第22話:壊れた世界の避難場所
ベランダを呼吸すら忘れるほどに全速力で駆け抜けて、窓が空いている教室を探していく。
するとやや離れた場所に窓が空き、カーテンが揺れている教室を見つける。
「あの場所っ!」
「お兄ちゃああああん!」
「っ!?」
同じようにベランダに出てきたのは着崩れた制服のまま姿を見せる乙葉が、笑顔のまま大きな声で後ろから手を振って追いかけてくる。
決して走ってはいない。精々が小走り程度でありながら、彼女の威圧感は小柄であるはずの彼女を虎や象にさえ感じさせる。
今では生命の危機を感じさせる恐怖の対象でしかない彼女の姿は、不思議なことに見ているだけで正気を削られ発汗や過呼吸が起きる。
あれは義妹なのか? あれはゲームで何度も攻略した乙葉なのか? あれは愛らしい笑顔を現実となった今でも向けてきた彼女なのか?
何も解らないまま俺は彼女から逃げ出し、空いている窓に足をかけて文字通り転がり込んだ。
「うわっ!? な、なんだ!?」
「だ、だれ!?」
入った教室には壇上の上で向かい合っていた男女が、突如として侵入し机や椅子を倒して無理やり転がり込んできた俺を見る。
「お、まえ……」「あ、んた……」
侵入してきた直後には驚きと不快が入り混じったような顔をしていたが、こちらの顔を見た途端に強張っていた表情は軟化し、まるで数年ぶりに会う友人や恋人を偶然に見つけたかのような顔でゆっくりと近付いてくる。
完全に初対面。名前すら知らない男女が同じ反応で少しずつ近付いてくる様はおかしくなった乙葉とは違った恐ろしさを感じて思わず窓の縁に腰をぶつけるほどに下がってしまった。
「……お兄ちゃん」
「っ!?」
勢いよく振り返れば乙葉の笑顔が至近距離にあった。
濁った瞳は漆黒に堕ち、一寸先も見えないトンネルのような瞳で俺だけを見て、そして捕まえるために乙葉が伸ばした手を尻もちをついたことで何とか避けられた。
「ああん、お兄ちゃん。どうして乙葉から逃げるの? 乙葉と気持ちいいことしようよぉ? ふふっ♪」
意識してやったことではないが、何とか捕まらずに済んだが腰が抜けたまま見っともなく四つん這いで必死に手足を動かして逃げ出した。
明らかに先程よりも正気ではない顔を見せられて、逃げないという選択肢は絶対に存在しない。
机と机の間を縫うように進み、何とか廊下へと続く扉に辿り着いて走り出す。
ふらふらと歩いて近付くのは乙葉だけでなく、教室で出会った男女も何故か似たような状態になって追いかけてくる。
訳が分からなかった。
嫉妬に狂う男たちに追われていたことさえも忘れさせ、学園内に残る部活や委員会、もしくは友達や恋人と話をする何の関係も無い者たちが目の色を変えて追いかけてくる理由が全く分からない。
「だ、誰か……誰でもいいから……助けてくれ……っ!」
頼れる者が何もない。誰かと会うのが恐ろしい。例え自分の家に帰ったとしても乙葉が入ってくるのは間違いなく、そして自分の部屋では逃げ場はない。
安心できる場所が欲しかった。冷静になれる場所が欲しかった。誰にも見つからない場所が欲しかった。
額や背中から汗は流れ、脈拍は過去に例がないほどに脈打ち、呼吸はすでに過呼吸に陥りそうだったがひたすらに走り続けた。
頭の中がおかしくなるほど逃げ続けると幻覚さえも見えてくる。
廊下には草や蔦が張り、外から差す夕日の光が玉虫色の雲を通って地上に気味の悪い光となって降り注ぐ。
また廊下の材質は滅茶苦茶で木や何かの破片だけでなく、骨やガラクタなどが随所に使用されている。
「●兄■◯ア亞A84■▼!」
後ろから追いかけてくる何かの鳴き声が恐ろしすぎて見ることが出来ない。
聞き慣れた乙葉の声にも聞こえるし、この世のものとは思えない怪物や本来声帯を持たないモノが発声しているようにも聞こえた。
壊れ続ける世界。そんな幻覚に押し潰されそうになる中で、何もかも投げ出したくなる状況下で自然と足を向けたのは屋上だった。
鍵が閉まっているとか、逃げ場がないとか細かい部分が思いつく暇さえなく必死になりながら足を動かした。
廊下の角を曲がって木の幹で出来た階段を昇り続け、何とか屋上へと繋がる変わらない扉を前にする。
ドアノブを回すと、何故か屋上の扉は開いたのでそのまま外へと飛び出した。
「校内が騒がしいと思えば……そう、絵空くんだったのね」
蔦や木、コンクリートや骨などが組み合わさった変わり果てた屋上の風を受けて銀糸の髪を靡かせる女の子、大伽杏奈が先客として立っていた。
こんなにも壊れた幻覚世界で彼女の声だけが、姿だけが正常に見える。
知識も度量も何もかも足りない、ただの何処にでもいる男であっても彼女が特別な存在なのが解る。
「お、大伽さんっ!? た、助けてっ! 助けてくれ! 乙葉が、みんなが急におかしくなって! 最初は嫉妬というか八つ当たりというか何だかよく分からないアレだったんだけど―――「落ち着きなさい」―――いやでも!?」
「これでも食べて落ち着きなさい」
必死に今の状況を説明しようとすると彼女は溜息をひとつ吐いて、こちらに近づきポケットから透明な包装紙を破き、入っていた白い飴玉を俺の口に入れる。
気づけば杏奈の顔が近くに在り、思わず後退ってしまいその拍子に口に入れられた飴玉を噛み砕いてしまう。
口の中に人によって歯磨き粉に似ていて嫌いだという者も多い味が、スッと爽やかに広がり胃の中に落ちて浸透していく。
まるで悪い夢から覚めさせるような味わいは、他の物では得られない爽快感を得ることが出来て根強く人気を誇る。
久しぶりに感じる味は緊張や恐怖心を一時的にかもしれないが和らげてくれ、あんなにも歪み、壊れ果てた幻覚から俺を普通の校舎へと救い出してくれた。
「も、戻ってる……?」
「落ち着いた?」
「う、うん。いやでも、いったい何が起きて……」
「極度の緊張が見せる誇大妄想かもしれないわね」
「そ、そんなことない! あれは妄想とかじゃ……」
ふと思い出される夕闇に染まる教室で義妹に押し倒された先程の記憶。
何とも男にとって都合よく欲情に塗れた義妹の姿は、一線を簡単に越えさせようとしてきていた。
そんなことが、あり得るのだろうか?
乙葉という女の子を思い出して改めて考えれば、もしかしたら嫉妬に狂った男たちから追いかけられて逃げている俺を純粋に誰も居ない教室に引っ張り助けてくれただけではないのか?
押し倒しているように思えたのは彼女なりに俺を隠そうとしている行動だったのではないか?
乙葉から逃げ出してから彼女に追いかけられたのは、未だ俺を探している連中がいると教えてくれていただけではないのか?
何かに気づくように。しかし気づく度に何かが解らなくなる。
あの時はどうだったのか。あれは何だったのか。これはどういう意味で、それはどういう理屈で……と頭の中に浮かぶ疑問点が浮かんでは消える混乱の渦に沈み込もうとしていると―――
「騒動はまだ終わっていないようね」
―――いつの間にか移動していた杏奈が、屋上から校庭を見下ろしているのを見るとそこには幾人もの生徒たちの中に乙葉の姿も紛れていた。
嫉妬に狂った男たちが徘徊する校庭で乙葉は心配そうな表情で誰かを探し、時折スマホで何かを打ち込んでいた。
すると俺のポケットに入れていたスマホに連絡が入り、そこには幾つもの乙葉からの心配しているのが手に取るように分かる内容が送られてきていた。
「『何処に居るの?』『校庭は危ないかも』か」
「心配させているみたいな内容ね。それで、貴方はどうするの?」
「分からない……俺にはもう、何が何だか分からない。あれが全部妄想だった? そう言われればそう思える。でもそうじゃないようにも思えるんだっ! 視覚だけじゃない! ニオイや感触さえも今でもハッキリと思い出せるっ!」
都合よく解釈すれば幾らでも解釈できるのに。だというのに頭の中に浮かぶのは恐怖に縛られたあの幻覚のことだ。
この現実なった恋愛ゲームの世界は乙葉のようなメインヒロインが陰謀に巻き込まれて人体実験を受けて怪物化するルートが存在する。
科学者たちは彼女たちを【覚醒者】と呼んでいたが、島に隠された秘宝によってヒロインを取り戻すことも出来るルートだが、それはヒロインたちと誰かとの個別ルートに入り彼らが島に侵入してくることから始まってしまう。
つまり、逆説的にいえばメインヒロインのルートに入らなければ科学者たちは島に来ないと考えられる。
全ての元凶であるはずの科学者たちが島に来ていないはずなのに、俺はどうして地獄のような光景を観せられ、嗅がされ、触れさせられているのか。
「もう、訳が分からないんだ……」
肉体的にも精神的にも疲れてしまった俺が呆けたまま校庭を眺めていると、隣に立っていた杏奈が先程渡してきた白い飴を手に乗せて渡してくる。
その飴を受け取って口に放り込めば、先程と変わらない爽やかな味わいが口の中に広がり、今度は丁寧に口の中に転がしていると杏奈が口を開く
「絵空くん。今週の休み、来れるかしら? 一緒に行きたい場所があるの」
「……どこに?」
「神社。ご神体を暴きに行くわ」
大伽杏奈は校庭を見下ろすのを止めて、曇り始めた空を眺めながら何か覚悟を決めたように彼女は最悪の行為をしに行くと宣言した。
―――――――――
Last File No,●
■■■■年●●月▲▲日
今回報告するべき内容は我々の想定外についての話をしなければならない。
我々は調査対象を見誤っていた可能性があるということだ。
上層部から調査対象として選出された彼女たちを観察していたが特別な外見的特徴も見当たらず、また特殊な要素も見つからない。
個体C、布帛いざりに変化の兆候はあったようだがすでに成長段階で失われているようだ。
しかし本日個体A、絵空乙葉に変化が見られたがイレギュラーとの接触によるものだと思われる。
……私が与えられた情報では調査対象が自然に散布してしまう物質が島内に異変を起こしているという話だったが、どうやら私は担がれたらしい。
すでにこの島から抜け出す手段はない。また一昨日届くはずだった物資も手違いという理由で届かなかったがそれすら怪しいものだ。
なので、私は真実を暴こうと思う。
これを上層部が読むのなら好きにすればいい。私とお前たちとの契約はすでに破棄されたものと考えて動かせて貰う。
これが最後の報告書であり、辞表代わりとする。
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