1032年 11月30日
オーバーン邸
その日は、マルクは当然のようにだが、もう一人来客が訪れた。
その人物は、白髪に琥珀色の瞳をした、細身の若い男だった。
第一印象は、失礼ながら薄気味悪いと感じた。
アンが常に見せるような微笑とは異なり、彼が常に見せる表情は、蝋で固められたような笑顔だった。
身振り手振りもいちいち大袈裟で、何を考えているのかがわからなかった。
「さてさてさて、君が件の『アンノウン』だね? 会えて光栄だよ、いや、非常に光栄だ。本当だよ?」
「……わたくしも会えて嬉しいですわ。ところで、どこの記者様でしょうか?」
アンの微笑が苦笑いに見えて仕方がない。
いや、苦笑いだろう。
「僕かい? 僕はね、実は記者じゃあないんだ。いや、記者の振りをしてきたのは間違いないんだがね? でも詐称したからって訴えないでくれよ? 僕はただ君に会いたかっただけなんだ」
「……あの、貴方は一体どなたなのでしょう?」
流石に私も警戒心を強める。
こういう輩の取材依頼も、アンは平気で応じる。
そのために私がいるわけだが……いくら何でもこの男は怪しすぎる。
ここが副州議長の屋敷だということはわかっているのか?
私以外にも屋敷の警備員がいるというのに。
「僕はね……
「何をしに来られたのでしょうか?」
「『何』って……ハハハ! 面白いなぁ! ハハハ!」
何が面白いのだろうか。
頭がおかしくなったのか?
久間は自前の銀色のリングを指でクルクル回しながら室内を歩き回っていた。
『このツボは高そうだねぇ』だとか、『この絵は僕でも描けそうだなぁ』だとか、わけのわからないことを言って物色している。
「あの、用が無いのなら帰ってもらいませんか?」
ソファで紅茶を飲んでいたマルクが口を開いた。
別に構わないのだが、お前はこの屋敷の人間ではないだろう。
「君は何だい? ああ、わかった。君は僕と同じだ。そうだろう? 違う? ……まあ、どうでもいいか……僕と同じだからっていいことないしね……」
急に肩を落とした。情緒が不安定だ。
「アン、この人の取材を受ける必要はないよ。ただの変人みたいだ」
「変人? 僕が? 光栄だなぁ。僕はね、『普通の人間』だと思われるのが一番嫌なんだ。いやぁ、本当に光栄だよ。ありがとう!」
久間は、今度は急にテンションを上げ、マルクに握手を求めようとする。
だが、マルクはそれを払いのけた。
「アン!」
マルクは怒っているようだ。
まあ、確かにこの男は喋っているだけでイライラしてくるが……。
怒っているマルクの傍ら、久間は机に置かれていたマルクの紅茶をグイっと飲み干していた。
「……そうですわね。御用が無いのであれば、お帰り願えますかしら?」
「帰る? 僕が? どこに? 僕は家が無いんだ、本当にね。……悲しいなぁ、君だって、少し前までは僕と同じだったのにねぇ?」
「……貴方は一体何なのですか?」
アンもそろそろ限界が来ていそうだ。
久間はケタケタと笑いながらクルクル回って出口の方に向かった。
「そうだなぁ……僕は、まあ、特別な人間だからさ、きっとまたすぐに会うことになるよ。その時はどうぞよろしく。その時まで……オーバーン夫妻と仲良くね?」
*
久間凛座は、嵐の様に過ぎ去っていった。
ただの一般人なのか、それとも何か目的があってやって来たのか。
わからないが、取り敢えず上に報告しておくとしよう。
「アン……さっきの奴は一体……」
「さあ? わたくしに聞かれても困りますわ。それより、手が空いているなら肩を揉んでほしいわ」
「自分で揉みなよ」
マルクは案外盲目ではないらしい。
しかし、アンの方は目論見が外れて悔しそうな眼をしている。
「万丈警部、今の人……最後にオーバーン夫妻のことを言っていたわ。二人の周りも警戒してもらえるかしら?」
「意外だな……二人のことを心配しているのか?」
「あら? 当然ではなくて? あの二人はいい人よ? ……本当に……」
目を細めるアンは、少し嬉しそうに見えた。
私が当初思っていたような腹の内の探り合いは存在していなかったのだろう。
「……養子縁組は昨今の紫龍園の流行りだ。乗り遅れないことを祈っている」
「あら、ご親切どうも」
紫龍園の貧民の住む『橋の下街』では、昨今行く当てのない子供がありふれている。
そのほとんどが『非籍民』だが、上流階級の子煩悩に恵まれない人々からの救済が増え始めている。
だが、それでも貧富の差が縮まるわけではない。
全ての子どもが救済されるわけでもないし、むしろ格差は広がっていると見ることも出来る。
紫龍園の闇が晴れる日は、きっとまだまだ当分先の未来の話だろう。
しかし、さっきの男は本当に何者だったんだ?
異様な雰囲気を感じていたが……まさか、再び会うことなどあるのだろうか。
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