第2章 続く殺人

・美女との再会


翌朝。新聞社、テレビ、ラジオはこぞって無限マークの殺人について報道していた。

確かに、犯人が連続殺人であることをアピールするようなマークを残すことは世間の人々の恐怖心と好奇心、どちらにも働きかけたのだろう。

しかし、報道内容はある程度制限されているようで、どのメティも被害者名、刺殺されたこと、顔見知りの犯行の可能性、無限のマークにしか触れていなかった。

「盛り上がってるね」

今日は仕事がない。土田は先日の張り込みのために買ったパンやらカップラーメンやらを食べながら言った。

「土田さん。俺考えたんですけど、昨日のダンサーの杉森美香子さん事件に関わってるんじゃないですかね」

そして、俺は推理を述べてみた。

しかし、土田の反応は鈍かった。

「そうかなー。確かに変なところに座り込んでるなとは思ったけど、言われてみればそうかも」

なんと、この探偵。そんなことも推理せずに名刺を渡していたのか。やはり、土田には人探しや浮気調査が向いているらしい。

「でも、風谷くんの推理が当たっていれば、彼女はそろそろ訪ねて来るんじゃないかな」

まさにその刹那だった。

事務所のドアがノックされたのだ。

「もしかして」

俺は杉森に会えることを少し楽しみにしていたのかもしれない。にやけるのを抑えて、ドアに向かった。

一度咳払いをすると「どうぞ」と声を張り上げ扉を開けた。

そこには、昨日薄闇の中で見た姿より、光輝く女神が立っていた。これは誇張ではなく、ほんとに美しいのだ。

「あの、昨日の助手さんですよね。お話したいことがあって、土田さんはいらっしゃいますか」

「ええ、うちの探偵なら奥に。さあ、上がってください」

俺は胸を張って彼女を案内した。

心臓の鼓動が聞こえ、喉から心臓が飛び出しそうだった。


「それで話っていうのは」

事務所のソファーに座っている3人。テーブルを挟んで俺と土田は杉森を見つめている。

と言っても、見つめているのは俺だけで、土田は至って冷静だった。

「はい。私昨日の殺人事件の犯人を見たんです」

「見たっていうのは顔ですか。それとも姿、形だけですか」

土田が質問をする。

「顔です。はっきりと夢に出て来そうなくらい恐ろしい顔でした。怒りと、憎しみと狂気に満ち満ちていました」

やはりそうだったのだと俺は納得した。同時に自分の推理が当たって少し嬉しかった。

「それは、杉森さんが見たことある人物ではなかったということですね」

「もちろんです。これまで生きてきて初めて見る顔でした」

「似顔絵を描いて頂けますか」

土田がスケッチブックと鉛筆を出すと杉森に差し出した。

大抵の場合上手い絵が描ける人は少ない。美術大学に通っていたとしても、一瞬見た顔を鮮明に模写するのは難しい。

「任せて下さい」とかなり自信ありげに杉森はスケッチブックと鉛筆を手に取った。「私絵は得意なんです」笑顔の彼女。その笑顔は女神の微笑みというタイトルがついた絵画のようだった。


「えーっとこれが犯人の顔ですか」

「はい。鼻の形とか正確に描くことが出来ました」

俺は笑いを我慢した。完成した絵は小学生のような絵だった。目は大きく、鼻はニンニクそのものだ。口の周りに無精髭を描きたかったのだろうか、黒い点がたくさん打たれている。

「参考にさせてもらいます」

土田は至って冷静だ。この冷静さを俺も学びたい。

「それと、お話はこれだけじゃなくて。その…」

彼女は急に俯き、言葉が詰まった。

「なんですか、他人に漏らしたりはしません。教えてください」

土田が優しく促すと、何か悪いものを吐き出すように一言一言を丁寧に話し出した。

「昨日から怖くて仕方ないんです。犯人が私を殺しに来るじゃないかって、だから図々しいお願いなのですがボディガードをお願い出来ないかと。もちろん私の記憶だ良ければ犯人逮捕のお手伝いもします。よろしくお願いいたします」

彼女は丁寧に頭を下げる。

世界の男性諸君なら喜んでお受けする依頼だが、土田はちょっと違う反応を見せた。

「そうですね。もっと安全な方法があるかもしれません。着いてきて下さい」

そう言うと立ち上がった。

俺も杉森さんに立つように促して、あとを追いかけた。



・第三の殺人


「何度来ても無駄ですよ。あれは仕事だったんだ。僕が船の整備を怠ったわけないでしょ」

やはり同じことを言う。もう何度この家を訪問したことか。毎回虎谷は、自分の非を認めないし、大切な娘への謝罪もない。

だからこちらにも考えがあった。

「まあ、紅茶でも飲んでください」

とりあえず一口飲む。喉の渇きがなくなり、頭が冴えてきた。

「そこにあるの、あの船の写真ですか」

「そうですが」

「見せて貰えますか」

「はあ」

彼が、背を向けた。カバンからロープを取り出す。すぐに虎谷の首に巻き付け、全力で引っ張った。彼の抵抗は凄まじいかったが、すぐに動かなくなった。

私は、カバンからペンキを取り出す。

壁に無限マークを書き残した。


比々谷警部は唖然としていた。忙しなく足で貧乏ゆすりをしてる。

「こりゃどう考えればいい」

1人で呟いていた。周りの鑑識が写真をとったり、指紋を採取したりしている。

警部の目の前には黒いペンキで書かれた無限のマークがあった。

ここは被害者の自宅。隣人が訪ねたところ応答がなく、鍵も空いていたため警察に通報したという。

「警部。様々わかったことがあるので、報告します」

若い刑事がメモを片手に警部の横に立った。

「ああ、頼む。俺の狂っちまいそうな頭の潤滑剤にはなりそうだ」

「では、まず被害者は虎谷進。52歳。職業は観光船の船長です。死因は絞殺。凶器のロープは持ち去られています。ティーカップが2つありそれぞれ違った指紋が検出され、片方が虎谷のものと判明しているので、知り合いの犯行と思われます」

「そうか、それでこの無限のマークだろ。連続殺人の3番目ってことか」

「その事なんですが、絞殺のため利き手は不明ですが、ティーカップを含めドアノブ等々右手の物が多いんです」

「ふーん。つまり右利きの可能性があり、よって連続殺人じゃない可能性も出てくるのか」

「それもあります。しかし、第一、第二の事件で左手の指紋を残したり、左手で刺殺したことが明白なので意図的に右利きに見せかけた可能性も捨てられません」

「報告ご苦労」

若い刑事は報告を終えると敬礼して立ち去った。

比々谷警部はますます混乱した。とりあえず被害者の身元を洗う。そして、まだ全くと言っていいほど進展のない最初2つの事件についても、被害者の人物像を洗うことを決めると、被害者宅から外に出た。

住宅街ということもあり。野次馬は少ない。

しかし、勘のいい新聞社やマスコミの数名は嬉しそうな顔で、待機していた。

警部は非番の沖沼を心の中で呪った。

沖沼は小学生の息子と娘と遊園地だか、水族館に行くと行っていた。こんな事件で署は大混乱なのに呑気なものだ。

俺にも息子が3人いる。しかし、1番上は高校生、下も小学生6年だ。休日に家族で遊びに行くような年齢ではない。寂しさと、沖沼への嫉妬が積もった。


そんな自分に呆れながらパトカーに戻ろうとすると見知った顔があった。

町で偶然親友を見つけた学生のように手を降っているのは土田一慶だった。

しかし、風谷助手以外にももう1人連れがいる。なかなか美人な女性だ。まだ20とそこそこだろう。

土田もついに将来を考え始めたのかと思ったが、どうも様子が違うようだ。

「いやー。偶然ですね比々谷警部」

「なんでいる。それにそちらのべっぴんさんは誰だ」

「なんでいるって。警察署に行こうとしたらパトカーの音が聞こえるんでね、こっちに歩いて来ただけですよ」

そのまで言うと、若い女性を俺の前に引っ張って続きを話し始めた。

「この方。杉森美香子さんです。ここだけの話、第二の殺人の犯人の顔を知ってるみたいなんですよ。それに命を狙われるかもしれない。ぜひ警察で警護して頂けませんか」

俺は様々な質問をぶつけた。なんとなく事情も掴めた。しかし、答えは決まっていた。

「すまないが断る。今は警護に要員を割けない。戸締りをしっかりして寝ることだな杉森さん」

すると珍しく風谷助手が声をあげた。

「なんてこと言うんですか、それでも警察ですか!市民を守るのが仕事でしょ」

少し驚いたが、俺が今まで取り調べを担当してきた凶悪犯に比べればひよこみたいなものだった。

「わかった。その似顔絵は参考にする。しかし、警護は無理だ。君たち暇な探偵と助手だろ。そうやって2人で警護してやれ」

土田も風谷も諦めて、折りたたまれた似顔絵を渡したので、パトカーに乗り込み追い払った。

サイドミラーに悲しげな3人の後ろ姿が映ったが気にしない。

それどころではないのだ。

3人が、さっきの若い刑事に話を聞きに行ったののを見届けると、俺は似顔絵の書かれた紙を開いた。

思わず吹き出し、2度見した。そして大爆笑した。


「仕方ない。警部も忙しいんだよ。さあ、おそらく第三の事件みたいだ。刑事さんにお話を聞こう」

土田の切り替えは早かった。

「わかりました」意外と元気に杉森が言った。これで彼女も助手兼要人だ。

というか、土田が依頼されたボディガードの仕事をまさか警察に押し付けようとは、全く予想していなかった。

しかし、これで土田も自分でボディガードする気になっただろうか。

「そこの刑事さん。僕、比々谷警部の元部下の土田ってものなんだけど」

土田は早速話を聞き始めた。

「はい。警部から伺ってます」

若い刑事はあっさりと情報を話始めた。

その途中、信じられないほど大きな笑い声がパトカーの方から聞こえたが気にしない。

何で笑ったか見当はついていた。


さて、杉森には少し刺激の強すぎる内容も含まれていたが、得られた情報はかなり不思議だった。

ここに来て、連続殺人説と模倣犯説が浮上したのだ。

確かに、第三の事件は始めの二つと多少毛色が違っている印象がある。

自宅であること、絞殺であること、スプレーではなくペンキで無限のマークを書いたこと。

偶然が重なったと考えられなくもないが、この不一致は心に止めておいた方が良いと判断した。

土田に意見を求めたが「まあ、無限のマークがあるからね。連続殺人でしょ」と言い切っており、もっと考えてくれよ。と心の中で呟いた。


その晩から杉森は事務所の応接室で寝ることになった。俺と土田は交代で寝ずの番をする事になったが、その晩も次の晩も特に問題が起きることはなかった。

昼間になると土田はふらっとどこかに消えてしまう。俺には伝わっていない依頼でもこなしているのだろうと思った。

それにしても、杉森と2人きりだと緊張する。

彼女の作ってくれるサンドウィッチを食べている時なんか特にだ。

そして、そんな幸せが続くために俺は杉森も守ることが使命なのだと自分に言い聞かせた。



・第四の殺人


「寒い。やめてくだい、こんなこと。何度でも謝りますから!」

目に涙を浮かべながら必死に訴えている辰田。しかし、涙はすぐ氷になってしまう。

私は、その光景をみて思わず笑ってしまう。

「同じ苦しみを味わえ」

私は辰田に言い放つと。冷凍室の扉を閉めた。

僅かに叫び声が聞こえるが問題ないだろう。

少しして大切な事を忘れている事に気づいた。

「おっと、これを忘れてた」

私は、先程メモ帳を破った紙に書いた無限マークを思い出した。

冷凍室を開ける。辰田はもう意識を失っていた。暴れたのか、縛り付けた椅子ごと地面に倒れている。

私は辰田のポケットに無限マークの書かれた紙を入れた。


「どうなっとるんだこれは」

沖沼警部は思わず絶句した。

楽しい家族旅行からまだ2日しか経っていない。それなのに、目の前にあるのは女性の変死体だ。

ある魚の卸売業者の冷凍庫の中にその遺体はあった。

身体を椅子と縛りつけられて身動きが取れずに凍死したと思われる。

椅子ごと倒れており、身体は人間のそれとは思えないほど真っ白になっていた。

凍った長い髪の毛が蛇のごとく四方八方に乱れているのも恐ろしい。

同じ冷凍庫室で凍っている魚たちの死んだ目が冷たく遺体を眺めているようだった。

「そこの君」

警部は近くにいた若い刑事を呼び止めた。

「はい。なんでしょうか」

「この捜査員の数だろ。今回もあのマークがあったんじゃないのか」

あのマークとはもちろん無限のマークだ。実に忌々しい。

「はい。ありました。しかし今回は控えめですね?被害者のポケットの中に無限マークの描かれた紙切れが入ってました」

「それだけか」

「ええ」

沖沼警部はなんとも拍子抜けした気がした。これまでは大きく、分かりやすく無限マークを残していた自意識過剰な犯人が、ポケットに紙切れとは、なんとなく違和感を覚えた。

「他に、わかったことはないか」

「被害者は辰田恵美。34歳。所在地はN県の豪雪地帯です。仕事は山荘や貸しロッジの管理人とわかりました。生きた状態で冷凍庫に閉じ込められて、30分程で凍死したと思われます。この業者が朝市の品物を冷凍庫しようとしてあけたところ、遺体を発見したようです」

「わかった。ちなみに犯人の利き手とかはわかるか」

若い刑事は渋い顔になった。

「昨日の夜近くの雑貨屋でロープを買った男がいた事かわかっているんですが、その男が右手でメモを取っている姿を見たという客までは辿り着きました」

「なんだ!大手柄じゃないか。その男を任意同行させよう」

「その事なんですが、その男は顔を隠していたようで、顔を隠していた事で客や店員の印象に残ったのは事実ですが、素性を割り出すのは困難かと」

警部は思わずタバコを取り出すと思いっ切りけむりを吸い込んだ。

「仕方ない。被害者の方から探ろう。殺害の動機になりうるものを探すんだ」

「了解であります」

若い刑事は敬礼すると立ち去った。

刺殺、絞殺、次は凍死させるとは、いよいよ猟奇的になってきやがった。警察のメンツも丸つぶれだ。

警部が署に戻ろうと外に出ると、見たことある顔が覗いていた。

「またお前か」

「沖沼警部もご苦労さまです」

憎めない笑顔で敬礼しているのは土田一慶だった。

「なんでここにいる」

「さっき、依頼をひとつ片付けたんですよ。簡単な素性調査ですけどね。それで帰り道にこの道を通ったらこの騒ぎでしょ。気になって来てみたんですよ」

この男、なんで毎回事件が起きると現れるんだと警部は苛立たしかった。こいつが事件を引き寄せているのか、それともこいつが犯人なのか。そんなつまらない妄想はやめにした。

「無限のマークの殺人ですか、良かったら教えて下さいよ」

土田が両手のを頭の上に合わせて、願うようにこちらを見ている。

まあ、こいつの推理力じゃ犯人には辿り着けないだろうと思いつつも。比々谷の話では土田の事務所で重要な参考人のダンサーを匿っているらしい、ある意味事件の関係者だ。

警部は事件の概要を話した。

土田は興味深そうに聞き入っていた。そして顔を歪めると、「無限のマークがあるなら連続殺人ですね。にしても猟奇的だな」と呟いて帰ってしまった。

右利きの可能性についても話したのだが、あまりピンと来ていない様子だった。

「さあ、被害者を洗うか」

警部は呟いて、歩き出した。


「確かに、ますます猟奇的な雰囲気になってきましたね」

俺は事務所に戻ってきた土田の話を杉森と聞いていた。

凍死、右利きの可能性。土田の言うように連続殺人と考えられるが、犯人像が全く違うような気もしてきた。

隣で杉森は真っ白な顔をして聞いていた。

被害者が女性であり、凍死させられたという点も恐怖を煽ったのだろう。

「杉森さん。大丈夫ですか」

「ええ。この犯人はやはり恐ろしい人なんですね」

「でも、ここに隠れている限りは安全だと思いますよ」

俺は今かけられる最善の励ましの言葉をかけた。

土田は話を終えると新聞を読み始めた。

外は夕焼けで赤く染まっていた。



・第五の殺人


「ついに、お前と合同で事件にあたることになるはな」

比々谷警部は目の前の遺体を見ながら言った。

「こっちこそ。捜査本部が立ち上がり、お前の班と合同だって聞いた時は驚いたさ」

沖沼警部はタバコを吸いながら目も合わせずに言った。

ここは小さなアパートの一室。2人の目の前の遺体は後頭部を大理石製の灰皿で殴打されている。後ろから殴られているが顔見知りの犯行であることは確かだった。

ビール缶が用意されていたのだ。

しかし、3つだった。少なくとも3人の人間がいた事になる。

そして、壁に被害者の血で書かれた無限マーク。第五の事件にしていよいよ事件は難解さを増してきた。

例によって若い刑事が報告を始める。2人の警部はそれに耳を傾けた。

「被害者は馬込豊。25歳。死因は撲殺による頭部外傷です。後ろから殴られたものと見られ、犯人は右手で殴っています。馬込については、日雇いのバイトを転々としており、近所の人の話では、暴力団関係者とも交友関係があったんじゃないかという噂があります。以上です」

敬礼して立ち去る若い刑事。

警部2人は黙り混んでしまった。

「あいつ今日は来ないな」

「ああ、こういう時に限ってこないな」

あいつとはもちろん土田のことだ。2人にとっては永遠に部下だ。手塩にかけて育てた部下が応援に来てくれる事を心のどこかで願っていのかもしれない。

推理力のない元部下に頼りたくなるほど、警察は追い込まれていた。


この日も何事もなく時間だけがすぎていた。

土田はソファーに寝転がり昼寝をしていた。

風谷は起きていて、時々窓から外を確認したりしてボディガードの任務を果たしてくれていた。

「何も起こりませんね」

杉森が沈黙に耐えかねて言葉を発した。

「はい。でも何も起きないに越したことはないありませんからね。いい事ですよ」

風谷の誠実さには驚かされてばかりだ。どんなときも丁寧で確実な対応をしてくれる。

杉森は彼にかなりの信頼を寄せていた。

「風谷さんはどうしてこの仕事に就かれたんですか」

「俺は元々新聞社に務めてたんですけど、ある事を機に調べたいことが出来て、この事務所に入ったんですよ」

「ある事って、お聞きしてもいいですか」

「ええ。実は数年前、妹を亡くしてまして。それがきっかけです」

私はちょっと気まずい空気を作り出してしまったと後悔した。

「そうですか。妹さんが…」

そんな私を見て風谷が話題を変えてくれる。

「まあ、目の前の仕事に専念するだけですがね。ちなみに杉森さんはどうしてダンサーになろうと思ったんですか」

「私は、高校時代に演劇を見に行って、その時のダンスに心を奪われたんです。それで、地元の両親のところを半ば家出のように飛び出してここに来たんです。初めはお金もなくて大変でしたが、色んな人に助けてもらって、最近やっとステージの仕事を貰えたんです」

私は、お世話になった様々な人の顔を思い浮かべた。

「いい波に乗っていた時期だったんですね。こんな事件のせいで困りますね」

「はい。もう足首も治ったので、ステージに戻りたいです」

その時、事務所の電話がけたたましくなった。

すると、仕事の匂いを嗅ぎつけた土田が飛び起きた。走るように電話の前まで行くと、受話器を耳に当てた。

猫のような動きだと杉森は思った。

「もしもし。はい。それでは伺います」

やはり仕事の依頼だろうか、真剣な声だった。

「よーし。風谷くん。それに杉森さんもちょっと行こうか」

土田が、ボロボロのジャケットを着ると呼びかけた。

「依頼ですか」と風谷が聞く。

「まあね」と土田は答え、玄関に向かいながら続けた。「依頼人さんは恥ずかしがり屋さんで、名前は秘密だそうだ」

風谷は呆れながら、私は少しワクワクして土田のあとを追った。


「土田さん。どんな依頼だったんですか。もう警察だらけみたいですけど」

風谷が若干怒ったように土田に聞く。

確かに、3人の前に広がっている風景はアパートに群がる警察関係者だった。

「あー。依頼人さんはアパートの中みたいだ。行こうか」

風谷はなんとなく事情が掴めたような顔をしていたが、私はさっぱりだった。


アパートの馬込と書かれた部屋に入ると見た事のある警察官がいた。この前、私の警護を断った比々谷警部だ。

「待ってたぞ。土田」

「比々谷警部に沖沼警部まで、まさか元部下の僕が恋しかったんですか」

「そんなわけなかろう!状況を説明してやるから黙って聞いとけ」

沖沼警部と呼ばれた方が、怒鳴りながら言った。


私たちはそれぞれに持ち合わせている全ての情報を共有した。

まずわかった事は、さっきの事務所の電話は比々谷警部だったらしく、土田はいかにも依頼のように私たちに伝えてここに案内したらしい。

とにかく第五の事件が起きてしまったらしい。

「現場を見るかい」

沖沼警部が私たちに言う。

「是非とも」

土田が嬉しそうに、現場である奥の部屋に行こうとした。

すると風谷が私に確認をした。

「死体とか大丈夫ですか」

「ええ、覚悟は出来てます」

正直めまいがして体もフラフラとした。しかし、この事件を手伝うと言った手前こんなことで立ち止まるわけには行かない。

勇気を振り絞って、殺害現場に踏み込んだ。


「えっ、その人」

私はその死体の頭部についた血や、苦悶の表情よりもその顔に見覚えがあった。

「杉森さんどうした」

風谷が私の顔を覗き込みながらいう。隣で土田が微笑んでいる。

「この馬込って人、牛山さん殺しの犯人と顔が似てます。というか、この人だと思います」

私のこの証言に、警部ふたりと風谷は目を丸くした。

土田は部屋を見回っている。

「杉森さん。それはほんとなんですね。この人が控え室の入り口でぶつかった人に間違えないってことですね」

風谷が確認してくる。

私はもう一度馬込の顔を見ると深く頷いた。

「ということはなんだ。この無限のマークは模倣犯になるわけだよな」

沖沼警部が顎に手を当てながらいう。

「そういう事だと思います。これまでの事件が馬込の犯行で、馬込はふたりもしくはひとりに殺害されてしまった。その犯人が無限のマークを残した。そういうことじゃないんですか」

風谷が難しそうな顔をして喋った。

「土田!お前はどう思う」

比々谷警部がアパートの窓から外を覗いている土田に呼びかける。

「そうですね。犯人は2人。連続殺人は終了ってことでしょう!お疲れ様です警部殿」

そう言うと、土田はアパートの部屋から出ていってしまった。

「さあ、馬込殺しの犯人を捕まえるのは我々警察の仕事だ。杉森さんありがとな」

沖沼が言うと、風谷と私は追い返された。

私の証言で、無限のマーク連続殺人事件は解決したしまったということだろうか。

しかし、私の隣を歩く風谷は判然としない表情をしていた。

「俺、ちょっと捜査したいことがあります。特に、馬込と牛山について」

「私も、腑に落ちません。これで終わりなんて」

風谷は私を事務所に送り届けると、夜の町に姿を消した。

事務所の中では、土田が大量の資料とにらめっこしていた。

「土田さんはどう思います。今回の事件」

「僕はね。終わらないと思うよ。だから風谷くんも1人で動き始めたんだと思う」

「じゃあ、土田さんも調べますか」

「いやー、たまってる依頼を片付けたら風谷くんから報告してもらうよ」

私は、別れの挨拶をすると、久しぶりに自分の家へと帰った。

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