第3話 八坂英樹の溜息
「やぁ、生徒会へようこそ」
ドアは内側から開いて、現れたのは笑顔の素敵なメガネ男子だった。
細身で背はすらっと高く制服をスマートに着こなしていた。端正な顔立ちで引き締まった表情からは知性があふれ出している。アポなしの訪問にも嫌な顔一つしない柔らかな物腰が自然と緊張で強張った零斗の体をほぐす。いかにも成績も内申点も女子からの人気も高そうな、このメガネ男子が千夜学園の生徒会長なのだろうか。
「あのう、突然お邪魔して申し訳ありません……」
「緊張しなくてもいいよ。ここは生徒会室。生徒のためにあるのだから」
彼の包み込むような笑顔に零斗はすっかり気を許してしまった。案内されるまま部屋の奥へと付いていく
生徒会室。そこは今まで見てきた学園とは正反対の風景だった。科学の最先端から古典文学の世界へお引越し。床も柱も天井もすべて木製で、壁には草花を元にした抽象的な文様の壁紙が張られている。
部屋の真ん中には向かい合わせに並べられている6つの事務机。これもまたすべて木製。ただの木目柄ではなく本当の樹木から切り出され、組み立てられた本物。今の日本ではすっかり姿を消してしまったものだ。緻密な彫刻が施され、琥珀色のニスの輝きが高級感を醸し出す。ただの家具ではなく美術品としても存在しているのだ。椅子や書棚それ以外の家具のすべて同様な一級品が揃っている。
生徒会というよりも、海外ドラマの世界に迷い込んでしまったかのような光景だった
零斗は息をするのも忘れて首から下げたカメラを構えていた。そして、すぐにいつもの悪い癖が出たと気付いて頭を下げる。
「またやってしまった。本当にゴメンナサイ。思わず体が動いてしまうというか……綺麗なものは、全部レンズを通して観たくなるのが僕の厄介な癖でして、テヘヘ」
せっかく温かく迎えてもらったのに台無しにしてしまうような大失態。零斗は思いっきり自分を殴りつけてやりたい気分だったが、メガネ男子は叱りつけるようなこともなく、少し困った顔で零斗を見守っていた。
「ふふふ。そうだね、ここは少し風変りだからね。気持ちが昂るのも理解できるよ。これはね、生徒会長"閣下"の趣味さ。実をいうと僕だってずっと落ち着かないんだよね」
「風変りだなんてとんでもない。感動してます。大人の空間です。こだわり派のマスターがいる喫茶店みたいですよ」
語彙に欠ける零斗の精いっぱいの誉め言葉である。
さて、零斗はここでメガネ男子の発した重要な一言を聞き逃しはしなかった。
「あれれ。ちょっと待ってくださいよ。"生徒会長の趣味"ということは、先輩が生徒会長ではないのですか?」
「僕の名前は、
八坂は部屋の隅の応接ソファーに零斗を座らせると、自分もゆるりと腰を掛ける。そして、笑顔を崩すことなく
「さてさて、藤原君。僕たちに何のご用事ですか」
と零斗の瞳をまっすぐに見つめ問いかけるのだった。
そうとも零斗だってここに遊び来たわけではない。
何の用事かと問われてみれば、果たしてどこから話せばいいのやら。
零斗は一瞬だけ悩んだ結果、端的に結論だけを告げることにした。
「あのう。神様に会いたいんですが」
口に出すと、間抜けなセリフだ。
いきなり核心に迫るのは、あまりに無警戒ではなかったか。
これで良かったのか。なんと答えるのが正解だったのか。
ぐるぐると思考が巡る。
膝の上の拳をぎゅっと握りしめ身構える。しかし、八坂の反応は予想とは大きく違っていた。
「ハァ………………………………………………」
魂がすべて抜けていくような深く長いため息。深く深く長く長い。
零斗はこれほど落胆した人間を見たことがなかった。
すべての息を吐き出したかと思うとメガネを外し、目頭を押さえたまま再び黙り込んでしまった。
「あの僕、何かまずいこと言っちゃいました?」
事態が呑み込めず呆気にとられるばかりの零斗。
だが、メガネ男子は再びメガネを掛けなおすと元通り再起動した。
「失礼、少し疲れていてね。さて、藤原君だったね。君には何か悩みがあるんだろう。どうかな、その悩みを僕に聞かせてくれないかな。生徒会として全力で取り組ませてもらうよ」
彼は自信に満ち満ちていた。その姿は頼もしく輝かんばかりだ。
八坂の言葉に嘘はない。過信もなければ、自惚れもない。彼には、およそ一介の高校生が抱くような悩みのほとんどを解決するだけの才能と熱意に溢れていた。
だが、零斗は躊躇することなくこう答える。
「僕は神様には会えないんですか。僕は神様にお願いしたいんです」
メガネ男子は目を見開き、何か言いたそうに口をパクパクさせている。
本当は「どいつもこいつも何で口を揃えて……」と叫びたかったのだが、ぐぅと飲み込んだ。
全身で失望を表明するように、彼は立ち上がると大げさに両手を持ち上げて、首を横に振った。
「ハァ……まったく」
ため息交じりに。
「ハァ……まったく」
語気を強めてもう一度。
「ハァ……まったく、まったく、まったくだ」
しつこい様に何度も何度も繰り返す。ようやく落ち着きを取り戻すとこう続けた。
「君は賢明でない」
再びソファーに腰を掛け俯いたまま低い声でそうつぶやく
「はい?」
「君は馬鹿だってことさ。どうして……どうして……」
八坂の狼狽ぶりは、確かに神様が実在することを証明していた。
零斗の関心は既に目の前のメガネ男子にはなく、部屋のどこかにいるという神様に向けられていた。八坂英樹の善意を踏みにじり、踏み越えてでも、零斗は神様に会う必要があるのだ。
「さぁ、英樹。約束だよ。選手交代だ」
混乱を収めたのは澄んだ少女の一声だった。
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