第3話 シニガミさんと別のシニガミさんと出会う私

 大きな声に私は反射的に後ずさった。シニガミさんの手が私の肩に触れる――けれど感覚は何もない。


 少しだけ後ずさった私の目の前を、白い陶器の植木鉢が落ちて行った。それはすぐにアスファルトに叩きつけられて、破片と土をあちこちに飛ばした。私は反射的に目を閉じる。次に恐る恐る目を開ければ、大丈夫かとシニガミさんが目の前で手を振っていた。


 心臓が耳に移動したかのようにドクドクと大きな音を立てている。シニガミさんの声も今はよく聞き取れない。


 私はシニガミさんから足元の植木鉢に視線を移す。痛いほど澄み渡った空を薄めたような色のビオラの花が、無残にアスファルトに横たわっていた。バラバラになった鉢の破片が土と一緒に飛び散っている。それは引き裂かれた自分自身を見たような衝撃だった。


「おい! 大丈夫か!」


 シニガミさんに視線を戻して、私はゆっくりと頷いた。破片でどこかを切ったかもしれないけど、こういう時って痛みは二の次なんだろうなと、自分でもおかしいと思うくらいぼんやりとそんなことを考えた。


「あれっ、当たらなかったのかぁ!」


 私とシニガミさんはそろって声がした方を向く。緑の蔦が綺麗に絡まる家の門の上に、青年が立っていた。その人は、ひらりと曲芸師みたいに私たちの目の前に着地する。


 彼はこの季節でも半袖にジーンズ姿で、見ているこっちが寒くなりそうだった。有名スポーツメーカーの運動靴は少し汚れている。引き締まった体と裏腹に可愛らしい顔をしていて、アイドルグループでバック転を披露していても違和感のない人物だった。筋肉質な腕を腰に当ててキラキラの笑顔で仁王立ちした彼は、シニガミさんと同年代に見えた。


「やっぱりお前ェか。邪魔すんなよ」


 知り合いらしく、シニガミさんは面倒臭そうに彼を見やる。だが彼の方はシニガミさんの様子は意に介さず、親しげに話しかけていた。


「手伝いにきたぞ!」


らねェっていつも言ってんじゃねェか」


「何を言う! そこの女子を狙ってるんじゃないのか?」


 彼はビシッと私を指差した。私は何も言えず二人を眺める。この人もシニガミさんなんだろうか。


「お前ェは人為的事故死専門だろーが。自殺した魂の回収方法なんて分かんねェだろ」


 さり気なく彼の指を包むようにして指差しをやめさせながら、シニガミさんが彼を諭そうとする。私はそれがとても印象に残った。


 彼は再び、何を言う、と熱く繰り返した。


「その調子ではノルマ達成など程遠いぞ! 一日の上限がある事故死と違って、制限のない自殺者の魂ならすぐ集まるだろうに!」


 シニガミさんは面倒臭そうに、いーんだよ、と返す。


「オレにはオレのペースがあんの」


 私には堂々巡りになりそうなやりとりに思えたけれど、彼はそうか、と案外あっさり引き下がった。


「すまなかったな! だが前から言ってるようにお前と一緒に生まれ変わりたいと思うのは本当だ! お前はイイヤツだからな!」


「はいはい」


 あからさまにあしらわれても機嫌を悪くした様子はなく、彼はキラキラ笑顔のままブンブンとシニガミさんと何度か握手を交わすと、慌ただしい夏の台風のように去って行った。


「……悪い奴じゃねェんだが、バカだ」


 シニガミさんが彼の走り去った方を見たまま弁解するように言った。


「あいつは犬を助けるために自動車に轢かれて事故死専門の死神になった。〝せっせと仕事に励む奴〟だな。ノルマをこなしすぎたからか専門者の権限で事故を起こせるからか、手当たり次第なところがある。まぁ事故なんて運が悪かったみてェなもんだから間違っちゃいねェんだろうが」


 シニガミさんはバツが悪そうに私をちらりと見た。


「良い気はしなかっただろ。悪かったな」


 シニガミさんが謝る必要はないと思って私は首を振った。心なしかシニガミさんは安堵したように見えた。


 シニガミさんのしてくれる気遣いは私のためのもので、人間らしい扱いに私は何だかくすぐったさを覚える。それをどう処理して良いか判らなくて、私は強引に話題を変えた。


「あの、ちょっと気になったんだけど……生まれ変わりがどうのって話してたよね?」


 シニガミさんの表情が強張こわばる。目に鋭い光が宿ったように見えて、私は訊いちゃいけないことだったのかと少し焦った。寒さのせいではなく、肌がぞわりと粟立つ。


「……興味あんのか?」


 シニガミさんは静かに返した。私は声が詰まって言葉を続けられない。代わりのようにシニガミさんが後を続ける。


「死神は魂の回収にノルマが設けられてる。その数は死神によって違う。でもどの死神もノルマ達成のご褒美は、生まれ変わることだ」


 ゴクリ、と自分の生唾を呑み込んだ音が辺りに響いた気がした。寒空の下に出る人のいない住宅街はやけに静かで、私とシニガミさんしかいないみたいだった。


「まさかお前ェ、生まれ変わるつもりでいるのか?」


 言語化されると子どもじみた願いに聞こえた。いつかの報道番組でその単語が書かれた遺書に、ゲームじゃないんだから、とコメンテーターが馬鹿にしたように言っていたのを私は思い出す。生まれ変わるなんて私だって本気にしていたわけじゃない。でも、シニガミさんからあると聞いてしまったら願いたくもなる。


 小さく、ほんの数ミリしか動かしていない私の肯定をシニガミさんは見逃さなかった。


「お前ェ、ほんっと馬鹿だな。死にたくなるようなこの世界にまた戻りたいとか思ってんのかよ!」

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