1032年 12月4日 ④
数時間後 州議会所 フロア
凶器が発見された。
場所は、驚くべきことに議会所の外部にあった。
外にある庭の地下倉庫に隠されていた。
だが、事件が発生してすぐに議会所の出入り口を封鎖したため、どうやって外に出て隠しに行ったのかは、わからずじまいだった。
凶器と共に衣服も発見され、それに血痕が付着していたことから、間違いなく犯人のものだと考えられた。
そして、衣服が徹底的に調べられると、犯人の正体が判明した。
「馬鹿な……馬鹿な……そんなはずが……そんなはず……」
犯人は、ロックス・グレイアス氏だった。
衣服にほんの僅かに残っていた髪の毛の色が、彼のものと一致した。
警備隊は彼を取り囲んだ。
「そんなはずがあるか! 私は……私は……あの二人は殺していない! ふざけるな!」
彼は激しく動揺していた。
だが、これだけの証拠を前に言い訳は無意味だ。
あとは、詰所でゆっくりと尋問を受けるだけだろう。
「アハハハハハハハハ」
不愉快な笑い声が聞こえてきた。
久間凛座だ。
「傑作だね! 無様だね! アハハハハハ! みんな馬鹿しかいなくて本当面白いよ! アハハハ!」
「……貴様!」
グレイアスが久間を睨みつける。
だが、奴を睨みつけたところで何か変わるわけでもない。
「……万丈警部、ちょっといいですか?」
マルクが私に話しかけてきた。
「何だ?」
「いや、アンのことなんですけど」
アン?
ん?
確か、手洗いに行ったはずだが?
手洗いはフロアから出てすぐの場所なので、付いていく必要はないと言われたのだが……まずかったか?
「わたくしの話でしょうか?」
と思ったら戻ってきた。
「アン! びっくりした。いなくなったのかと……」
「そんなことより……何ですの? この茶番は?」
アンがぶっきらぼうにそう言った。
『茶番』というのは……何のことだ?
「何の話だ?」
「いや、アレのことですわ」
アンが慌てふためいているグレイアスの方向に手を指す。
「? 何が茶番だというんだ?」
アンは、ヒタヒタとグレイアスや警備隊らのいる方に向かっていった。
そして――。
「犯人は……貴方ですわ」
アンは、久間凛座に右手を向けた。
「……………………へぇ、よくわかったね」
何だって?
どういうことだ?
何がどうなって……。
沈黙が生まれていた。
この状況を理解しているのは、どうやらアンと久間の二人だけらしい。
両者とも、顔色を変えずに微笑んでいる。
「どういう……ことだ……?」
グレイアスが沈黙を破った。
私も同じ言葉を吐きたかったところだ。
「……ごめんなさい、結論から述べるのがわたくしのやり方なので。説明いたしましょうか?」
グレイアスは頷かなかったが、彼が息を飲む姿を見て、アンは説明を求められていると確信した。
「理由は三つ。まず一つ。何故なら、発砲音は一つしか聞こえなかったから。殺されたのは二人だというのに、発砲音は一つだけだった。わたくしは、それがずっと妙だと思っていましたの。まあ、あとから来た警備隊の方々はご存じないのでしょうけど。でも、これが言えることは、二人が殺された時刻が、あの発砲音の瞬間ではない可能性があるということ……」
発砲音?
一つだけだったか……?
ふむ……私は警備隊失格かもしれない。
「しかし、アン。時刻を誤魔化すにはあと二つ発砲音が無ければならない。拳銃もあと一つ必要だ。発見された拳銃は二発撃った形跡があったが、三発ではない」
「発見された拳銃は、間違いなくあの二人の命を奪った拳銃。でも、拳銃はもう一丁も必要ないのですわ」
「何? …………いや、そうか。音だけならいくらでも用意できる。事件現場から大音量で鳴らせば、フロアの人間にも聞かせられる……。だが、二人を殺した時はどうだ? 本物ではない音ですらフロアまで聞こえてくるというのに、どうやって拳銃の音を隠した?」
「あらあら万丈警部。サプレッサーはご存じでしょう?」
「……まさか……だが、そんなものはどこにも……」
「いいえ万丈警部、警備隊の皆さんは、拳銃と衣服を探すのに御健闘なさっていたため、サプレッサーのみの捜索は不十分になってしまったのですわ」
そう言うと、アンは懐からビニールに包んだ筒状の『何か』を取り出した。
「これが、そのサプレッサーですわ」
場にいた全員がざわついた。
「どこからそれを……」
「男子トイレの便器の中ですわ」
「ええ!?」
マルクが驚嘆した。
隠し場所そのものよりも、彼女が便器の中に手を突っ込んだことに驚いたと見える。
「……言っておきますが、わたくし、自分の手で便器の中をまさぐったりはしていませんわよ? ラバーカップを使って……まあ、それはいいでしょう」
私は、警備隊の面々に便器の中を探さなかったのかと問いただした。
彼ら曰く、便器の中に拳銃や衣服を隠していたら、覗き込めばわかるとのことだ。
「つまり……それだけ奥に詰め込まれていたということか?」
「あの……何度も言いますが、わたくしが直接取り出したわけではありませんわよ? まあ、拳銃や衣服なら、形状的に途中でつかえて奥までは入れられないでしょう。おまけに、筒状のサプレッサーなら、水を流しても詰まることは無い……まあ、程度によりますけど。全て終わった後にどうせ回収するのでしょうしね」
「……それで、理由の二つ目は何だ?」
それだけでは、グレイアスの犯行を否定出来るわけではない。
犯行時間が変わることが、一体どのように影響する?
「二つ目。何故なら、夫妻が殺された本当の時刻は、レセプションが始まってすぐのことだったと推測されるから。二人がフロアから姿を消したのは、レセプションが始まってすぐ後のことだという目撃情報がありますわ。ならば、そのあとすぐに殺されたと考えるのが自然。時間を空けなければ、時間を偽装する必要がない。そして、レセプション開始直後から暫く、ロックス・グレイアス氏と黒院キサラ氏はフロアにいた。これも、目撃情報がありますわ」
私は彼女の話を聞き逃さないように集中していた。
他の面々もそうだろう。
久間だけは不気味な笑みを浮かべているが。
「二人が亡くなった時間が、レセプションが始まってすぐとは言い切れない気がするが……グレイアス氏と黒院氏の自由な時間が、発砲音のあった頃だけだということは間違いない。そこが久間凛座への疑念に繋がるというのなら、理由の三つめは何だ?」
「三つ目。……何故なら――」
「今もなお、彼が証拠を持っているから……だね」
アンに続けて喋りだしたのは、マルクだった。
マルクは、久間の腕を握っている。
「やだなあ、恥ずかしいよ。一体何があるんだい?」
「そのポケットに突っ込んだ手を出してもらえますか?」
成程、話が見えてきた。
「我々が聞いた発砲音は偽物だった。つまり、その音声を出すためのレコーダーか何かを持っているということか……。お前は、銀色のリングで手持ち無沙汰を解消せず、ポケットに手を突っ込んだままのアイツを見て、それに勘付いたんだな?」
「その通りですわ、万丈警部。もしどこかに隠したりして見つかったりでもしたら、犯行時刻の偽装が疑われてしまう。ならば、自分で持っておくしかない。そして……もし持っていたなら、私の推理は立証される。夫妻を殺し、発砲音を聞かせるため、二度以上フロアを出た者で、発砲音のした時にフロアにいなかった者は、一人しかいない。その人物が発砲音を出す道具を持っていたのなら、もう言い逃れは出来ない。グレイアス氏に罪を被せようとして、捜査を打ち切ろうとした目的は、これ以上詳しいDNA検査などの捜査が進めば、自分が犯人である証拠が出てくる恐れがあるから。……違うのなら、その手をポケットから出しなさい、久間凛座」
私は感嘆していた。
まさか、アンがここまで一人で推理していたとは思わなかった。
いや、どうやらマルクには耳打ちで伝えていたのかもしれないが。
まあ、私にも前もって教えてくれても良かったのにとは思うまい。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
笑っている。
久間凛座は笑っている。
ポケットに突っ込んだ手を取り出す素振りは見せないが、笑いすぎて、空いている左手で腹を抱えている。
「な、何がおかしいんだ?」
マルクは困惑している。
いや、この場にいる全員がそうだ。
「ああ! その通り! そうだよ、僕だよ! 僕が殺してあげたよ! アハハハ……はぁ」
笑い声が突然溜息に変わった。
「……でも、そうか、残念だなぁ……そこまでしかわからなかったかぁ……」
「? どういう意味かしら?」
「どういう意味って……決まっているじゃないか。あ、わからない? そうか、やっぱり特別な僕の考えは、一般人の君たちにはわからないか。アハハハハハ」
自白はした。
これ以上奴に喋らせる理由はない。
だが……何だ?
「オーバーン夫妻を殺したのは僕だよ? でもねぇ……ま、残念だよ」
そう言って、久間はポケットから手を取り出した。
その手の中にあったのは――。
銀色のリングだった。
「な……! そ、そんなはず……」
動揺を隠しきれない我々に対して、ただ一人、久間だけは不敵な笑みを浮かべている。
「あ、ちなみに、こっちのポケットも何も入ってないよー。アハハハハハ、でも、二人は僕が殺したんだ! アハハハハハ」
「……それじゃあ……あの発砲音の時に二人を……? サプレッサーを使ったのは一発だけ?」
「そうそう! びっくりした!? 推理が外れて残念だねぇ!」
私は我慢できずに口を開いた。
「だから何だというんだ。いずれにしろ、お前はもう認めた。お前が犯人なことに変わりはない」
久間はまた溜息を吐いた。
「だからさぁ……頭使ってよーく考えなよ。ねえ、偽の発砲音を使ってないってことは、どういうことだかわかるだろう? つまり、拳銃と衣服を処分する時間は、発砲音のした後しかないんだよ。ねえ、これがどういうことだか、まだわからないのかい?」
そうか、そういうことか……。
私が言う前に、アンが口を開いた。
「……資料室に辿り着いて、万丈警部はすぐに出入り口を封鎖した。どう考えても、その間に拳銃と衣服を処分することは出来ない…………警備隊を懐柔しない限り」
「そう! ロックス君やキサラちゃんならそれも出来るのかもしれないけど、一般人には無理だよねぇ!? つまり! 僕は特別だってことだ!」
『特別』。
この男は、この言葉を執拗に利用する。
今の我々には、その言葉の意味が理解出来ている。
だが、同時に理解したくないと考えている……。
「もうわかるだろう? どうやって僕が警備隊を懐柔したか。どうやってロックス君の髪の毛を頂戴したか。どうやって夫妻を無抵抗のまま殺害したか。そもそもどうやって拳銃をこの場に持ち込んだか。いや、何ならどうやってこの州議会所に入り込んだか。答えは一つ……僕が――――――催眠術師だからだ」
我々は、ただただ笑い続ける久間に何も言えなかった。
この男は、あろうことか催眠術を使って人を殺し、それを自白した。
どうしても、その行動の理由がわからなかった。
「何故、あの二人を殺し、あたかも催眠術を使っていないかのように偽装したんだ?」
誰もが呆然としている中、マルクが声を出した。
「いやぁ、面白いかと思ってだよ」
久間は、全く悪びれることなく、飄々と言ってのけた。
そして、アンの方を向く。
「ねえ、君。君が夫妻と出会わなければ、夫妻が死ぬことは無かったんだよ? 僕はね、君の反応が見たくて二人を殺してみたんだ。ガックリしているところを見た時は笑いが止まらなかったよ。きっと、僕は君のことが好きなんだろうな。ねえ、どう思っているんだい? 自分の所為で人が死んでさあ! アハハハハハ!」
アンは、再び涙を浮かべていた。
歯を食いしばって、必死に怒りと悲しみを抑えているのがわかる。
「……ふざけるな……ふざけるな! お前は! 自分が何をやったのかわかっていない! お前が遊び半分でやったことは、決して許してはいけないことなんだ! お前は……お前はもう……人間じゃない! 悪魔だ!」
マルクが激高している。
……私は何をしている?
私は、ただ見ているだけだ。
自分だけ傍観者の様に、ただ見ているだけ……。
私は……。
「いいね、『悪魔』。特別感あってさ。あ、そうだ、ついでに言っておくよ。ねえ、君。君の記憶がどうして無いか、教えてあげようか?」
アンは、涙を流し続けるだけで、じっと久間を睨むことしか出来なかった。
「君の記憶はね……僕が、催眠術で書き換えたんだ」
「……え?」
何を……言っている?
「君はね…………恵まれてなんかいなかった。君はずーっと一人だったんだよ。名前も無い、家も無い、信頼出来る人間なんて一人もいない! そんな君を、僕がおもちゃにするためだけに、偽の記憶を植え付けたんだ! 君が面白く踊ってくれるようにね! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
私は、アンの言葉を思い出していた。
『わたくしには、昔の記憶があるのよ。とても良い生活をしていた、昔の記憶が。でも……いつの間にかわたくしは、一人になっていた。思い出せるのは、顔の思い出せない人たちがわたくしに尽くしてくれて、恵まれていた日々。わたくしはそのおぼろげな記憶から、わたくしの本当の姿を想像した。でも……今のわたくしには何も無い……』
「君には初めから何も無かった! 記憶を取り戻せば何かを得られると思ったかい!? 取り戻したところで何も無いのにねぇ!? アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
何故笑う?
一体何が面白いというんだ?
「水澱ジェラスという友達がいたと思っていたのかい!? 声も聞いたことないくせにねぇ!? バックス・ウィルソンの書籍は、僕が君に持たせたんだ! それを元にして愉快に踊ってくれると信じてさあ! まさか、副州議長夫妻に取り入るとは思わなかったよ! 君は本当に人を誑かす天才だねぇ!? アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
アンには、何も無かったのか?
真実など、何も無かったのか?
私にはわからない。
わからないが…………どうでもいいとは思えない。
だが、それでも私は、自分が何をするべきなのかわからなかった。
「アン!」
マルクの叫び声が聞こえる。
アンが倒れたのだ。
全ての事実を聞き、絶望してしまったのか。
彼女は意識を失ってしまった。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
けたたましい笑い声だけが、フロアに響き渡った。
*
これ以上は、もう書き記す必要もない。
彼女は自分を見失ってしまった。
彼女は意識を取り戻してもなお、心を崩してしまった。
だが、私は、何も出来なかった自分への戒めとしてこれを書き残す。
次に彼女が本当の意味で目を覚ました時に、私がまだ何も出来ないままでいないことを……ただ切に願う。
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