其の三

 二日酔いの頭痛を薬で抑えながら、なんとかその日の仕事を終わらせて定時に会社を出る。 今朝方のあの高校生が立っていた交差点を通りがかったが、さすがにこの時間にはもう彼の姿は見当たらなかった。


「もう…… なんで私がこんな気分にならなきゃならないの…… 」


 大声を出して、オーバーアクションをして、私の他に誰かが気付いてくれることを期待したんだろうか。 もう何年も誰にも気付かれなかった彼が、私とのやり取りでまた人としての寂しさを思い出してしまったのかも。


 それから一週間、町の中で彼の姿を見ることはなかった。 何人かの幽霊さんを見かけることはあったが、そのほとんどが薄く透けて姿がはっきりしない者ばかり。 彼のように、物に触れられたり話したりできる幽霊さんはとても稀だ。 彼はよほど強い恨みがあったり、無念でこの世を去ってしまったのかもしれない。 


「あ…… 」


 会社帰りの駅へ向かう途中、歩道橋の上から車の流れを見下ろす彼を見つけた。 私だって幽霊さんをいつでも見る訳じゃない。 体調が関係してたり、気分が関係してたり…… 私自身もよく分かっていないが、彼は今日も生身の人間と見間違えるほどはっきりと見えていた。


(なんでこんなに気になるんだろう…… 別に好みじゃないし、幽霊さんだし )


 やっぱり罪悪感が大きいのだと思う。 でも関わっちゃいけない。 私に何かできるわけじゃない。 私は気付かないフリをして、その後ろを通り過ぎる。


「何たそがれてんだ? 少年 」


 通り過ぎるつもりだったのに、無意識に彼に声を掛けていた。 彼と同じように歩道橋の欄干に肘をつき、彼を見ないで車の流れに目を向ける。 


「お姉さん…… どうして…… 」


「私が気付かなければ、君もそんな顔することもなかったのかな…… と思ってさ 」


 暫くの沈黙。 チラッと彼を見ると、まん丸くしていた瞳が揺れていた。


「お姉さんのせいじゃないです。 だって僕、幽霊ですから 」


(自覚はしてるんだ…… ) 


「何か探してるの? 心残りとか? 」


 彼はフフッと寂しそうに笑った。


「自分で何を探していたのか分からないんです。 お姉さんに出会ってからは、もう一度会いたくて探してましたけど 」


 そんな事を面と向かって言われた事がない私には、ちょっとキュンとくるようなセリフ。


(いや彼は幽霊さんだから! )


「何を探してたか分からないって…… 失礼だけど、君が死んだ理由って? 」


「えっ? 」


 振り返って彼に問いかけると、見知らぬおじさんが通りかかった所だった。 おじさんは怪訝な表情で私を睨んでいる。


「ご、ごめんなさい! 独り言…… かなぁ! 」


 早速の洗礼……  その場から逃げるように私は歩道橋を駆け下りて、背中に回した手で彼を手招きした。 それに気付いた彼は、階段を駆け下りてついてくる。


「ちょっと場所移そうか。 私にも世間体ってのがあるから 」


「そうですよね、他の人には僕は見えて・・・ないんですよね。 ごめんなさい 」


 側に通行人がいる場所で言葉で返す訳にはいかず、謝る彼には肩越しに振り返って微笑んでみせた。 確かここの道を曲がった先に、小さな公園があった筈だ。 私はその公園を目指して黙々と歩いた。




 もうそろそろ夕飯時という事もあり、公園内は人はまばらだ。 とりあえずここなら、彼と少し話が出来るだろう。


「君ってジュースとか飲めるの? 奢ってあげるよ 」


 自動販売機に小銭を入れて彼に選ばせてみる。


(傍から見ればエア友達と会話してるボッチにしか見えないんだろうな…… )


 周りに人影がないかとキョロキョロし、ホッと胸を撫で下ろすのも、考えれば十分怪しかったりする。


「いや、試したことないんですけど…… いただきます 」


 彼はコーラのボタンを押す。 でもピッと音はしない…… 結構力強く何回も押してそうなのにボタンが押ささらないらしい。


「触れるけど動かせない…… っていうことでいいのか…… な? 」


「そう…… みたいですね 」


 私達はお互い苦笑いになった。 まぁ、そういうこともあるよね…… 私が代わりにボタンを押して缶を彼に手渡してみるが、缶の重さに負けて彼の手が地面にめり込んでしまった。 見た目はただ缶を落とした…… って感じ。


「だ、大丈夫!? 」


「…… 痛くはないんですけど、コーラは飲めないみたいです。 せっかく買ってもらったのにごめんなさい 」


「それはいいけどね…… 」


 幽霊さんなんだから不思議な事があっても仕方ない。 だって会話出来てる時点で不思議なんだし…… 私は缶を拾って近くのベンチに腰を下ろした。 周りを見渡して、人影がないのを確認してから彼に尋ねる。


「さっきの話、探してるものが分からないって? 」


 缶コーヒーのプルタブを起こして私は一口。 彼は苦笑いのままゆっくり頷いた。


「あ、ゴメンね。 私は安倍美月、君は? 」


「…… 分かりません。 自分の名前も、死んだ原因も覚えてない…… 気が付いたら、住宅街の空き地に一人立ってました 」


(名前も忘れてしまうのか、なるほど…… )


 なんて感心することじゃない。 彼は一点を見つめたまま遠くを見つめていた。


「空き地? どこの? 」


「この街の外れです。 よく幽霊って思い出深い場所に居座るって言うじゃないですか。 僕の場合、その空き地が多分自宅だったんじゃないかなって思うんです。 どうして空き地になったのかは分かりませんけど 」


 分からないことだらけ…… 力を貸してあげることは出来ないけど、話を聞いてあげることくらいは出来る。


「おねーさんに色々話してみ? 何か思い出せるかもしれないよ 」


 なんでこんなこと言っちゃってるんだろ…… 関わらない方がいいと分かってるに、どうしてか彼を放っておく気にはなれなかった。

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