其の三十

 途中で渋滞にハマり、思ったよりタクシー料金が嵩んでしまったが、無事小夜子の実家の近くまで来れた。 裏路地の入口には立ち入り禁止のバリケードが立てられ、中を覗くと足場が組まれて通り抜けられそうにはなかった。


「んー…… 」


 中を凝視してみるが、おじさんの姿はここからは見えない。 やはり裏路地に侵入しないと姿を現さないのかな。 短めのスカートだけどバリケードを跨ぎ、ちょっと失礼して裏路地に足を踏み入れる。


「…… あれ? 」


 足場が組まれた場所まで入ってみたが、この間の重苦しい雰囲気が全く感じられなかった。 まさか壁を崩したことで成仏しちゃった?


「まあそれならそれでいいんだけど…… 」


「こらこら、そこに入ったらダメですよ! 」


 突然後ろから注意され、びっくりして振り返る。 いつの間にか赤色灯を付けたパトカーが停まっていて、年配の警察官がバリケードの前で手招きしていた。


「危ないから早く出てきなさい 」


「すいません! 」


 慌てて裏路地を引き返し、出口のバリケードは警察官のおじさんが避けてくれる。


「子供みたいなことしちゃダメだよ。 立ち入り禁止って分かってるでしょ? 」


 険しい顔で優しく怒られてしまった。 身分証は? とか言われてパトカーに乗せられちゃうのかな……


「お姉さん、気分は悪くない? 具合悪くなってたりしませんか? 」


「…… え? 」


 警察官のおじさんは苦笑いをしてため息をひとつ。


「実は通報がありましてね。 お姉さんだけじゃなく、こうやって見物に来る人が結構いるんですよ。 ただ見に来るなら構わな…… いや構うんですけどね、その中の何人かが具合悪くなって病院に運ばれてるもんですから 」


 具合が悪くなった? 私の頭の中にあの旧日本兵のおじさんが思い浮かぶ。 怪我をしたとかじゃないんだ……


「工事の足場組んでた人も足場から落ちて怪我してるし、ちょっと気味の悪い現場だから。 もう近づかないで下さいね 」


 そう言って警察官のおじさんはパトカーに乗って去って行った。 パトカーを見送って、私はバリケードの外から裏路地を見据える。 あの旧日本兵の仕業……  やはりまだあのおじさんはここにいる。


「そこにいるんでしょう? 旧日本兵さん 」


 崩れたブロック塀に向かって呼び掛けてみる。 返答はないが、繰り返して何度も呼び掛けて返答を待った。 だがしばらく待ってもおじさんは出てこない。


「そう言えば…… 」


 私はバッグの中の化粧ポーチから安全ピンを取り出した。 確かおじさんはあの時、血の臭いがどうのと言っていた。 ならば……


「痛っ!! 」


 安全ピンの針を親指の平にちょっとだけ刺す。 滲み出た血を絞り出し、それを掲げて私は再び裏路地に足を踏み入れた。 その瞬間、裏路地の空気が淀み始める…… 多分この雰囲気は私にしか分からないものだ。


 ― …… また血の匂いか ―


 いた! こんな豆粒みたいな血でも効果はあるんだ。 なんて感心してる場合じゃない。


「いるならさっさと出てきなさいよ 」


 地面から湧き出てきた黒いモヤから、旧日本兵のおじさんが姿を現す。 おじさんは何も言わず、腰の鞘から日本刀を抜いたのだ。


(いきなり抜くの!? )


 思わず引け腰になってしまうが、ここで逃げたくはない。


 ― …… 去れ小娘。 この地に土足で踏み込むのは誰であろうと許さぬぞ ―


「許さないのは私の方よ。 過去に縛られて、アンタは何人もの人生を狂わせた! 私が浄化してあげるわ! 」


 ― 黙れ! いつぞやの小僧のように取り憑いてやろうか? ―


「それ、6年前の事よね? やっぱりアンタが角田君に取り憑いて優斗君を刺したのね 」


 ― 腕から血の臭いをプンプンさせおって。 我が帝国陸軍の基地に侵入してくる小僧らが悪いのだ ―


 私はバッグに手を突っ込み、あらかじめ準備していた霊符の束を取り出した。 その一枚を指の間に挟み、強く念じておじさん目掛けて投げつける。


(当たれ! )


 霊符は青い光を放ちながら、矢のようにおじさんに向けて飛んでいく。 狙ったのはおじさんの額だったが、おじさんに寸でのところでかわされて、後ろの鉄の足場に当たって燃えてしまった。


 ― 貴様…… 陰陽師か! ―


 おじさんの顔に焦りが見える。 美咲ちゃんに教えてもらった霊符の光矢、凄い! 当たればアイツをやっつけられる! 


「覚悟しなさい! アンタはもうこの世にいてはいけないの! 」


 もう一枚を同じように構え、今度は顔ではなく体の真ん中目掛けて霊符の光矢を放つ。 これなら体のどこかに当たるでしょ!


  スパン!


「い゛っ!?」


 霊符は横凪ぎされた日本刀で真っ二つに斬られ、おじさんに届く前に燃え尽きてしまった。 さっきまで目を見開いていたおじさんは、日本刀を構え直して私に走り込んでくる。


「ちょっ! まっ! このっ!」


 慌てて何枚かを扇のように広げ、おじさんに向かって投げつける。 光矢になったのは二枚だけ…… 何枚かはハラハラと地面に落ちてしまった。 


 ― フン!! ―


 おじさんはヒラリと一枚をかわし、一枚を斬り捨てて私に突っ込んできた。



  ビュン



「うきゃ! 」


 振り下ろされた日本刀を、前に飛んで間一髪かわす。 膝を擦り剥きスカートがめくれるが、そんなことに構ってる余裕はなかった。


「このっ! このぉ! 」


 完全な練習不足…… 霊符は何枚も光矢に変わることなく地面に落ちる。 さっきまで大口叩いて余裕かましてた自分が情けない。


 ― 出来損ないの陰陽師など恐るるに足りぬわ! ―


 あっという間に間合いを詰められ、おじさんにお腹を蹴り上げられた。 背中まで突き抜ける衝撃…… 蹴り飛ばされて鉄の足場に叩きつけられた。


「か…… は…… !!」


 痛い…… 息が出来ない……  目の前がだんだん白くなっていく。


 ― 弱いな…… その体、我が有効活用してやろうか ―


「っ!! 」


 おじさんのその言葉にゾッとする。 取り憑かれちゃう…… 何をされるかわからない恐怖に体は萎縮して動かない。


 ― 貴様の体は旨そうだ…… ―


 クツクツと笑うおじさんの笑い声が頭の上から降ってきた。


(怖い…… いやだ…… 死にたくない! )


 私は地面にばら蒔いてしまった霊符の束に手を伸ばした。


(消えてなくなれ!! ) 



  ゴオォ!!



 重なり合った霊符が轟音を立てて燃え広がる。 突風に煽られて後ろに吹き飛ばされ、おじさんの叫び声が聞こえた気がした。 目の前が真っ白になり、自分でも何が起きているのか分からなかった。

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