第二話 朴念仁

 松本藩の藩士のなかで、浅野甚左衛門は朴念仁として知られているが、決して道理のわからぬ無愛想なままの御仁ではなかった。朴訥で素朴な考えの人ではあるが、すこぶる情にも熱い。甚左衛門は四十二歳。郡奉行配下の郷方に勤めている。食禄は七十石。

 

 甚左衛門の背丈はゆうに六尺を越す巨躯であった。面立ちは野良仕事で使う鍬のように真四角で、日々野山を歩く勤めのため、顔色は良く肥えた畑の土のように、年中真っ黒に日焼けしている。

 十年前、天保四年の冷夏の年、飢饉に困窮した百姓たちが連合してお上へ救済を訴えた。その五十年前の天明年中の凶作の折は、お上のかくべつのお慈悲で、松本藩内では一人の餓死者も出さなかった。百姓たちは同様のお慈悲を願いたいと騒動を構える勢いとなった。その先頭に立って、郡奉行の前で巌のように座り込んだのが、他ならぬ甚左衛門であった。

 郡奉行からの報告を聞き、正義を楯にして譲らぬ頑固者に、家老の野々山四郎左衛門は苦笑いして呟いたという。

「あの、め…」

 斯くしてかくべつのお慈悲が下された。


 甚左衛門にはお福という妻女があった。婚して二十年になる。嫁ぐ前のお福は、白い花をさかせる夕顔に喩えられるほどの美人で知られ、朴念仁の甚左衛門との婚儀が決まると、藩内の若者はいっせいに騒ぎたてた。誰もが自分とは言わぬが、甚左衛門より他にもっと可憐な花に釣り合う人物がいそうなものだと不平をのべた。周囲のものがどうしてそう騒ぐのか、色恋には気が利かぬ甚左衛門にとって、それも馬耳東風といったおもむきであった。

 

 夫婦仲は良い。

 

 十八になる息子は学問嫌いで剣術にばかり熱心だが、五体健康ならそれはそれで良いと甚左衛門は思う。下の二人の娘も、お福似の愛らしい娘に育った。

 思えばお福が浅野家に嫁いできて間もなく、甚左衛門の母親が病を得た。お福の献身の看護の甲斐なく、三年後にその母を見送ると、今度は父親が躰に故障をきたした。お福は子育てと介護に追われる忙しい日々であったのだが、お福の口から一切の不平は聞かれなかった。

 くだんの甚左衛門が起こした政庁での座り込みの一件でも、お家の存亡をかけた危機にもかかわらず、お福はいっこうに動じることもなく、良人の肩を持ってたすけたのである。

 いかな甚左衛門が朴念仁とはいえ、そんなお福に感謝の情が湧かぬわけではない。いやそれどころか感謝の情は有り余るほど体じゅうに溢れているのだが、それをおいそれと口に出来ぬのが、わからずやの朴念仁の朴念仁たる所以であった。


 ある時甚左衛門は、同僚との世間話から、夫婦は婚儀を遂げたその日を記念して、毎年その日に良人から妻女へ贈り物をするのものだと聞いた。これは青天の霹靂であった。甚左衛門はかつて一度も、妻女のお福へ贈り物などしたことがなかった。堅物の頭の中で、否が応でもあれこれと思考を巡らせてみたものの、

「左様な儀は、拙者には無用でござる」

 と、甚左衛門は平素を装い、その場はそう突っぱねて見せた。


 そうしたある黄昏どき、それは甚左衛門がお福と婚儀を整えた記念の日であった。賑わう中町の小間物屋の前を、よそよそしく往ったり来たりする甚左衛門の姿があった。何しろ町で買い物することなど皆無の御仁である。ましてや女物の小間物など。内心では大いに照れているのだが、頑固者が下げた仏頂面は強張っている。甚左衛門はお福の装いを念頭において、店先の品物を横目で物色し、値踏みして見るのだが、どうにも店屋に入る踏ん切りがつかぬらしい。

 

 そのとき、一陣の風が吹いた。

 

 その春風に背を押され、甚左衛門の巨躯が、ひらりと横っ飛びに店屋に飛び込んだ。


     第二話 朴念仁 完

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