1032年 12月4日 ③

 数時間後 州議会所 資料室




 資料室は、警備隊の面々で溢れかえっていた。

 捜査は順調だ。

 州議会所は出入り口を封鎖し、中にいる人間は誰も外には出られなくなっていた。

 犯人は間違いなく州議会所内にいる。

 そして、発砲のあった時間帯にフロアにいなかった人間も既に判明した。

 凶器の拳銃はまだ見つかっていなかったが、犯人が見つかるまでは、そう時間もかからないはずだ。

 だが、一つ不安があるとすれば、その『フロアにいなかった人間』の中に、奴がいたことだ。


「アハハハ! 参ったねぇ、いやぁ、実に参った! まさか、僕が疑われたりはしないよねぇ? 僕は清廉潔白だよ? 血を見ただけで気絶するくらい臆病だよ? ……いや、申し訳ない、今のは嘘だ。流石に血を見ただけで気絶はしないよ……。ハッ! どうしよう! 嘘吐きは怪しいよねぇ!? 僕、犯人かもしれないねぇ!?」


 ――久間凛座。

 この男が何者なのか、未だに定かになってはいない。

 もうこの男が犯人でいいのではないだろうか?

 少なくとも駆け付けた警備隊の連中はコイツが一番怪しいと考えている。



 一方で、アンは落ち着きを取り戻していた。

 随分無理をしているのだろうが、気丈なものだ。

 彼女自身も事件を解決したいと思案している。


「……ごめん、アン……僕の所為だ……」

「いえ、貴方は悪くないわ。悪いのは二人を殺した殺人鬼……そうでしょう?」

「アン……」


 マルクは責任を感じていた様だが、アンはあまりに逞し過ぎる。

 だが、もしこれ以上の不幸が訪れたら、一体どうなるか想像もつかない。

 彼女はギリギリの精神状態に見えた。


「差し当たって考えなければならないのは、わたくし自身の今後の身の振り方かしら? マルク、何か当てはあるかしら?」

「アン…………大丈夫! 僕の部屋を貸すよ! だから……心配いらないよ……」

「ありがとう……。……万丈警部、捜査の進捗はいかがかしら?」


 私は、先ほどまで捜査に協力していたが、たった今二人の下へ戻ってきたところだった。


「ああ、容疑者は絞り込めている。まあ……面子が少々大物過ぎるが……」

「それは、誰かしら?」


 本来捜査の情報を話すわけにはいかないが、関係者ともなれば多少は致し方ない。

 それに、私自身の意思もある。

 私は資料室前に集っている容疑者の面々を見ながら説明を始めた。


「一人は、州議会議員、ロックス・グレイアス。次に、同じく州議会議員、黒院こくいんキサラ。そして、

最有力は……久間凛座だ」

「……あの人……」


 アンも私の様に容疑者の方を見つめる。

 いや、彼女が見ているのは久間だけだろう。

 彼女もあの男を疑っている。


「二人が殺されたのは、あの発砲音の時かしら?」

「ああ、恐らくそうに違いない」

「二人はいつフロアを出たのかしら?」

「レセプションが始まってすぐのことだ。目撃者がいた」

「凶器の拳銃は?」

「いや、見つかっていない。まだ捜索が続いている」

「硝煙反応は?」

「詳しいな……残念だが、彼らの衣服からは何も検知されなかった。恐らく犯人は服を着替え、拳銃と共に処理したと考えられる。どこかにあるはずなのだが……」

「ならば、久間凛座は犯人ではないわね」

「……何?」


 私はつい心をざわつかせてしまった。

 彼女の瞳には、光が戻っていた。

 何かに気付いているように考えられた。


「何故なら、わたくしの記憶が確かなら、彼は先程ボーイと衝突して、零れたお酒をその衣服に付着させていた……。ほら、腕の袖辺りが紫色になっているわ。着替えはしていないということよ。……つまり、犯人はあの男ではない」


 成程、気付かなかった。

 まあ、警備隊は証拠を調べるのが仕事であって、推理はしない。

 いずれにしろ、凶器さえ発見すれば誰が犯人かは明らかになることだ。

 彼女の観察眼には敬服するが、どちらでも構わない話だ。


「成程……であれば、事態は深刻な問題に直面しそうだな」

「どういうことですか?」


 マルクはわかっていないようだ。

 いや、それともわかっていて言わせたいだけか……。


「犯人が州議員の二名のどちらかでしかあり得なくなる。……もし州議員が殺人を起こしたとなれば……これは紫龍園州どころか、大和国全体でも初めての大事件だ」

「そうですか? 副州議長夫妻が殺されたというだけで充分大事件だと思いますけど」

「……それもそうだな」


 確かにそうだ。

 どうやら、事態を把握しきれていないのは私の方だったのかもしれない。

 私は夫妻とアンに情を寄せるあまり、夫妻の立場が不透明になっていたのかもしれない。

 私にとってあの夫妻は、娘を思いやる老夫婦でしかなかった。


「それと……ちなみにアン、君の推理も少しずれているよ。久間凛座は、ただ単に一度今着ている服を脱いで、犯行用の服に着替えをしただけかもしれない。それなら、もう一度元の服を着ただけで、さっきのシミが付いていてもおかしくはない」

「……確かにそうね。わたくし、まだ本調子ではないのかもしれないわね……」

「アン、君はゆっくり休んだ方がいい。あとは警備隊に任せよう」

「ごめんなさい、マルク。わたくしは、自分から動かずにはいられない性格なのですわ。調べさせて頂戴。万丈警部も、そういうわけでよろしくて?」

「『よろしくて』と言われてもな……」


 正直言って、彼女が捜査の迷惑になる可能性は低い。

 先程の観察眼といい、彼女は優秀な人物だ。

 凶器発見に助力してもらえるかもしれない。

 だが――。


「駄目だ。凶器の捜索は警備隊に任せてもらう。今、お前は危険な立場にある。後ろ盾を失い、いつ襲われるかもわからない。無暗に動き回られても困る。私もここから暫くは動けないのでな」

「いえ、凶器の捜索の話ではないわ。わたくしは、容疑者の彼らと話がしたいのですわ」

「何? ……構わないが、それで何を調べるつもりだ?」

「『紫龍園連続怪死事件』」


 そういうことか。

 彼女はやはり、二人が殺された理由がそこにあると考えているのだ。

 その話は、警備隊が彼らに聞くことは無いだろう。

 ならば、彼女の好きにさせてもいいかもしれない。

 何かあれば私が責任を負うかもしれないのが、少し痛いが。



 最初にアンが話をし始めたのは、ロックス・グレイアス。

 モノクルを掛け、ストレートに髭を蓄えた、貴族の州議員だ。

 もっとも、州議員のほとんどは貴族で構成されているのだが。


「私は、レセプションの開始時点からずっとフロアにいた。用事があってフロアを一時的に出たが、誓ってオーバーン夫妻とは会っていない」

「成程……ところで、グレイアス氏は『紫龍園連続怪死事件』をご存じですか?」

「『紫龍園連続怪死事件』……だと?」

「はい。二人は死の直前、その事件について調べておりました。グレイアス氏は、何かその事件に関してご存じないですか?」

「……フン。どうやら、厄介な娘を抱えていたというのは事実だったようだな。それを貴様に話して、私に何の得がある? 小娘は大人しくしておればいい」

「確かに貴方様に得はありませんわ。話して頂けなければそれでも構いません。では」


 アンはすぐに踵を返した。


「待て。何故その事件について調べたがる? 貴様は一体何者だ?」

「貴方様にお話しして、わたくしに得がありますか?」


 アンはニッコリと笑った。

 常々思っていたが、この娘、実年齢はいくつなのだ?

 見た目以上に老獪さを感じ取れる。


「……下らん。『怪死事件』など、既に終わったことだ。今更どうこう言う話でもない。実に下らん……」


 今の話の流れだと、グレイアス氏の言葉が負け惜しみの様に聞こえてならない。

 しかし、結局何も聞けなかったという意味では、アンも収穫はなしか。

 アンはあっさりとこちらに戻ってきた。


「……どうやら、何かを隠していらっしゃるようですわね」

「何? どうしてわかる?」


 今の態度から何かわかったのか?


「何故なら、彼はわたくしのことを知りたがっていたから。何故なら、わたくしのことなど、呼び止めてまで知る必要がないから。……何故なら、わたくしと『紫龍園連続怪死事件』は関係しているから……。彼は、『怪死事件』について『何か』を知っている。そして、それとわたくしが関係しているかを気になっているのですわ」

「……成程な。一度お前を突っぱねなければ、その様に疑われなかったものを……」

「そこは彼の性格に問題があったのでしょう。おかげで不自然にわたくしを呼び止めてしまった……。まあ、今回の事件との関係はわかりませんけれども」


 『性格に問題』か……随分はっきりと言う。

 今に始まったことでもないが。



 次にアンは黒院キサラに話しかけた。

 彼女は長い長い黒髪を束ね、装飾品を付けた白いドレスを着ている。

 そして、アン以上に妖しげな雰囲気を放っていた。


「初めまして、『水澱ジェラス』さん……? 何とお呼びいたしましょうか?」

「わたくしのことなど、何と呼ぼうと構いませんわ。それより、事件の話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「私は、レセプションの初めからほとんどずっとフロアにいました。他の方もそうでしょう? グレイアス氏も……お互いに姿を確認しています。たまたまタイミングの悪い時にお手洗いに行ってしまっただけで……ツイてないわね。フフフフフ」

「そうですか……ところで、『紫龍園連続怪死事件』について――」

「残念ながら、『怪死事件』のことは詳しくありませんの」


 アンが聞くよりも早くそう言い放った。


「何も……ご存じないと?」

「ええ、私は四年前、まだ議員にもなっていませんので」

「四年前の事件ということはご存じでいらっしゃるようですが……」

「……フフフ。ええ、それくらいなら……ああ、でも、『第二の事件』についてなら、少しはお話し出来ることもあるかもしれません」

「それは……何でしょうか?」

「リーファ・マクスウェル。彼女の本当の父親を名乗る人物が、この議会所に現れたことがあります」


 この話は知っている。

 何を隠そう、その時の父親が警備隊に告げた彼女の名前が、『リーファ・マクスウェル』。

 『非籍民』だった彼女の仮名は、父親を名乗る男の言葉から来ているのだ。

 だが、残念ながらその男と『リーファ・マクスウェル』が親子であることは証明されなかった。


「その方は自分を『エイデン・マクスウェル』と名乗りましたが、警備隊が彼と死亡した少女との関係を調べている間に、行方をくらましてしまいました」

「……一体何故……」

「さあ? 私にはわかりません。私はただ、その男性を直接見たことがあったというだけなので……」

「その人物もまた、『非籍民』だったのでしょうか?」

「さあ、わかりませんわ。それと……その言葉をここで使うのは、止めておいた方がよろしくてよ?」


 黒院キサラは微笑んでいた。

 彼女はあたかも自分の知っていることはこれだけだというように話しているが、果たしてそれが本当なのかどうか、まるで腹の内が見えない。



 最後にアンが話しかけたのは、当然久間凛座だ。


「貴方はずっとフロアに……いたはずありませんわね。レセプションの開始直後からいたのなら、見逃すはずありませんもの」

「アハハハ。僕、君の大事な人を殺したのかな? ねぇ、どう思う? もしそうだったらどう思う?」

「……わたくしが何者かについて、話す気はございませんか?」

「君は自分のことばかりだねぇ……死んだ二人が悲しむよ? あ、それとも、君はそこまで二人に情を入れていなかったのかな? なら納得だ! 可哀想だねぇ! アハハハ」


 流石に一言言わせてもらいたいところだったが、アンがまだ我慢している様子だったので、介入はしなかった。


「……『紫龍園連続怪死事件』の真相を、ご存じなのかしら?」

「だからさぁ……僕で良くない? 僕が犯人でいいじゃん。僕の催眠術でちょちょいのちょいってね」

「……もういいですわ」


 アンは何も言わず戻ってきた。

 あの男との会話は酷く体力を消耗するらしい。

 まあ、聞いているだけでもそうなのだから、当事者は一番大変だろう。

 マルクも彼女を労っている。


「結局、収穫は特になし……だね」

「そうですわね」


 だが、マルクもアンもそこまで落ち込んでいるようには見えなかった。

 警備隊のことを信用してくれるなら喜ばしいのだが、実際はどうなのだろう。

 頼むぞ警備隊諸君、早く凶器を見つけてくれ。

 まあ、私も一応警備隊なのだが。


「………………」

「どうした?」

「いえ、何でも……」


 アンは、何故か久間をまだ見つめていた。

 久間はポケットに手を突っ込んだまま、ただ立っていた。

 ひたすら不気味な笑いを浮かべながら。


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