1032年 11月4日 

オーバーン邸




 紫龍園州議会の副州議長・バレックス・オーバーン。

 彼の屋敷は、紫龍園都市部の中心に位置していた。

 彼はそこで、妻・エセフィーレと暮らしている。

 だが、そこにはもう一人いた。

 それこそが、自身を水澱ジェラスと名乗る、かの少女だった。


 彼女はマスコミを利用して自分の存在を世間に公表した。

 マスコミはネタ程度にしか認識していなかっただろうが、かつて世間を風靡した  『紫龍園連続怪死事件』の話題の再来に、大衆は歓喜する。

 『水澱ジェラス』とは、『第一の事件』で死亡した『非籍民』の少女に、警備隊が仮称した名に過ぎない。

 誰も本気で彼女の言葉を信じているわけではなかったが、紫龍園の陰謀に繋がるかもしれない話題は、人々の娯楽になる。

彼女は自身を『本物の水澱ジェラス』と名乗り、死亡したのは別の人間だと言い放った。

 だが、そもそもそんな名の人間はどこにもいない。

 誰も、我々警備隊も、彼女の目的がわからずにいた。


 私は、そんな彼女の目付け役として、警備隊から派遣されることになった。

 ただ、護衛という目的も同時に存在する。

 何故なら、彼女は有名になりすぎたからだ。

 世間は彼女のことを『アンノウン』と呼び、その正体を探っている。

 彼女は能力が高く、マスコミを上手く利用して自分をプロデュースし、取材を受けては謝礼金を受け取っている。

 新聞や雑誌には自身の言葉を載せ、容姿が優れていることも利用してモデルに近いことまでやって目立っている。

 とにもかくにも、あまりに有名人になりすぎたため、彼女は今危険な立場にある。


 それは、上流階級の貴族からの圧力だ。

 四年前の『紫龍園連続怪死事件』は、州議会、貴族たちの陰謀を巡って民衆が盛り上がる話題となり、貴族としては触れたくなくなっていたのだ。

 今になってその話題を掘り出して目立つことをする彼女の存在は、邪魔になっていた。

 実際、彼女は暗殺まがいの被害を既に受けている。

彼女は元々住む家を持たず、辺りを転々としていて、身の危険を感じた彼女に救いの手を差し伸べたオーバーン氏から、彼の屋敷に居候する提案を受けて現状に至っている。


 私に護衛を依頼したのもまた、オーバーン氏だ。

 どういうわけか、オーバーン氏は彼女の面倒をよく見ている。

 その理由は私にはわからないが、恐らく彼女が亡くなった娘に似ているからだろう。

 親族のいない彼女に対して、養子にならないかという提案もしたらしい。

 彼女といい、オーバーン氏といい、一体お互いにどんな腹があるのか、私にはわからないが、まあ、どうでもいい。

 私はただ、仕事に専念するだけだ。



 今日もマスコミが彼女の下に取材に来ている。

 私は部屋の隅で立ち続けているだけだ。

 まあ、暗殺者が記者に扮している可能性もあり得るが、私はその時が来るまでは何もせず、ただ静観しているだけだ。


「さて、改めて挨拶をしましょうか? 初めまして。わたくしの名は、水澱ジェラス。どうぞよろしく、フフフフフフフ」


 彼女は、妖艶な笑みを浮かべて自己紹介をした。

 銀色の長髪。

 白い肌に、青い瞳。

 年齢は、およそ十七、八くらいだろうか。

 上背は低く、オーバーン氏の娘のものだったのだろうか、ゴシック衣装を身に纏っている。


「あ……成程、やはり、君は自分のことを『水澱ジェラス』だと思い込んでいるんだね」


 記者は自己紹介に応えず、そう言った。


「思い込んでいる……? 違うわ、わたくしは間違いなく水澱ジェラス本人」

「いや、そんな名前の人はいないんだ。何故ならその名は、警備隊が『非籍民』に名付けた仮名に過ぎないのだから。君だってわかっているはずだ」


 この記者は一体どういうつもりだろうか。

 彼女が嘘を吐いていることなど明白だ。

 だが、有名になりすぎたために引くに引けなくなっているだけなのだ。

 そんなことは私もわかっている。


「……君は……本当は何者なんだい?」


 眼鏡を部屋の明かりの反射で光らせながら、記者は質問した。


「……世間はわたくしのことを『アンノウン』と呼ぶわ。貴方もそう呼べばいいのではなくて?」

「僕は……君の本当の名前が知りたい」

「何故かしら? 仕事だから?」


 微笑みながら記者に尋ねる。


「……一目惚れした」

「は?」

「僕は今、記者としての本分を忘れつつあった。君を好きになってしまった。だから、君の本名が知りたい」


 彼女は絶句していた。

 無論、私も同様だ。

 今までこんな記者が来たことは無かった。

 まさか……隙を狙った暗殺者か?


「……えっと……聞き間違いかしら? もう一回言ってもらえる?」

「好きです。君のことを教えてほしい」


 記者の瞳は澄んでいた。

 まさか、彼女のことを調べるために嘘を吐いているだけなのか?

 いや……それにしてはあまりに純粋な瞳の色をしている。


「……もう一回」

「好きです。君の全てが知りたい」


 どうやら彼女も動揺している。

 同じ言葉を繰り返させても意味は無い。


「……ごめんなさい。貴方の気持ちには応えられないわ」


 彼女は心底残念そうにそう言った。


「わかった。では、これからしばらく君に専属取材させてほしい」


 記者の瞳は色を失っていなかった。


「せ、専属? 何の為に? 貴方の目的は?」

「君の傍にいたい」


 私は、表情を動かさないようにするので精一杯だった。

 この男、私がいることを忘れてやしないか?


「……いいわ、許可しますわ。えっと……名前は……」

「マルク・ブライアン。新人記者だよ」


 マルクの表情は晴れやかだった。

 果たして、彼は当初どのような目的でここに来たのか。

 もはや彼すらも覚えていないことだろう。

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