1032年 12月4日 ①
州議会所
本日は州議会所でレセプションが行われる。
表向きは他州との交流を深めるための歓迎パーティのようなものだが、政治的な意味での重要性も、看過できない程度には存在している。
では、なぜそんなレセプションにアンが招待されたのか?
それは、言ってしまえば成り行きである。
元々オーバーン夫妻宛の招待状には『御家族で』との文言があり、彼らの方からアンへ共に行こうと誘いが出た。
アンは少し驚いた様子だったが、自分を家族扱いしてくれる夫妻の姿に感謝していた。
当然誘いを断るはずもなく、私も彼女に同行することになった。
しかし――。
「何故、お前がいる?」
私が問うたのは、眼鏡をした若い記者の青年――すなわちマルクだ。
「僕のところの社長にも招待状が届いたんですよ。で、社長に頼み込んで付き添いさせてもらいました。アンが来ると思ったもので。いやぁ、代わりに減給されそうですけどね! アハハハ」
「相変わらず滅茶苦茶な男だ……」
ここまでくるとその執着心に恐れを抱きそうだ。
アンはどう感じているのだろうか。
「マルク……わたくしに会うことだけが目的なのかしら?」
「……いや、実はもう一つ目的があった。まあ、君を危険に巻き込んだりはしないよ」
何だって?
ふむ……面倒なので聞かなかったことにしようか。
マルクは場慣れしているのか、こういう場が初めてのアンを気遣って、彼女に声を掛けてくる人物に対して上手いことやりくりしていた。
しかし、来賓は胡散臭い貴族の連中が多いな。
少しボーイが粗相をしただけで怒鳴り散らかすし、会話は互いの自慢話しかしないし、どうしようもない奴ばかりだ。オーバーン夫妻はかなり特殊なタイプらしいな。
マルクも貴族に対してはかなり対応に困っている。いや、困らされているというべきか。
それでもアンのためか、何とか場を乱さないようにしているのは見事としか言えない。
立食に関しても、私は食べることは出来ないが、彼女におすすめのものを挙げたり、マナーを説明したりしていた。私は食べることは出来ないが。
少し時間がたつと、何やら舞台上が騒がしくなってきた。
どうやら、副州議長の姿が見えない。
舞台上には州議長の
長いひげを蓄えた御老体だ。
何やら大声で怒鳴り散らかしている。
ここからはよく確認出来ないが、何やら慌ただしく、予想外の出来事が発生した為のように見えた。
「アレが闇崎州議長……五月蠅そうなお爺さんですね」
「お前……聞こえたらどうする」
「……というか、何かあったみたいですよ」
マルクは怖いものなしの様だな。
まあ、慌ただしい理由は、副州議長夫妻がいないのが原因だろう。
「万丈警部、オジサマとオバサマはどこへ?」
アンの言う『オジサマ』、『オバサマ』とは、オーバーン夫妻のことだ。
「はて……席を外していらっしゃるようだが……まあ、護衛が付いているはずだろう」
「……そう」
彼女は最近二人のことをよく心配している。
以前の謎の来訪者の所為だろう。
一体何者だったのだろう……。
「やあ」
――と思っていたら、本人が現れた。久間凛座だ。
私はもちろんだが、アンとマルクも驚愕している。
「……何故貴方がここに……?」
「僕が何故ここにいるかって? 前にも言っただろう? 『またすぐに会うことになる』ってさ。僕は特別な人間なんだ。君に会いたいと思えば会うことが出来る。当然だろう?」
明らかにアンとマルクの二人は不快感を露わにしている。
無論、私もだ。
「あんたは一体何者なんだ?」
マルクは既に苛立ちを見せている。
「僕はねぇ、あまり言いたくはないんだが…………いわゆる催眠術師という奴なんだ」
突然の告白に、我々は一瞬耳を疑った。
「は……? な、何を言って……」
久間はポケットから銀のリングを取って、指でクルクルと回し始めた。
「僕はね、才人の友達なんだ。あ、才人って知っているかい? 彼は、鏑木家の当主なんだが……あ、鏑木家はわかるよね? この紫龍園に住んでいて、あんな大地主を知らないわけないよね? 彼はいい人だよ。僕とは違って普通の価値観を持っている。でも、折角催眠術を使えるというのに、普通でいるのは勿体ないよねぇ? 勿体なくない? 勿体ないだろ!?」
何故急に声を上げるのかがまるでわからない。
この男はどうも、わざと理解出来ないような言動をしている気がする。
まあ、演じているにしろ、関わるべきではない人間なのは間違いない。
「貴方が催眠術師……? 冗談かしら?」
久間は額を抑えてケタケタと笑う。
「冗談!? アハハハハハ! いいね! じゃあ、そういうことにしよう! 催眠術師なんているわけがあるか! アハハハハ!」
「……何がそんなにおかしいのか知らないけれど……貴方の目的は何なのかしら?」
アンは話の通じない相手だというのにまともに会話をしようとしている。
正直言って、無謀な試みだ。
「僕の目的ぃ? うーん……僕は……そうだなぁ……」
久間は顎に手を当てて思案している。
この男、黙っていれば眉目秀麗かもしれない。
「わからない……僕は……何をしているんだろうね……」
急に肩をすぼめた。
どうやら、この男は躁鬱のようだ。
病院を紹介してやった方が良さそうだな。
「……なんてね! さて、そろそろ変人の振りは止めておこうか。君と真面目な話をしたいしね」
「真面目な話?」
「ああ、君は調べているんだろう? ……『紫龍園連続怪死事件』を……」
「……!」
『催眠術師』……。
もしそれが本当なら、この男は事件に関係しているのか?
いや、だがしかし、催眠術などが本当にあるとは……。
「僕は、事件に深くかかわっている。理由は……言わなくてもわかるよね? さて、えーっと……そちらが、君の護衛の警備隊さんかな? どうする? 僕のこと捕まえる? いやぁ、無理だよね? 催眠術師を裁く法律はないもんね? アハハハハハハ」
その通りだ。
催眠術で人を操り、殺したなど、法で裁くことは出来ない。
だから、真実がどうであろうと、私には関係の無いことだ。
「……貴方は……もしかして、わたくしが何者か知っているのかしら?」
アンの目的は、事件の真相ではなく、あくまで自分自身の正体だ。
この男の立場など関係なく聞いているのだろう。
その形相はいつもと違って深刻だ。
「知っている……と言ったら、どうするかな?」
久間の笑みは、やはり蝋で固めたようだった。
表情は笑っているというのに、本心は読めない。
楽しそうだというのに、どこか虚無感を感じる。
「アン」
マルクがアンに声を掛けた。
「この男が君のことを知っているかどうかはまだわからない。でも、少なくともこの男は一つ嘘を吐いている。簡単に信じてはいけないよ」
「嘘? 僕が? 何を?」
「……あんたは鏑木才人の知り合いじゃない。僕は彼と話をしたことがある。その時、不穏な催眠術師の存在は聞いたんだ。でも……それはあんたじゃない。」
「……ああ、そこか……。確かに、そうだ。僕は一方的に才人のことを知っているだけだよ。アハハハハハ! でも! 僕が催眠術師であることは間違いないよ! 僕は特別なんだから!」
そろそろこの男の耳障りな笑い声が周囲の人間の耳にも届く頃だろう。
少しだけ視線がこちらに集まってきている気がする。
「……まあ、信じるか信じないかは君ら次第だ。僕は何も話さないけどね。……じゃ、僕目立ちたくないからそろそろお暇するよ。バーイバイ」
久間は、銀のリングを指で弄びながら立ち去った。
去り際に酒を運ぶボーイにわざとらしく衝突して衣服に酒が零れてしまっていたが、笑ってそのまま出ていってしまった
フロアを出ただけで州議会所から出ていったかはわからないが、もう会いたくないものだ。
「……マルク……今言った、不穏な催眠術師って……」
私もそこは気になった。
まあ、この際催眠術の有無はどうでもいい。
高度な人心掌握術を持つ者がいると考えれば、どうとでも説明は出来る。
まあ、法で裁くのは難しいだろうが。
とにかく、鏑木家が不穏視している存在がいるというのなら、その存在は事件にかかわっている可能性が高い。
「バックス・ウィルソンの書籍に記されていた通りだよ。…………七月柚絵。彼女は実在する催眠術師だ」
「そんな……まさか……」
「君は、あの書籍をどうやって手に入れたの?」
「わたくしは……」
そういえば、確かに不思議に思っていた。
あの書籍には、かなり紫龍園の闇に近いことが記されていた。
実在する人物の名も出てきたし、信憑性はゼロではない。
そんなものを、アンはいつ手に入れていたのだろうか。
「……」
「アン?」
「……あれ? わたくしは……いつ……アレを……」
その時――。
パァンッ
耳をつんざく様な音が州議会所に鳴り響いた。
「何だ?」
「今の音は?」
「な、何が」
「うああ」
フロアにいた人々が音を聞いて不安を露わにする。
当然だ。
誰でも、今の音の正体くらいわかるはずだ。
今の音は――――――銃声だ。
私はすぐさま無線機で内外の他の警備隊連中と連絡を取った。
どうやら、外で何かあったわけではないらしい。
何かが起こったとみられるのは、この州議会所内だ。
「万丈警部! オジサマたちは……」
アンの声を聞いて、私も彼らの護衛と連絡を取る。
だが――。
「……繋がらない……」
アンの顔が青ざめた。
今、ほとんどの参加者はこのフロアにいる。
いないのは、恐らく手洗いなどに行っている数名だけだろう。
その数名の中にオーバーン夫妻も含まれる。
いや……だが、そんなはずは……。
「……ッ!」
マルクが走り出した。
「マルク!?」
アンもそれに付いて行く。
当然、私も立ち止まっているわけにはいかない。
二人の後を付いて行った。
一体何が起こっているのか。
フロアは慌ただしさを増していた。
だが、誰も何が起こっているのかはわかっていなかった。
ただ不安と恐怖を抱きつつ、レセプションは予想だにしない方向へと舵を切っていった。
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