第20話:変化の兆し
「絵空くん、ちょっといいかしら?」
それは極普通の、あまりにも当たり前の日常の最中で起きた。
移動教室のため皐月や宍戸と共に、準備をして次の教室へと向かうかと思っていた矢先に銀糸の髪を揺らして彼女は教室に入り、声をかけてきた。
大伽杏奈。彼女が連絡もなしに突然俺を訪ねてくることなど無かったが、基本的に彼女は目立つような行動を極力避けている。
街では気配を消して雑踏の中に隠れてしまい、学園では目を離せば何処かへと消えてしまっている。
だが一部のファンにとってはそんな不思議な所さえも魅力だというが、そもそも彼女の容姿は整っており居るだけで目立つ存在だ。
そんな彼女から話しかけられるのは誰が相手でも嫌でも目立つのだが、違うクラスの異性に話しかける彼女というのは何割増しで目立っていたが彼女はどこ吹く風だと言わんばかりに気にしていなかった。
「いいけど……大伽さん、だいぶ目立ってるけど」
「問題ないわ」
「問題ないって」
「些細なことっていうことよ。それより今週の休みの日に時間を貰えないかしら? 一緒に行きたい場所があるの」
休みの日、一緒に出かける。この二つのキーワードから導き出される関係性に残っていたクラスメイトたちは徐々にその言葉を呑み込み、そして女子は黄色い歓声を男子たちは悲痛な叫びを教室から廊下へと響き渡らせるのだった。
その時から少しずつ、というにはあまりにも劇的な変化が周囲から向けられた。
まず周囲から向けられる視線がその日から増えた。移動教室に向かう際も後ろから突き刺さる視線や後から知った者たちの視線が増えた。
さらには昼休みに至っては終わり頃には他クラスにまで広まっているらしく、乙葉が教室に飛び込んできた程だ。
時間も時間のため予鈴とともに退散されたが、何もしつこく色々と訊いてこようとするのは乙葉だけではない。
あまり接点のないクラスメイトも予鈴と本鈴の間の少ない時間でさえも席に群がるほどなので、放課後のチャイムが鳴るのと同時にさっさと下校するために教室を走って抜け出したのだが―――
「待て! 奴を逃がすな!」
「羨ましい妬ましい死んでほしい!」
「おお主よ、憐れみ給え!」
「任意同行なんぞ生温い! 処刑台に強制連行だぁあ!」
―――男たちの嘆きの声と共に廊下に現れる謎の刺客たちが立ち塞がる。嫉妬に狂った彼らは血涙を流しながら、後方から追いかける者や前方を塞いで来る者など、モテない男たちの団結力が為せる妨害行為を何とか避けながら廊下を走った。
彼らが意思疎通をどうやってとっているのかは不明だが、男たちの足音は一つ二つ程度では済まないのがその足音だけでも察せられる。
「「「「待てやこらぁあああ!」」」」
後方からの怒鳴り声が決定打となり、追いつかれれば間違いなく袋叩きに遭うのは自明の理だ。
太陽が東から上ってくるのが当たり前のように、今の正気を失った男たちに捕まればバッドエンド一直線なのも間違いない。
ゲームでは一部のホラー要素のあるゲーム以外はバッドエンド後を想像するのは難しいモノが多いが、恋愛ゲームであればヒロインと結ばれないのが所謂バッドエンドの典型例だろう。
しかし時にだが、途中のイベントで突然現れる選択肢でバッドエンドに向かってしまう物もある。
制作陣にとってはギャグ要素として盛り込んだのかもしれないが、現実の主人公たちにとっては突然の交通事故にも等しい悪辣な行為だと彼らは知らないに違いない。俺も知りたくはなかった。
階段を下る際にチラリと見た男たちの血走った目は手に凶器を持っていなくとも、その目には立派な狂気が宿っているように見えたため、まずは逃げるより先に隠れてやり過ごすほうが安全だ。
案の定というべきか、下駄箱には男たちが何故かスクラム組んでおり、八人の屈強な男たちが逃がすまいという意思の表れか、ルール無視の八人の最前線を形成している。
「「「「逃がすかっ」」」」
「これだからラグビー部は……っ!」
身長差は大して変わらずとも、その体格差は歴然としており腕を簡単に圧し折られそうな雰囲気が醸し出されている。
横を通りすぎる隙間のない布陣は流石という他ないが、日常生活で活かしてくれなくていい技術ではないだろうか。
廊下が滑り易いことと階段を駆け下りた所為で急には止まれず、このままだとラグビー部の網に捕らわれると分かっているのに身体は吸い寄せられてしまう。
むさ苦しい男たちのギラついた瞳に自分の歯を食いしばる顔が映り込んだ瞬間、彼らと俺の間に割り込んできた背中にぶつかった。
「大丈夫かよ、彼方」
「っ!? し、シッシー!?」
「よっ。わりぃ。ちょっとトイレ行ってたら出遅れたぜ」
首を搔きながラグビー部の屈強な男たちとの間の壁となってくれたのは主人公の悪友である宍戸朱馬だった。
普段からやる気という覇気のない男ではあるが、主人公のピンチにはヘラヘラと笑いながら助けに来る男に俺は驚いたが、ラグビー部の一際強面で世紀末漫画風の顔面をした男もまた声を張り上げて威嚇する。
「宍戸朱馬ぁあっ! 邪魔を、するなぁ!」
「嫌だね。むさ苦しいだけじゃなくて暑苦しいんだよ、お前ら。つーわけで、彼方は先に行ってくれ」
「いいのか?」
「ああ。最近運動不足だし、遊んで貰うには丁度いいだろ?」
「……悪い。ありがとう」
首を鳴らしてラグビー部と一人で対峙する宍戸の頼りになる背中に礼を言って走り出すと、ラグビー部の野太い咆哮と宍戸の笑い声が玄関に響き渡った。
彼らを背にして走るが、下駄箱で外履きに履き替えることが出来なかったため、やはり何処かで隠れてやり過ごすしか道はなかった。
こういう場合、非モテ男子の怒りは一時的なものであって一日でも時間を置ければ何とかなるものだ。
重要なのは捕まらずに何とか今日を生き残ること。というもはや学園サバイバルと化した放課後の校舎を足音を立てないために靴を脱いで靴下で歩く。
居場所がバレれば非モテ男子は何処からともなく現れるのはもはやお約束だろう。ロッカーや消火栓など当然のように身を隠していたり、天井に張り付いて舌なめずりをしていたり、拷問道具の調整をしている可能性すらあるため絶対に見つかってはならない。
現に階段を上って踊り場で見てしまったが、一階の廊下で探している男子が「薪にしてやる……」と呟きながら手には明らかな銃刀法違反の鉈を持っている奴がいた。
「冗談じゃないぞ……あんなの振り下ろされたら文字通り即死じゃないか。こんな短時間でアイツら常識を捨てられるのか? それともギャグ展開なら生きれ……いや、試したくない。現実にクイックセーブもロードもあるもんかよ」
十二分に前後左右、さらには天井や床も気にしながら人気が無いことを確認しながら歩き出す。
しかし、廊下を屈んで歩いていたところを突然に開いた教室の扉から伸びてきた細い手に腕を掴まれて連れ込まれてしまう。
音をたてない為とはいえ、上履きを脱いだ所為で踏ん張ることが出来なくて扉のガイドレールに足を引っかけてしまい見っとも無く倒れ込む。
「くっ、痛って……」
足の指や倒れた拍子に打った手などの痛みによって、連れ込んできた相手のことを一瞬だけ忘れていた。
もしも戦場であれば致命的な油断なのかもしれないが、そんなことはただの一般人にして今では一介の学生である男に求めるには大きすぎる期待だ。
ハッと気づいて膝をついたまま振り返ると、それさえも見透かされていた相手に態勢を崩されて仰向けに寝かされて腹に腰を落とされる。
決して重くはないのに、体勢の所為なのか力が入らずに彼女を、乙葉を退かすことが出来なかった。
「お兄ちゃん……? お兄ちゃんは、乙葉のお兄ちゃんだよね?」
すでに全員が帰ったあとの教室で押し倒され、一切の表情を失った義妹がじっと俺の顔を見下ろしていた。
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