其の八

 朝5時過ぎに目が覚めた私は、いつも以上に念入りにメイクしてデートの準備に備える。 張り切り過ぎてメイクを何度もやり直し、昨日新調したフレアスカートに合わせるトップスに暫く悩み、ふと気が付けばもう11時を回っていた。 慌てて家を出て、カラオケボックス前に到着したのは約束の15分前。 まだ彼の姿は見えない。


(良かった、間に合った! )


 鏡を取り出して前髪を整えていると、人が近づいてくる気配を感じた。 ちょっと意識して振り返ると、巧君ではなく幽霊の菅原君だった。


「こんにちは安倍さん 」


「こんにちは…… 」


 なんてタイミングの悪い……  菅原君に笑顔はなく、少し難しい顔。 何か話があってきたのだろうが、そろそろ巧君が来てしまう。 私は菅原君に何を言っていいのか分からず、ただ挨拶を返すだけで精一杯だった。


「待ち合わせですか? 茶髪の彼と 」


「え? うん、そうだけど 」


(なんでそんなこと知ってるの…… まさか私をずっとつけてた? )


「彼、やめた方がいいですよ。 僕見てたんです、彼は…… 」


「待たせちゃったかな? 」


 菅原君が何かを言おうとした時、これまたタイミング悪く巧君がやってきた。 気を利かせてくれた菅原君が一歩引いて会話を止めるが、睨むようなその目は巧君に向けられていた。


「ん? ボクの顔に何かついてる? 」


「いや、なんでも…… 全然待ってないよ。 私も今来たところ 」


「よかった。 それじゃ先ずはご飯食べに行こうか。 何がいい? 」


「巧君の好きなのがいいな 」


 任せると言ってしまうと、男性は困ってしまうと言うのは本で勉強済み。 彼の好みの食べ物を知るチャンスだし。


「それじゃあ…… 」


 少し悩んだ後、巧君は『ハイっ』と手を差し伸べてきた。


(会って二回目で手を繋ぐのはちょっと…… )


 と思いつつも、爽やかな笑顔の彼にドキドキしながらその手を取る。


「よかった、断られたらどうしようかと思った 」


 巧君はニコッと笑って私の手を引いて歩き始める。 彼に気付かれないようにチラッと後ろを振り返ると、適当な距離を取って菅原君が後をついてきていた。


(なんでついてくるのよ! )


 『来ないで』と菅原君に言う訳にもいかず、私は菅原君をガン無視することに決めた。 巧君に連れられて入った先は、アンティークな雰囲気のイタリアンレストラン。 『どうぞ』と椅子を引いてエスコートしてくれる彼に、私の好感度も一気に上がる。


「ゴメン、ちょっと外すね 」


 私を先に座らせて、巧君は座らずにそのまま席を外した。


「あ…… 」


 店内の様子を流し見ていると、ここにまで菅原君がついてきている。 巧君が席を離れると、すかさず私の所まで寄ってきた。


「安倍さん、気を付け…… 」


「人のプライベートを覗き見なんて趣味悪いんじゃないの? 」


 目は合わさず、周りの客に聞こえないように小声で冷たい口調で文句を言ってやった。


「聞いてください! あの男は他の…… 」


「あの男なんて言わないで。 何を知っているのか知らないけど、彼の悪口は許さない! 」


 ジロッと睨み付けてやった彼の顔はちょっと泣きそう…… でも邪魔はして欲しくない。  


「おまたせ…… ってどうしたの? 怖い顔して 」


 気が付くと巧君がトイレから戻ってきていた。 私は慌てて笑顔を作ってみせる。


「ううん! なんでもない、なんでもない! 」


 首を傾げる彼にそう言って、私は慌ててメニュー表を広げて顔を隠す。 メニュー表越しに巧君の後ろの菅原君へ目線を向けると、彼はいつの間にかいなくなっていた。





 楽しい食事を終えて、私達はショッピングモールを横切るようにゆっくり散歩する。


「これなんか似合うんじゃない? 」


 ベージュのキャスケットを私に被せて巧君は微笑む。 雑貨屋で気になったものを立ち止まって見たり、露天に並べられていた服を手にとってみたり…… 何か目的がある訳ではないが、彼といるだけでウィンドウショッピングも一段と楽しい。 小一時間程かけてショッピングモールを歩き、遊歩道の端まで来た。 この先は駐車場になっていて、その先には防風林が広がっている。


(車を取りに来たのかな…… ドライブも悪くない )


 なんて、調子良すぎるだろうか。


「この先にちょっと面白いものがあるんだ。 君にそれを見せたくてね 」


 ニコッと笑う彼は私の手を引き、駐車場を通り抜けて防風林の中へと足を踏み入れる。


(この先って何かあったっけ? )


 地元の人でもこの防風林の中にはあまり足を踏み入れないが、どんなものを見せてくれるんだろうと期待を膨らませる。


「あー、俺。 そろそろいいぞ 」


 おもむろに巧君はスマホを耳に当てた。 なんか私と話す時と口調が少し違うけど…… 周りを見渡すと人の気配が全くない。 ちょっと不安になって巧君にどこまで行くのか聞いてみることにした。


「巧君、まだ奥に行くの? 」


 そう言った途端、繋いでいた手を痛いくらいギュッと握られた。


「この辺でいいか。 さあ、面白いことしようぜ美月ちゃん 」


 合図のようなセリフと同時に、脇の木陰から二人の男が笑いながら姿を現した。 振り向いた巧君の顔に恐怖を覚える。 あのチャラ男と同じニタニタとした笑い…… 背筋がゾクッと寒くなる。


「なにこれ…… 巧君 」


 その内の一人はあの時のチャラ男…… そっか、最初からグルだったんだ。


「なにこれじゃねーよ。 ホイホイついてくるお前が悪いんだろーが 」


 グイッと握られた右手を持ち上げられて顎に手をかけられた。 ヤダ…… 気持ち悪い!


「巧? 誰だよそいつ。 警察にタレこむなんて考えるなよ? お前が輪姦されてる動画ばらまいてやるからな 」


 徐々に近づいてくる男達と巧君の顔…… そうだよね、世の中そんな甘い話なんてない。 自分の情けなさに涙が出てきた。


「そうそう、そうやって大人しくしてりゃ痛い目に合わなくて済むぜ。 すぐに気持ち良くしてやっから 」


(怖い…… )


 怖くて声も出せず、足も震えて力が入らなくなってきた。 目を閉じた裏側には菅原君の顔が浮かんでくる。


(彼は何度も警告してくれた。 彼の言うことをちゃんと聞いていれば…… )


 なんて考えは都合が良すぎるよね……


 巧君の腕が私の腰を捕まえた。 そのまま下に下がってお尻を鷲掴みにしてくる。


「う…… ぃやああぁぁぁ! 」


 私は残っていた左手で巧君の体を押した。 その途端、彼は弾かれたように顔を上に向けて遠ざかっていく。


「…… えっ? 」


 目の前は紺色一色…… すぐにそれがあの学生服の色だと分かった。 フワッと抱きかかえられる感触に、私は驚いて声も出せない。


「間に合って良かったです 」


 額に大粒の汗を浮かばせた菅原君の微笑む顔が、私を上から覗き込むようにすぐ側にあった。

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