「嗤う伊右衛門」京極夏彦
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◇「 何のために家を出た。 何のために武家を捨てた。 何のために女を捨てた。
何のために名を捨てた。何のために誇りを捨てた。何のために――。
数刻前まで安らかだった心は何処にもない。
「吾がしたことは――何だったというのだッ」
頭に血が逆流った。ずきずきと疵が疼き、毛穴から血膿が滲んだ。眼の内側が熱くなっ 世間が白く飛んだ。岩は髪の毛を掻き毟った。
「伊右衛門は何故幸せにならぬ。何故じゃ何故じゃ」
******
◆「 領った。領ったぞ。
生きるも独り。死ぬも独り、
ならば生きるの死ぬのに変わりはないぞ。
生きていようが死んでいようが汝我が妻、 我汝が夫。」
出典:『 嗤う伊右衛門 』
京極夏彦 より
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――女は真っ直ぐ顔を上げて生きていた。
その心は激しくも気高く凛として。
(醜さへの憐れみなどいらぬ)
寡黙な男は背筋を伸ばし生きていた。
自分を律して道を探し続けた。
(だからこそ、女のその生き様に惹かれた)
女も男も切ないほど純で、けれど、あまりにも不器用だった。
想うゆえにすれ違い、そこに悪意の雫が落とされる時、悲劇が生まれる。
これは、想いあいながら運命に翻弄された、女と男の愛の物語。――
◇◇◇
鶴屋南北「東海道四谷怪談」と実録小説「四谷雑談集」を下敷きにした、京極夏彦版『四谷怪談』は怪談というには、あまりにも哀しく、そして美しい物語です。
わたしたちが知っている『四谷怪談』と登場人物は同じですが、人物像はかなり違っています。
冒頭のお岩様の血を吐くような慟哭。
伊右衛門の心の深淵を覗き込んだ先の言葉。お岩様への深い想い。
京極先生は『四谷怪談』の設定を借りながら、むしろ怖さよりも、人間というものの業、愛するがゆえの惑いや苦悩を書いているように思います。
この作品、巷説百物語シリーズの御行の又一も出てくるので、京極ファンにとっては、それもたまりませんね。
𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧⚘
めったにわらうことのない伊右衛門は、我と我が身を嗤った。
けれど、最期に境界を越えて、お岩様と添うことができた時に、やっと笑うことができたのではないか……そんな気がするのです。
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