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 紫龍園州 一ノ宮探偵事務所




 そこは、紫龍園唯一の私立探偵事務所。

 繁華街のはずれに位置する場所に立地しているが、人々は見向きもせずに素通りするだけで、閑古鳥が鳴いていた。

 今日も人は来ない。

 事務所内の所長机の前でだらけて椅子に座っているのは、一ノ宮探偵事務所の所長・一ノ宮王人いちのみやおうと


「今日も寂しいなあ。なあ、ジョシュ」


 王人は、掃除をしている事務所の所員――ジョシュア・レイニースールに話しかけた。


「そうですね。まあ、私としては、このままアルジと二人きりの方が嬉しいですけどね!」


 ジョシュアは、ニッコリと笑顔を向けた。


「ジョシュ……その呼び方、何とかならないか?」

「何でですか? アルジはアルジじゃないですか?」


 ジョシュアは、王人のことをアルジと呼んでいる。

 その理由は、初めて会った時に、ジョシュアが『王人』という字を『主人』という字に見間違えたことから来ている。


「まあ……別にいいか……」


 王人は訂正を諦めた。

 ジョシュアは二十二の自分よりも五つ程下の少女に見えたが、女性に『主』と呼ばれるのは嫌ではなかった。


「アルジ、愛していますよ」

「何だ急に」

「挨拶です、私なりの」

「そんな挨拶があるか?」

「私にとっては大事な事なんです!」

「意味がわからん……」


 すると、急にジョシュアは神妙な面持ちに移った。


「アルジは……私を愛しくれますか?」

「……え? うーん……告白か?」

「アハハハ! 冗談に決まっているじゃないですか!」

「にゃろぉ……純情な男心を弄びやがって……」

「アハハハ! アルジはいつも一瞬真に受けますよね!」



 こんな会話が、彼らにとっての日常だ。

 二人は他愛もない会話を続けて時間を潰していた。

 その時、ドアをノックする音が所内に響き渡った。


「どうぞ」


 来客に気付いた王人は、慌てて姿勢を正した。


「……失礼します」


 入って来たのは、身なりの質素な中年の男性。

 ハンチング帽を深々と被り、黒いトレンチコートを着こなしていた。


「どうぞ、座って下さい」


 王人は、ソファに中年の男を誘導する。


「さて、今日はどうされましたか?」


 早速仕事モードに入る。

 愛想笑いも忘れずに。


「……その……依頼を、お願いしたいのですが……」


 男は俯きながら口を開く。


「はい! 浮気調査でも、素行調査でも、人探しでも、猫探しでも、何でも言ってください!」


 王人は声の調子を上げた。

 久しぶりにわざわざ所に直接やって来た客に、王人は少々興奮していたのだ。


「いえ……今日は……その……」

「はい! 何でしょうか!」

「……ある事件の調査をお願いしたくて……」


 男の言葉に、王人は驚きを隠せなかった。

 一方のジョシュアは、何食わぬ顔のまま茶を男に渡す。


「事件って……え? 事件ですか?」

「はい……」


 探偵事務所に事件の依頼が来ることなど、今までになかった。

 もちろん、紫龍園の警察組織『警備隊』とは無関係ではなかったが、今まで協力を仰がれることも無かった。


「えっと……それで……その事件というのは……」

「『紫龍園連続怪死事件』……」


 男の言葉を聞き、王人は愕然とする。

 その事件は……その事件の名前だけは、王人も何度も耳にしてきたものだった。


「……冗談では……ないですよね……?」


 聞き間違いを疑った。

 何故なら、その事件は、当の昔に終わった事件だったからだ。


「はい。私は、どうしてもあの事件の真相を知りたい。だから、貴方の下を尋ねたのです」

「真相……ですか?」

「あの事件には、謎が残されている。私はどうしてもその謎を解き明かしたいのです」


 王人は、混乱していた。

 彼にとっても、その事件は無縁のものではなかった。

 だが、彼にとってあまりにその事件は自分と関係しすぎていた。

 果たして、もう一度関わるべきかどうか。

 彼はそれについて頭を悩ませる。

 そして――。


「……わかりました。ですが、一つ聞かせてください。貴方の言う『秘密』とは何ですか? 貴方は、一体何を疑問に思ったのですか?」


 男は、顔を上げて話し始めた。


「あの四つの怪死事件には、共通点がある。それは、その全てが『動機不明』なことです。事件の全ては警備隊によって明らかなものにされた。だというのに、『動機』だけが一切わからずに終わった。私は、それがどうにも腑に落ちないのです」

「……警備隊にわからないことが、私にわかると?」

「はい。貴方は、この街で唯一の探偵。そして、警備隊は何かを隠している。貴方しか真相を探ることに協力してくれる人物はいないのですよ」


 それは、つまり消去法ということ。

 王人ならば真相がわかると確信していたわけではない。

 だが、王人は断らなかった。


「……いいでしょう。調べますよ、『紫龍園連続怪死事件』について……」


 王人は、決心した。

 あの事件は、終わっていなかったのだ。

 そんなことは、自分もわかっていた。 

 だが、今まで何も出来ずにいた。

 こんどこそ、事件の真相を掴んでみせる。

 そう強く、決心した。

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