1032年 12月25日 午前9時30分 州議会所




 議会法廷。

 それは、大和国の全ての州に採用されている弾劾裁判の制度である。

 大和国は形式上民主国家であり、民衆は全ての公的機関に対して弾劾する権利がある。

紫龍園州の様に、実質的には貴族が主導している州議会においても同様である。

 あくまでも階級差別などはなく、あるのは資産格差だけというのがこの国、並びに紫龍園州の見解だった。

 実際、貴族は態度こそ尊大である場合はあったが、中流階級の人間にとって、階級差で暮らしに弊害があることは無かった。

 紫龍園の一部の人間……『非籍民』以外の民衆には、それなりの権利があったのだ。

 一定数の民衆が一度弾劾すれば、必ずその公的機関は公然の下、『議会法廷』を開かなければならない。

 これは、法律で定められていることだった。


 議会法廷は、一般的には各公的機関が互いを牽制するために行うことが基本であり、実は民衆が自ら主導となって行うことは今までにほとんどなかった。

 あるとしても、訴追したい機関とは立場の異なる機関へ委託するのが普通だった。

 何故ならば、議会法廷は弾劾権を行使した者が自ら訴追、調査、審議を行い、公開法廷の中でも壇上に立たなければならないからである。

 当然、個人が弾劾権を行使することなどはあり得ないことだった。

 しかし、今回はそのあり得ないことが起こった。



「あら、早いわね」


 アンは、州議会所の出入り口前にいた王人に声を掛けた。


「まあな。マルクはどうした?」

「お手洗い。どうやらあの怖いもの知らずでも、緊張することはあるみたいだわ」

「そりゃあ、結構だ」

「そちらこそ、助手さんは?」

「ジョシュは悩んでいる時、高いところに行く癖があるんだ。きっと屋上だろう」

「何それ……まあいいわ。……準備はよろしいのかしら?」

「当然だ」


 二人は互いに微笑んで州議会所の扉側を向いた。

 ここが、彼らの今日の戦場になる場所だ。



 王人は、紫龍園州議会に弾劾権を行使し、議会法廷を開かせた。

 当然一人の力だけでは困難だが、才人やブロッケン教授の助力を受け、訴追手続きを終えた。

だが、想定していたよりは大事になってしまった。

 まず、個人による弾劾権の行使が、国内初の出来事だったのだ。

 その所為で噂を嗅ぎつけたマスコミが扇動を重ね、もはや一大イベントが始める前の様に盛り上がってしまった。

 裁判を主導する司法機関・州裁判所は、未曽有の事態への対応として州議会所を裁判の場所に選んだ。

 それは、傍聴人を希望する一般人の数が尋常ではなかった為の対応策である。

 もちろん、傍聴人に制限をつければよいだけなのだが、それでは裁判所前に夥しい数の民衆が裁判終了までたむろしてしまう恐れがあった。

 州議会所の会議場は州裁判所より広く民衆を収容することが出来るため、こちらで行う方がまだマシになるという判断だ。



 マルクは、州議会所の屋上にいた。

 手洗いに行ったというのは本当だったが、たまたま屋上へ向かうジョシュアを見て追いかけてきてしまったのだ。


「…………」


 両手を広げ、風に髪をなびかせているジョシュアに、マルクは声を掛けることが出来なかった。

 彼女にはアン程の美しさは感じていなかったが、風を受け、目を閉じて屋上で立ち続けている彼女の姿には、どこか趣があった。


「……愛していますか?」

「え?」


 突然、彼女はマルクに声を掛けた。

 後ろをついてきていたことに気付いていたのだ。


「貴方は……誰かを愛していますか?」


 彼女は目を閉じ、マルクに背を向けたままそう尋ねた。


「……うん。僕はアンを愛しているよ」


 マルクは、誤魔化すことなく事実を述べた。


「……そうですか」


 彼女は、マルクの方へ振り向いた。


「私も愛しています。一ノ宮王人を」


 マルクは薄々そのことに勘付いていたが、彼女が王人のことを『アルジ』以外の呼び方をするのが初めてで、少々戸惑っていた。


「……駄目ですね」

「え? 何が?」

「……言葉にしても……やっぱり駄目ですね……」


 マルクは、何故彼女が悲しい表情をしているのかがわからなかった。

 だが、それ以上彼女と言葉を交わすことは無かった。

 ジョシュアはそのまま先に屋上から出て行ってしまい、マルクは少しの間立ち尽くしていた。

 彼女の言葉の意味を、必死に考えていたのだ。

 『愛』という言葉は、それだけ彼にとって重要だったのだ。


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