第10話:昼休みの密会
その日、午前中の授業がこれほど長いと感じたことは生涯に一度もないと感じるほどに長かった。
席に座って教師の話を聞けば生涯で二度目に渡る理数系の謎の公式や、日本史や世界史の過去の事件について。弛んだ筋肉を動かすための体育の時間などをこなしながらも待ち遠しい時間は何をしていても長かった。
社会人になったから改めて思うが、学校生活のなんたる気楽なことか。転移前の自分本来の人生は軽いイジメを受けていたからこそ分かる。
学生の時は定期的にノートや教科書を隠されることや、雑用などの面倒事を押し付けてくることなど当たり前。奴らは自分のやりたくないことを無理やり誰かにやらせることに長けている。
しかしだ。社会に出ればそこに加えて責任なども発生し、金を持たない社会人Aでは健康を害した時点で最期を迎えるしかない。
奴らの手八丁口八丁は学生などとは比べ物にもならないほど洗練されており、盛大に怒鳴って心理的に追い詰めたかと思えば優しく「君のためを思って」などと欠片も思っていないことを平然と顔を作って言うのだ。
さらには責任を押し付け、実績や評価だけは奪い取っていく奴らが社会に出ればうようよとのさばっている。
そんな良い笑顔をする奴らの言葉は嘘八百が表に現れ、裏で不平不満や自慢話を千百は語るのだろう。
そんな社会との縁を切ることは金を持たない者には出来ない。ましてや知識も経験も足りてなく、才能すらないサラリーマンでは行き着く先は暗闇に垂れる先端に輪を作られた一筋の荒縄に頼るしか無い。
首を入れるか。それとも足を入れて登り始めるか。人生の二択を迫られる。
「今日は随分と楽しそうじゃんよ、彼方」
「シッシー。ちょっと昼は他所で食べてくるから」
「おん? 何だ何だ? 念願のあの子から食事にでも誘われたのかよ?」
「まあ、そんなところさ」
冗談めかして訊いてくる宍戸の手には家から持ってきた食パンと、何処で手に入れたのかも不明な『俺の作ったアヒージョ風焦がしイカスミピーナッツクリームが爆受けした件について』なる奇を衒い過ぎたジャムが用意されていた。
常軌を逸したジャム好きな友人に断りを入れて教室を出れば、入れ替わりで入ってきた皐月が何か言おうとしていたが宍戸の開けたジャム瓶の臭いに顔を驚いていた。
何名かの生徒が教室から逃げてくるのを尻目に、呼び出しを受けた空き教室へと向かうと扉は少しだけ開いていた。
「……ここか」
スマホを取り出して場所とメッセージを再度確認し、意を決して中へと入れば風に舞う銀糸の髪が見えた。
太陽の光によって眩しく輝く姿は一種の妖精とさえ見紛おうほどで、見ていて思わず口を開けて呆けてしまうのはあまりにも綺麗なモノに圧倒されているからなのか。
「来たのね。閉めてくれるかしら?」
「え? あっ……」
開けっ放しにしていた扉を閉めると、空き教室内には呼び出した本人である大伽杏奈と俺だけの姿が残る。
窓を開けているためどこかの教室から悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきたので、彼女はゆっくりと窓を閉めた。
振り返った彼女の瞳は二つとも黒く、見たことのある特徴的な金色の瞳は恐らくカラコンで隠されているのだろう。
神秘性は薄まっているのかもしれないが、それでもなお彼女の美貌が損なわれいる訳では無く変わらず綺麗だと思えた。
「私の顔に何かあった?」
「え?」
「じっと観てるから」
「あ……いや、そういう訳じゃないんだ! そ、それより何か用があるんだろう?」
「……ええ。アナタに協力して貰いたいことがあるの」
杏奈は空き教室に置いたままになっている机の上に乗せていた三枚の写真を手にして見せてくると、そこにはメインヒロインたちの隠し撮り写真が写っていた。
「乙葉に皐月……それにいざり先輩? あの三人に何か用があるのか?」
「…………ええ。彼女たちに接触したい。そのため三人の共通の友人か知人こそが関係性構築の鍵になると思ったの」
「そこで白羽の矢が立ったのが俺ってことか」
一瞬だけ視線が鋭くなったような気がしたが、彼女は三人の写真を確認しながら普段と同じように説明する。
感情を表に出すようなタイプではないのか、淡々とした説明口調で喋る姿はゲームで見た雰囲気そのものだった。
恐らくこのままこちらから会話を切り出さないと、あとは協力するか否かの二択を迫られるだけだろうと思いこちらからも質問する。
「ど、どうしてその三人なんだ?」
「重要度が高い。いえ、重要人物だからと言い換えた方がいいか」
「重要人物?」
確かに三人とも恋愛ゲームのメインヒロインを張るぐらいの大変な境遇の持ち主だ。
転移前の平凡そのものの俺と比べれば、恋愛ゲームの主人公やヒロインたちは作品によっては驚くような過去の持ち主たちもいる。
ゲームだからこそだが、制作者たちが作った山あり谷ありの恋愛要素は登場キャラが成人を迎えてようが迎えてなかろうが辛い逆境や苦難が待ち受けている。
それはこの恋愛ゲームのメインヒロインたちも例に漏れていないが、主人公がそれを知るのは個人ルートに入った後のこと。つまりずっと先のことだ。
だが、それは主人公がそうなだけで大伽杏奈は違うのかもしれない。
「詳しく説明することは出来ない。プライバシーは尊重されるべきだもの」
「それはそうだけど……でも身近な人のことだ。なにかの事件に巻き込まれているのなら助けになりたい気持ちはある」
メインヒロインたちは総じてこの島の隠された組織によって狙われているのはゲームを攻略している者なら誰でも知っている。
いわゆる人身御供系の恋愛ゲームだったのだ。
彼女たちを助けるために主人公や仲間たちが協力して助け出すのは、囚われの姫を助け出す配管工のオヤジ並のテンプレ展開ではあるがそれだけに廃ることはなく定期的に出てくる作品展開だった。
暗に事件性があるのかを言葉に盛り込んで訊いてみれば、彼女は俺から視線を外して写真を見るばかりだった。
恐らく申し出を断られると考えて違うプランを練っているのだろうが俺は話を続けた。
「言えないことがあるのは解る。でも全く何も言えないってことはないだろ?」
「…………」
「だんまり、か。確かに俺と彼女たちは親交がある。でも幾らこ……いや、綺麗な相手と言っても何を考えてるのか分からない相手に大切な友人を紹介するのは出来ない。だから少しでもいい、教えてほしいんだ」
顔を上げて写真から改めてこちらを見る彼女の表情は怪訝そのもの。しかし俺もこのまま言われた通り接点を設けたところで彼女のようなタイプは便利な道具としか見ないだろう。
三人に彼女を紹介すれば自然と俺は彼女の中で排除され居ない者としか扱われないようになる気がする。連絡先も早々に消されることだろう。
そうなれば彼女と付き合うことなど絶対に無理だ。俺は役に立つ便利な道具や良い人になりたい訳じゃあ無いのだから。
大伽杏奈の視線は鋭く、二人しか居ない教室の中は非常に重苦しい。大して喋ったことのない相手からの提案に乗るか反るか彼女は瞼を閉じて熟考する。
部屋に設置された時計の秒針の音がカチカチと規則正しく鳴り、じっくりと体感として長い一分間を待つと―――
「……そうね。言える範囲でなら答えるわ」
―――小さな溜息を吐いた杏奈は折れて話してくれることになった。
彼女の目的、この島の調査員としての仕事を。
―――――――――
Lost File No,●
■■■■年●●月▲▲日
本日より調査対象と関わりを持っていくことにする。
彼らの生活圏は基本的に街、住宅街、学園の三つだと思われるが大人たちは他にも島に点在する施設で働いている。
島で生活していく上で昔に造られた設備を修繕していることで最低限問題なく過ごせてはいるが、島の状況を考えるに芳しいものではない。物資の応援を請う。
また、最初にも書いたが島の調査に伴い現地人に協力を求める段階に入った。
学生という身分である彼らが知り得る情報は少ないと思われるが、まずは橋渡し役を捕まえることから始めたい。
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