第7話 「黙認されてきた事実」

「和葉姉ぇ、夏海姉ぇ、逸子は、親父の実の子で、兄貴と俺は母さんの連れ子なんだろ?」

 京四郎が今までにない真剣な顔をして聞くと、憲治は驚き、動揺した。

「な、な、何のことだ!?」

「50ccバイクの免許を取るために、必要なものをそろえたときに知ったんだ」

「必要なもの?」

 京四郎の遠回しな言い方に、憲治は気になった。

「戸籍だ。それにはっきりと書いてあったぜ。兄貴と俺は“養子”だってな。それに母さんに聞いて確認もした」

 京四郎は何気なく戸籍を見たとき、龍司と自分の名前が養子のところに書いてあったのを見て驚きを隠せなかった。

 幸いにも、このときは未夏には気付かれなかった。

「ついに知ったのか…」

 憲治は逃げ場をなくしてガックリとなった。

「正直に答えてくれ。兄貴と俺の本当の父親は誰なんだ?」

「…私の弟だ。逸子が生まれてしばらくした頃、事故で死んだと睦美から聞いた」

 憲治はもう隠す気にならず、過去のことを話した。


 憲治の弟、つまり龍司と京四郎の実の父親である謙三けんぞうは、今は亡き父方の祖父、健一けんいちが運営していた会社の支社を継ぐはずだった。

 ところが、謙三は健一の言うことを少しも聞かずに跡を継ぐのを嫌がり、それだけならまだしも、ある日の朝に置手紙を残して姿を消した。

 当然ながら健一は激怒し、謙三を勘当して憲治だけに跡を継がせたのだった。

 このとき、憲治と当時の妻との間に逸子が生まれたばかりだった。

 それから2か月ほどして健一は他界し、その数日後に妻が死別して間もない憲治のところに、睦美が二人の子供を連れてきた。それが龍司と京四郎である。

 睦美は龍司と京四郎は謙三との間にできた子だと言い、謙三は半年ぐらい前に事故でこの世を去ったことを話した。

 憲治は驚いたがすぐに落ち着き、睦美とこれからどうしようかを話した。

 その結果が、二人の再婚。和葉、夏海、逸子はもちろん、龍司と京四郎も自分たちの子として育てることにしたのだった。


「兄貴と俺の実の親父は…俺が小さい頃に死んだ…」

 京四郎は放心状態になってしまった。

「龍司もそうだが、お前からもどことなく、謙三の若い頃の面影を感じる。私に反抗するところは、私の父に背いたときの謙三にそっくりだ」

「実の親父がどんな人だったかは今は聞かない。おそらくあれこれうるさく言われて、嫌気が差して家を出たんじゃないのか?」

「その通りだ。あいつのために父がよかれと思ってやったことが、逆の結果を招いてしまった…また同じようになるとは…」

 憲治はもう京四郎に高校へ行けという気力はないみたいだった。

「私はもう、お前に無理してでも高校へ行けとは言うまい。だが、道を踏み外しそうになったときは、私がそれを防ぐ。それでいいな?」

「俺から言うことは何もない。おせっかいなことさえしなければいいだけさ」

 そう言って京四郎は部屋から出て行こうとしたが、出入り口で振り向いた。

「この部屋の親父が寝てるそのベッド、逸子が寝てたところでもあるんだ。あいつは俺や母さんが部屋に入って声をかけるまで、寂しそうに夕陽に赤く染まる景色を見てたんだ」

「そうか…」

「親父にとっては、どうでもいいことだろうけどな」

 それだけ言って京四郎は部屋から出て行った。


「今の私には、どうでもよくない。この状態になって、あいつの辛さを知ることになるとは…逸子…お前には人としても父親としても、何もしてやれず、しようともしなかったな…本当にすまない」

 憲治は独り言を呟いて一息つき、続きを言った。

「京四郎…実の父親じゃないと知りながら、お前は私を“親父”と呼んだ…それがどんなに嬉しいことか…だが、それがわかるときが来ないことを、私は願おう…」

 このときの憲治の表情は穏やかだった。

 ちなみに周りのベッドは空いていて、患者は誰もいない。


 京四郎は外で待っている未夏の車の助手席に乗った。

「どうでした?」

「もう俺に無理してでも高校へ行けとは言わないかな? でも、油断はできないと思います」

 京四郎は憲治が観念したのだろうと思いながらも、別の理由で警戒心を解かなかった。

 未夏は京四郎が何かを考えていると察しながらも、何も聞かずに車を発進させた。

(そのうちにやってくるだろう…俺だけでなく、未夏さんも苦しめる何かがきっと…)


 夜。二人は一つのベッドに横になって天井を見ていた。

「京四郎さん、起きてますか?」

「ん?起きてますけど?」

 未夏は横を向かずに聞き、京四郎も横を向かずに返事した。

「実の父親だと思ってた人が実は違うと知ったとき、どんな気分でした?」

「驚きましたけど、同時に納得できる部分もありました」

「納得できる部分?」

「親父が姉貴たちのとき以上に、兄貴や俺にやたらとあれこれ押し付けてきたことです。そのくせ、体が弱かったこともあってか、逸子のことはほったらかしでしたし」

 これが原因で、京四郎は1日のほとんどを逸子と一緒にいた。

 逸子は父親に、仕事を口実に構ってもらえなくて寂しい思いをしていて、その代わりに京四郎がいつも側にいてくれたことを嬉しく思っていた。

 だからこそ、逸子は京四郎に好意を持つようになったのだろう。

「でも、逸子がいなくなって…俺はどうしたらいいのかわからなかった」

 こんな気持ちを抱えながら就職し、1年後に未夏と出会った。

「二人で初めて昼飯を食べた日の夜、研修が終わっても何も出来ずにいた原因を知った後、知ったからには俺がどうにかするしかないと思いました。だから、知ってる範囲でいろんなことを教えたのです」

「担当した人とは違って、丁寧で助かりました」

 未夏は言いながら、京四郎の手に自分の手を指と指を交互にして重ねた。

「こっちもです。未夏さんの飲み込みが早かったので助かりました」

 この後、二人は何も言わず、いつの間にか眠っていった。


 翌朝、午前5時ごろだったが、京四郎は眠りから覚めていた。

 同時に、手に何か暖かいものを感じ、昨夜、未夏と手を繋いだままだったことを思い出した。

 ふと横を見ると、未夏が穏やかな表情で寝ていた。

(穏やかな寝顔だな。また見られなくなることがなければいいけど…)

 こんなことを考えてまた目を閉じて一息ついた。


 いつの間にか1週間が過ぎ、二人で過ごした休みは終わった。


 ある日の金曜日。京四郎はいつものように通信講座のテキストを開いて問題を埋めていった。

 だが、ふと思い出してしまう。

「もうじき秋か…もう終わったことなのにどうして…」

 ふと呟いた独り言。どうやら京四郎はまだ過去を引きずっているみたいだ。

「今の道を進んだことに後悔なんてしてない。むしろこれでよかったって思ってるのに…」

 一息つき、気を取り直して問題を埋め始めた。

(未だにあのときのことが、頭から離れない…)

 駄目とわかっていても、つい考えてしまう過去のこと。

 色々考えながらも手は止めなかった。

(これは俺自身の問題。未夏さんは一緒に乗り越えようって言ってくれたけど、これだけは俺が一人で解決するしかない)


 そんなこんなでいつの間にか夕方になり、未夏が仕事から帰ってきた。

「ただいま」

「おかえりです…ん?」

 京四郎は未夏の後ろに誰かがいることに気づいた。

「こんにちは。お邪魔するわね…!」

 未夏の後に入ってきた女性は京四郎を見て驚いたみたいだ。

「え!?」

 京四郎も女性を見て驚いた。

「あら?二人とも知り合い?」

 未夏は二人の反応が気になって聞いた。

「知らないわよ!こんな“裏切り者”のことなんて!」

「十分知ってるだろうが!その裏切り者って何のことだ!?」

 女性は怒りを込めたような表情で言ったが、女性の言葉に京四郎は怒りを隠せずに反論した。

「自分の胸のうちに聞いてみれば、すぐわかることよ!」

「勝手に裏切り者呼ばわりしてるだけだろ! あんたのやってることは逆恨みだろうが!」

 久しぶりに見た京四郎の怒りの形相に、未夏は驚きを隠せなかった。

 しばらく二人は口喧嘩をしていたが、やがて女性は言い返す言葉がなくなり、苦虫を噛み潰した表情で京四郎に背を向けた。

「ごめん未夏。私、急用ができたから帰るね!」

「え?ち、ちょっと!」

 未夏が慌てて引きとめようとするが、女性はいつの間にか出て行ってた。

「一体、何が…?」

「くそ…本当に裏切り者って何のことだ…しかもまだ根に持ってたとは…」

 京四郎の呟きは未夏にはっきりと聞こえた。

「裏切り者って…」

 独り言のように言い、京四郎に歩み寄って両肩を強めに掴んで追求した。

「京四郎さん、どういうことですか!?」

 未夏の表情は少し怒りが込められていた。

「もう終わったはずでした。でも向こうは未だに根に持ってるなんて…」

 京四郎を裏切り者と言って出て行った女性は、結城ゆうき 晴香はるか。千香の姉である。

「俺は本当に、裏切り者って何のことかわからないのです。思い当たる節があるとすれば、中学のとき、晴香さんからある誘いがあって、それを断っただけです」

「ある誘い?」

 京四郎は腰を下ろして、晴香との間にあった出来事を語りだした。

「あれは中学3年の、夏休みが終わって数日後のことでした…」


 ある日の放課後。京四郎は一人で家に向かって歩いていた。

「あ、京ちゃん!」

 明るい声で京四郎を後ろから呼んで駆け寄ったのは晴香だった。

 学校帰りということもあって、通っている高校の制服姿だった。

「ふぅ、やっと追いついた。んもう、足速いんだからぁ」

「そっちがトロいだけさ」

 千香たちの一件のこともあってか、京四郎は晴香の顔を見ずに突き放すような口調で言った。

「相変わらずぶっきらぼうなんだから…いつまでもそんな状態だと、誰も好きになってくれないよ?」

「好きになってくれなんて、誰にも一度も言ってない。じゃ、これで」

 京四郎はこれだけ言ってその場を去ろうとした。

 だが、晴香が京四郎の腕を掴んで止めた。

「待って。話があるの」

「千香のこと?」

「それもあるけど、別のことでもね。公園に来て」

 晴香は京四郎の腕を掴んだまま近くにある公園に連れて行き、空いてるベンチを見つけてそこに座った。

「千香がお母さんに話してるのを聞いて知ったわ。デートに誘ったけど断られたって。それ以来避けられてることも」

 晴香と千香は仲が良くないらしく、お互いに目を合わせれば言い争いになり、それ以外のときはほとんど口を聞かないそうだ。

 京四郎は俯いたまま、避けてるのは千香だけではないことを話した。

「そうだったんだ」

「話はそれだけ?」

 京四郎は1秒でも早く、晴香の前から姿を消したかったみたいだ。

「これだけなら歩きながらやってるわ。もう一つはね、高校のことなんだけど」

「高校?」

 聞きながら顔を上げて晴香を見た。

「やっと私の顔見てくれた。で、高校なんだけど、私が通ってるところにこない?」

「え?」

「いいじゃない。知ってる人が一人でもいれば安心でしょ?それに、あのアホな黒い羊のことなんて放っておけばいいのよ」

 黒い羊…海外では厄介者という意味を持つらしい。

 登喜夫の評判はよくないらしく、誰が最初に言ったかわからないが、それ以来黒い羊と呼ばれている。

 晴香は卒業のときに、登喜夫に渡す寄せ書きに思いっきり嫌味なことを書いたらしい。

 晴香だけでなく、他の何人かの生徒もこれ以上ないぐらいの嫌味を書いたとか…。

「あのくそな元担任のことは別に気にしてない。それに自業自得な形で地に落ちたからな」

「本当にすごいことをやってくれたわね。噂はすぐ流れてきたわ」

 晴香はかつて、京四郎が登喜夫に嫌がらせをさせられ、それを呆気なく跳ね除けた上に、返り討ちにするところを見たことがあった。

「あれは凄かったなぁ。みんな苦戦しながら何とか対抗してたのに、京ちゃんはあっさりと打ち負かしてしまうんだから」


 夏休みに入る半月ほど前、みんなどこの高校に行こうかとわいわい騒いでいた。

 そんな中で、京四郎は何も言わずに自分の席でいろんな高校のパンフレットを見ていた。

 だが、急にそのパンフレットを全部取り上げられて見上げると、そこにいたのは担任の登喜夫だった。

「お前には意味のないものだ。それでも返して欲しければ土下座して頼むんだな」

「欲しいなら持ってけば?」

 登喜夫は不適に笑いながら言ったが京四郎は無表情で一言言って席を立ってどこかに行った。

「くっ…まぁいい。あいつを跪かせる手はまだいくらでもある」

 登喜夫は娘を傷つけられたことで京四郎を憎んでおり、何としてでも自分に泣きつかせると同時に、娘に詫びさせようとしていたが、京四郎は全く乗らなかった。

 登喜夫はその度に地団太を踏み、悔しい思いをしていた。

 しかもその数日後に、登喜夫は京四郎が仕掛けた罠に引っかかり、犯罪者となって学校にいられなくなり、近所からも冷たい目で見られるようになった。


「ふとしたことで悪事を知って、それで罠を仕掛けたら、なりゆきでそうなってしまったから俺も驚いた。でも、これで生徒のほとんどは救われた」

「なるほどね。話戻すけど、高校、私が通ってるところに来ない?」

「俺は遠慮しておく」

「どうして?」

「…進学する気、ないから…」

 これを聞いて晴香は驚く。

「2年ほど前から、学校そのものが嫌になって…しかも高校生の自分が想像できないし」

 晴香は唖然としていた。

「こんな気持ちで進学しても、一度も通学することなく中退になると思うから。じゃ、これで」

 唖然としたままの晴香をよそに、京四郎は立ち上がってその場を去った。


 こんなことがあってから数日後、晴香は偶然京四郎に会い、そのときに晴香が京四郎に言った言葉が「裏切り者」の一言だった。


「こんなことがあってから、さっきまで晴香さんに会うことはありませんでした。俺にはどうでもいいことのはずなのに、未だにあのときの言葉が頭に残ってます」

 ここまで聞いて、未夏はまさかと思った。

「すぐに気付くべきだった…未夏さんから、千香が友達の妹だって聞いたとき、その友達というのは晴香さんだってことに…」

 京四郎は俯いたまま、顔を上げることができなかった。

 あれから2年過ぎても、あの当時のことをこの時期になると思い出す。

 去年は仕事をしてたこともあって、体を動かしているうちに吹っ飛んだみたいだ。

「だけどわからないのは、あの誘いを断っただけで、なぜ裏切り者呼ばわりされなければいけないのかってことです。そのことで本人に聞いても、さっきみたいにはぐらかして何も言わないし…」

「晴香…もしかして…」

「もしかして、何ですか?」

 未夏の呟きに京四郎は顔を上げて聞いた。

「京四郎さんのこと、好きだったんじゃないでしょうか…?」

「晴香さんが、俺を…?」

「そうです。でも晴香が、京四郎さんを自分が通ってる高校に誘って、それを京四郎さんが断ったことで、自分の気持ちを裏切られたと思って、裏切り者と言ってるんじゃないでしょうか?」

 これを聞いて京四郎は納得したみたいだ。

「未夏さんの言うとおりかも…」

 京四郎はあのとき、嘘一つ言わずに断ったのだが、晴香にとっては納得できなかったのだろう。

 この後、二人の間には気まずい空気が漂った…。


 こんなことがあった2日後の夕方、未夏は職場の近くにある公衆電話から自分の部屋に電話した。

 内容は、しばらく帰れないから、部屋のことを頼むとのことだった。

 そしてこの日の夜、未夏は帰ってこなかった…。


 それだけならまだしも、翌朝になっても帰ってくるどころか、連絡一つなかった。


 京四郎は未夏がどうしているのか心配でならなかった。

 それでも通信講座はなんとかやっていた。

「未夏さんには、あの一件で嫌われたか…それも、顔も見たくないぐらいに…」


 昼になり、料理ができないこともあって近くにあるコンビニに行き、入り口に向かおうとしたときだった。

「よく堂々としてられるわね?」

 京四郎の横から一人の女性が声をかけた。

「何のことだ?」

 京四郎は足を止めて振り向きながら聞いた。

「とぼけないで!あの時、私を裏切っておきながら、平然と未夏の彼氏でいることよ!」

「勝手にそう思ってるだけだろ。俺はあの時、本当に進学する気がなかったからそう言っただけだ。だからあんたの言ってることは、ただの逆恨みだ」

 晴香は少し睨みを効かせた表情で京四郎を見ていた。

 それに対して京四郎は少しの恐怖も感じないと思わせるような無表情だった。

「ふん。で、今は未夏にべったりってわけか。いい気分でしょうね」

「未夏さんにヤキモチか?友達に嫉妬するなんてみっともないぞ」

 これを聞いて、晴香は平手で京四郎を殴ろうとして手を振り回したが、その直前に京四郎が後ろに飛んで間を空けた。

「くっ…」

「今後も俺を裏切り者呼ばわりしたければ、勝手にやればいい。だけど、未夏さんを関係ないことに巻き込むな!」

「元はと言えば、あんたが私の誘いを断るからよ!進学して一緒の高校に来てくれれば、今頃は私の彼氏になってくれたはずなのに!」

 晴香は言いながら京四郎に歩み寄り、怒りを込めた表情で京四郎の胸倉を掴んだ。

「あの誘いを受け入れて、一緒の高校に行ったとしても、俺の彼女として横に立ってたのは、あんたじゃない!」

 京四郎は言い返しながら鋭い表情で晴香を見た。

 これを聞いて晴香は、京四郎を強く押すようにして胸倉を掴んでいた手を離した。

 京四郎はよろけて地面に倒れたが、何ともないと思わせるようにすぐに立ち上がった。

「どうしてそこまで私を嫌うの!?どうして幼馴染で何年も一緒だった私じゃなく、今年知り合ったばかりの未夏なのよ!?」

「よく言うぜ。先にあんたのほうから俺を裏切っておきながら!」

「私があんたを裏切った?とんだ濡れ衣ね」

 これを聞いた京四郎は本気で怒り、その怒りに任せて握り拳で晴香の頬を思いっきり殴り、その衝撃で晴香は吹っ飛ぶようにして地面に倒れた。

「ったー…いきなり何するのよ!?しかも女を相手にグーで殴るなんて!」

「6年前のあの時から、また会ったらやってやろうと思ってたことをやっただけだ」

 晴香が頬をさすりながら立ち上がって京四郎を睨みつけながら言うと、京四郎は一歩も動かずに言った。

「何のことよ!?」

「身に覚えがないとは言わせないぜ。6年前、俺のことで噓を言いふらして孤立させたくせに、今になって何が彼氏だ!?」


 6年前。晴香は京四郎に優しかったが、裏では京四郎のことをあることないこと悪く言っていた。

 しかも、その内容があまりにも生々しく、それが原因でみんなは信じてしまい、それまで言い寄っていた女子生徒たちも京四郎を避けるようになった。

 京四郎はその原因が晴香だと知って怒りが炸裂し、すぐにでも殴り倒してやろうと思ったが、その当時元気だった逸子が全てを知り、京四郎を説得したことで、炸裂していた怒りは消えた。

(あとで逸子が晴香に会いに行き、思いっきり引っ叩いたらしい)

 だが、再会して裏切り者呼ばわりされ、消えたはずの怒りが蘇り、ついにはさっきのような展開になってしまったのである。


「くっ…でも、まだチャンスはあるわ。未夏からあんたを奪ってやるから」

「その第一歩に、俺から未夏さんを引き離したのか…汚い真似を…」

 晴香は殴られて痛む頬をさすりながら立ち上がって京四郎を鋭い視線で睨み、京四郎も対抗するかのように睨み返した。

「何とでも言えばいいわ!今夜、二人の部屋に行って宣戦布告してやるから!」

「未夏さんしかいないときでもいいだろ!?そっちに居るんだったらな!」

「何のこと?」

「とぼけるな! 未夏さん、昨日から帰ってきてないんだ! つまりそっちに居るんだろ!?」

 これを聞いて晴香は驚いた。

「え!? それ、何のこと!? 未夏が昨日から帰ってないって…私、本当に何も知らないわよ!?」

 今度は京四郎が驚いた。それと同時に、晴香の言ってることが嘘ではない事を悟った。

「それじゃぁ、一体どこに…」

「まさか、黒い羊のバカ息子に付き纏われて…」

「それはこの前解決した。しかも彼氏が俺だって知ったら、なぜかあっさり引き下がったから」

 晴香はまた驚き、それと同時に納得した。

「そっか…あのバカ息子にとって京ちゃんは、“最強最悪の天敵”だったわね」

 これを聞いて、京四郎は顔をしかめた。

「何のことだ?」

「自分で気付いてないの?あの黒い羊を何度も呆気なく打ち負かして地団太踏ませた上に、学校から追放したことで、バカ息子にとって京ちゃんは、最強最悪の天敵になってるのよ?」

 これでようやく、京四郎は鴇冶があっさり引き下がった理由がわかった気がした。

「最強最悪の天敵って言えば…未夏にはもう一人いたわ」

 晴香がふと思い出したかのように言い、京四郎は気になって聞いた。

「それって…?」

「未夏の元父親よ。毎年この時期になると、夏季休暇の間だけだけど、未夏に再婚相手の姉の子供の相手をさせるためにやってくるの」

「まさか、未夏さんは元父親から逃れるために…」

「そうだったわね。未夏は毎年、この時期に家に帰らず、私や他の友達の家に身を隠してたわ」

「俺にもしばらく帰れないとしか言わなかったのは、ふとしたことで居場所を知られないようにするために…」

 去年は晴香の所に隠れていたことをこのときに聞いた。


 この後、少し話して二人は別れ、京四郎は買い物を済ませてマンションに戻った。

 そして、マンションについてエレベーターで未夏の部屋がある階についたとき、未夏の部屋の出入り口に、一人の男がいることに気づいた。

(まさか、あの男が…)

 京四郎は男に気づかれる前にとっさに身を隠した。

「おい未夏!ここにいるのはわかってるんだ。諦めて出て来い!」

 男は未夏の部屋の出入り口を乱暴に叩きながら言うが、当然ながら中から返事はない。

 しばらくして男は苦虫を潰したような表情でその場を去った。

「チッ…夏季休暇の間だけ、反抗期で手が付けられない双子の姪の面倒をみてもらおうと思ったのによぉ」

 去り際の呟きを、京四郎は聞き逃さなかった。

「自分の休みの間だけ、面倒ごとを未夏さんに押し付けようっていう魂胆か。未夏さんはこれを知ってたのか」

 男の姿が完全に見えなくなったときに、京四郎は呟いて未夏の部屋に入った。

「もしかしたら…」

 京四郎はふと思って、未夏の実家に電話するために番号を書いたメモがないか探してみたが、どこにもなかった。

(実家の番号なら、メモする必要ないか…)

 一瞬、あららと思ったが、ふと思い出して、違う番号にかけた。それは…。

「はい、矢坂です」

 そう、京四郎の実家だったのだ。

「母さん?京だけど」

 京四郎は自宅に電話するとき、自分の名前の頭文字だけを言うことにしてる。

「あら、京四郎。どうしたの?」

「実は…」

 京四郎はこのときに、未夏が元父親から逃げるために昨日から帰ってないことと、未夏の元父親と思われる男が部屋の前にいたことを実家に知らせたほうがいいかもしれないと思い、未夏の母親の瑠璃に知らせたいから番号を教えてほしいことを言った。

「そう…またやってきたのね」

「また? 母さんも知ってるの?」

 京四郎が聞くと、睦美は知っている範囲で色々話した。

 未夏の元父親、鹿島かしま 英輔えいすけは離婚してすぐに再婚した。

 それから2年ほど過ぎた今も子供はいないが、その代わりに再婚相手の姉(旦那は海外出張で家にいない)とその双子の娘と同居しているらしい。

 しかし、再婚して1か月ほどした頃から、その子供が2人とも急に反発するようになって言うことを聞かないため、面倒になったこともあって、未夏にまかせて楽をしようと思っているらしい。

 毎年この時期なのは、子供たちが小学生ということで、1か月半の夏休みということもあり、1日中家にいるからだそうだ。

 ここまで聞いて京四郎は「自分の親戚のことぐらい、自分でどうにかしろ」と思わずにいられなかった。

 睦美は京四郎に、このことを自分から瑠璃に伝えると言って、電話を切った。


「未夏さんも、重いものを背負ってたのか…」

 だからこそ、未夏は京四郎の忌まわしい過去を知っても、離れなかったのだろう。

「湯田先輩のときのように、元父親からも守らないといけないな」


 その頃、睦美は…。

「あ、瑠璃ちゃん?さっき、京四郎から聞いたんだけど…」

 睦美は瑠璃に電話して、英輔が未夏の下宿先に現れたことを話した。

 これを聞いて瑠璃は、未夏を英輔に渡すわけにいかないと今まで以上に強く思うようになった。

「未夏のことは心配要らないわ。京四郎君には、私から伝えておくから」

 睦美は承諾して電話を切り、瑠璃は京四郎に未夏のことは心配しなくていいと伝えた。

 この時、京四郎は瑠璃に家の番号を聞いてメモした。


「今のままでは、いつかまたやってくる。だからこそ、湯田先輩の時のように会って決着をつけるべきだ」

 京四郎は誰もいない部屋で呟いた。

「未夏さんのことは…俺がなんとしてでも守る!」

 この時の京四郎は、人一倍強い意志を持っていた。

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