第24話:ツイソウ

 幹線道路を信号無視と速度制限を繰り返しながら走っていく。

 本来身体が受ける風は闇の中を照らし切り裂くヘッドライトの輝きを先頭にして、逞しい顔つきのバイクが風を受け流していく。

 体勢を前傾姿勢すれば風の抵抗は減りバイクの速度はさらに上がりやすくなる。


「だ、大丈夫!? こんな速度出して!?」

「大丈夫かどうかを議論する気はない。追い付かれれば死ぬんだからな!」


 彼女の頭が少しだけ動き、ミラーを見て後方を確認すれば変わらず追いかけてくるトラックの姿が見える。

 先程速度を上げたことで距離は離れたが徐々に近づき追い上げているように見えた。

 静寂に満ちていた島の幹線道路は、今やバイクとトラックのデッドレース場へと変貌していた。

 理由すら分からず狙われている側からすれば何とかトラックとの距離をさらに開きたいところ。なのだが方法はない。

 アクセルは常にフルスロットル。しかし距離を開けることは叶わずジリ貧だった。


「……仕方ない」


 彼女が運転モードを切り替えるとバイクの左右に取り付けられていたパニアケースが自動で開いていく。

 一見するとそこがパニアケースになっているとは分からない場所が開いたため、思わず中身を確認するため視線を向ければ中に入っているのはまさかの拳銃だった。


「彼方! それで後方を牽制射撃して!」

「はぁ!? 出来る訳がないだろ!? 撃つどころか持ったことも見たこともないんだぞ!?」

「操作はモデルガンと一緒! 少し重さが変わるだけよ! それにこれは狙って撃てとは言ってないわ!」


 明らかに一緒とは思えないが、それでも生きるためにはやるしかない。

 じりじりと近付いているトラックは、それだけで圧迫感を感じさせ、尚且つそのまま追突し轢き殺そうとしているのであれば何の躊躇があるというのだろう。

 吹き飛ばされそうな風に煽られながら、自分の膝下に開いたパニアケースに手を入れれば、持っただけでずっしりと重たい黒光りする拳銃を引っ張り出す。

 その重たさとグリップ性能によって手から不思議と吸い付き、離せば手から落ちるはずなのに手は銃を放そうとはしなかった。

 すでに装填されているマガジン。スライド引いて最初の一発を送り込む。セーフティを解除すればいつでも撃てる殺傷武器となる。

 一連の動作を的確に行ったのを見て杏奈はただ一言「撃て!」と叫ぶように指示をする。

 風によって震える手。照準などもとより定まるはずもない。実際の銃など触れたことすらないのだから。

 しかしただ後方へと向けた銃の引き金を引けば、それは吸い付いた手の平から手首、そして腕へと衝撃を与えたのち車や街灯のライトとは違う光を放つ。

 平和な日本で生きる者には聞き慣れない音。すでに遥か後方の道路に落ちる薬莢。


「くっ」


 たった一発の弾丸が与える衝撃は訓練もしていないただの学生が撃つには負担が強すぎた。

 しかし放たれた弾丸は奇跡的にトラックのヘッドライトをひとつ壊すことに成功し、追いかける運転手への牽制になったらしく速度を緩めさせた。


「よし、いいわ。このまま幹線道路から市街地方面を抜けていくわ」


 銃にロックをかけて背中側のベルトに捻じ込む。役目を果たした銃身は熱を持ち、手から離れそうになかった拳銃はあっさりと腰へと収まった。

 加速するバイクは幾つかの信号の先を越えて十字路を曲がり、市街地へと入って行った。



 ―――――――――

【???】


『それで裏切り者とサンプルを見失ったと?』

「すみません」

『勘違いされては困る。我々は謝罪が欲しいのではない。貴殿に求めているのは結果だけだ。監督不行き届けのな』


 しゃがれた老人の声が受話器越しに耳に届く。何度聞いても不快な声にまたも対応する破目になるとは思わなかった。


『どう責任を取るかは解っているはずだが?』

「お言葉ですが、若者の芽を摘むのが私の仕事ではありません」

『戦場において一兵卒が死ぬことは当たり前の話だ。何より彼女は志願者だ。例え君の元部下の妹とはいえ、国家機密の漏洩は防がねばならない。解るな、所長?』

「……元、所長です」

『否! 否だよ、所長! 研究は終わっていないのだから!」


 受話器越しに聞こえるしゃがれた声は、唐突に熱病に浮かされたのか狂ったように声を荒げていた。


『我々の計画は数年後には完成する予定だった! 間違いなく! 日の目を浴びることで世界中の人々がようやく安心するはずだった! 間違いなく! 歴史的瞬間を我々が生み出すはずだった! 間違いなく! 他国やつらの介入がなければ間違いなく完成したのだ!』


 鬼気迫る声で老人は叫び、本人はベットから動けないことを口惜しそうに妄執に捕らわれていた。

 もはや正気を保っている時間は少なく、いずれは取り返しのつかないことになる前にこの老人も死亡処置が行われるだろう。

 何人もの犠牲者を出した悪魔の研究と世界に蔑まれながらも続けることに何の意味があるのか、もはや私自身にも分からなかったが惰性で続けてしまっていた。


『解るかね、所長。我々がこの国を変えるはずだった。世界を救うはずだった人類を救うはずだったのだ! 他国の介入がなければあんな事故は起きなかった!』

「ですがそれは起きてしまい、そしてこの無人島は無人島ではなくなってしまった」

『いいや違う。これは実験の新たなフェーズに移行しただけだ。我々の存在意義は政府からも認められていた』

「過去の話です。我々は少子化対策を根本的に解決できると嘯いた愚か者だった」

『違うっ! それはサンプルを回収すれば証明できることだ!』

「そのために何人の犠牲者を出すのです!?」

『研究に犠牲はつきものだと理解したまえ。それにだよ、所長。我々の研究の成功した暁には人類の総数など幾らでも変えられる。そのためにはサンプルの回収が急務なのだ』

「神にでもなったつもりですか!?」

『我々は無神論者だ。特に私はね。信じるものは研究成果のみ。回収を急げ。また他国やつらが嗅ぎ付ける前にだ!』


 ブツンっと強制的に切られた電話は一日に二度しか使用できない島と本国との回線だった。

 次に使えるのは夜が明けてからとなるため、文句を入れようにもすでに使用は不可能だった。


「くそっ」

「本国からは何と?」

「回収を急げだそうだ。簡単に言ってくれる」


 悪態を吐いていると近くの席で書類整理をしてくれていた部下が気を利かせて冷たい水を持ってきてくれる。

 設備を稼働させてろ過した水は天然水に比べれば味気ないが、もはや逃げ場のない現場の人間からすれば贅沢品のひとつだろう。


「誰が追いかけている?」

「ゴードンが。ここに居ても自分は書類仕事が苦手だからと」

「……親元に返してやりたかったな」

「無理ですよ。我々はもうこの島から出られません。まして国外なんて。出れば化け物として処理されるでしょう」

「まだ違う。抗生剤は飲まざるを得ないが、まだ心も肉体も人間だ。まだ……人間なんだ」


 自分の変わらない右手を握り締め、変わってしまった左手を眺める。肥大化した左手は当時触れていた機材の破片を取り込み変質していた。

 破片がウロコのようにひしゃげた腕を覆い、無理やり何らかの形を成そうと意思とは関係なく時たま蠢いている。

 他の職員もまた部位は違えど事故の後遺症によって人間らしさを少しばかり欠如していたが、それでも以前と変わらないように仕事をしてくれていた。


「私たちはいつまで……こんなことを続けるんでしょうか?」


 ひとりの女性職員が呟いた言葉に、誰も答えることはしなかった。

 その言葉を言えば、何もかもが崩壊して全てに決着をつけたくなるだろうから。


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