第6話 パブリック・エネミー・ナンバー・ワン

 千夜学園は、かつて富士山と呼ばれた土地にある巨大なくぼみの真ん中にある。それは半径15kmのほぼ真円に近い形をしていて、その周囲を2000m級の岩山が取り囲んでいるのだった。上野駅直通の地下鉄道。それ一本だけが学園と外部を繋いでいる。

 学園は大きく3つのエリアに分けられる。生徒たちが授業を受ける『中央校舎群 セントラル』。登校から下校までの間、すべての生徒たちがここに集う。


 その周囲を取り囲むビル群が内円インナーサークルあるいはパブリック・エリアと呼ばれる地域だ。生徒たちの経済活動の場である3つの学生街と、その間を埋めるように乱立する部室棟があり、生徒たちが主に放課後の時間をつぶす場所となる。


 最後にその周囲の田園地帯。外円アウターサークルあるいはプライベート・エリアと呼ばれる地域。人工的に作られた自然豊かな環境に『パノプティコン』と呼ばれる学生寮が点々と立ち並んでいる。10階建ての飾り気のない灰色をした円筒形の建物で、外壁には入り口と各階に周期的に配置された窓以外何もない。そんな建造物が全部で997棟あるらしい。灯りが絶えることのない内円インナーサークルの喧騒とは対照的に、生徒たちはここにただ眠りにつくまでのわずかな時間を過ごすためだけに帰ってくる。


 外から内へ、そして内から外へ。この生徒たちの大きな流れこそ毎日毎日、数十年間途切れることなく繰り返されてきた日課である。


                   ◇


 零斗もまた、のんびりと景色を眺めながら学生寮へと戻っていた。やるべきことはすべて成し遂げた、今は部屋に戻り布団の中に沈んでいくことしか考えられない。


「おーい、ゼロっち!」


 元気溌剌な少女の声が響くが、それに応じるだけの気力はもう残っていなかった。

 ゼロっち。それはたぶん自分のことだ。だが、あえてその声を無視して進む。なぜなら、零斗は今まで一度だってそんな仇名で呼ばれたことは無かったからである。


「いえーい、ゼロっち!ハイターッチ」


 バシリと後頭部を勢いよくはたかれた。背面ハイタッチは難易度が高すぎる。

 振りむくとそこには全く見覚えがない……というわけでもない女子生徒の姿があった。見覚えは、ある。さて誰だっけ。

 背丈は平均よりもやや低め。ウェーブがかった髪を綺麗に金髪に染め上げているのが特徴的だ。化粧もばっちり決め、耳にはピアスもはめている。

 ギャルてやつか。ああ、青春を大いに謳歌しているんだね。素晴らしい、君の権利を誰も奪えやしないさ。ただ個人的な感想を言わせてもらうなら、僕は君のようなタイプは苦手だ。

 もちろん零斗が本音を口にすることはない。


「や、やあ」


 代わりに愛想笑いを浮かべながら曖昧な挨拶をする。


「こんばんは。ねぇ、ゼロっち。ねぇねぇ、アタシの名前呼んでみて? 」


 出会って早々、要求が重い。真名を暴けとな。悪魔か、いや実際小悪魔系って奴なのか。

 俺にとってどれだけ業の深いことか分かっておっしゃってる?。

 ラメに縁どられた瞳でじっと表情をうかがう少女。

 二人はじっと見つめ合う。


「名前、覚えてないんでしょ?」


 ギクーッ!! 

 もちろん彼女のことを覚えていないわけでない。同じクラスの女の子で、たぶん授業初日からずっと隣の席で授業を受けている。3回くらいは名前を聞いた気もするが、忙しくてちゃんと聞いてなかった。デモネ、関心が内向きな男の子にはありがちなことなのよ。

 確か横文字の名前だったよね。零斗はモヤの掛かった記憶の海に漕ぎ出してみた。思い出す努力くらいはしないと失礼というものだ。


「どこかで聞いたような名前だとは思ったんだよ。パンティ…は全然関係ないんだけど…なんとなくヨーロッパな雰囲気を感じたんだよ。えーっと、パンティじゃなくて、ああくそ、なぜかパンティしか浮かばない。えーっと……」


「あたし多々良葉美希たたらばみきだよ。ミキティって呼んでね」


 ミキティは面倒くさがる様子もなくいつも通りの自己紹介をする。


「そうだミキティだよ!会うたびに『ミキティって呼んでね』ってしつこくアピールしてくる女の子だ。ミレディの黄色いパンティと覚えていたんだ。ちなみにミレディは『三銃士』に登場する色気ムンムンのお姉さんだよ。というわけで多々良葉さん、こんばんは。こんなところで出会うなんて奇遇だね」


「違うよー。偶々じゃなくって、アタシはゼロっちを探しに来たんだ。授業中に『生徒会』のこと熱心に調べてたでしょ。それがものすごく気になって止めに来たんだよ。さぁ、危ないからさっさと帰ろう」


 そう言って間近に顔を近づける。

 彼女はいつでも元気を余らせているようで、すぐ隣で話すときでさえ迫り気味にしゃべる。小さな体が二割増しで大きく見えるほどだ。そんな様子がやっぱり零斗は苦手だった。


「なぜさ。『生徒会』が危ないなんてことは全然ないぜ。みんないい人だったよ」


「はわわわわわわわっ!!! もしかして、モウ・スデニ・生徒会室に行ってきたとか言っちゃう。やばいよ、それ!!どうしよう。今まで心配した分が無駄になったうえに、これから心配しなくちゃいけない分は上積みだよ。どれだけ心配させたらさせたら気が済むんだよ。さぁ早く謝って、悪いもの全部吐き出して、ここで土下座しよ!?」


 零斗は彼女が何を騒いでいるのかちっとも理解できず、ただただ感嘆符の多さに感心していた。


「何も気にすることはないさ。すべて順調、順風満帆。明日にはすべて解決してるよ」


 ミキティは零斗の危機感と無縁のしまりのない表情が気に食わないようだ。顔をじぃっと見つめ、やがて閃いたとばかり大声をあげる。


「わかった。美人だったんでしょ」


「え?」


「生徒会の人だよ。美人に騙されてホイホイついて行っちゃったんだ」


「え? 神様のことかい。まぁ確かにあんな美人は今までに見たことがないね。映画に出てる女優のようだった」


「やっぱりねぇ。『神さま』って何? そいつが美人で諸悪の根源であることは分かったけど」


「神様さまは神様だよ。確か生徒会長でもある。名前は忘れちゃった」


「ほうらね。やっぱりだ。美人に騙されて、あとはもう宗教勧誘だよ。マルチ商法だよ。美人局だよ。新入生は気をつけろってあれほど言われてたのに、さっそく餌食になってるのだけど大丈夫?」


「生徒会が危険だって? 多々良葉さんたら、おかしなことを言うなぁ。『生徒会は僕たち生徒たちのためにある』んだよ。知らなかった?」


 ミキティはこれはもう手遅れだと言いたげな不安そうな顔をして、おもむろに零斗のうなじを確認する。


「手術痕のようなものは見つからない。改造はされていないか……」


 気づけば自然と二人は横に並んで歩きだしていた」


「ゼロっちは、警戒心ってモノがないんだよ。危機意識ゼロ、生存本能はマイナスだよ。よく今日まで生き残れたね。ちゃんと生活のしおり読みましたか?」


「ちゃんと読んだよ。は、半分は…」


「学園にはさ、お父さんもお母さんも、家族は誰もいないんだよ。ちゃんと入学案内を聞いてた? 聞いてないよねー?。千夜学園のトップは『八大委員会』。ゴーギ制で生徒のジチケンを守ってるの。この学園に生徒会なんて組織は存在しないんだよ!?」


 偏見かもしれないけどギャルなのにちゃんとレクリエーションの予習復習してるんだと感心する。


「そんなはずはないよ。生徒会室はあったし、生徒会長も副会長もいたよ。あれが幽霊だったとでもいうのかい?」


「だからだよ。だからこそ、生徒会は冗談じゃなくてホントに危ないんだよ。存在しないはずの組織が存在している。これがどういうことか分かっているの」


 両腕を振り回す大げさなボディランゲージ付き。


「お土産だってちゃんともらったよ。ボールペンとメモ帳、それに紅白饅頭」


「七年前この学園で何があったか知らないの? テロ集団の生き残りなんだよ。だから、もう二度とあそこにはいかないって約束してよ」


 なんだか彼女が真剣なのは分かるけれど、零斗も眠気が限界だった。


「クラスメイトとして心配してくれるのは、嬉しいけれど……感謝はしてるよ」


 面倒くさくなって話を打ち切った。


「何言ってるの!私たちダチンコでしょ。お礼なんていらない」


「何がチンコだって!?」


 殴られた。

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