マルク・ブライアンに関して



 マルク・ブライアン。

 彼は、まだ弱冠十九歳の新人記者だった。

 彼の初仕事は、週刊雑誌の記事にする予定となった『紫龍園連続怪死事件』についての取材だった。

 取材相手は、『第一の事件』の死者である『水澱ジェラス』の名を騙った少女。

 マルクは初め、どうせ下らないゴシップ記事にしかならないと考えていたが、直接彼女と出会い、考えを改めた。


『……一目惚れした』

『は?』


 本気だった。

 一ミリも誤魔化す気はなかった。

 ひとえに、彼の初恋故の暴走だった。


 マルクはこれまで、他人に興味を持ったことが無かった。

 記者の道を選んだのは、他人に興味が無いからこそ、どれだけ他人の暴露をしようと心が痛まないと考えたからだ。

 しかし、その考えは誤りだったと初取材で気付く。


 そう、自分は彼女に出会うために記者になったのだ。

 そして、彼女を愛するために記者になったのだ。

 彼は、本気で心からそう思っていた。



 アンが倒れてからというもの、マルクはへこたれることなく調査を続けていた。

 もちろん、彼女の正体を探るためだ。

 そして…………彼はもうその真相に近づいていた。


「……『第四の事件』……だって?」


 彼は今、鏑木家に赴いていた。

 話し相手は、鏑木家第十三代当主・鏑木才人。


「ええ、ここであったという話を聞きました」

「……違うよ」

「え?」

「……何も無かった。当時死人騒ぎを起こしたことは間違いない。だけどね、本当は誰も死んでいなかった。ニュースにまでなって、大変な騒動を起こしたと反省している。しかし……この屋敷で出た死体というのは、偽物だった」

「偽物……ですか」

「そうだよ。通報したのは家政婦。凄惨な現場だったという話を聞いたよ。僕はその時この屋敷にいなかったもので、状況をうまく説明できないのだけれど、紫龍園でも有名だった我が家は、すぐにテレビ局や新聞社が詰め寄ってきた。……しかし、死体を調べていくうちに、それが精巧に作られた偽物の死体だと判明したんだ」

「……それが……『怪死事件』と呼ばれた理由は……?」

「たまたまだ。その前までの三つの事件の所為で、『紫龍園連続怪死事件』は話題になりすぎていた。『あの鏑木家』からも不可解な自殺者が出たと聞いて、喜んだ連中が裏も取らずに盛り上げてしまったんだ……」

「成程……ずっと不思議に思っていたんです。この狂言自殺事件が、数に含まれている理由が……」


 マルクは目を伏せた。

 その理由は、どうやら『第四の事件』がアンの情報に繋がっていないと勘付いたからだ。


「では、これだけ聞かせてください。……その狂言自殺は、一体誰が引き起こしたんですか?」


 才人は、息を吐いた。


「……わからない。結局謎のまま終わったんだよ、その事件はさ」


 マルクは、違和感を抱いた。

 才人の言葉には、感情が込められていないように感じたのだ。


「……そうですか……わかりませんか……。催眠術師も関係ないと?」

「それも、わからない。……ごめんよ」


 謝る理由がわからない。

 マルクは、彼に疑念を感じ取っていた。


「あの……」

「まだ何か?」

「……僕は、一人の少女の正体を探っているんです。『怪死事件』は、手掛かりになるかと思っただけ。彼女に関係ないのなら、正直どうでもいいと思っています」

「君は……記者だったはずじゃ……?」

「今はそんなことより、彼女のことなんです。僕にはそれが一番重要だ」


 才人は、何故マルクがそこまで『少女』とやらに執着するかわからなった。

 いや、そもそも『少女』のことすら知らずにいた。


「君の言う『少女』とは一体……?」

「世間では『アンノウン』と呼ばれている少女です。久間凛座という催眠術師に偽りの記憶を植え付けられていました。久間凛座については……そういえば、貴方はご存じないんですよね?」

「……催眠術師……? 七月ではない……別の……?」


 才人は、本当に知らないといった様子だった。


「久間の正体は未だ不明……だから彼女のこともわからない……。僕はどうしても彼女の正体を知りたいんです」


 才人は、顎に手を乗せて思案に更ける。


「……聞いたことがある。先々代の当主……すなわち僕の爺様は妾を数人囲っていたという……。彼は、悪徳貴族にスパイや暗殺者としての催眠術師を輩出していた。自身の血を受け継いだ催眠術師をね。僕の父による自浄作用によってそれらはほぼ処分されていたと聞いているが……血の繋がっていない七月だけは処分が出来ていなかった。……しかし……まだもう一人いたということか……?」

「紫龍園の闇と鏑木家は深く関わっていますよね。……僕は、彼女もその闇と関わっていると考えているんです」

「…………君は……何故そこまでその少女のことを……?」


 マルクは真っ直ぐな視線を才人にぶつける。


「彼女を愛してしまったからです」



 才人は、彼がそれまでこの屋敷に訪れた他の記者とはまるで違うということに気付いた。

 だからこそ、彼は、もう一度深く思案する。

 そして、重い口を開く。


「…………狂言自殺は……我々鏑木家が引き起こしたものだ」

「……え?」

「自作自演という話さ。……だがその裏で、本当に死者が出たということにした」

「え? え? ど、どういうことですか? た、確かに、鏑木家の自作自演という噂は通説でしたけど……え? 裏? 裏っていうのは……?」


 マルクは突然の告白に動揺を隠せない。


「狂言自殺の本来の目的は、一人の人間の殺処分を隠すためのものだった。世間には死人が出たのは嘘だということにして、本当に出た死人の存在を隠そうとした」

「な……何ですって!?」

「……全ては……自浄作用を始めた鏑木家と紫龍園の貴族たちとの対立が原因だった。……貴族たちは、自分達に協力しない催眠術師の存在を恐れた。だからこそ……人質を取ろうとしたんだ」

「ま、待って下さい……頭が追い付かない……」


 マルクの声を無視して才人は話を続ける。


「その人質こそ、僕のたった一人の妹だった。鏑木家当主の唯一の弱点、催眠術も使えない、ただの一人の女の子だ。……僕らに貴族たちの誘拐や拉致を絶対に防げる保証は無かった。催眠術はわざわざ相手の眼前でモーションを入れないと掛けられない……そんなに便利なものではなかったからね……。だから、人質にされる前に処分するしかなかった」

「何を……そんな……」


 才人の話が本当なら、鏑木家は人を一人殺していたことになる。それも、身内の人間を。

 狂言などではなく、本当の死者が出ていたということだ。

 しかし、才人はそれをすぐに否定する。


「しかし、僕にそんなことが出来るのなら、初めから妹は人質にならない。……だから、貴族たちには妹を死んだ様に見せ、一方で世間には狂言自殺として処理したんだ」

「え……えっと……つまり……え? その妹さんが狂言自殺の当事者ですよね? え? 彼女は生きているんですよね? でも……貴族たちには死んだように見せた……? ど、どうやって……?」

「……七月だ」

「な……」

「どういうわけか、彼女は僕らに協力してくれた。彼女は本当に妹が死んだように貴族たちに勘違いさせたんだ。妹の殺処分こそが、狂言自殺の目的だったとね。しかし……実際は本当に狂言でしかなかった。世間の認識こそが正しいのさ」

「…………」


 マルクは、混乱する頭を整理していた。

 催眠術を平和利用しようと考え始めた鏑木家と貴族たちとの対立は想像していた。

 しかし、狂言自殺の裏にそのような腹の探り合いがあったということは、想像の範囲外だった。

 少しして、マルクは冷静さを取り戻す。

 そして、当然の疑問を思い浮かべた。


「……でも、その妹さんが普通に生きているのなら、いつまでも貴族たちに気付かれないわけがない。催眠術で誤魔化しても、実際に調べられたらすぐにバレてしまうのでは……?」

「……『普通に生きているのなら』……ね」

「え?」

「妹はもう、この屋敷にはいない。世間的には生きているが、貴族たちは妹を見つけられない。何故なら妹は……一人で生きていくことを決めたからだ。僕にすら、今妹がどこにいるかを知らない……」

「え……それは……つまり……」

「……妹は今、事実上の『非籍民』として生きている。そして……もしかすると妹は……」


 マルクは、既に察していた。

 そして、突然才人がこの話をする気になった理由を理解した。



「アン……?」



 才人は、頷きはしなかったが、黙ってマルクの目を見続けていた。

 それはつまり、肯定は出来ないが、自分とマルクが同じ考えだということを表していた。


「何故、その少女と久間という催眠術師が出会ったのかは知らない。しかし……もし、彼女の正体が僕の妹なら……それを知って近づいた可能性はある……。妹の姿を見たことがあるのは、鏑木家の人間だけだ。僕は直接会ったことは無いが……親族会議の場にいたのかもしれない……」


 マルクは、アンの正体は十中八九彼の妹だと確信した。

 彼は立ち上がった。


「ありがとうございます……! 僕は……いや、彼女は……これでようやく前に進めるかもしれません……!」

「……僕は何もしていないよ。何も出来なかった……。何が催眠術師なんだか……」


 才人は呆れて自嘲していた。

 妹が大変な騒動に巻き込まれていたことに関与出来なかった事実を、重く受け止めていたのだ。


「この話は、絶対彼女以外には他言しません。本当にありがとうございました」

「……いや、妹に話す必要はないよ」

「え?」

「妹は、自分で自分の記憶を改竄することを決めたんだ。もちろん、いつかは思い出すことになるのかもしれないが、それは妹の意思だった。だから、話す必要はない……」

「アンが……自分で……?」


 久間の言葉は嘘だったのか?

 いや、そもそも久間の言葉は初めから信用に足るものではなかった。

 マルクは当然才人の言葉の方を信用する。


「妹は……気丈な性格だった。自分から七月の言った狂言自殺の提案に頷いた。その前も、人質になどなっても、すぐ舌を切ってやると言っていたほどだ。妹が屋敷を出ていくとき、僕はもう最後の別れを済ましている。……妹は、新しい人生を歩むと決めたんだ」

「…………」


 何も言えずにいた。

 彼女と才人の、兄妹間のやりとりを予測することなど出来ない。

 しかし、新しい人生を歩むことを決めたのがアンならば、マルクに出来ることはもうなかった。


「……それに、もう彼女には、君がいる」

「え?」

「……彼女は一人ではない。初めから……そして、今も。だから、本当のことを話す必要はないよ」


 どうしても納得が出来ずにいたが、マルクには何も言えない。

 アン自身が決めたことなのだ。

 もう……何も出来ない。


「……ありがとうございました」


 一礼だけして、マルクは屋敷を出ていった。

 もやもやとした思いを抱えながら。

 屋敷を出ても、辺りの山々の曇り具合が、自分の心を映しているように感じ取れた。



「あら、ようやく出てきたわね」


 屋敷を出ると、すぐ目の前に彼女はいた。


「……え? ……アン? な……何で?」


 アンはまだ病院のベッドで寝ているはずだった。

 しかし、彼女は目の前にいた。

 いつものように、妖しくも穏やかな微笑みを浮かべながら。


「『何で』って……貴方がここに向かったと聞いたからですわ。……まったく、わたくしを置いて調査を進めるだなんて、偉くなったものね?」

「いや……でも、寝ていたはずじゃ……」

「誰かさんのうるっさい声がしてね。……あと……貴方のことを思い出して」


 アンは、晴れやかな表情をしているように見えた。


「……アン、僕は……君の正体を……」


 彼女の顔を見ると、マルクはもう伝えたくてしょうがなくなっていた。


「ああ、それはもういいわ」

「え?」

「別に、わたくしはわたくしですもの。貴方がわたくしの名前を決めたじゃない。わたくしは『アン』。ただの『アン』。それで充分ですわ」

「で、でも……」

「あーもう、面倒くさいわね。それより! 今わたくしの関心が向いているのは、『紫龍園連続怪死事件』ですわ! 貴方とわたくしでこの街の闇を暴こうじゃありませんの! そして、貴方が記者として名声を上げれば、貴方の黒幕としてわたくしがメディアを裏で操る人間になって……」


 アンは、未来を語っていた。

 とても綺麗な未来ではなかったが、確かにそれは希望を抱えた未来だった。


「アン……」

「何かしら?」

「愛しているよ」

「……当然ですわ」



 二人は微笑みを分かち合っていた。

 山々はいつの間にか晴れ渡っていた。

 二人の心を映すように――。

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