其の二十一
ヒュン! ゴスッ!
風を切る音と共に私の体に日本刀が振り下ろされ、斬り口からは大量の血が噴き出して地面は血の海に……
(って、あれ? 痛くない )
恐る恐る目を開けてみると、紺の学生服の背中が目の前にあった。
「優斗君! 」
その背中は少し怒ってるみたい…… 彼は軽くため息をつく。
「帰りが遅いので、もしかしたらと思って来てみたんですが。 美月さん、あなたって人はまったく…… 」
苦笑いする彼の向こうには、仰向けに倒れている旧日本軍のおじさんが見えた。 さっきの音は優斗君がおじさんを殴り飛ばした音だったのか。
「とにかくこの路地を出ましょう 」
「う…… うん、でも腰が…… 」
力を入れても、腰に力が入らない。
” ぐうぅ! おのれ小僧! ”
起き上がったおじさんが再び私達に日本刀を構えて向かってくる。
「頑張って逃げて下さい、美月さん 」
そう言って優斗君は向かってくるおじさんに向かって歩き始めた。
ヒュン!
肩を狙って振り下ろされた日本刀を優斗君は苦もなく斜めに避ける。 その態勢からおじさんの顔に裏拳を入れ、よろけたおじさんの鼻っ面に回し蹴りを食らわす。 派手に後ろに吹っ飛ぶおじさんはゴロゴロと何回も転がってうつ伏せに倒れるが、またすぐに起き上がってこちらを睨み付けていた。
「美月さん早く! 相手にダメージはありません! 」
ボーッと優斗君が戦う姿に見とれていた私は、その言葉に慌てて地面にお尻を引き摺りながら後ずさる。 後ろ向きに這って路地を出る間、優斗君は次々に斬りつけてくる日本刀を右に左にとかわして、おじさんを吹き飛ばしていた。
(優斗君強い! 速い! )
刃物を振り回す相手に全然ビビりもしないなんて、まるでスーパーヒーローじゃない! なんて思った時だった。
「危ない! 」
チラッと私の様子を見た優斗君の隙を狙って、日本刀が彼の横顔を一閃した。 宙に舞う斬られた優斗君の髪。 彼は素早く屈み込んでかわし、全身を使っておじさんの横っ腹に蹴りを叩き込んだ。
ブロック塀に叩きつけられたおじさんは、塀を突き崩して崩れ落ちる。
(うそっ!? 塀を壊しちゃった! )
「今のうちです! 」
優斗君は私の側に駆け寄ると、背中と膝の裏に腕を入れて私を持ち上げた。
(うそうそっ!? )
物に触れられる力があっても、私を持ち上げるなんて想定外だ。
「ちち、ちょっと優斗君! 」
いつの間にこんなに力つけてたの!? しかもお姫様抱っこは恥ずかしい!
「大人しくしていてください! 集中力途切れちゃいます! 」
下から見上げる優斗君の真剣な顔。 こんな状況でも胸が高鳴ってしまう自分は、どうかしてるとしか思えない。
「んきゃ! 」
路地裏を出たところで突然力が抜けたように地面に落とされる。 優斗君の力が切れてしまったようだ。
「いたた…… 」
お尻から落ちたおかげで他に痛い所はないが、心配なのは私の下敷きになってしまった優斗君だ。
「大丈夫!? 」
「平気です。 美月さんこそ怪我してないですか? 」
お互いの無事を確認していると、目の前に日本兵のおじさんが仁王立ちしていた。
” …… ぐぬぅ…… ”
おじさんは日本刀を構えたまま、路地裏から真っ赤な目で睨みつけている。 やはり、このおじさんは路地裏からは出れない地縛霊なんだ。
「とにかくこの場を離れましょう。 派手に塀を壊しちゃいましたし、人が来ます 」
崩してしまった家の住人が、音を聞きつけて様子を見に来たらしい。 確かにマズイ…… 私は優斗君に支えられながら、ふらつく足で路地裏から急いで離れたのだった。
「あの…… 怒ってる? 」
無表情で私の横を歩く優斗君に、恐る恐る聞いてみる。
「怒ってます 」
前を見たままボソッと一言だけ答える彼は、それでも私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれていた。
「ゴメンね、どうしても調べてみたかったんだ…… 」
「………… 」
すれ違う人々もいて、そこで会話が途切れてしまう。 無言で幹線道路に出た私達は、そこでタクシーを捕まえて自宅マンションまで直行する。 隣に座る優斗君は、流れる街の景色をずっと見たまま。 私の方には一度も顔を向けてはくれなかった。 街灯に反射して車の窓に映る優斗君の顔は無表情。
(早速約束破ってこのざまだもん、当たり前だよね )
タクシーを降り、マンションのエントランスの自動ドアの前で、優斗君がついてきてない事に気が付いた。 彼は歩道で私を無表情で見送っている。
「入らないんですか? 」
不意にマンションの他の住人から声を掛けられ、『すいません』と自動ドアの前から避ける。 住人から不思議な顔をされながらも、私は優斗君に視線を向け続けた。 そして手を伸ばす。 通り過ぎる通行人から変な目で見られるが、今はそんなこと気にしない。
「一緒にいてくれないかな。 ちょっと怖いんだ…… 」
優斗君は私をしばらくじっと見て、おもむろにため息を一つ。 その後の彼の表情はいつもの優しくあたたかいものに変わっていた。
「僕の方こそすいませんでした。 美月さんは僕の事を考えて、あそこに行ったんですもんね…… 僕に怒る権利はないです 」
そう言って彼は私の側に来てくれる。
「ううん、約束破っちゃったし。 怒られて当ぜ―― 」
彼は自分の唇の前に人差し指を立てて話を遮った。
「他の人に変な目で見られてますから、話は帰ってからにしましょう。 またベランダ貸してくれますか? 」
微笑んでくれる彼の存在が私に安心を与えてくれるような気がした。 自覚ないけど、私はきっと優斗君に惹かれ始めてるんだと思う。 …… 幽霊だけど。 彼に好かれていた橘さんが、素直に羨ましく思えた。
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