七月柚絵に関して
マルクが久間の死を知ったのは、アンが退院して三日後のことだった。
久間凛座は、牢の中で壁に頭を打ち付けて死亡していた。
情報統制の為大きなニュースにはならなかったが、その筋の人間には既に知れ渡っていた。
そして、その死因が催眠術に起因していると発想するのは自然なことだった。
「結局……彼は何者だったのかしら?」
マルクの部屋には、パソコンを弄り続けているマルクとそれを隣で覗いているアン、そしてあと二人の人物がいた。
「催眠術師には二種類の人間がいる。とんでもなく良い奴か、とんでもなく頭のおかしい奴かの二種類だ」
アンの質問に答えた人物は、一ノ宮王人だった。
王人とジョシュアはまるで自分の家であるかのように平然とマルクのベッドに座っていた。
『紫龍園連続怪死事件』を調査するにあたって、彼とマルクたちの利害は一致していた。
そのため連絡を定期的にとることにしたのだが、王人曰くいちいち連絡を入れるのが面倒ということで、マルクの部屋を調査本部として、四人で集まっていた。
「どうしてそんなことがわかるんですか?」
マルクは王人の発言に疑問を浮かべる。
「催眠術ってのは、誰にでも扱えるもんじゃねぇんだ」
「というと?」
「催眠術の原動力は『愛情』だ。人を愛せない奴に、催眠術は使えない」
これはマルクにとっては初耳だった。
そもそも才人に質問をしたことも無かったので当然ではあるが。
「何それ。本気で言っているのかしら?」
アンは鼻で笑った。
しかし、王人は真剣な表情だ。
「ああ、間違いない。サイトに聞いたことがあるからな。……ただ、その『愛情』が屈折している奴でも、催眠術を使うことは出来る。それに、『愛情』を利用した他人が、善良な催眠術師を使役する例もある」
「成程……貴族にスパイや暗殺者として利用されたのは、そういった催眠術師なんですね」
「七月がどうだかは知らないが、サイトの爺さんや久間は、間違いなく『愛情』の形が屈折した奴だろう。一番厄介なタイプだ」
マルクは、久間の言葉を思い出していた。
『ねえ、君。君が夫妻と出会わなければ、夫妻が死ぬことは無かったんだよ? 僕はね、君の反応が見たくて二人を殺してみたんだ。ガックリしているところを見た時は笑いが止まらなかったよ。きっと、僕は君のことが好きなんだろうな。ねえ、どう思っているんだい? 自分の所為で人が死んでさあ! アハハハハハ!』
最初は適当なことを言っているだけかと思っていたが、もしかすると、屈折した『愛情』の一部だったのかもしれない。
しかし、マルクとしてはそれを自分と同じ『愛情』だと認めることは出来なかった。
「久間は……七月に殺されたんでしょうか?」
「恐らくな。ただ……目的がわからない」
マルクには、一つだけ見当がついていた。
それは七月が、アンを貴族から守ることに協力したという話を聞いたからだ。
七月とアンの関連性は何も考えられなかった。
しかし、七月にとってアンが守るべき対象であるのなら、彼女が久間を暗殺する動機にはなる。
「……まあ、少なくとも七月は、久間みたいな性格の奴は嫌うタイプだ。気に入らないから殺しただけかもしれない」
「気に入らないだけで人を殺すなんて、最低のクズですわね」
「ああ……その通りだ」
王人は目を伏せた。
「……ところで、オートさんはこの『紫龍園連続怪死事件』を調べて、一体どうするんですか? 紫龍園の闇を暴くといっても……探偵のオートさんには得がないですよね?」
それは、マルクがずっと疑問に思っていたことだった。
記者であるマルクとは違って、王人には調査する動機が無い。
「……元々は、四年前、俺の後輩たちの依頼を受けただけだった。しかし……そいつらが事件に巻き込まれた。水澱ジェラスの事件と、鋤柄蓮二の事件は繋がっている。これに加えて、四つ目の狂言殺人に七月が関わっていたのなら、きっと……二つ目の事件もそうなんだ。俺は、後輩たちの為にも、俺自身の為にも…………七月を捕えなくちゃいけないんだ」
「! オートさんは……四つ目の事件の真実を知って……?」
「ああ……知っている……」
二人はアンの方に目をやった。
アンは何故だかわからず、疑問符を浮かべる。
「……まあ、貴方と七月に並々ならぬ因縁があることはわかったわ。ところでそれは、バックス・ウィルソン氏の書籍に記されているものと同じ因縁かしら?」
「……俺と七月についてあそこに書かれていたのは、半分が真実で、半分が偽りだ。……
七月をサイトの爺さんの前に連れてきたのは……俺なんだ」
「え……それは一体……?」
「俺は、『橋の下街』でアイツに会った。……市場でな」
「……え……どういうことですか……?」
『市場』という言葉が引っかかった。
しかし、マルクの頭の回転は嫌な方に速く回った。
「……俺は、貴族出身だ。俺の両親は、『橋の下街』の市場から、使用人を雇っていた。……俺と同じくらいの娘でも……関係なく……な」
マルクは察した。
『使用人』というのは、つまり『奴隷』のことだと。
紫龍園の上流階級の貴族では、『非籍民』の『奴隷』扱いが平然と行われている。
王人が貴族出身だというのはそれまで彼も知らなかったが、相当上流階級の人間だったことは理解した。
「貴方が貴族だったとは意外だけれど……一体何故七月を鏑木家に?」
「……俺は、家を出たんだ。七月を連れてな」
「え!?」
激しく動揺を見せたのはアンでもマルクでもなく、ジョシュアだった。
ずっと黙って話を聞いていた彼女が声を上げる姿を見て、三人は目を向けた。
「どうかしたの?」
「…………いや……きっと、少し気になっただけです」
マルクは彼女が王人にどのような感情を抱いているのか知っていなかったため、ただ困惑するだけだった。
一瞥だけした王人は、そのまま話を続けた。
「俺の両親は、その後事故で亡くなった。まだガキだった俺は、七月を唯一の友人だったサイトの家に預け、タイラー・ブロッケン教授の下で世話になることになった。……あの時、七月を鏑木家に置かなければ……いや、それは言ってもしょうがねぇな……」
七月はその後、才人の祖父の手によって、紫龍園の暗部と繋がる催眠術師へと変貌した。
ブロッケンも子供二人を預かることは出来なかったため、当時の王人に出来ることは他になかった。
「……どうしてアルジは……家を出たんですか……?」
質問をしたのはジョシュアだった。
「……どうしても……どうしても、俺はあの家にいたくなかった。俺は……恥ずかしかったんだ……アイツらと自分が、同じ人間だということが……」
「……七月柚絵を連れていった理由は……?」
「……アイツを、可哀想だと思ったんだ。だから、俺はせめてアイツだけでもって……いや、違うな……俺は……一人で逃げる勇気が無かっただけなんだ……」
マルクとアンは黙って聞き続けていた。
しかし、ジョシュアはまだ質問を続ける。
「……アルジが七月柚絵を連れて出なければ、『紫龍園連続怪死事件』は起こらなかったかもしれない…………それが、アルジが彼女を捕まえようとする理由ですか?」
「……ああ、そうだ」
王人とジョシュアは目を合わせた。
お互いに、強い意志を感じるような瞳だった。
だが、ジョシュアは先に目を伏せてしまった。
その理由は、ここにいる三人にはわからなかった。
*
七月に関する話題が終えると、暫くその場は静寂が訪れていた。
その静寂を破ったのは、一通の電話だった。
「…………わかりました。それでは、よろしくお願いします」
そう言って電話を切ったのは王人だった。
「貴方、絶望的に敬語が似合いませんわね」
「うるせぇ」
退院してからというもの、アンはかなり毒舌になっていた。
元々本来の性格がそうだったのかはわからないが、それまで自分を見失っていた時とは違い、彼女は自分を繕っていなかった。
「……どうなりますかね?」
マルクは電話の内容を知っていた。
いや、ここにいる全員がそうだ。
そして、王人はフッと笑う。
「一つ、アンの台本は既に完成していて、あとは手続きの終わりを待つだけだった。二つ、今の電話は手続きの終わりを知らせるものだった。よって三つで締めくくる……計画通りだ、『議会法廷』は開かれる。……さあ、面白くなってきたぜ」
アンとマルクはニヤリとして見つめ合った。
王人もまた、口角を緩ませながらケータイを弄っていた。
ただ……ジョシュアだけは、表情を動かさずにいた。
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