回想 ②

 一〇二八年 四月十二日




 彼女が私と暮らし始めて、三日目が訪れました。

 彼女には私の衣服を貸してあげました。

 元々彼女は容姿が良く、衣服を変えただけで彼女からはみすぼらしさが消え、むしろ女性の私から見ても可憐な姿でした。

 最初は私も素直に彼女の変化に喜びましたが、蓮二君と彼女が顔を合わせるたびに、私には負の感情が溢れてきました。


 彼女は私や蓮二君と同じ年だったようで、自立支援するうえで、ヴァールヴァン学院の試験を受け、学生として始めることを勧めることになりました。

 彼女は地頭が良く、試験に落ちる可能性はまず考えられませんでした。

 この国では私たちくらいの年齢の人はみんな学生をやるものなので、彼女本人もその提案を最初は受け入れてくれました。

 しかし、その日の彼女の態度は前日と一変していました。


「私は、そんな生活をすることは出来ない。私には許されないことなの。ごめんなさい」


 淡々とした表情で彼女はそう言いました。


「どうして……? 昨日は一緒に頑張ろうって言ったのに……」

「ごめんなさい……」


 彼女は俯いて謝るだけでした。

 それでも蓮二君は彼女に明るく接します。


「まあ、ジェラスがそう言うならそれでもいいさ。そういうことなら、何か仕事を探してやるよ!」

「……」


 私には、その時の彼女の姿が、何故かそれまでと違っているように感じました。

 いや、その日だけではありません。

 他の日にも――。



 一〇二八年 四月十六日




 彼女には、戸籍がありませんでした。

 彼女は『非籍民』だったのです。

 それでも試験にさえ受かれば大学に通うことは出来るのですが、仕事を探すとなると困難です。

 彼女の年齢も仕事をするには若すぎるので、結局何も進まない日々がずっと過ぎていきました。


 それは、ある日の街の往来でのことです。


「なあ、ジェラス。何をしているんだ?」

「……折れてしまいそうだったから……」


 彼女は、路傍に咲いた花の上に被さったゴミを払いのけていました。

 私はその姿を見て、彼女は花が好きなのだと思いました。

 しかし、その翌日――。



 一〇二八年 四月十七日




「ジェラス?」


 彼女は、路傍の花を踏み潰して歩いていました。


「どうしたんだ? 花を踏み潰しているぞ」

「? それがどうしたの?」


 彼女は、何食わぬ顔でそう言いました。

 私はどうしても、その時の彼女の表情が、いつもと同じ彼女だとは思えませんでした。


 彼女には、何度かそういった別人のように感じ取れる機会がいくつかありました。

 もしかしたら……本当に別人だったのかもしれません。

 彼女の中にいる、もう一人の彼女なのか。

 それとも、彼女によく似たもう一人の誰かが、私の寝ている間に入れ替わっていたのか。

 ……オートさんは、きっともう気付いているんですよね?

 ……話を続けましょう。



一〇二八年 五月一日




 私たち三人は、とても仲良くなっていました。

 彼女は時折蓮二君を見つめている時がありましたが、逆にまったく関心を持っていないような時もあったので、私は安心しきっていたのです。

 ですが、その日は今までのようにはいられなかった。


「……私は……ここを去らなくちゃいけない」


 突然、私と蓮二君の前で彼女はそう言いました。


「な……何でだよ? まだ仕事も見つかってないのに……」

「仕事は……もういい。どうせ無理だとわかっていたから……これ以上二人やブロッケン教授に迷惑を掛けたくない……」


 この三週間。

 短かったけれど、私は彼女と寝食を共にして、だいぶ情が移っていました。

 彼女も同様に、何も事態が好転しない現状から、私たちへの罪悪感が募っていたのかもしれません。


「大丈夫、私の家、一人だと狭すぎるから、いつまでいても大丈夫だよ?」

「……違う……明日雛の家は、本当は貴方と、貴方のご両親の家……。貴方のご両親の遺影を毎日のように見て……私は……自分の居場所がここではないことに気付いていた……」

「そんなこと……」


 私は、幼い頃に両親を亡くしていました。

 オートさんに話すのは初めてですよね。

 私はそれからずっと一人だったから、一人ぼっちだった部屋に彼女がいてくれて、本当は救われていたんです。

 でも、彼女の意思は固かった。


「……大丈夫。もう別の居場所を見つけているから。でも……最後に一つだけ、伝えたいことがあるの……」


 彼女は、蓮二君の方を見つめました。

 私は、悪寒を感じていました。

 それをこの場で聞きたくないという感情です。

 私には、全てわかっていたんです。

 彼女がそれを、三人いるこの場でいうことの意味が。

 蓮二君は向こう見ずですが、察しが悪いわけではありません。

 そして……私はもうずっと、彼女が現れるよりもずっと前から、彼の心に気付いていたのです。

 だから、それを彼女に言ってほしくはなかった。

 結果はみんな、わかっていたことなのだから。


「私は……蓮二のことが好きよ。それだけは……最後に伝えたかった……」


 彼女は微笑んでいました。

 最初に彼女の姿を見た時には、まるで想像出来なかった表情です。

 でも――。


「……ありがとう、ジェラス。でも……俺は……その気持ちに応えることは出来ない……。ごめん……ごめん……」


 もし、この場に私がいなければ、結果は変わっていたのかもしれない。

 彼女は、微笑みながら涙を流していました。

 この結果を、彼女はわかっていたんです。

 でも、それでも彼女は、私の前でそれを言った。

 絶対に、蓮二君に今の言葉を言わせるために。

 絶対に、自分に同情させないために。

 彼女は私にも微笑みかけてくれました。

 私は……自分でも、彼女の流したものと同じものを、止めずにはいられませんでした。



 そして、それから彼女は、私たちの前から姿を消しました。

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