第9話:違和感の朝

 あの日のことを思い出しながら歩く通学路。

 自分の横を歩く普段と何も変わらない乙葉に対して俺は何も言えないでいるのに、彼女は何も変わらずにいつもの朝と同じように話しかけてくる。


「もう。ちゃんと聞いてるの、お兄ちゃん?」


 腕を絡めて可愛らしい笑みで見上げる乙葉の笑顔は、今となってはどことなく恐怖を感じてしまう。

 彼女が何を考えてるのかさっぱり分からない。

 結局あの日の夕方にあったことは無かったことにされ、まるで憶えていないかのような扱いとなっている。

 だがあの日を境にして乙葉の距離感は妙に近くなり、今もこうして昨日まで無かった距離感で接してくる。

 腕を絡め、頭を乗っけて身体を預けてくる彼女の心理は読み図ることなど恋愛経験実質ゼロの俺には出来ない。

 彼女たちメインヒロインたちが好きなのは主人公、絵空彼方のはずだ。彼との思い出や優しさなどの想いに触れて恋仲となっていくのだ。

 だが、彼女が本当に俺と彼方が違う人物だと察しているとしたら今の状況は余りにも奇妙ではないか。


「もしかして……風邪でも引いた?」


 手を伸ばされて額に触れる乙葉の手はひんやりと冷たく、繊細な指が額に触れると掌の形さえも分かる。

 彼女の顔が一段と迫り、その可愛らしい顔やキラリと光る瞳、小さな唇が俺を見ながら心配そうにしている様はそれだけで陶酔感すら得られる。

 ここが通学路でなければ、人目が在るところでなければ彼女を抱き寄せてしまいかねないほどの雰囲気が満ちていくのを何とか理性と物理で押し止める。

 乙葉の額に触れている手を取り、ゆっくりと下げさせると彼女は不満げに唇を尖らせて文句を口にする。


「もうもう! 乙葉が心配してあげてるのにっ」

「大丈夫だから。ちょっと寝覚めが悪かっただけだよ」

「ふ〜ん。確かに今日は一人で起きれてたもんね。あっ! それなら毎日寝覚めが悪いと一人で起きれるのかな?」

「毎日気分悪く登校してられないだろ」

「じゃあ起きたら乙葉が優しく頭を撫でてあげよっか? 一人で起きれてヨシヨシって」

「勘弁してくれ」


 乙葉が頭を撫でるような仕草をしながら笑いかけてくるが、もしもそんな状況になったら悪夢の続きを疑うこと間違いなしだろう。

 彼女に対しての疑惑の芽は少しずつ成長し続け、周囲の目も学園が近づくほどに強くなる。

 今まで浴びたことのない視線の数は、鈍感系の主人公でなければ誰もが気づくほどの強さを増していく。

 羨望や嫉妬が混在する視線は乙葉という女の子がどれほど可愛く思われているのかを知らせるバロメーターのようだ。同時に男側への負の感情が数倍の勢いで練り上がっていくのはどうにかならないものか。


「朝から兄妹の仲の良さを見せつけてくれるわね。お姉さん、嫉妬しちゃうわよ?」


 突然ぐっと肩へと重みを感じたうえ、耳元で聴こえる背筋を震わせる声に思わず乙葉の絡めた腕を無理やり解いて飛び退る。

 足音すら聞こえずやってきた悪寒と声の正体は同じクラスにして幼馴染、生徒会副会長の竹之内皐月だった。

 彼女は驚いた様子で俺を見ており、先程まで肩を掴んでいた手を開いて閉じてを繰り返し所在無さげにしていたが手を振って挨拶をしてきた。


「おはよう、彼方。何だか今日は調子がいいのかな?」

「……おはよう、皐月」

「おはようございます、皐月先輩」

「乙葉ちゃんもおはよう。今日は兄妹仲良く登校かな? 水を差すような真似して悪いね」

「いいえ。お兄ちゃんとは家でも一緒ですから」


 ニッコリと微笑む乙葉と顔を引き攣らせる皐月が見えない火花を散らし、その間に挟まれながら校門を通り過ぎる。

 周囲の学生たちの嫉妬混じりの興味、関心の視線が突き刺さってくる。それは乙葉だけの時とは違い、何倍にもなって注目の的となっている。

 乙葉もメインヒロインとしての可愛さを持ち、ゲームの学園には彼女のファンクラブが秘密裏に創設されているという話がある。

 だがそれは幼馴染にして生徒会副会長の皐月にしても同じことだ。むしろ副会長という立場は応援者というファンクラブ会員によって後押しされている所もある。

 ゆえに、今の状態が針のむしろとなってしまうことは当然の帰結だと言えた。


「乙葉ちゃんもそろそろお兄ちゃん離れした方がいいんじゃない?」

「お兄ちゃんのお世話は乙葉の生き甲斐ですから。皐月先輩は生徒会のお仕事は終わったんですか?」

「ああ、もちろん。生徒会メンバーは皆優秀だからね。手早く仕事を済ませてしまうのさ」

「そうなんですねぇ。あ、校門の塀とか汚れているんじゃないんですか? 掃除されては?」

「はっはっはっ。そんな場所に登っている者がいたら厳重注意じゃない? お世話大好きな乙葉ちゃんが清掃してくれるのかな?」


 笑顔で言葉の応酬をする彼女たちの間に挟まれ、身動きも出来ず逃げ出すことさえ出来ないように乙葉は腕を絡め、皐月は力強く肩を掴んでいる。

 本来であれば主人公補正によって出来上がった状況に鼻の下を伸ばし、内心では盛大なダンスをしながら喜んでいたことだろう。

 しかし、あの日の夕刻の乙葉の姿を思い出す度に今の状況に違和感を覚えてしまう。

 皐月の反応は理解できる。乙葉の姿に触発されて主人公にアプローチをかけるメインヒロインという構図ならば。

 だがあの夕日に照らされた乙葉は、結局のところ質問の答えに窮した俺を見て「冗談だよ」と言って会話を終わらせ有耶無耶にした張本人。それはつまり、答えに納得したとは言えないのだ。

 そんな曖昧な関係でありながら乙葉のアプローチが目に見えて変わっていることに違和感を覚えてもおかしくはないはずだ。

 彼女が好意を持つのは主人公、という人物のなのだから。

 もしも絵空彼方という人物ではないのかもしれない。そんな疑念を未だ持っているのであればこんなアプローチはかけないし距離を置かれてしまうのが普通のはずだ。


「お兄ちゃんのお世話は妹の義務ですから。生徒会で忙しい皐月ちゃんは空き時間を有効活用したほうがいいんじゃないんですか?」

「そうね。だから空き時間を有効活用させて貰ってるの」


 二人の言い合いを歩きながら聞き、そもそもこの恋愛ゲームの物語を思い出す。

 この恋愛ゲームの世界は王道な展開が繰り広げられるのは他のゲームと変わらないのだが、好感度が上がり個別ルートに入るとヒロインたちは漏れなく主人公と距離を取っていくのだ。

 それはこの島、御伽島に隠された秘密に関係しておりメインヒロイン全員に別々の秘密が隠されている。

 例えば乙葉は乙姫と人魚姫を合作したかのようなシナリオで、仲間たちと協力して島に隠された玉手箱を回収し、乙葉を連れ戻しに来た海岸の民と呼ばれる者たちに返す話だ。

 玉手箱の中身は海底の秘宝が収められ、幼い主人公に恋をした海底の城に住まう幼い乙葉が持ってきてしまったことで事件は起きた。

 魔女の秘薬によって記憶を失い、海底の城は魔女に支配されているが玉手箱の中身が物語の鍵となっているという話だった。

 しかし、今は個別ルートに入ってなどいるはずもなく好感度上げるための各イベントが終わってもいない。

 分岐点を通っていないにも関わらず、すでに好感度がまるで個別ルートに入ったかのように高い。


 全く知らない他人かもしれない相手に、ここまでのことが出来るだろうか?


 暖かな朝の陽気に照らされながらも背筋に冷や汗を垂らせるほどの寒気に襲われながら玄関口にまで辿り着くとようやく各々の靴箱へと向かうために解放される。

 針のむしろのまま無理やり歩かされたことや例えようのない恐怖感によって足が止まり、救いを求めてなんとはなしに天を見上げると―――


「っ!?」


 ―――屋上からこちら見つめる、銀糸のヴェールから見える金色の瞳と視線が合わさった。

 その顔は全ての感情が抜け落ちたかのような、張り付いた笑顔の人形よりも無だ。まるでそれは幾つもの実験動物を片付ける研究者のように。

 それにこのゲームにおいて屋上は入ることが出来ない場所だ。屋上へと向かう道や扉は在っても教師陣さえも鍵を持っておらず、専門の業者が点検のために持っている程だ。

 生徒が立ち入れる場所ではなく、秘密の抜け穴や道があるという設定もない。

 恋愛ゲームの定番場所でありながら不可侵領域。そんな場所から見下ろす大伽杏奈の姿が信じられず目を擦って見直すと姿はなかった。


「……幻、か?」

「どうかしたの、彼方?」


 靴を履き替えた皐月が立ち止まって屋上を見上げる俺を見て不思議そうにしながら声をかけてくる。

 屋上には何もない。それが全員の共通認識であるため、そこを見上げる者がいたら不思議に思うだろう。

 何でもないと答えて同じように靴を履き替えようとしたときのことだ。ポケットに入れていたスマホが着信音と共に振動して通知が来たことを知らせた。


「こんな朝から誰だ……っ!?」


 靴を履き替えながら画面を見れば、そこには大伽杏奈からの通知があったことを知らせていた。

 昼休みにこの場所まで来て、という普段は使われていない空き教室の写真を添付された内容を見て静かに唾を飲み込む。

 今までに見たことのないイベントが発生した瞬間だった。


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