第12話:図書室の防音室
図書室には音が無い。
いや、厳密に言えば本のページをめくる音や誰かの静かな呼吸音。本棚から本を取り出す音などの図書室内で行われる必須音は存在している。
無駄を省いた部屋は機能美に満ちている。それは美術室や音楽室なども同じかも知れないが、この部屋には人が居ても静寂が保たれてしまうのだ。
「私語厳禁。スマホもマナーモードに」
「は、はいっ。すみません……」
部屋に入った途端、久しぶりに聞いた彼女の声は恐ろしく低くて注意を受けた下級生の女の子は驚きと共にポケットから取り出したスマホをマナーモードにしていた。
入り口に貼られた張り紙を復唱するかのような彼女の注意は不思議な重みがあってか教師であっても素直に話を聞いてしまう。
入る前から最低限マナーモードにしておかないと、この図書室での肩身は異常に狭くなるので入室する時には既に俺も杏奈もスマホはマナーモードに切り替えてあった。
部屋の扉が開いたことでこの図書室の管理者たる彼女、
「布帛いざり……最初は彼女から?」
背後から小声で話しかけてくる杏奈の囁き声に思わず背筋を震わせるが、何とか声を出さずに平静を装いながら頷くだけに留める。
いざり先輩は後ろにいる杏奈を不思議そうに見ると、こちらに車椅子をゆっくりと走らせて近寄ってくる。
布帛いざり。
彼女は昔に遭った事故によって車椅子を余儀なくされ、その生活は彼女の生涯を著しく変えてしまった。
彼女の家系は裁縫系の職業であり、遺伝によるものか彼女もまた手先が器用だった。昔ながらの機織りを使った事業を行い、その繊細な柄模様を使った人気のタオルや衣服は島民に愛されていた。
いつかは彼女もそんな家を継ぐのかもしれないと思われていた矢先に起きた不幸を誰もが悲しんでいたし、両親たちも彼女のことで揉めてしまい離婚。そのことに彼女自身も内心では苦しみ続けている。
そんな彼女に寄り添い続けることで主人公と彼女との恋が始まり、そして実っていくのだがそれはあくまで絵空彼方の物語だ。俺ではない。
自分のやるべきことは布帛いざりを労り、寄り添うことではなく彼女と大伽杏奈との仲を取り持つことこそが最優先だ。
「絵空くんが異性と一緒とは驚きました。しかも噂の転校生さんと」
「噂の?」
「ええ。二人とも中に入りませんか? 個室がまだ開いていましたので」
図書室に設置されているのは本だけでなく、資料なども保管されているため勉強用に少ないながらも個室が用意されている。
本来であれば使用許可と予約をすることで防音の個室を利用することが出来るのだが、学園の人数を考えれば使いたい者と個室の数が合わないため大抵の場合は埋まっていることが多い。
しかし、今回はまだ使われていない個室があると先輩は言う。
「それに、早く閉めて貰わないと他の方の迷惑になりますので」
「そ、それもそうですね。じゃあお言葉に甘えて」
先輩に促されて杏奈と共に図書室内に設置された個室へと向かっていく。空室の表示がされている防音室の前に着くと、スッと音もなく杏奈が扉を開けて先輩を招き入れる。
「ありがとう」
先輩にお礼を言われて頭を下げ、起こしながらチラリとこちらを睨み付けるのを忘れていない。
明らかに好感度が下がったような気がするが、残念ながら中身は
上手なエスコートが出来ていれば今頃こんな状況にはなっていないだろう。
謝罪の言葉も出す間もなく彼女は扉から手を放して中に入ってしまうのを慌てて入室し扉を閉める。
部屋の中は長机を二つ合わせただけの机と、数脚の椅子が奥に積まれているだけの簡素な部屋だ。
完全な防音の個室ではないので、大きな声を出せば普通に外へと聞こえるが勉強の質疑応答程度では外に声が漏れることはない。
奥から椅子を用意している最中にも先輩は声をかけてくる。
「ちょっと驚いちゃった。絵空くんが女の子と一緒だなんて」
「えっと……そうですかね? 乙葉も居ますし」
「妹さんは最近あまり図書室には来ないから。前はテスト勉強の時とかここに集まったのに」
「あぁ……たぶん自習をするようになったからですかね? 昔より勉強してるっぽいですよ」
ゲーム内の過去の話ではあるが先輩と皐月と乙葉と彼方が集まって勉強する
本編が始まる前の話ということもあり、昔からの付き合いがあるという程度の認識だったがヒロインたちにとっては思い出深い過去の話なのだろう。
実際に体験した者と傍観者の自分とでは温度差は激しくあるが、それでも彼女たちに嫌われるような失態は今後の学園生活での悪影響は大きくなってしまうので、なるべく悟られないように感慨深そうに息を吐いて答える。
「……そうですね。俺も少し寂しい想いはありますけど勉強してくれる分にはいいかなぁって思ってます」
「それもそうね。自分から勉強するようになったのならいいことよね。それより私としては有名な彼女の紹介をして貰えると嬉しいんだけど……」
「あぁ、そうですね。彼女は最近友達になった大伽杏奈さんです」
「彼の友人の大伽杏奈です。縁あって彼に学園のことで困ったことを助けて貰いまして」
「私は布帛いざり。でも……ふぅん、そうなんだ。転校生の子ともあっという間に仲良くなっちゃうんだね、キミは」
少しだけ唇を尖らせて頬を膨らませる先輩は、年上というよりも同学年かもしくは下級生のような行動が大人びた先輩がやるとあざとカワイイと評判だったのも頷ける。
「最近図書室に来てくれなくなった理由が解っちゃったなぁ。こんな可愛い女の子のお世話をしてたんじゃ当然だよね」
「え? いやいや、偶然ですよ。たまたまです」
「ホントかなぁ? でもここで大伽さんの連絡先を訊いてたでしょう?」
「いやぁ、前に訊きそびれちゃって。それに転校生ってことは島のこととかよく知らないでしょうし、知り合いもいない場所ですから自分の知り合いぐらい紹介しとこうかなぁって思いまして。なので頼りになる先輩をいの一番に紹介しとかないと」
「ふぅん。なんだか口が上手くなったね? 練習でもしてきたの?」
「ソンナワケナイジャナイデスカ。ハハハ……」
先輩の顔を直視できず、顔を逸らしながらの返答に彼女は溜息を吐いて杏奈の顔を盗み見る。
銀糸の髪は人形のようで、その肌はきめ細かく柔らかそうな餅肌。しかし黒い瞳はカラコンによって本来の色を隠しているが、知らぬ者にとっては黒真珠のように輝いて見えるだろう。
大伽杏奈という女の子は浮世離れした可愛らしさを持ち、噂話ではあるが転校初日にファンクラブの会員メンバーを募集していたとか何とか。
椅子を設置して対面に座った彼女を見ながら先輩は机に肘をついて雑談を開始する。
「ごめんね、大伽さん。絵空くんが迷惑をかけてないかな?」
「いえ。それほどは」
「普段は気が利く子なんだけどね。ちょっと緊張してるのかも」
美少女二人からの視線を受けて内心はたじたじだったが俯くことで会話から避難する。
何度も言うようだが中身は非モテ街道を走り続ける男だ。女性への免疫は低く耐性はティッシュ並みに薄い。吹けば飛んでいくのを我慢しているに過ぎない。
むしろ会社員として培ってきた上司や後輩への媚び諂い方が上手くなったことで、能力の低いへっぽこ会社員の俺でも何とか協力関係を築けていた。
主人公や一般的な人々が出来ることを普段の自分では出来ないのだから道化を演じることを覚えたのだ。
道化を演じつつも何とか仕事を憶えて頑張ってきた日々も、平然と気を使える者たちに比べれば精度はガタ落ちするのは間違いない。
「それより、私は見ての通りで足が不自由でね。あまり大伽さんの助けになれるか分からないけど私でよければ頼ってくれていいからね?」
「ありがとうございます。布帛先輩」
「いざりでいいよ。何だったらいざちゃんってあだ名で呼んでもいいよ?」
「……では、いざり先輩で。それと早速訊きたいことがあるんですが、いいですか?」
今回は顔合わせ程度かと思っていたが、事前に杏奈は質問を考えていたのだろう。なにせ彼女はすでに接触する相手を決めていた。つまり下調べはすでに済ませてあると考えていいのだ。
そんな彼女が質問する内容とは何なのか非常に気になるところだった。が―――
「じゃあ絵空くん。少し外に出てもらえる?」
―――その有無を言わさぬ物言いと圧力に背中を押され、放り出されたことを背後で閉まる扉の音によって理解するのだった。
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