其の二十三
結局その日は眠れずに朝を迎えた。 ベッドに横になってウトウトはするが、色んな考えが頭を巡って寝つけなかった。
顔を洗いに洗面所に向かい鏡を見る。
(酷い顔…… )
肌は青白く、目の下には大きなくま。 今日も会社休んじゃおうかな……
「大丈夫ですか? 」
洗面所は覗かず、優斗君が声を掛けてくれる。 ダメだ、私がこんな顔してちゃ!
「大丈夫! 今日会社休むから、朝から橘さんの所に行こうね 」
「え! ダメですよそんなの! 美月さんの生活は乱しちゃいけません! 」
私は洗面所から出て優斗君の前に立ち、目の下のくまを差す。
「こんな顔で出勤したくないもの。 サボリよ、さ・ぼ・り 」
田中課長だってかなえちゃんだって、『具合悪いなら休んでいいんだよ』って言ってたし。 都合のいい解釈をして、いかにも具合悪そうな声で会社に欠勤の連絡をし、目の下のくまを隠すメイクを始める。 鏡越しに優斗君の顔を見ると、やれやれといった感じで微笑みながらため息をついていた。
三善から聞いた橘さんの住所は隣町の為、電車で向かうことにした。 私は駅のホームで普通電車を待ちながらメモアプリを開き、そのアプリで文章を打って優斗君に見えるようにスマホを傾ける。
― 平日だから、仕事してたら会えないかもしれないけど ―
優斗君はスマホの画面を見て私に頷く。
「場所さえ分かってしまえば、僕一人でも行けますから 」
私はその言葉に無言で頷いた。
駅のホームに隣町行きの普通電車が滑り込んでくる。 隣町まで約10駅、40分くらいで到着できそうだ。 私は混んでない車両を選び、優斗君が他の乗客にぶつからないように車両の角を陣取る。
― 狭かったら言ってね ―
「大丈夫です。 それにしても、通勤時間帯を避けたのにちょっと混んでるんですね 」
角を陣取ってそこに優斗君を立たせ、私はその角を守るように立っていたが、一駅越える度に車内は混んでくる。 後ろの男性客に徐々に角に追いやられ、いつの間にか優斗君とピッタリくっつくくらいになってしまった。
「美月さん、大丈夫ですか!? 」
窮屈だけど大丈夫…… 優斗君にコクコクと頷いて見せる。
満員に近い状態の電車内…… 嫌な予感がしてきた。 こういう時に限って奴らは出てくるのよね。
「ん!? 」
右のお尻を揉まれる感触…… やっぱり出た。 真後ろの男が怪しいけど、振り向けないほど混んでいて、まるで通勤ラッシュだ。 顔は見えないし、このいやらしい手を摑まえて手繰らないとこの人と断定できない。
「どうしました? 美月さ…… 」
私の異変に気付いた優斗君が後ろの男を睨む。
「んあ!? 」
突然優斗君が私の腰に腕を回して、私を引き寄せたまま反転した。 私の変な声に周りの乗客が振り向く。 私には優斗君が見えているからいいけど、他の人からは優斗君のいるスペースがぽっかり空いているのだろう。
「静かに。 他の男に美月さんは触らせませんよ 」
(照れもせず、さらっとそういう事言うんだよなぁこの人は )
優しく見下ろす優斗君に、私は恥ずかしくなって顔を背けてしまった。
「あ…… 嫌ですよね。 ごめんなさい…… 」
苦笑いでスッと腕を引いた彼に、私は無言で何回も首を横に振るしかなかった。
電車が揺れる度に、優斗君の胸に顔から飛び込む形になってしまう。
(守ってくれてる…… )
なんかこういうのもいい。 いつからだろう、優斗君にこんな気持ちを持つようになったのは。 幽霊と恋愛なんて絶対にあり得ないなんて思ってたけど、今私は彼に恋してる。 優斗君が橘さんに会ったらどうなるんだろ…… 成仏してしまうんだろうか。 そうなったら私は……
「美月さん、次の駅じゃないですか? 」
「え? う、うん 」
思わず声を出してしまって、また周りの乗客の注目を浴びた。
(独り言女とか思われてるんだろうな…… )
恥ずかしい…… そう思っていると、ようやく電車の動きが完全に止まった。
電車のドアが開いた途端、雪崩のように乗客が一斉に降りていく。 私達もその流れに乗って電車を降りるが、身動き取れずあっという間に改札付近まで流されてしまった。 ふと目に入った改札横の看板には、≪会場はこちらです≫の大きな矢印。 どうやらこの隣町にあるテーマパークで、イベントをやってるみたいだ。
「なるほど、だから混んでたんですね 」
優斗君も看板を見て納得したようだ。 私はそのテーマパーク行きのシャトルバス乗り場の列から外れ、マップアプリを起動して橘さん宅を表示する。 駅からはさほど遠くはないけど歩くには遠い。 でも優斗君に気を遣わせるのも嫌なので、タクシーをやめて歩くことにした。 テーマパークに人が集まっているせいか、通りを歩いている人もまばら。 これなら少し優斗君と話が出来る。
「緊張してる? 」
少し強張った感じの優斗君に聞いてみる。
「多少は。 なにせ6年ぶりですから、藤原達に限らず彼女も変わってるんでしょうね 」
「そうだよね…… 」
優斗君は軽く言うが、眠れない6年間って想像できないほど長いと思う。 彼女に憧れ、彼女に裏切られ、それでもなお彼女の無事を願う優斗君は、どんな思いで彼女を見るのだろう……
会話が続かず、しばらく無言のまま私達は歩き続けた。 商店街を抜けて住宅地に入り、二つ目の角を曲がって三件目の家が、橘さんが引っ越してきた家だ。
「あ…… 」
ちょうどその家から、髪の長い女性と小さな女の子が出てくるところだった。 玄関先に出ていた母親らしき年配の人に笑顔で見送られ、幼稚園くらいの女の子と手を繫いでこっちに向かってくる。
私は思わず優斗君に視線を向けた。 優斗君は無表情…… いや、微かに微笑んでいるように見えた。
「こんにちわ! ミリアね、遊園地行くんだよ! いいでしょー 」
女の子は女性の手を振りほどき、道路の角に立ち尽くしていた私達の前に来て屈託のない笑顔を見せた。
「いいねぇ! ママと行ってくるの? 」
私はその女の子の目線に合わせてしゃがみ、笑顔でミリアという女の子に返す。 見知らぬ私達に声を掛けるほど嬉しいのだろう。 ミリアちゃんは『そうだよー』と白い歯を見せて笑った。
「すいません! こらミリア、手を離しちゃダメって言ってるでしょ! 」
ペコペコと頭を下げる女性は、ミリアちゃんの手を引いて去っていく。 奇麗な人…… あの人が橘早苗さんなんだ。
「あの…… 」
彼女を呼び止めようとした私を、優斗君が右手で制した。 思わず優斗君の腕を掴んで彼の顔を見ると、私の顔を見て首を横に振っている。
「いいんです、これで 」
私を見る優斗君はとても穏やかな表情だった。 心なしか、優斗君が透け始めているように見える。
「結婚したんですね、彼女。 きっと幸せな家庭なんでしょう…… ミリアちゃんの笑顔を見れば分かります 」
「優斗君…… 」
「帰りましょう、美月さん 」
優斗君は笑顔で、私の手を引いたのだった。
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