第11話:調査員とちっぽけな覚悟

「私は本土からやってきた調査員なの」


 替えの利く下っ端だけど、という自嘲気味にな笑みと共に大伽杏奈は口火を切った。

 しかし笑みも瞬時に消え去って、ゲーム通りの淡々とした口調で彼女はこちらの様子を観察しながら話していく。


「調査員? 何の?」

「生態調査よ。珍しい生き物がこの島に生息しているから」

「珍しい生き物って野鳥とか?」

「色々よ。鳥も魚も成長や新種がいないか等の調査は一般的でしょう?」


 杏奈は手で双眼鏡の形を作って見せれば、確かにいわゆる野鳥の保護団体や財団法人の野鳥の会などが存在することはネットで調べればすぐに解るし、テレビなどでも紹介されている。

 自然観察だけでなく保護活動にも熱心な彼らのような組織の一員なのだろう。


「生態系の調査とか?」

「ええ」

「でも、変じゃないか? どうしてそういう組織が彼女たちに関わろうとするんだ? しかも俺の義妹いもうとまで居るなんておかしくないか?」

「義妹? あぁ、この絵空乙葉ちゃんのことね。そういえば名前が同じだったわね」

「血の繋がりは無いけどさ。でも小さい時から同じ家で過ごす家族だから乙葉のことはよく知ってる。何の調査員だか知らないけど、そんな人が乙葉たちに何の用があるっていうんだ?」


 彼女の素性はゲーム内でも謎だったがどうやら何かの調査員、しかもメインヒロインに的を絞っている。

 彼女たちの共通点は間違いなく自分に縁があるということ。もしかしたら本当の目的は彼女たちではなく自分なのではないかとさえ感じてしまう調査候補だった。

 確かに彼女はゲーム内において主人公が知らないうちにメインヒロインたちと関わっている転校生だ。ほぼ間違いなく自分が狙われているなど自意識過剰であり被害妄想も甚だしいとは分かっている。

 それにメインヒロインと関わらないと彼女が登場できないというゲーム性の問題もあるのかもしれないが、しかしサブヒロイン一人のためにゲームの製作者がそんな無意味なことをするとは思えない。

 誰かの友人ポジションのキャラならば理解できる。ヒロインたちに友人が居ないなんてことはないのだから。

 だが、彼女は転校生キャラだ。それは本来であれば問題ないキャラであると同義ではないか。


「(見た目は間違いなく好みの女の子だけど……やっぱりどこか変だ)」


 彼女の姿は恋愛ゲームの中でなければ浮世離れしていると言われてもおかしくない銀糸の髪を揺らし、腕を組んで考える仕草をすれば今まで気にしていなかった二つの果実が強調されて思わず視線が一瞬顔から下へと落ちてしまう。

 豊か過ぎない双丘は決して無い訳ではない。それこそ不思議なもので恋愛ゲームの女子の制服は可愛いだけでなくハッキリと体型を意識させられるように作られている。

 男の自分には分からない話だが、どんな寸法の測り方をすればこうなるのか。それとも制服の構造が現実とは全然違うのかは分からない。

 何だったら個性を出すためにキャラクターごとに制服が微妙に違うことすらあるのだ。つまりは全員制服を改造していることで、スカートを折って膝上何cmという次元を軽く超えていく彼女たちの自由さを目の当たりにすると恋愛ゲームの学園は何が起きてもおかしくない何でもアリな場所だと錯覚させられる。


「まあ可愛ければ何でもアリか」

「……ん? 何か言った?」

「え? あぁいや、独り言だよ。それより何で彼女たちに」

「彼女たちに関わることだから。今はそれだけしか言えないわ。プライバシーに関わることだから。これでもコンプライアンスの遵守はしているつもりなの」

「こ、コンプライアンス……」


 昭和世代の企業風土を持つ会社と社会人を縛り上げる手錠を会話に出されて思わず眉間にシワを寄せて嫌な顔をしてしまう。

 何をするにしても二言目には「コンプライアンスが……」という上司や後輩に挟まれた会社員時代を思い出してしまい心の古傷を抉られる。

 上司はコンプライアンスを浸透させるための剣に使い、後輩は盾として使って仕事を放棄していく日常に、ついには疲弊してしまった心は身体が変わっても今もなおその言葉に自然と拒否反応を示す。

 さらには追い打ちのように【ハラスメント】という兵器の登場に精神的に口から泡を吹く者が続出した。

 奴らの【コンプライアンス】や【ハラスメント】という武器によって勤めていた会社がどうなったのかなど今となっては知る由もない。ただ中堅社員が軒並み消えていった本末転倒な企業がどうなるかなど火を見るよりも明らかだろうが。


「どうかした? 顔に発汗が見られるけど?」

「べ、別に? ただ昔のことを思い出しただけ」

「今の会話で何を思い出したのかは知らないけど……まあ大丈夫ならいいか。それより何とか頼めないかしら? もちろん断って貰ってもいいわ。強制は出来ないもの」

「それも、コンプライアンス?」

「……さあね。ただ、貴方は知らないでしょうけど労働って肉体的にも精神的にも参ることは多いのよ」


 そう語る杏奈の表情はかつて見たことのある顔だ。

 時にそれは同僚であり、鏡で見たことのある理不尽に打ちのめされて斜に構え始めたあの頃の自分に似ていた。

 その後の自分たちがどうなったかを瞬時に思い出し、もはや考えるという行為すらせずに彼女の手を取って言う。


「協力する」

「え? あ、うん……なんで泣いてるの?」

「キミを支える。俺で良ければ」

「は、はぁ……?」


 困惑顔の彼女の顔を見て思わず抱きしめそうになるが何とか意識的に自重する。

 彼女はまだ初期症状でしかない。その先の未来を知らないからこそ困惑してしまうのだろうが、その後のことを知っている身としては絶対に協力しなければならないという使命感が生まれた。

 好きな女の子が、あの日に見た惨劇のようなことがその身に降りかからないことを願ってしまうのは男なら当然のことだ。

 人間に鳥のような羽など生えてなどいない。例えそれが同じ傷を持つ二人でも。

 有るのは逃げ出すための足しかないのだと説得出来れば良かったのに、手を振り切って逃げ出したあの日のことを思い出してしまう。その後に見た朝のニュースで語られる同僚の彼女のことを今でも忘れることはない。

 説得が出来なかったあの時のようなことを、もう二度としてはならないのだ。


「俺に、任せてくれ」


 根拠も自信もない。けれど好きな女の子にあの最悪の事態が訪れないようにするのに必要だというのであれば代用品を用意してでも立ち上がるしかない。

 そう、覚悟という代用品を。


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