」
『それはよかった。木下君はいるかね?』
「未夏さんは、高熱で寝てます」
『そうか…木下君もか…』
京四郎は気になって聞くと、社員のほとんどが集団でインフルエンザになってしまい、今出勤してるのは社長と専務と課長だけらしい。
『しばらく、他の会社に頼んで休業することにしたから、仕事のことは気にせずに療養してくれと言っておいてくれ』
「わかりました。課長も気を付けて」
『私は先月、予防接種を受けたから心配しなくていいよ。それじゃぁ、夫婦で仲良くな』
(結婚の約束をしたとはいえ、まだ夫婦じゃねぇし…)
この後は少し雑談を交わして電話を切り、京四郎は未夏に会社の状況を説明した。
「そう、ですか…会社で、集団で、感染、してたのですね…」
未夏は呟き、京四郎はこの後どうしたらいいかわからずにいた。
「少しですけど食べましたし、何も考えずに寝るのがいいんじゃないですか?」
未夏は頷き、ゆっくりと眠った。
京四郎の勤め先は、老朽化で倒壊の危険を理由に建物を大改装するために、それが終わるまで休みになってしまった。
―――さて、本当にどうしたらいいか…。
こんなことを思いながら、開けていた窓を閉め、未夏が目を覚ました時のために、書置きを枕元に置いて、近くにある薬局に行った。
薬局で軽く買い物をした後、ふと思ってあるものを探した。
「確かこの辺に…あ、見つけた」
周りを見渡し、見つけたものに駆け寄った。
「えっと、これを入れて…あとは…」
独り言を言いながら、とった行動は…。
『はい、木下です』
「おはようございます。朝早くからすいません。矢坂ですけど」
『あら、京四郎君。珍しいわね、どうしたの?』
京四郎が探していたのは公衆電話。携帯電話を持ってないこともあり、テレホンカードを使って瑠璃に電話したのだった。
「実は未夏さんが、高熱で寝込んでまして…」
瑠璃は驚きながらも続きを聞いた。
医者に連れていきたいが、自分が16歳ということもあって車の免許を持ってないからできないこと。
それとできれば、未夏の着替えなどを手伝ってほしいことを言った。
『わかったわ。ある程度のことを済ませたら、そっちに行くから待ってて』
「お願いします」
このやり取りの後、京四郎は自分の無力さを痛感したという。
「全ては、俺が18になってからといっても…今からこれじゃぁ、先が思いやられるなぁ…いつか、実家に“あれ”を取りに行くかな…? まだ使えたらいいけど…」
こんな独り言を、頭を掻きながら言った。
こんなやり取りをして、京四郎は未夏の部屋に戻り、窓の外を見ながら薬局で買ったパンを食べた。
その数分後、瑠璃は車に乗ってマンションに来た。
瑠璃の車を窓から見た京四郎は、そっと部屋を出て、マンションの入り口まで瑠璃を迎えに行った。
「京四郎君、未夏は?」
「今朝、軽くお粥を食べて、そのあと寝ました。薬局で軽く買い物をした後は傍にいましたけど、特に変わりはなかったです」
部屋に向かいながら会話をしている。
扉をゆっくり開けて、二人でそっと中に入ると、未夏は少し苦しそうな寝息だった。
「苦しそうにしながらも寝てるのね。今は起こさないほうがいいわ」
瑠璃は言いながら、慣れた手つきで未夏の顔や首筋に吹き出ている汗を拭く。
「京四郎君、未夏の手を握ってあげて」
京四郎は何も言わずに未夏の手にそっと触れた。
―――以前、俺が高熱を出した時、未夏さんはずっと傍にいてくれた…。今度は俺が、未夏さんの傍にいる番だ。
「ねぇ、京四郎君」
「何ですか?」
「未夏との結婚、本当に考えてくれないかな?」
「え?」
「前に、反対する理由はないって言ったでしょ? 睦美ちゃんの子だからとか言うんじゃなくて、京四郎君を一人の男として見込んで言ってるの」
「瑠璃さん…」
京四郎はこのときに、結婚に関しては前向きに考えていること、そして2年以内に、高卒認定を取得して社会復帰したら、未夏の二十歳の誕生日に夫婦として籍を入れようと未夏に伝えたことを言い、先日になって高卒認定を取得したことを言った。
「今は社会復帰してて、あとは結婚資金をためるだけなのです」
「そうだったの…京四郎君も、口には出さないけど、未夏を愛してくれてるのね」
―――!…俺が、未夏さんを…?
「う…ん…え…お母、さん?」
少しして、未夏が目を覚ました。
「あら、未夏…目を覚ましたのね」
「どう、して…ここ、に?」
「俺が呼びました。医者に行きますか?」
京四郎が聞き、未夏は小さく頷いた。
この後、二人で未夏を車の後部座席に乗せ、その隣に京四郎が座り、瑠璃は運転席に座って車を病院に向けて発進させた。
診察の結果、インフルエンザだとわかり、未夏は点滴を受けて診断書と薬をもらい、マンションに帰って着替えさせ、薬を飲んで寝た。
※着替えているとき、京四郎は部屋から出ていた。
瑠璃は帰り、京四郎は用足しなどで少しの間だけ離れることはあっても、それ以外はずっと未夏のそばにいて、冷却シートの貼り換えや汗拭きなどをしていた。
数日後。
「う…うん…もう朝なのね…体、軽い…もう治ったのね…」
朝になって未夏は目を覚まし、体の調子を確かめ、熱を測ったら平熱だった。
「よかった…これでもう…って、あれ?」
ふと思い出し、周りを見たが、横に京四郎の姿がなかった。
「京四郎さん、どこに…って、え!?」
あちこち見てみると、ベッドに片腕があって、一瞬だが恐怖を感じた。
だが、まさかと思い、ベッドの下を見ると、腕だけをベッドに乗せた状態で床に寝ている京四郎の姿があった。
「…ありがとう…ずっとそばにいてくれて…」
未夏は言いながら京四郎を抱え上げ、ベッドに寝させた。
「本当に…すぐにでも、あなたのお嫁さんに、なりたい…」
そう言いながら、京四郎の頭を優しく撫でていた。
休日ということもあり、二人でゆっくりと過ごしていた。
平日になり、未夏はいつものように仕事に行った。
そして夕方の定時になって帰ったが、部屋のどこにも京四郎の姿がなかった。
「あ、あれ? どこに…? あら?」
あちこち見て、その時に視界に入った電話を見ると、留守電が入っていた。
『矢坂です、すいません。今度は俺が、インフルエンザにかかってしまいました。未夏さんへの感染を防ぐために、実家に避難します。治って落ち着いたら、必ず帰りますので、心配しないでください』
京四郎の声で、まるで喉から絞り出すような感じだった。
「…まさか、感染源は私…?」
独り言を言った後、夕飯を食べた。
「…私の部屋、こんなに広かったかな…?」
一人暮らしを始めたころの一人で住んでいた時期より、京四郎と一緒に住むようになった時期のほうが長かったこともあり、一人になってみると広く感じるみたいだ。
「…彼に、会いたい…でも…」
未夏はすぐにでも京四郎に会いに行きたかったが、京四郎の気遣いを考えると動けなかった。
・・・・・・。
京四郎は、睦美が用意した布団で横になっていた。
「お互いに想い合うのはいいけど、気を使いすぎじゃない?」
「未夏さん、仕事してる身だから…看病に疲れた状態で、仕事させるわけにいかないし…治って落ち着いたら、必ず帰るって留守電に入れたから…」
少し荒い息をしながら、絞り出すような声で言った。
「あんたはそれでいいかもしれないけど、未夏ちゃんはきっと寂しがってると思うよ?」
睦美は京四郎の汗を拭きながら言った。
「それはわかってる。でも、ずっと俺のことで負担をかけてて、これ以上かけたくなかったんだ。気の遣い方を間違ってるかもしれないけど、他に思い浮かばなかったんだ」
「彼女の看病をつきっきりでやった結果か…こうなることを覚悟でやったことだろうから、そのことに文句を言うつもりはない。だが、なぜ私や睦美を頼らなかったんだ?」
仕事から帰ってきた憲治が少し怒りながら聞いた。
半月ほど前に退院し、リハビリもかねてできる範囲で仕事をしている。
「…これから先、頼ってばかりだと、頼る相手がいないときに何もできなくなると思ったんだ…」
「その考えは立派だが、頼れるうちは頼っておけ。考えてることは大人でも、まだ17歳だぞ」
憲治は京四郎に詰め寄ろうとしたが、睦美が止めて離れさせた。
「これ以上はだめよ。ゆっくり寝かせてあげましょう」
そう言って、二人で京四郎が寝てる部屋から出て行った。
「父親の私より、大人になるとは…」
「知らない間に、あんなに逞しくなって…私もびっくりしたわ」
リビングでお茶を飲みながら話していた。
「そういえば、京四郎の彼女のことを、私は何も知らないな?」
「私の友達、木下瑠璃ちゃんの娘で未夏ちゃんっていうの。中学の時に瑠璃ちゃんが離婚して片親になってしまったけどね」
「そうか…私も離婚歴があるから、相手の家庭のことを言うつもりはない。京四郎が元気になったら、一度会ってみようか…彼女の母親にもな」
憲治の発言に、睦美は顔に出さなかったが、驚くしかなかった。以前なら、絶対にこんなことを言わなかったからだ。むしろ、大反対してただろう。
こんな会話をしていたことを、京四郎は知らなかった。
たまにだが、未夏は我慢できずに京四郎の実家に行った。
感染を防ぐために会うことはできなかったが、睦美と軽く話をした。
少し会話をしてすぐに帰るだけだったが、それでも未夏は安心した。
「京四郎が元気になったら、瑠璃ちゃんと一緒に、夫に挨拶してくれない?」
「京四郎さんの、お父さんに、ですか…」
未夏はしばらく考え、
「…わかりました。お母さんにも話しておきます」
と、真剣な顔で答えた。
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