回想 ③
一〇二八年 五月六日
その日のことは、今でも忘れません。
私はいつものように学院へ向かいました。
学院に着くと、人だかりが出来ていることに気付きました。
その理由を知った時の衝撃は、両親を失った時に等しかったと思います。
彼女は……水澱ジェラスは、亡くなっていました。
私と蓮二君の通っている、ヴァールヴァン学院の教室で。
後に『紫龍園連続怪死事件』と称される事件の始まりです。
私と蓮二君は彼女の存在を把握していたため、警備隊を通して彼女の名前を公表してもらいました。
公表した理由は、彼女の親族を探すためです。
ですが、親族は現れませんでした。
結局私たちが伝えた彼女の名前も、やがて仮名扱いされるようになりました。
『何も無い私に……』
彼女の言葉を思い出しました。
結局、彼女の正体は最後までわからなかったのです。
この話は……以前にも話しましたよね?
はい、そうです。
私と蓮二君はこの事件を経て、オートさんの下を尋ねました。
彼女の死の真相を知りたかったのです。
あるいは、彼女が何者だったのかを。
「一つ、ここは探偵事務所である。二つ、探偵はボランティアじゃない。よって三つで締めくくる……依頼料が払えないなら、俺は動かん」
オートさんは、最初はそのように言って私たちを返そうとしていましたよね。
でも、ゆっくり事情を説明すると、オートさんは態度を変えてくれました。
「……成程な……まあ、可愛い後輩の頼みだ。調査に協力しよう」
「オートさん!」
「オート君!」
「『君付けは止めろ』っていつも言っているだろ、蓮二!」
私たちは失意の中にいましたが、オートさんが協力してくれると聞いて、救われました。
オートさんはとても優秀で、すぐに彼女の自殺の方法を解き明かしましたよね。
でも、世間は最初の報道の所為で、彼女の自殺を『怪死事件』扱いしたまま……。
まあ、紫龍園最大の大学の中へ忍び込んでの自殺というだけで、充分『怪死』とは言えたかもしれませんが……。
私たちは、彼女の死をつまらない方法で話題にする連中が、嫌で、嫌で仕方ありませんでした。
「大衆は話題に一喜一憂する一方で、飽きも早い。すぐに別の話題に移行するはずさ」
オートさんはそう言いましたが、結局そうはなりませんでした。
それもこれも、この後すぐに起きた『第二の事件』の所為で……。
*
一〇二八年 五月九日
世間は、ジェラスの死とは何の関係もない事件を、まるで関係があるかのように話題にし始めました。
その事件が、『第二の事件』と呼ばれる、リーファ・マクスウェルの焼死事件。
確かに、ジェラスと彼女には、同じくらいの年の少女であり、同じ『非籍民』であり、動機の不可解な自殺であるという三つの共通点がありました。
でも、それだけ。
オートさんは、私たちの為にこの事件も調べてくれましたよね。
確か、警備隊の人たちと一緒に調査を始めて、彼女の死因が自殺以外ありえないという結論を下したのも、オートさんでしたね。
でも、結局私と蓮二君はこの事件には興味を持てなかった。
……オートさんはそうではなかったんですよね?
もし、私と蓮二君も、同じようにこの事件についても調べていたら……いえ、きっと何も変わらなかったでしょうね。
そういえば、ジョシュアさんが事務所にやって来たのもこの頃でしたっけ?
お変わりないようで嬉しいです……。
私と蓮二君に、オートさん、ジョシュアさん……四人で『非籍民』について調査しましたよね。
そこからジェラスのことがわかると信じて……。
*
一〇二八年 五月十六日
そういえば、ある記者の方がジェラスの死の真相を知りたがっていましたね。
確か名前は……バックス・ウィルソンさん……でしたっけ?
「初めまして、ウィルソンさん。私は一ノ宮王人。この探偵事務所の所長です」
「え、ええ、どうもよろしくお願いします」
私と蓮二君は、丁寧な口調で話すオートさんが面白くて仕方なかったことを覚えています。
「何すか『私』って……ハハハ!」
「蓮二! 笑うなよ!」
「はいはい、すんませんでした師匠」
「お前はいい加減呼び方統一しろよ! 誰が師匠だ!」
あの記者さん、オートさんと私たちの関係に疑問を持っているようでしたね。
結局、どんな関係だと思われたんでしょう?
え?
あの記者さんも催眠術に……?
……そうですか…………心が回復することを祈っています……。
しかし、一体誰がそんなことを……。
やはり、七月さんでしょうか?
だとしたら、彼も何かを掴んだということなのでしょうか?
……『彼も』と言った理由は、すぐに話します。
もう……オートさんも大体想像がついていることでしょうが……。
……ここから先が、世間で『第三の事件』と呼ばれた出来事。
……大丈夫です、もう隠したりはしません。
私と蓮二君が、七月さんに会った日のこと……あの日何があったのか……話します。
*
一〇二八年 五月二十日
私と蓮二君は、二人で州議会所へと訪れました。
何故なら、『非籍民』についての情報が、そこの資料室から得られると考えたからです。
『非籍民』は、大衆が噂などからその存在を認めているだけで、公的に取り扱われている言葉ではありません。
私たちは、オートさんや記者さんの調査のおかげで、『非籍民』の登録番号には、意味があることを知りました。
元々『非籍民』というのは、実は二種類存在していましたよね。
それは、登録番号を持たないほとんどの『非籍民』と、その中でも登録番号を持っている『非籍民』。
大衆はその二つに区別を用いりません。
何故なら、登録番号というのは、大衆にとっては一見意味の無い数字だからです。
登録番号が用いられるのは、貴族の使用人やスパイとして生きている『非籍民』に限った話です。
……いや、使用人というよりは、『奴隷』と言った方が正しいかもしれません。
そんな登録番号など、持っている意味は無かった。
……ですが、実はそうではなかった。
登録番号には、隠された意味があったんですよね?
それは……貴族と平民を分けるという意味。
登録番号の順番が偶数から始まる者は貴族出身の『非籍民』。
登録番号の順番が奇数から始まる者は平民出身の『非籍民』。
彼らは同じように、貴族の『奴隷』だった……。
そして……調査によって得られたジェラスの登録番号と、リーファ・マクスウェルの登録番号の順番は、偶数から始まっていた。
二人は貴族出身だった。
でも、何らかの理由で『非籍民』になった。
私と蓮二君は、その理由が知りたかった。
そのために、州議会所へ向かったのです。
オートさんに相談せずに決めたこと……今では深く後悔しています。
州議会所に入る時は簡単に許可を貰えましたが、資料室は一般人の立ち入りが禁止されていました。
それでも、私と蓮二君は中に入ることを決めました。
「蓮二君、私は、ジェラスのことを知りたい……知らなくちゃいけないと思ったから……」
「ああ、俺も同じだ。アイツのことを理解したい。そして、もしアイツのことを知ることが出来たら……その時は……お前に伝えたいことがあるんだ」
資料室に辿り着くと、早速登録番号の一覧表を探し当てました。
もしそこに番号別に出身が記されていれば、ジェラスが何者だったのかがわかる。
私と蓮二君はそれをよく確認しました。
しかし、その時――。
「何をしているのかしら?」
現れたのは、七月柚絵です。
「……誰っすか? 俺ら、一応許可貰って入ってきているんで」
「……あら本当? 州議会所自体は許可出してもらえるでしょうけど……ここはどうかしら?」
「……貴女は?」
彼女は、妖艶な笑みを浮かべていました。
「私の名前は七月柚絵。よろしくね」
私たちは、既に嫌な予感を感じていました。
でも、既に遅かったのです。
彼女は、両手を掲げると、それを勢いよく叩き合わせました。
パン
次の瞬間、私たちは意識を失いました。
催眠術です。
七月さんの名前は、これより前にオートさんに聞いていましたよね。
鏑木家を破門にされた催眠術師。
そして、オートさんの幼馴染。
その正体は……州議会の手先。
全て聞いていたのに……。
次に目を覚ました時、そこはキランゲ岬でした。
目覚めると、目の前にはまだ瞳を閉じている蓮二君と、七月さんの姿がありました。
「おはよう」
「貴女が……七月……さん……」
「あら? 『さん』付けしてくれるなんて丁寧ね。でも、だからといって見過ごすわけにはいかないわ」
「……そんな……私たちは……まだ……何も……」
私はその時、州議会の闇が、ジェラスの死と関係していたと確信しました。
しかし同様に、それを知ろうとした自分たちの命はもう無いのだと思いました。
「ええ、そうね、貴女は大丈夫」
「え?」
「駄目なのは……こちらの坊や」
七月さんは、蓮二君の方に目線を送りました。
「な……何で……? 蓮二君は何も……」
「……ごめんなさい、私のミスなの。途中で目を覚ますなんて、あまりないことだから……油断したのよ……」
彼女は、心底残念そうな顔をしていました。
「途中? 油断? 一体何のことですか……?」
私の疑問には答えてくれませんでした。
きっと、蓮二君は私の寝ている間に、『何か』を見てしまったんです。
「催眠術による記憶の改竄は、元の記憶を頼りに変えることしか出来ない。その人の知らない人物を登場させることは出来ないし、出来たとしても、それは現実に存在しない虚構の人物でしかない。仮に現実の人間を登場させても、その人について知らないことは嘘で塗り固めるしかない。そして……既に記憶していることを完全に忘れさせることは出来ない。あくまで思い込ませるだけ。思い込ませるだけでしかない。必ずいつかは正しい記憶を取り戻す。……暫く誤魔化すためなら、記憶の改竄だけでよかったのにね……残念だわ」
彼女は涙を流していました。
私には、その理由が未だにわかりません。
わかりたいとも思いません。
「……待って下さい……蓮二君は……蓮二君は……何を見たって言うんですか……?」
「ごめんなさい……」
その時、蓮二君が起き上がりました。
「蓮二君!」
私はすぐさま彼に声を掛けました。
でも、反応はありません。
「蓮二君!」
「無駄よ、もう……掛けた後だから」
蓮二君は、岬の端の方へと向かっていきました。
私はそれが、催眠術によって操られていたためだとすぐにわかりました。
「蓮二君!」
私は、気が付いたら走り出していました。
頭の中では、走馬灯のように彼との思い出が駆け巡りました。
私の髪留めを可愛いと言ってくれた、初めて出会った日のこと。
オートさんに誘われ、二人で同じブロッケン教授の研究室に入った日のこと。
彼と些細な諍いで口喧嘩した、彼とジェラスが出会った日のこと。
ジェラスが亡くなって、二人で共に涙を枯れるまで流した日のこと。
「無駄だって……言っているのに……」
七月さんの声は、もう聞きたくありませんでした。
私は必死で彼の下へと走りました。
でも――。
「蓮二君!」
私は、彼が崖から落ちる瞬間に、間に合いませんでした。
でも、私は……一緒に崖から飛び降りてしまいました。
せめて、彼だけでも救いたかった。
彼だけでも……そう……思ったのに……。
落下死したのは、彼だけでした。
私は一命を取り留めた……。
私は、彼を下敷きにしたんです。
私の所為で彼は……。
彼を……犠牲にして……私は……私は……――。
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