第6話 「偶然の再会」
「約束どおりに来てくれたんだね」
「来たけど、返事は前と同じよ。真剣に付き合ってる人がいるから断るわ」
未夏に再び交際を申し込んだ男、
が、未夏は声を聞いても海を眺めたまま、振り向かずに返事をした。
「そんな事言うなよ。前に言ったじゃないか、その彼氏と一緒に僕とも付き合えばいいってさぁ」
「それができないから断るって言ってるの。私は湯田さんのように、複数の人と付き合うことはできないから。それに私は、湯田さんのことは全く眼中にないわ」
未夏は鴇冶の顔を見ようとせずに強めの口調で言った。
ちなみに小雨だった雨は止んで、雲間から差す陽の光が海を赤く染めている。
この時、京四郎はそろそろ行くときだと思い、車から降りてキーロックを確認して歩き出した。
「厄介な相手に捕まったな…よりによってあの人とは…」
「木下が付き合ってる彼氏だけど、噂では年下だって聞いたけど、本当か?」
「本当のことよ。2つ年下だけど、考えてることはすごく大人びてる。それに彼は、私のことだけを見てくれる」
未夏は少し強めの口調だったが、その本心はすごく怯えていた。
―――京四郎さん…早く来て…。
「高校のとき、恋愛対象は同い年か年上だって言ってたじゃないか。まさか年下も対象になったのか?」
「私が年上とか、彼が年下とか、そんな事は私と彼との間には関係ないわ。必要なのは、お互いに想い合う気持ちよ」
未夏は強気を保ちながら話し、鴇冶が何かを言おうとしたときだった。
「その通りです。自分より年上とか年下とか関係なく、お互いに本気で想い合えたら、それでいいんじゃないですか?」
一人の男が、二人の後ろから突っ込むように言った。
「誰か知らないけど、余計な口出ししないで…!」
鴇冶が振り向きながら続きを言おうとして、顔を見たときに驚いた。
「き、京四郎!?」
「久しぶりですね、湯田先輩」
鴇冶と京四郎の会話を聞いて、未夏は驚いた。
「二人とも、知り合い!?」
「湯田先輩とは中学が同じでしたから。まさか未夏さんに告白した人が湯田先輩だったなんて、予想外でしたけどね」
「どうしてお前がここに!? …まさか…木下の彼氏は、京四郎か!?」
「そうよ。私と京四郎さんの間に、湯田さんの踏み込む余地はないわ」
―――やっときてくれた。
未夏は京四郎が来たことで凄く安心していた。
「なんてことだ…よりによって、口喧嘩では誰も勝てないと言われた親父に何度も地団太踏ませて、その挙句に叩き落したあの京四郎が、木下の彼氏とは…」
鴇冶の父親、
鴇冶の妹である
「プレイボーイなところは、高校を出ても直ってなかったのですか…妹もプレイガールだし…」
京四郎は2人のことを思い出して苦笑いした。
時乃はかつて、様々な男子生徒に近づいて気を引き、告白させては振るを繰り返していた。
そんなある日、時乃のターゲットが京四郎になった。
しかし、京四郎は誠一たちの一件で恋愛拒絶状態だったこともあり、素っ気ない態度で突っぱねていたのだが、時乃はかなりしぶとく、何としてでも告白させようと動いていた。
結局、京四郎が「これ以上俺に付きまとうな。目障りだ」と言って関係を断ち切ったのだが、その後から父親であり、担任でもあった登喜男と対立するようになった。
登喜男は京四郎の受験妨害をしてやろうといろいろ企んだが、京四郎が誰にも何の相談もせずに就職先を決めたことで、地団太踏むしかなかったのだ。
進路相談で京四郎が伝えたことは、「進路は自分で決めたから、相談することは何もない」…。
しかも、偶然にも登喜男が悪事を働いていることを京四郎が知り、ある細工をして泳がせて自爆させたことで、登喜男は教師としての資格をはく奪され、人としても地に落ちてしまったのだった。
鴇冶はため息をついて観念したみたいだった。
たとえ登喜男のことがなくても、京四郎と口論して勝てる相手がいないことを知っているからだろう。
小学校5年ぐらいのころから、憲治の会社で18~60歳の従業員と接していたことが影響してか、年齢不相応に大人びた考えを持つようになったのだった。
結局、鴇冶は諦めてトボトボとその場を去ったが、京四郎はどうにも引っかかってならなかった。
――― 一度くっついたら、なかなか離れないことで知られてるあの湯田先輩が、こんなにあっさり手を引くなんて…。
鴇冶があっさり身を引いた理由が、自分にあるとは全く気づかない京四郎だった。
しばらくは二人で、何の会話もなく、夕日で赤く染まる海を見ていたが、ふと未夏が、京四郎の手にそっと触れ、自分の手を指と指を交互にして繋いだ。
「おかげで、助かりました」
「知ってる人だったからよかったです。正直な話、ここに来る前に守ると言ったものの、本当に守りきれるか不安でした」
京四郎が言い終えると、未夏は繋いでいた手を離し、京四郎に後ろから覆いかぶさるようにしてそっと包み込んだ。
「でも、本当に私を守ってくれた…あなたが彼氏で、本当に良かったです」
―――彼こそ、私の理想の「男の中の男」。そして今、私の心は決まった。
「…未夏さん…暖かい…この暖かさに、俺はどれだけ癒されたか…」
京四郎は呟きながら、自分の首の周りに回されている未夏の腕に、そっと触れた。
一方、その頃…。
海岸に沿っている道を、二人の中年の女性が歩いていた。
「へぇ、そんなことがあったんだ」
「そうなのよ。んもう、しっかりしてるかと思ったら、意外なところでオチを付けたりしてね」
二人でクスクス笑いながら歩いたいたとき、片方の女性にとっては見慣れた車が止まっていた。
「あら、この車は…ん?」
「どうしたの?」
車を見た後、ふと浜辺を見たとき、二人から見て一人で立っている女性がいた。
京四郎は未夏に後ろから抱かれたまま、二人とも何も言わずにいると、後ろから声がかけられた。
「やっぱり、未夏なのね?」
女性に声をかけられて、未夏は顔だけ振り向く。すると、先ほど道を歩いていた中年の女性二人がいた。
「お母さん…どうしてここに?」
「友達と散歩がてらにこの辺を歩いてたの。そしたら駐車場に見慣れた車があったし、浜辺を見たら未夏がいたからね」
未夏の母親、
「そうなの。で、お母さんの横にいる人は?」
「私の中学のときからの友達よ。ほら、以前に話したことがあったでしょ? それより、一人で何してるの?」
「え? 一人じゃないわよ? 以前に話した、年下の彼氏がここにいるわ。ほら、お母さんに挨拶してあげてください」
そう言って未夏が動くと、瑠璃の横にいた女性は驚いた。
「は、初めまし、て!?」
京四郎が振り向いて瑠璃に挨拶しようとしたが、瑠璃の横にいた女性を見て驚いた。
「き、京四郎!?」
「か、母さん!?」
そう、瑠璃の横にいたのは、京四郎の母親である睦美だったのだ。
二人の対応に未夏と瑠璃は驚いた。
「ま、まさか、未夏が前に話してた年下の彼氏って、睦美ちゃんの子なの!?」
「知らなかった。京四郎に彼女がいることもだけど、その彼女が瑠璃ちゃんの子だなんて…」
瑠璃は驚き、睦美は唖然としていた。
「こっちも知らなかった。母さんと、未夏さんのお母さんが友達同士だったなんて…」
―――そうか…祖母ちゃんを紹介してくれたときに話してた、未夏さんの母親の友人ってのは、母さんのことだったのか!
この後、瑠璃と睦美は未夏と京四郎に今までのことを根掘り葉掘り聞いた。
いつ頃出会って、きっかけは何だったのか…。どちらから告白したかなど…。
(母親ってのは、どうしてこんなに追求するのやら…)
京四郎は苦笑いを浮かべながらも、聞かれたことに正直に答えた。
いろいろ話した後、睦美はふと気になって京四郎に聞いた。
「そういえば、京四郎はこれからどうするの?もう高校に行くしかないんじゃない?」
「何もしてないことはない。未夏さんの勧めもあって、高卒認定の通信教育を受けてる」
「彼氏を作ったところを見ると、未夏はもう、湯田君のことは気になってないみたいね?」
京四郎が説明し、未夏が顔を少し赤くすると、瑠璃は独り言のように言った。
「先日、仕事の帰りに偶然再会したみたいですけど、さっき解決しました」
これを聞いて、瑠璃は少し驚く。だが…。
「そうなの…。その湯田君のことがあってから、男性不信になってたのに…」
「男性不信?出会ったばかりのころから、未夏さんにはそんな感じはしませんでしたけど?」
「同じような状況にあった友達といろいろ話し合って、「あんな男ばかりじゃない」って自分なりに悟ったの。そんなときに京四郎さんに出会って、今は…」
未夏の真っ直ぐな表情を見て、瑠璃は安心したみたいだった。
「そういえば、親父はどうしてる?いつだったか、自動車教習所で言い争ってから、姿を見ないんだけど」
京四郎がふと気になって睦美に聞いた。
「自動車教習所?あんた免許でも取るの?」
「取るというよりは、もう取ったんだ。50ccバイクの免許をね。で、親父は?」
「先日、龍司に会いに行った後、帰りに事故にあってね。幸い命に別状はないし、後遺症もないみたいだけど、全身を固定するほどの重傷だったわ。人の手を借りなければ、何もできない状態なの」
これを聞いて京四郎、未夏、瑠璃の3人は驚く。
「…親父が…で、入院先は?」
京四郎は放心状態で憲治の入院先を聞くと、睦美は無言で入院先の病院の名刺を見せた。
「え!? ここは…」
「京四郎さん?この病院がどうかしたのですか?」
名刺を見た京四郎の驚きように、未夏は気になって聞いた。
「…3年前、逸子はこの病院で死んだ…それ以来、前を通るのも
京四郎は足をガクガクと震わせ、立っているのもやっとの状態だったみたいで未夏が支えた。
「あの人はそれを知ってたから、病院を移りたがってたわ。でも、私がそれを許さなかった」
睦美は沈んだ表情になった。
「こんなことになるなんて、夢にも思わなかっただろうな。俺だったら、逆に変えないでほしいと思う」
「どうして?辛い思い出が染み付いた場所なのでしょ?」
瑠璃が聞くと、京四郎は俯いた。このときにはもう京四郎の足の震えは治まっていた。
「あいつの涙を知ってるから。母さんも気づいてたはずだ。俺たちが部屋に入るまで、あいつは一人寂しく泣いてたことを」
逸子が入院してた頃、京四郎が部屋に入ると、逸子は笑顔だったが、目がわずかに赤く、頬には涙の後があったのを見逃さなかった。
だからこそ、京四郎は家を出るときに「逸子には寂しい思いは絶対にさせない」とそれまで以上に強く誓ったのだった。
「今度、親父に会おうと思う。そのときに通信教育のことは伏せて、高校に行く気がないことと、その気持ちが全然変わらないことをぶつける。それに、俺はもう“あの事”を知ってるから」
京四郎が意味ありげに言うと、みんなは気になった。
そして、京四郎が知っている“あの事”を言うと、3人は驚いた。
「京四郎!それをいつ知ったの!?」
「バイクの免許を取るために必要なものをそろえたときさ。俺もビックリしたけどね」
未夏と瑠璃は声が出なかった。二人にとっても、衝撃的な事実だったからだ。
しかも京四郎は、知る前も知った後も普通にしていたため、未夏は聞くことがなかった。
「よく平然としていられますね?」
「普通は動揺するのかもしれません。でも、これで納得できる部分があったから、知ってよかったです」
この後は4人で雑談を交わしていたが、瑠璃が京四郎の手首に触れて言った。
「京四郎君って呼んでいいよね?ちょっと二人で話したいことがあるの。いいかな?」
そう言いながら、触れた手で京四郎の手首をそっとつかんだ。
「話したいこと…ですか…」
京四郎はふと未夏を見た。未夏は何も言わずに頷き、それを見た瑠璃は、京四郎を少し離れたところへ連れて行った。
「私も、未夏ちゃんに話したいことがあるんだけど、いいかな?」
睦美が未夏に歩み寄った。
「はい。何でしょうか?」
「京四郎のどこを気に入ったの?」
「優しいところでしょうか?入社して、研修期間を終えてもほとんど仕事ができなくて、茶汲み人形だった私が淹れたお茶を、唯一文句一つ言わずに飲んでくれた人ですから」
このときの未夏は優しく微笑んでいた。
「…ったく、あの子は…「仕事のことを家に持ち込みたくないから」って、会社での出来事を何も言わないんだから…それに家を出てからも、たまに帰ってきても、下宿先の場所を言わないのはともかく、彼女ができたことも教えてくれないんだから…」
睦美は苦笑するしかなかった。
一方、京四郎と瑠璃は…。
「未夏から聞いたわ。茶汲み人形扱いされて、嫌な思いをしながらも、我慢して淹れたお茶を、何も言わずに飲んだってね」
「見てる自分も辛かったです。ただお茶を淹れただけなのに、あとでみんなから陰でいろいろ悪口を言われて…それでも我慢して淹れてくれたのに、文句なんて言えないです。でも、不思議とホッとする味でした」
京四郎はそのときのお茶の味を、今でもはっきりと覚えていた。
「未夏さんが初めてです。自分より年下で、中卒だと知っても告白してきて…しかも忌まわしい過去を知っても離れるどころか、「一緒に乗り越えよう」って言ってくれたのは…」
「だから、未夏を好きになったのね?」
瑠璃が聞くと、京四郎は照れ気味になって頷いた。
「これから先、未夏ちゃんはどうしたいの?」
「どうしたいと言いますと…?」
「京四郎とのことよ。いつまでも今のままというわけにはいかないでしょ?」
「それは、私の中ではもう決まってます。それを京四郎さんに伝えないことには、何も始まらないと思います」
未夏が言い終わると、京四郎と瑠璃が戻ってきた。
睦美は、未夏の強い意志が宿った目を見て、何かを悟ったみたいだった。
「京四郎。あんたこれから、未夏ちゃんとどうする気なの?」
「これから、か…特に何も考えてなかった。今は通信教育で高卒認定を取って、1日でも早く社会復帰することで、頭がいっぱいだから…」
京四郎は言いながら俯いた。そんな京四郎をよそに、未夏は一つの決心を持っていた。
「私は、京四郎さんが高卒認定を取得して、社会復帰してある程度落ち着いたら…京四郎さんと、結婚したいと思います」
これを聞いて3人の、特に京四郎が驚いた。
「み、未夏さん! け、結婚って…」
京四郎はそのまま固まってしまった。が…。
「ビックリしたけど、私は特に反対しないわ。京四郎のことをずっと傍で支え続けてくれた未夏ちゃんなら、これからも京四郎のことを任せても大丈夫みたいだし」
「そうね。京四郎君も、未夏とのことを真面目に考えてるみたいだし。この二人なら、私みたいになることはなさそうね」
睦美と瑠璃は微笑んでいた。
瑠璃は未夏が高校に入って半年ほどした頃から、夫との関係が冷めており、未夏がいることもあって我慢していたが、未夏が2年になって少しした頃に、我慢も限界になって離婚してしまった。
元はといえば、夫が他の女と一緒に歩いていたところを瑠璃が偶然目撃して、それを証拠の写真と一緒に突きつけたが、夫は知らぬ振りで本当のことを何も言わなかったことだった。
瑠璃は弁護士を通じて慰謝料を請求し、親権も相手が放棄したことで自分のもとに来た。
離婚後、元夫は離婚のきっかけを作った女性と、半月もしないうちに再婚したらしい。
だが、元夫は養育費を一度も払わなかった。
請求しても、「親権は放棄したから払う必要はない」と突っぱねられたらしいが、弁護士が給料を差し押さえると忠告したことで、渋々ながらも払うようになった。
陽が沈み、少し暗くなってきたこともあり、瑠璃と睦美は未夏に送ってもらい、未夏と京四郎は二人きりになっても何も言わず、そのまま部屋に入った。
「まさか、未夏さんが結婚まで考えてるなんて思いませんでした。しかもそれを親の前で言うなんて…」
―――おまけに、親はあっさりとOKしてしまうし。
京四郎は未夏に背を向け、窓の外を見ていたが、しばらくしてカーテンを閉めた。
しかし、気持ちが動揺しているのか、それ以上の動きを見せなかった。
未夏は部屋の電気をつけ、京四郎の横に立って肩を掴み、強引に振り向かせた。
「っと…」
「あれが、私が今考えていることです。ですが、亡くなった妹さんから、京四郎さんを奪ってしまうことに抵抗を感じて、今まで言えませんでした」
「逸子は喜ぶと思います。未夏さんに逸子のことを話した日の夜、あいつは夢に出てきて微笑んでましたし、「夢から覚めたとき、側にいる人のことを大切にしてあげて」って言ってましたから…」
これを聞いて、未夏はあの日の京四郎の寝顔の理由を知り、同時に納得した。
「そんなことがあったのですか…実は私も、一昨日の夢で会いました」
これを聞いて京四郎は驚いた。
「逸子は、未夏さんにも!?」
「はい。そして別れ際に、「私の大好きなお兄ちゃんを、よろしくお願いします」とも言われたのです」
実は、「お義姉さん」とも呼ばれたのだが、照れてしまいそうで言えなかった。
「逸子…」
「本当にいい笑顔でした。あんなに可愛い子が私の妹だったら、どんなにいいかと思ったほどです。ですから、京四郎さん」
「な、何ですか?」
両肩を強く掴まれた京四郎は、未夏の真剣な表情に少しうろたえた。
「一通り片付いたら、私との結婚について少しでも考えてください。返事はすぐにしろとは言いません。じっくり考えて答えを出してください」
「…わかりました。いつになるかわかりませんが、返事は必ずします。今までこんなことを考えられなかった理由は、通信教育とか仕事のこともそうですが、実はもう一つあるのです」
「もう一つ? 何ですか?」
「それは、未夏さんが彼女になってくれた時から、未夏さんが側にいて、いつも笑っていてくれることで、俺は他に何もいらないぐらい充実してたのです。未夏さんがこうして側にいてくれるだけで、俺の気持ちはこれ以上ないぐらい満たされてましたから…う、うわ!」
言い終わって一息つくと、未夏は京四郎を抱き寄せ、そのまま足払いをかけて自分も倒れた。
「いてて…あ…」
未夏は潤んだ瞳で京四郎を見つめ、京四郎はそれを見て固まってしまった。
「嬉しいです。私が側にいるだけで、幸せを感じてくれてたなんて…あなたを好きになって、本当に良かった」
未夏は京四郎の髪を優しく撫でながら、もう片方の手を京四郎の首の後ろに回して固定すると、京四郎の唇を塞いで目を閉じた。
―――やっとわかった。俺の幸せは、未夏さんの存在そのものだと。
しばらくして唇は離れても、お互いに目を合わせて何も言わなかった。
この日はこれで終わり、翌日の昼過ぎに、京四郎は憲治に会いに行った。
「お前か…何しに来た?」
憲治は病室に入ってきた京四郎を見て少し驚いたが、いつもどおりの憎まれ口を叩いた。
「どうやら思った以上に、口だけは元気みたいだな」
「フン。私は簡単にくたばりはしない。で、何しにきたんだ?高校に行く気になったからどこか紹介してくれとでも言いに来たのか?」
これを聞いて京四郎は呆れてため息をついた。
「何のためにバイクの免許を取ったと思ってるんだ?このあたりの高校は、校則で「在学中は16歳になっても、バイクの免許を取ってはいけない」ことになってるんだろ?しかも「16歳以上で、バイクの免許を持っている場合は入学できない」ことも知ってる」
これを聞いて憲治は思い出し、同時に苦虫を嚙み潰した顔をした。
「お前は…いつまで私の言うことに反抗する気だ!?」
「親父が高校や大学への拘りを捨てて、何も言わなくなるまでさ。兄貴が他の会社に跡取りとして行っても、夏海姉ぇが大学を辞めて自分の幸せを探しても、そんなのは本人の自由だろ?」
「私は子供たちの幸せを考えてだな…」
「時にはそれがおせっかいになることもあるんだ。きっと和葉姉ぇも、流されるがままに生きるよりも、自分で道を切り開く生き方を選んだんだ」
京四郎は昨日、睦美に会ったときに、和葉がいつの間にか離婚して、一人で生活していることを聞いた。
和葉は結婚したまではいいが、幸せなはずなのに、自分の気持ちが全く満たされなかったらしい。
そんなある日、京四郎が家を出たことを聞き、「自分で自分の生きる道を探す生き方を選んだのか」と思ったそうだ。
そう思い、自分の生き方をふと振り替えったとき、ただ流されるがままに生きていたことに気付いた。
元夫との間に子供がいない上に、夫婦仲が冷めていたこともあって、性格の不一致を理由に離婚し、様々な手続きをした後に元夫と一緒に住んでいた家を出て、今は家賃の安いアパートで一人で生活しているそうだ。
離婚と同時に勤めていた会社も退職し、アパートの近くにあるスーパーで働き始め、給金は前職より半分ほどにまで減ったが、一緒に仕事をしている主婦たちと休日にお茶をしたりして楽しく過ごしている。
しかも近々、スーパーの近くにある工場に勤めている、仲間の紹介で知り合った同い年の男性と再婚する予定らしい。
「和葉…龍司…夏海…どいつもこいつも、私に逆らって何が楽しいんだ!?」
「逆らったんじゃない。みんな自分の生きる道を見つけただけだ。親が子に、進路や人生のことで口出しする時期は、子供が中学を卒業と同時に終わってるんだ」
京四郎が窓際に立って外を見ながら言うと、憲治は何も言い返せなくなった。
「それに俺がこんな立場だと、高校に行ってても、俺には姉貴たち以上にあれこれ言うんじゃないのか?」
「こんな立場?」
京四郎が何を言ってるのか、憲治にはわからなかった。
この後、京四郎が口にしたことは、憲治を今まで以上に驚かすものだった。
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