第2話 シニガミさんと話す私

 自称シニガミさんは私以外には見えなかった。彼が言うには〝死にたがり〟にしか見えないそうだ。私はとりあえず彼が生きている人間ではないことを受け容れた。これが私の妄想でも、死ぬ確率を上げるための助言をくれるから今のところは無碍むげにしないでおこうと思う。


「意外と誰にも見えないんだね、シニガミさんって。〝死にたがり〟ってもっと多いと思ってた」


 結局あの後に授業へ戻って無言の時間を過ごし、私はいつもの時間にいつもの帰り道を歩いていた。アスファルトが濡れて濃くなっている。なるべく帰宅を遅くしたいけれど、学校はこわくて残れない。こうして遠回りをして帰ることしかできなかった。


 冬でもガーデニングに凝る家が多い住宅街をできるだけゆっくり歩きながら、私は隣を歩くシニガミさんに話しかけた。周りに人はいないけど、見られたら私は独り言を話す女子中学生に見えるだろう。


「お前ェさ、年間でどれくらいの人が自分で死んでるか知ってる?」


 シニガミさんも私に問いかけた。私は鈍色の空を仰ぎながら、何だっけと記憶を辿った。


「年間三万人だったっけ」


「まぁ最近は一応減ったけど。時間に換算すると約二十分にひとりが死んでる」


 何でもないことのようにシニガミさんは言ったけど、妙な生々しさに私は思わず言葉に詰まった。一時間に三人。そう聞けばやっぱり多い気がした。


「今や小学生から高齢者まで老若男女よりどりみどり。おかげでオレら死神業は休む暇もねェくらい大忙しだ」


「だから眠そうなの? でもその割には私につきっきりで暇そうにも見えるけど」


「死神にも色々いんの。せっせと仕事に励む奴、オレみたいに要領良くサボる奴」


 シニガミさんは小馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべた。自嘲なのか仕事に励む方を馬鹿にしているのか私には判断しかねた。


「他にも沢山いるみたいな言い方」


「当たり前ェだろ。毎時間、日本全国津々浦々を回って三人も迎えに行けるかよ。それに他にも死因はあんだし、人数いなきゃやってけねェって」


 ふぅん、と私は返す。シニガミさんの話は非現実的なのに、妙に現実的な気もした。


「シニガミさんって大変なんだね」


 そう返す私にシニガミさんは大きな溜息をついた。視線を向ければ心なしか肩も落ちているように見える。


「ノルマはあるしサボってるの見つかりゃ叱られるしそのくせ休みはねェし超ブラック」


 何だかサラリーマンのセリフみたい、と私は声に出さない感想を抱く。


「もう死なねェんだからキリキリ働けって上はうるせェしよ……オレ、死神なんだよな? 一応カミサマなんだよな? 世界を創ったカミサマだって七日目には休んでんのに、オレに休みないのっておかしくねェ?」


 不満たらたらなシニガミさんが私にはちょっぴり可愛く見えた。カミサマの休日ってどんなものなんだろう。一日中寝てたりするのかな。人間みたいで何だか面白い。


「もうちょっと減ってくれりゃ楽なんだがな。交通事故より自分で死ぬ奴の方が多いんだぜ。生きる気のねェ奴が多すぎんだよ」


 それに私が何かを返せるはずもなく、シニガミさんからそっと視線を外した。どんなにシニガミ事情を聞いたところで私の気持ちは変わらない。家に帰ったら別の方法を考えるだろう。


「一番多い自殺方法って何か知ってるか」


 シニガミさんがまた尋ねてくる。改めて考えてみると、実はよく知らないなと私は思った。何だろう。飛び降り、飛び込み、首つり、過量服薬、練炭……。


 私の思考を読んだかのようにシニガミさんはあれこれ説明し始める。


「飛び降りも多いが、日本じゃ首つりが圧倒的だ。けど部屋を壊したり汚したりすることも多いな。賃貸だと事故物件になっちまうから、賠償金を請求されることもある。

 練炭とか排気ガス系も一時期より減ったがまだいる。事切れる前に意識が戻ると吐き気とかで苦しいって聞くな。飛び降りもだが、他の奴巻き込むんじゃねェぞ。そっちも賠償金払う羽目になるからな。

 飛び込みはその後にパーツを探し回る奴の骨が折れるな。遺族が払う賠償金も結構な額で迷惑かけたって嘆く奴もいる。

 葬式だって結構な費用だぜ。死ぬにも金ばっかかかる世の中だ」


 シニガミさんは本当に色んな人の死を見てきたんだと思う。だけど何で私にそんな話をするんだろう。


 そう尋ねればシニガミさんは呆れたような顔で私を見た。


「そりゃお前ェ、死に方を選ぶなら色々調べるのは必須だろ。その時は逃げることで頭が一杯な自殺者は自分のことしか考えらんねェけど、他の奴の世界は続くし、お前ェの死体を片付ける面倒を引き受ける奴が必ずいるんだからよ」


 死んだ後のことまで考えてなかった。死んだら私はそこで終わりのはずだし、私の体がどうなっても私がそこに戻ることはないから正直なところどうでも良い。


 でも、迷惑をかけるなら。あの人たちに迷惑をかけたら、少しは私も記憶に残るだろうか。そう思ったら自然と足が止まった。


「……シニガミさんはかないね」


 私がうつむいてポツリと落とした言葉を、シニガミさんはただ眺める。迷う様子もなかった。彼は言葉も生きていたら触れないのかもしれない。


「訊かれてェのか」


 シニガミさんが少し間を置いて返してくれた。自分で切り出しておきながら、私はその答えを持たなかった。思いつくままポツリポツリと落としていく。


「……絵に描いたような不幸、だと思う。と言っても私のような子は日本に何千人といるらしいから、案外と普通のことなのかも」


 私はぎゅっと自分の手首を掴んだ。通学鞄の持ち手を握る手にも力が入る。


 大人はあてにならなかった。どの大人も様子を見ようと言うだけだ。偉い大人が何を言っているのか知らないけど、この髪の毛を見ても大人は何も言わなかった。あの人たちは何か言うだろうか。少し整えてしまえば何も言わない気がした。私がおさげだったことさえ覚えていないかもしれない。


 同級生は実験に似た関心を私に寄せた。教室で絶対君主として君臨する子どもはどうしたら私の居場所を奪えるか、残酷な好奇心を私の前で隠そうともしなかった。


「それでも私が死を選ぶ理由としては充分だと思う」


 何も私が特別なわけじゃない。そんな話は沢山聞く。それでも私がこの世界から抜け出すとしたら、彼らよりも私が退場する方が確実だと思うのだ。


「それがお前ェの――」


 シニガミさんが何か言いかけて息を呑んだ。その音に俯けていた顔を上げた私は、焦ったようなシニガミさんの表情を見た。


 シニガミさんの見開いた目が何かを確認して私に向く。彼は右手を差し出して私を押しのけようとした。


「危ない!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る