1032年 12月25日 午前10時 州議会所 大会議場




「それではこれより、州議会への弾劾権の行使を認め、議会法廷を開廷いたします。原告側は、冒頭弁論の義務があります。準備はよろしいですか?」


 大和国の議会は全て変換型の議会であるが、今回は特別に、発言席が二つ会議場の中央部分に用意され、対立状態での討論が出来るようになっている。

 元から置いてある真ん中の発言席は、証人用に議長席側を向けられている。

 代表者とそれに類する人物は、今回会議場の最前部にある議長席の左右に座しており、中央の発言席と共に、コの字型に広がった傍聴人の民衆が座る議員席に囲まれている。

 王人、アン、マルク、ジョシュアの四人に加え、王人の呼んだ才人が、左側の代表者席に座していた。

 一方、右側の代表席に座っている人物は、州議長・闇崎堂山を始めとした州議会議員の代表者数名だった。


「はい」


 裁判長の問いに対して返事をしたのは王人だった。

 彼は発言席に立つと、早速語り始める。


「今回、私が州議会に弾劾権を行使したのは、至極単純な事由によります。それは、『州議会による殺人の隠蔽』です」


 会議場が一斉にざわついた。


「先日、紫龍園州議会副州議長であらせられるバレックス・オーバーン氏、並びにその妻エセフィーレ氏が、何者かによって暗殺される事件が起こりました。州議会はこれに情報統制を敷き、暗殺者の身分を公表することを避けました。これに関しては、州議会側は『情報が錯綜している為、まとまり次第順次公表する』という旨の事由を説明しました。しかし! あろうことか州議会は、この保留期間を利用し! 暗殺者を秘密裏に殺害したのです! 暗殺者は当時牢の中に入れられており、接触が許されたのは州議会関係者だけでした! また、暗殺者は頭を強く壁に打ち付けられて死亡しており、これは自殺とは考えられにくく、州議会には外患の暗殺者を処分するという動機が存在していました! 暗殺者を秘密裏に殺害した挙句、警備隊をも利用しその隠蔽を図った疑い! 私は断固として見過ごすことが出来ません!」


 とてつもない迫力だった。

 彼の熱弁に観衆は盛り上がりを見せ、拍手するものまで現れていた。

 それほど、民衆の州議会への鬱憤はかなりのものだったのだ。

 ただ、身内の代表席の面々だけは、少し苦笑いを浮かべていた。

 当然、州議会側の代表者たちは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「……え、えっと……で、では、被告側は、意見陳述をお願いいたします」

「はい」


 王人の大声に少し引き気味の裁判長だったが、平静を戻して進行を続ける。

 州議会側から発言席に向かったのは、州議会議員のロックス・グレイアスだった。


「まず、議題の『殺人の隠蔽』ですが、これはまったくの言い掛かりでして、証拠も無ければ、証人も提出されていません。まったく根拠のないでたらめなのです。よって、今回の議会法廷は……全くの茶番というわけですな」


 グレイアスは、フッと鼻で笑ってみせた。

 観衆はそれを聞き、一気に盛り上がりを沈めてしまった。


「はい!」


 それを受け、王人は手を挙げた。


「どうしました? 原告側」

「証拠もなく、証人もなく、果たして議会法廷が開けますか? 裁判長、かの御仁は、どうやら罪の意識に耐え兼ね、現実逃避をしていらっしゃるようです」

「な……!」


 王人の煽りを受け、グレイアスは動揺を見せる。


「今回は特殊な議会法廷になる……そう考えた原告側は、予め証拠の提出を行わなかったのです。どこまで州議会の息がかかっているかわかりませんからね。裁判長にはお伝しましたよね?」

「え、ええ、そうでしたね」

「な……聞いとらんぞ、そんなこと!」

「そりゃあ、言っていませんからね」


 グレイアスは激しく怒りを見せた。

 一方の王人は鼻で笑い返していた。



 代表席に座るマルクは、呆れ笑いを見せていた。


「……オートさん、ここまでだとは思わなかったよ……」

「そうね……ノリノリね……」


 隣で座るアンもまた、呆れて苦笑いをしていた。


「でも……この観衆の数は想定以上だ……上手くいくかもしれない」

「『かもしれない』? 違うわよ。上手くやるのよ」


 アンはニヤッと笑みを浮かべて見せた。


 二人の会話を後部座席から見ていた才人は、この先の議会法廷の行方を展望していた。


 ――オート……君の四年は無駄じゃなかったらしい。

 ――この議会法廷を開いただけで、もう君の勝ちは決まった。

 ――あとは……七月をどうやって呼び出すかだ……。



「さて! それでは早速証拠品の提出をさせていただきたい! 裁判長! よろしいですね!?」

「は、はい……」


 いつの間にか、王人は場を支配していた。

 先程のやり取りで、堅苦しい雰囲気は薄れつつあった。

 王人が指を鳴らすと、警備隊が証拠品を持って入ってきた。


「最初の証拠品はこちらです」


 王人が警備隊から受け取ったのは、銀色のリングだった。


「フン! それの何が証拠になるというのだ!」

「静粛にお願いします」


 グレイアスは先程から苛立ちを隠せずにいた。


「こちらは被害者の私物です。被害者が逮捕された際、警備隊に押収されました」

「ならば何の関係もあるまい!」

「静粛に」


 裁判長の声は、グレイアスの耳には届いていなかった。


「……こちらはですね……被害者が催眠術を使う時に必要とする道具なのですよ」


 スンッと場内が静まり返る。

 それもその筈であった。

 紫龍園に住んでいる者ならば、誰でも鏑木家と催眠術師の存在を噂程度に聞いたことがあった。

 しかし、それは公表されているものではなく、また、こういった場で取り扱われたことのないものだったからだ。


「……原告側。冗談は止めてほしいのですがね」


 裁判長は紫龍園の人間ではなかった。

 催眠術師は、紫龍園の中にしか存在しなかったのだ。


「被害者は催眠術師だった……これがその証拠です。そして……それこそが州議会によって被害者が殺された理由なのです」


 王人は裁判長を無視して話を進めた。

 しかし、流石に無視し続けることは出来ない。


「原告側……」

「裁判長! それではこれより、催眠術師の存在を実証しましょう! サイト!」


 王人が呼ぶと、才人が立ち上がった。


「……さて、そちらのリングは、記憶を改竄するのに使う催眠道具です。それでは裁判長、認めていただきましょうか」

「な……何を……」


 才人は勝手に立ち上がり、議長席に座る裁判長の前に向かった。

 そして、王人から銀のリングを受け取った。


「さて、裁判長、こちらのリングを見つめていただきますか?」

「まさか……いや、催眠術などあるわけが……」


 才人がリングを糸で吊るし、裁判長の前で揺らす。


「裁判長は、これより催眠術を認めていることになります。では、三、二、一……」



 パンッ



 才人は、リングを持ちながら両手を合わせて叩いた。


「ハッ……私は……一体……?」

「裁判長、議会法廷はまだ途中ですよ」


 才人は、そう言って席に戻っていった。

 王人はそれを見届けると再び大きく口を開いた。


「さて! 裁判長! こちらが被害者を催眠術師だと示す証拠品として受理していただけますでしょうか!?」

「え、ええ、そうですね、間違いありません」


 場内は、やはり静まり返ったままだった。

 誰でも、今起きた出来事が何だったのかくらいは理解できる。

 もはやこの会議場に、催眠術を疑う者はいなかった。

 しかし、それでも事態の異様さに誰もが不穏さを感じ取っていた。



「……鏑木め……なんということを……全世界に知れ渡っているのだぞ……!」


 グレイアスは唇を噛み締めていた。

 この議会法廷は公開法廷。

 既に今のやりとりを世界中に広めようとする観衆が、何人か会議場を出ていってしまっていた。

 催眠術の存在は、公のものになったのだ。


「それだけではありませんわ」


 歯ぎしりをするグレイアスに話しかけたのは、同じく州議会議員の黒院キサラだった。


「……向こうは鏑木才人によって、いくらでも事実を捻じ曲げられる。彼らはどうやら……我々州議会を終わらせるつもりのようですね……」


 キサラは冷や汗をかいていた。

 彼女は一ノ宮王人が鏑木才人と共に議会法廷を開いた時点で、それが何を意味するのか理解していた。


「何……だと……? どういうことだ!?」

「元々、鏑木才人は催眠術を平和利用しようと考えていました。そのためには、旧体制の州議会は目の上のたんこぶ……。……恐らく彼らは、正当な理由でもって、大衆監視の下、催眠術の存在を知らしめるつもりでいたのです。さらにその上で、州議会も同時に潰す。彼らはずっと……この時を待っていたのです」

「馬鹿な……鏑木がそこまでするなど……。だが……何故待つ必要があった……? 鏑木才人の力があればいくらでも……」

「……あら? わかっていないのは、貴方だけのようですね」

「何?」

「大事なのは、催眠術を公のものにすることと、州議会を潰すことを同時に行うことです。催眠術を公のものにするだけでは、州議会の力が健在で、鏑木家がどのような目に遭うかわからないでしょう? そして、でっち上げの事件を作って州議会を潰すことは、催眠術を悪用したくない鏑木才人の望むことではない。だから、今回のような事件が起きるのを待っていたのでしょう」


 ただ一人身動きせずに座っていた州議長・闇崎堂山は、二人の会話を聞きながら、静かに、ゆっくりと、眉をひそめていた。



「では! 裁判長! 次の証人を呼んでも構いませんね!?」

「え……は、はい」


 裁判長はもはや王人たちのラジコンになっていた。

 王人が指を鳴らすと、警備隊によって、一人の少女が連れてこられた。

 その少女は――。


「彼女の名は、白石明日雛。『紫龍園連続怪死事件』の『第三の事件』の被害者です」


 明日雛は、真ん中の発言席に立て、会釈をした。


「被害者……ですか。私の記憶が確かなら、貴女は事件以降ずっと入院していたのでは?」


 『紫龍園連続怪死事件』は裁判長も知っていた。

 明日雛は、少し俯きながら答える。


「……本当は……もうずっと前から歩けたんです」

「え?」

「……でも……立ち上がる勇気を持てずにいました……」


 明日雛は深く俯いた。

 しかし、バッと顔を上げる。


「でも! 今は違います! ……オートさんに勇気をもらいましたから……私だけ……立ち止まっているわけにはいかないと……思って……」


 再び俯き顔になりつつあった。


「明日雛! ……大丈夫!」


 王人はサムズアップして見せた。


「……ありがとうございます、オートさん」


 明日雛は、まだ傷が癒えていなかった。

 体の傷ではなく、心の傷だ。

 何も、取り戻せたわけではない。

 失ったものは二度と戻らない。

 だが……彼女はもう、ずっと後ろを見ることが出来ない。


「……よろしいですかな? 証人」

「……はい!」


 王人は微笑んだ。

 王人は、四年前の事件以降何度も明日雛の下に見舞いに行っていた。

 彼は、ずっと彼女の足がもう動くことを知っていた。

 彼女に必死に今日この場に来ることを頼んだが、正直期待はしていなかった。

 しかし……彼女は二つ返事で頷いた。

 彼は、それがどれだけ、彼女にとって大きな決断だったかわかっていた。

 わかっていたからこそ、大きな声で『大丈夫』と叫んだのだ。

 わかっていたからこそ、彼は彼女を信じるのだ。


「では、お願いいたします」


 裁判長に振られると、明日雛は語り始めた。


「……私は……いえ、私と鋤柄蓮二は、催眠術師の手によってキランゲ岬から飛び降りをさせられました」


 再び、観衆はざわめき始める。


「その催眠術師は……『紫龍園連続怪死事件』の、『第一の事件』と、『第二の事件』を調べていた私たちを襲いました。そして……その人物は、今現存するたった二人の催眠術師のうちの一人。もう一人はそちらの鏑木さんです。……そして、今回の事件。頭を壁に打ち付けて死亡した被害者は、監視の目を盗んでの自殺も他殺も、通常ではあり得ない。つまり、この事件の犯人もまた、催眠術師です」


 彼女は、いくつもの事実から、一つの答えをはっきりと述べようとしていた。


「鋤柄蓮二を殺したのも、当事件の被害者を殺したのも、同じ催眠術師です。鏑木さんにはアリバイがあります。私は……もう一人の催眠術師が何者なのか知っています。その催眠術師の名は――――七月柚絵」



 もう、議会法廷は通常の様相を取っていなかった。

 催眠術師の存在は明白なものとなり、明日雛の言葉は信憑性があった。

 元々広く噂にもなっていた催眠術師と州議会の関係も、観衆は事実だと捉え始めていた。

 彼らが信じるのは、いつだって自分が信じたい真実だったからだ。

 沈黙の続く場内で、州議会は、もう瓦解し始めていた。



「喝ッ!」



 大きな声を上げたのは、州議長である闇崎堂山だった。

 彼はゆっくりと立ち上がり、口を開く。


「……して、その催眠術師と我々州議会に何の関係がある? それが証明されなければ、州議会によって暗殺者が殺されたなどという世迷言が通じるはずもあるまい……」


 とても低く、暗い声を放つ闇崎に、裁判長はつい何も言えずにいた。

 しかし、意外にも同じ味方側のグレイアスが彼に声を掛けた。


「州議長……しかし、奴らには鏑木才人が……」


 才人がいる限り、もはや議論は意味がない。

 王人が彼を連れてきて、裁判長に催眠を掛けさせた時点で、州議会の敗北は決まっていたのだ。

 グレイアスは耳打ちをするが、闇崎は無視した。


「鏑木の小僧、此度の事件に我々は関与しておらぬ。それでも我々を貶めるというのか?」

「……七月の独断だと?」

「ああ、そうだ」

「……だとしたら、僕もあんたも、王人に一杯食わされたんだ」

「何だと?」


 才人は、王人の顔を見た。


「……オート、僕は確証があると聞いていたんだが?」

「ああ、州議会は真っ黒だぜ。……今回の事件は知らないがな」

「……クソ……僕もこれで、晴れて悪い催眠術師の仲間入りか……」


 才人は苦笑いを浮かべる。

 王人は、今回の久間凛座殺しに、州議会が関わっているかどうかを把握していなかった。

 しかし、催眠術を悪用したくない才人を動かすには、この事件が州議会の手によるものだと決めつけてかかるしかなかった。


「まあ、残念ながら、もう貴方方は信用されない」

「わかっておらぬな……鏑木の小僧」

「何?」


 睨みを利かせてきた闇崎に、才人は睨み返す。


「無法を選んだのは貴様よ……恨むのならば、己を恨むがよい」


 誰も、闇崎の言葉の意味が分からなかった。

 しかし、その意味はすぐに判明する。



 パァンッ



 アンは、誰よりも早くその音が何か理解した。

 何故なら、彼女はその音を以前にも聞いていたからだ。

 その音は――銃声だった。


「鏑木さん!」


 アンは、彼の下に駆け寄った。

 しかし、彼の胸からは、止めどなく血が流れていた。


「そ、そんな……」

「闇崎州議長!」


 マルクが叫んだのは、『それ』が闇崎の手元から放たれたものだったからだ。

 闇崎の手元には――拳銃が握られていた。


「おいてめぇ! どういうつもりだ!」


 激昂する王人には見向きもせず、観衆たちは会議場から次々に逃げ出し始める。

 ドタドタと逃げ惑う観衆は半分パニック状態に陥り、もうどうしようも――。



 パン



 観衆は、突然倒れてしまった。

 全員が出口の方を向いていた。

 だからこそ、彼らは全員倒れてしまったのだ。

 彼らは――眠らされたのだ。


 その原因を、王人はすぐに理解した。

 彼の目に映ったのは――。



「七月……!」



 彼女は、妖艶な笑みを浮かべてそこに立っていた。

 彼女は、倒れた観衆を踏まないように、ゆっくりと歩みを進める。


「フハハハハハハハハハハハ」


 笑ったのは、闇崎だった。


「しゅ……州議長?」


 グレイアスやキサラを始めとした州議員は、何故七月がここにいるのかわかっていなかった。

 もちろん、何故闇崎が拳銃を撃ち放ったのかも。


「七月……! これで形勢逆転だ。我々を侮ったな、小僧共! フハハハハハハハ」

「何を……言っているんだ……!?」


 マルクは闇崎を睨みつけた。

 彼の傍らでは、アンが才人の安否を気遣っている。

 だが、才人からは意識が薄れつつあった。


「鏑木さん……駄目、駄目よ……」

「……ぐ……うぅ……」

「そんな……何故こんな……」


 アンは、目の前で目が掠れつつある才人を見つめ、涙を浮かべていた。

 今の彼女にとって彼は何でもない存在ではあったが、目の前で死なれるのは抵抗があったのだ。


「ぐ……ぐが……あ……」

「駄目……喋ろうとしないで……今……止血を……」

「……さく……ら…………」

「え……鏑木さん? 鏑木さん!」


 才人は、最後の力を振り絞って言葉を捻り出そうとする。

 その言葉は……自身の妹の名前だった。


「ま……待って! 駄目! お願い、目を開けて!」


 しかし、彼は最後までその名を呼ぶことは出来なかった。

 彼は、そこで永遠に目を閉じてしまったのだ。



「……サイト……」


 王人は、才人を一瞥すると、すぐに七月を睨んだ。


「七月……お前……」

「……サイト君……死んじゃったの?」


 七月は目を細めていた。

 だが、冷静でいられない王人は、怒りのぶつけどころを失っていた。


「お前……! お前は……!」


 それでも、言葉が上手く出て来なかった。

 対照的に、闇崎は流暢に喋ることが出来た。


「七月! フハハハハ! よく来た! さあ! この小僧共の記憶を奪え! 全て無かったことにするのだ! フハハハハ」

「断るわ」

「は?」



 パン



 彼女が何をしたのか、誰も理解が追い付かない。

 だが、一つ確かなことは、今、闇崎がその手で握った拳銃を自らの脳天へと運び、それをそのまま――。



 パァンッ



 闇崎は絶命した。

 頭を吹き飛ばし、即死だった。

 だが……七月以外誰も、何が起こっているのかがわからなかった。

 ……ただ一人を除いて。


「……そういうことか」


 いや、正確には……二人を除いて。



「……ずっと、不思議に思っていたんだ……。オートさんに、いつから一緒にいるのかを聞いた時、『四年前だ』と言っていたから……。その時からずっと……。でも……確証は何も無かった。ただ……七月柚絵と関係のある、オートさんの傍にいるというだけで……事件の話に入ろうとしてこないというだけで……ほんの少し……下らないと一蹴するくらい、ほんの少しだけ……嫌な『予感』はしていた……。でも……それだけだったんだ……。僕はただ……七月柚絵の行動原理をずっと考えていた。考えれば考えるほど、僕は自分の行動原理をなぞっていた……。もしもそれが……誰かを守るためなら……誰かの為ならと考えると……あり得るかと思ったんだ……」


 マルクの独り言は、推理でも何でもなく、『予感』でしかなかった。

 『愛』を原動力にする彼だけが可能性を見出した、ただの『予感』。

 頭の片隅に、少し思いついても、すぐに記憶の棚にしまってしまうような、そんな『予感』。

 しかし現実のものになっても、『そういうことか』としかならない……そんな『予感』。

 七月柚絵が、『誰かを愛するが為に』催眠術を使って事件を起こしているのではないかという、『予感』。

 『彼女』が、天文学的確率ではあるが、その対象であるのではないかという……『予感』。




「ジョシュア……?」




 王人が呟いた時、彼女は七月の傍にいた。

 彼女は、王人を見て一言だけ呟く。


「……愛していますよ」



 パン



 両の手を圧わせた音だけが、場内に響き渡る。

 ただそれだけが。

 それだけが、響き渡った。

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