其の六

 『お話したくて』と言われても、人の目のつかない場所なんて意外に少ない。 急には思いつかず、私は駅に程近いカラオケボックスを選んだ。 ここなら会話していても気にならない…… 店員が爽やかな笑顔で応対してくれたが、決して私はおひとり様ではないからね。


 部屋に入って無音もどうかと思ったので、とりあえずBGM代わりに何曲か適当に選曲してみる。


「僕は菅原 優斗すがわら ゆうとと言います。 やっと思い出せました 」


 深々と頭を下げて彼はお辞儀をしてきた。 優斗君か…… とりあえず火事で亡くなったおじ様でないことはハッキリした。


「良かったね。 他には何か思い出せた? 」


「道人は僕の父親で、外資系の商社マンです。 あの家が火事で燃えてしまったことは知りませんでした…… 残念です 」


 残念と言うわりには、あまり悲しんでいるようには見えないが。 今の言い回しも違和感があるけど、他の家族はどうしたんだろう?


「お母さんとか兄弟とかは? 」


「母はあの家に住む前に離婚してるんです。 妹もいるんですが、母に引き取られたのでもう何年も会っていません 」


 たまに派手に点滅するカラオケのテレビモニターに視線を向けながら、彼は淡々と思い出したことを私に伝えてくれる。


「それと、何て言ったらいいんだろう…… 胸の奥が凄く苦しいような、ドキドキするような…… 」


 恋心? 彼女でもいたのかな……


「なんだこれ…… 」


 彼の体は小刻みに震えていた。 俯いて手のひらを広げて見ている彼は、その震えに耐えきれずに拳を握る。 額には大粒の脂汗…… 具合が悪い? 幽霊でも具合悪くなるの!?

 

「ちょっと、大丈夫? 」


 次第にブルブルと震えが大きくなる彼の肩に、思わず手を伸ばしたその時だった。


「!? 」


 彼の肩に触れた瞬間、何か見えたような気がした。 黒い影に鈍く光る銀色の細い物……


(ナイフ? いや、もっと長いあれは…… )


「うああぁぁぁ!! 」


「きゃあ! 」


 突然彼は私の手を払いのけ、血走った目で私を睨んで殴りかかってきた。 


 殴られる! 思わず目を閉じて反射的に両腕で顔を覆った。 が、体に衝撃はない。 曲が終わって静寂に包まれたカラオケボックス内には、ハァハァと荒い息遣いをする彼の呼吸だけが響いていた。 恐る恐る目を開けてみると、彼の拳は私の目の前で寸止め、血走った目で自分の右手首を必死に押さえていた。


「ハァ…… ハァ…… 」


 硬直して動けない私から、彼はゆっくりと後ずさって壁にもたれ掛かる。


(怖い…… )


 鬼の形相とはこういうことを言うのだろう。 優しい印象の彼が目を吊り上げ、鼻の頭にまでしわを寄せそうなくらい顔を歪めていた。 やがて彼は、手首を押さえて震えながらズルズルと座り込んでしまった。 肩で息をする彼はとても苦しそうだ。


(怖いなんて言ってられない! )


 私は震える足を必死に動かして彼の前にしゃがみこんだ。


「大丈夫!? どうしたの? 」


 覗き込んだ彼の顔は真っ青だった。 必死に呼吸を整えている彼の肩に手を添えようと手を伸ばしたが、寸でのところで手を引っ込めた。  また同じことになったら…… 


「僕、殺されたんですね…… 」


 彼に触れた時に見えたもの…… 彼の頭の中にフラッシュバックした景色が、私にも流れたんだと予想する。 黒い影は人、銀色の細い物は凶器。 わかってた…… 過去を思い出すって、忘れていたツラい事も全て受け入れるってことだ。 


「ごめんなさい、私余計なことしたのかも…… 」


 彼は首を振って私に微笑む。 彼の笑顔が、私には余計ツラかった。


「そんなこと言わないで下さい。 名前を思い出せたのは安倍さんのお陰なんです、僕はそれだけでも幸せなんですから 」 


(もう彼に関わるのはおしまい…… )


 そう心に決める。


「あ、この曲…… 」


 聞き流していたカラオケの曲に、彼はテレビモニターに視線を移して耳を傾ける。 有名な三人組のバンドで、卒業式なんかによく使われる旅立ちを応援するバラード。 もう彼の顔は歪んではいない…… サビの部分を小さな声で口ずさむ彼は、なんとなく切なく見えた。


「そういえば、彼女がよく口ずさんでいました。 この曲 」


「付き合っていた人? 」


「いえいえ、よく話はしてましたけど付き合うなんてそんな…… 初恋の人、だったんです 」


 照れながら頭を掻く彼がちょっと可愛いと思ってしまった。 そういえばこの曲、私も高校時代によく聞いてたっけ。



  プルプルプル……



 ボックス内の内線電話が予定の終了時間を知らせる。 私は受話器を取り、予定の時間で退出する旨を伝えた。


「それじゃ出まし…… どうしたの? 」


 振り向くと彼がドアの小窓を見て呆けていた。 私も小窓に目線を移すと、スッと横切る人の影が見えた。


「あ、いえ。 なんでもないです 」


 名前を思い出したのをきっかけに、いろいろ連鎖して記憶が蘇ってきているのかもしれない。


(これ以上の深追いはダメだ。 私の役目はここまで! )


 そう思いながら会計を済ませた。


 カラオケボックスから出た私達は人目を避けて裏路地に入る。 誰もいないことを確認して彼に話しかけた。


「私が出来るのはここまでかな 」


 後ろ髪を引かれる思いで彼にそう告げる。 上手く笑えただろうか…… 変に期待されないよう、突き放した方がお互いの為だと思ったからだ。


「ありがとうございました。 ご迷惑おかけしてすいません 」


「ううん、私のただのおせっかいだから 」


 彼は困った笑顔で私に何か言いたげな顔をしていたが、フッと吹っ切ったような笑顔を私に向けた。 よかった…… 私の思いはちゃんと届いているらしい。


「これから母親と妹を探してみます。 時間は腐るほどありますし 」


 笑ってそう言う彼はちょっと寂しげに見えた。 つい手伝ってあげたくなってしまうが、私は一つ頷いて突き放す。


「元気でね。 幽霊さんに気を付けてっていうのも変だけど、体に気を付けて 」


 彼はニコッと私に微笑むと、頭を下げてから背を向けて歩き出した。 私はその背中を見届けることなく裏路地を後にする。


 自宅の焼失、父親の死、そして自分が殺された事実。 ツライことばかり思い出させてしまったことに胸が痛む。 死者に真実を伝えるって、こういうことなんだなと思い知らされた。


 これからどのように生きていくのかは彼次第。 無事家族を見つけて、綺麗に成仏してくれることを願う。


(あ、幽霊だから生きてとは言わないか )


「おねえさん! そこのスーツのお姉さんってば! 」


 そんなことを考えながら歩いていると、通り過ぎた男の人に声を掛けられていた。


 

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