回想 ①
四年前 ヴァールヴァン学院 ブロッケン研究室
私は四年前、ヴァールヴァン学院の学生でした。
当時の私は十三歳で、すでにオートさんは三月に卒業してしまっていましたね。
入学して最初の一年は、とても幸せでした。
『この幸せが永遠に続けばいいのに』って、そう……思っていました。
始まりは、いつもの研究室での出来事でした。
蓮二君は、どこからか、彼女を連れてきたのです。
「蓮二君……その子は……誰?」
蓮二君が研究室に連れてきた子は、服装はみすぼらしく、体はボロボロで、やせ細っていました。
私は、彼女が『橋の下街』の住人だと、すぐに勘付きました。
「ああ、なんか、大学の正門前で倒れていてさ。あのままだと警備員に連行されちまっただろうから、せめて事情くらいは聞こうと思って」
蓮二君は、向こう見ずな性格でしたよね。
目の前で困っている人がいたら見過ごせないけれど、大局を見ることは出来ない。
『橋の下街』の人間に施しを与えていたらキリが無いということも、彼はわかっていませんでした。
でも私はそんな彼が……いえ、話を続けましょう。
彼女は研究室に連れて来られてからも、なかなか口を開くことはありませんでした。
ただボーっとして、出されたコーヒーにすら手をつけずに座り続けていました。
「君は、何故わが校の正門前で倒れていたのかな?」
そう尋ねたのは、研究室の主任である、タイラー・ブロッケン教授でした。
教授はとてもいい人でしたよね。
オートさんもお世話になったことだと思います。
「…………」
それでも、彼女は黙ったままでした。
私は少々気分を悪くしていました。
彼女の心を閉ざし続ける態度が、どうしても気に食わなかったのでしょう。
もしくは……嫉妬していたのかもしれません。
「なあ、お前さ、これからどうするんだ? 帰る所ないのか?」
蓮二君の問いにも、彼女はただ俯くだけでした。
しかし、蓮二君はそれを見て、問いに対して肯定したのだと受け取ったのかもしれません。
「……よし! うちの寮暫く貸してやるよ! 住む場所あれば、取り敢えず何とかなるだろ!」
「……しかし、鋤柄君、私は反対だよ。彼女は警備隊に引き渡すべきだ。それが一番彼女の為にもなるだろう」
私も、教授と同じ意見でした。
何より、私は彼女と蓮二君が同じ場所で暮らすことが許せなかった。
私は……彼女のことは考えていませんでした。
「でも……コイツは俺のことを助けてくれたんだ。前に俺が『橋の下街』で暴漢に追われた時、コイツが裏道を教えてくれたから、俺は逃げられた……。俺はそのことをずっと覚えていた。ずっと……お礼を言いたかったんだ……。教授……俺は……コイツの力になりたいんすよ」
私の嫉妬心は、もう自分でも抑えられずにいました。
蓮二君が暴漢に追われた日というのは、蓮二君と私が喧嘩をした日でした。
私はその時蓮二君に嫌われたと思って泣き崩れていたのに対し、彼女は蓮二君に救いの手を差し伸べていたんです。
私は……何も出来ずにいたというのに……。
「……うぅ……」
彼女は、目に涙を浮かべていました。
蓮二君の言葉を聞いてでしょうか。
彼女に何があったのかは、その時はまだわかりませんでした。
でも、私は自分自身の嫉妬心を無理やり押さえつけ、精神的に彼女に優位を保ちたかったために、口を開きました。
「……それなら、私の部屋を貸してあげたいです。寮は誰かに気付かれるといけませんが、私の部屋なら誰にも迷惑は掛かりません。……蓮二君……その日蓮二君が『橋の下街』に向かったのは、喧嘩をした私にプレゼントをするための、珍しい装飾品を買いに行ったからだよね? なら、私にとってもその子は恩人……。いいでしょ?」
全部が嘘でした。
私は、ただ彼女と蓮二君を一緒にしたくなかっただけ……。
微塵も恩人だなんて思ってはいなかった。
感謝なんてしていなかった。
私はただの……偽善者だったんです。
「明日雛……ありがとう! でも……俺も何かしてやりたい……」
「であれば、彼女の自立に協力すればいい。無論、私も協力しよう。君たちの恩人ならば、私にとっても恩人だからね」
二人は、純粋な善意でそう言っていました。
自分と見比べるたび、私は自分が嫌いになっていきました。
そして、彼女は大粒の涙を流し続けていました。
私は、それを不愉快に思い続け、そして、そう思う自分が、気持ち悪いと感じ続けていました。
*
一〇二八年 四月十日
私は、彼女と暮らすことになりました。
彼女は落ち着きを取り戻すと、私に言葉を発してくれるようになりました。
「……ありがとう……こんな私に……何も無い私に……」
私は、蓮二君の居ない場では、素直に彼女に同情を寄せていました。
「いいえ、貴方は蓮二君と私の恩人だから。……でも、どうして大学前で倒れていたの?」
彼女は私の部屋のリビングで椅子に座りながらゆっくりと話し始めました。
「……わからない……行く当てもなくさ迷って……気付いたらあそこにいた……」
「そう……貴方はやっぱり、『橋の下街』の住人なの?」
「…………違う」
「え?」
意外でした。
私は彼女が『橋の下街』の人間だと、それまでずっとそう思っていたからです。
きっと、蓮二君と教授もそうだったと思います。
「……私は…………ごめんなさい……まだ……話せない……」
「……気にしないで。いつか、話せるときが来るまで待つから……。でも……せめて、呼び名を教えてもらえない? 貴方を何て呼べばいい?」
「私は……ジェラス。水澱ジェラス」
結局、彼女の正体はわかりませんでした。
でも、彼女はどうやら読み書きが出来るようで、その点からも『橋の下街』の住人ではないことは明らかでした。
むしろ、彼女の食事の仕方や所作からは気品が見受けられ、どこかでまともな生活を行っていた可能性も見られました。
私はそれ以上彼女に関することは聞くことなく、蓮二君や教授と共に、彼女の自立を支援し始めました。
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