其の九

 しーんと静まり返った防風林の中。 木陰から出てきた男達は唖然として立ち尽くし、飛ばされた巧君と呼んでいた茶髪の男は菅原君の一撃でピクリとも動かない。


「大丈夫ですか? 何もされてませんか? 」


 私をその場に座らせて背中をポンポンと叩いてくれる。


「うん、大丈夫。 どうして…… 」


「後で話しましょう。 とにかく逃げて下さい 」


 菅原君はそう言うと、立ち上がってチャラ男の方にゆっくりと歩いていく。


(あんなに冷たくしたのに…… )


 それでも私の後を追いかけてきてくれるなんて、お人好しもいいところだ。


「おい、見たか? 秀一のヤツ女に吹っ飛ばされて気絶してんぞ 」


 男達はゲラゲラと大笑いを始めた。 お腹を抱えて笑うチャラ男を前に、菅原君は助走をつけて一回転した。



  スパーン!



 大振りの回し蹴りがチャラ男の顎を捉え、横のもう一人の男もろとも吹き飛ばした。 声を上げる暇もなくチャラ男はもう一人の男に覆い被さり、泡を吹いて気絶している。


「明夫! なんの真似だ気持ち悪ぃな! 」


 訳も分からず将棋倒しになった男はチャラ男を見て青ざめている。 


「おい! しっかりし…… あがっ! 」


 菅原君が男に馬乗りになって顔を殴り始めた。 ゴスッと音がする度に男の顔が歪んでいく…… 無表情で殴り続ける菅原君には、全くと言っていいほど感情が見えなかった。


「ヒッ! なんじゃこりゃぁ! 」



  ゴスッ!



 断末魔の叫び…… 男はそれっきり動かなくなった。 見えない何かに顔を殴られる恐怖に耐えられなくなったのか、男はこっちを向いて白目を向いていた。 それを見届けて菅原君は男達から離れ、私に駆け寄ってくる。


「今のうちに。 いつ目を覚ますか分かりませんから 」


 私を助け起こしてくれる菅原君の顔は、今までの温かみのある優しい笑顔に戻っていた。


「それと警察に電話を。 ちょっとめんどくさいと思いますが、襲われた事実を通報した方がいいです 」


 落ち着いた口調が私の気持ちを落ち着かせてくれる。 この人、喧嘩慣れしてる…… いや、戦い慣れていると言った方がいいかな。 体全体を使った蹴りといい、殴り方といい、素人の私でもそれが分かった。


「ありがとう…… 」


 きっと私は呆けたマヌケな顔をしていたんだろう。 彼はニコッと笑い、ヨロヨロと歩く私の背中を支えてくれた。





 男達から少し離れたところで警察に通報した私は、駆け付けた警察官に保護されて交番で事情を説明した。 菅原君に倒された男達は気絶した状態で確保され、警察署で取り調べを受けているという。


「凄いですね、大きな男相手を何人も気絶させてしまうなんて 」


「あ…… いや、ええ…… まぁ 」


 男達の供述が進めば証言が食い違ってくるだろうが、幽霊さんがやっつけてくれましたと言ったところで信用してくれる訳がない。 そんな頼もしい幽霊さんは今、私の肩に手を置いて黙って寄り添ってくれている。


「それじゃこれで今日のところは。 怖い目にあったと思いますが、どうか気を落とさずに 」


 若い警察官のお兄さんが敬礼をして送り出してくれる。 詳細は分かり次第連絡してくれるという。 私達は夕暮れの大通りを無言で歩き、いつか話したあの公園に立ち寄った。


「…… ごめんね、君が再三警告してくれてたのに 」


「僕がごめんなさいなんです。 好きな人を悪く言われたら誰だって怒ります。 僕が口足らずで、安倍さんを危険な目に合わせちゃったんですから 」


「なんで? 私の自業自得だよ 」


 『そんなことない』と彼は苦笑いで首を横に振る。


「偶然、安倍さんとあの茶髪が楽しそうに話しているのを見かけたんです。 悪いなと思いながらも、気になって茶髪の後を追いかけました。 そしたら女の人をナンパして取っ替え引っ替え…… 横にはさっきいたチャラい男達もいたので、嫌な予感がしてたんです。 強引にでも引き留めるべきだったんです 」


 少し赤い顔をして生々しい所を伏せるのは、まだ高校生だからなのか私が女だからなのか。 


「でもびっくりしちゃった、君ってとっても強いんだね 」


「はは…… これでも空手黒帯だったんです。 素人相手に殴っちゃダメなんですけどね、どうせ幽霊ですから 」


 照れながら話す彼がちょっと可愛い。 そう思うのは、よくピンチを救ってくれた人に好意を抱くというアレだろうか……


「でも今回の件で思い出したこともありました 」


 彼は沈んでいく夕日を見ながら寂しげに笑う。


「僕、過去に好きな人を助けようとして同じことをしたんです。 その時は刺されちゃいましたけど 」


「そう…… 」


 襲われたのを救ってくれた上に、またツライ過去を思い出させてしまった。 迷惑かけてるのは私の方だ……


「ごめん、私の方こそ君にお礼出来てない…… 」


「何言ってるんです! お礼ならいっぱいしてもらってるんですよ? 」


「えっ? 」


「何も思い出せず、ただ彷徨ってることしか出来なかった僕を救ってくれたじゃないですか 」


 パァっと明るい笑顔になる彼。 なんだろう…… この胸の奥が熱くなるような感覚……


「名前も、家も、親の事も、自分の事も。 全部安倍さんが思い出させてくれたんですよ? これからの生きる道も…… って、もう死んじゃってますけど 」


「そんな! 思い出してツライ事も沢山あるじゃない! 私は君に苦痛を与えちゃってる! 」


「ありますよ。 あるけど、何も分からなくて途方に暮れる方がそれ以上ツライんです。 だからそんな顔しないで下さい 」


 夕日に照らされる彼の顔はとても穏やかで、優しくて…… 


「…… 私に何か出来る? 」


 思わずそんな言葉が出た。


 関わらない方がいい。


 関わらない方が彼の為。


 関わらない方が私の為。


 ずっとそう思ってたのに。


「そうですね…… じゃあ 」


 彼はニコッと私に振り向く。


「名前で呼んでいいですか? 僕も名前で呼ばれたいんです。 菅原ってあまり好きじゃないんで 」

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